26話 エピローグ
興平三年(西暦一九四年)四月。青州平原国 平原
「まったくあいつらはよぉ。本っ当に何してくれてんだよぉ!」
関東に於いて諸侯が跳梁跋扈する黄巾賊や、よくわからない理屈で動く袁術の存在に頭を悩ませる中、彼らの行動の影響をダイレクトに受けることになった群雄の一人である劉備もまた頭を抱えていた。
去年の秋ごろに青州の民が暴徒化して他の州に乗り込んだことは知っている。
そのせいで兗州の刺史だった劉岱が死んだことも知っている。
その後で彼らが曹操らによって殲滅させられたことも知っている。
青州の民がしたことにも、青州の民が討たれたことにも責任を感じるほど劉備はできた人間ではない。
というか、劉備もまた平原周辺に出没した賊徒を殲滅しているので、責任を感じている暇などなかった。
元々政に関して決して熱心とは言えなかった劉備だが、ここ数年は公孫瓚の下で学んだり簡雍らからの要望もあってそれなりに民に触れ、政のなんたるかにようやく理解が及ぼうとしていた。
そんなときだ、ただでさえ荒れていた青州がさらに荒れたのは。
しかも賊徒と化した民が、自分が治めている平原にまで押し寄せてくる始末。
武侠の人として、役人に苦しめられて決起した民を討つのは正しいことなのか。
為政者として、護るべき民のために賊に堕ちた民を討つことは正しいことなのか。
板挟みとなった劉備が頭を抱えるのも仕方のないことだろう。
さらに悪いことは重なるもので、年が明けてすぐに隣の兗州にて袁術と曹操がぶつかった。
これだけならまだ他人事で済んだのだが、曹操に敗れた袁術が腹いせと言わんばかりに揚州の寿春を攻め落としたことで、劉備も全くの無関係ではなくなってしまった。
何故か? 徐州を治める陶謙から救助要請がきたのだ。
もちろん陶謙が助けを求めたのは平原の相に過ぎない劉備ではなく、彼の上役である公孫瓚だ。
陶謙の言い分としては『青州から来た賊徒に徐州が荒らされている。青州刺史を代行している公孫瓚にはそれを駆逐する義務がある』というものであった。
徐州の人間からすれば、まっとうな言い分だろう。
その陰に『自分が動いたら袁術が背後から襲ってくるかもしれない』という恐怖があるにせよ、理屈自体は通っている。
しかしそれはあくまで徐州側の言い分である。
公孫瓚からすれば自分は代行ではなく仮に預かっているだけであり、青州の民を追い詰めたのは前任の孔融とその取り巻きである。責任云々であればそいつらに責任を取らせるべきだという思いがある。
青州から何かしらの利益を得ているならまだしも、今のところ面倒ごとしか発生していない。
なのになんで自分が責任を取らなければならないのか。
というか、賊くらい自分で片付けろ。それが役目だろ。
それが公孫瓚側の理屈であった。
劉備としては公孫瓚の理屈が正しいと思っている。
賊がどこからきたのかなんて関係ない。
州内に現れた賊を討伐するのが州牧の仕事だと思っているからだ。
また陶謙の理屈が通るのであれば、徐州で賊が発生しその賊が他に迷惑をかけた場合、徐州の軍勢が処理することとなる。それも自費で。
そもそも徐州に存在する賊のうち、どこからどこまでが青州の賊なのかすらわからないではないか。
結局陶謙は、自分ができないことを他人にやらせようとしているのだ。
そんな自分勝手な主張を認めるほど公孫瓚は阿呆ではない。
なので、公孫瓚は陶謙の要請を突っぱねようとしていた。
それはいい。劉備だって『徐州に行って賊を討伐してこい』なんて命じられても困るのだから。
だが、事態はそれでは済まない方向に傾きつつあるようで。
「なぁ、なんで兄貴は悩んでいるんだ? 陶謙のいうことなんざ無視すればいいだけだろう?」
「……それができん事情ができたのだ」
「曹操が兗州の刺史になったってのがなぁ」
「兗州? 青州も徐州も関係ねぇじゃねぇか」
「ところがそうでもない」
頭を抱える劉備を見て首をかしげている張飛が質問をすれば、関羽と簡雍がそれに応える。
「簡単に言うとな、曹操は冀州にいる袁紹の子分なんだよ。実際黄巾の賊とか袁術と戦ったときには袁紹から物資の支援も受けている」
「はぁ」
「袁紹の子分である曹操が兗州を手に入れた。そうなると冀州での戦いに影響が出るだろう」
「それでも冀州のことだろう?」
「袁紹の味方が増えたことが問題なのだ」
現在冀州では、袁家と劉虞が水面下で勢力争いをしている。
これまでは公孫瓚の武力と皇族という看板があった劉虞の方が有利に動いていたが、名家閥の領袖にして冀州最大の策源地である鄴を抑えている袁家の力は侮れるものではない。
そこに袁紹の親友にして盟友であろう曹操が兗州を抑えてしまった。
兗州と鄴を治める袁家陣営と、冀州の北と幽州を治める劉虞陣営。
両者を比べた場合、冀州の土豪たちは袁家が有利なのでは? と考えてしまう。
そうなれば現在の拮抗は崩れ、冀州での戦いが不利になる。
「そんな中、青州の混乱に加え徐州の陶謙と敵対したらどうなると思う?」
ここまで説明されれば張飛にも理解できる。
「あぁ。敵に囲まれっちまうのか」
「そういうことだ」
幽州勢は正面から戦えば董卓率いる涼州勢にも引けはとらない精鋭だ。
袁紹の軍勢に勝つことなどたやすいことだと断言できる。
だが正面から戦わず、生産力を背景にした消耗戦を仕掛けられた場合はその限りではない。
現在でさえ後方となる北に鮮卑を、前方となる南に袁家という敵を抱えている公孫瓚に、新たな敵を作る余裕はない。
つまり陶謙の願いがどれだけ無理筋であっても、無下にはできない、というわけだ。
それもこれも曹操が袁紹の子飼いであるということが前提の上になりたつ推論でしかないが、今のところ曹操の行いは袁紹の意に沿ったことしかしていないので、周辺の諸侯は曹操が長安政権と渡りを付けていることなど想像すらしていなかったのだ。
それは劉備や公孫瓚も同じである。
「陶謙は全部分かったうえで俺らを動かそうとしている。兄ぃもそれを理解したうえで陶謙の要請に応えようとしている」
弟分たちの会話を聞いて落ち着いたのか、再起動した劉備は机の上に置かれた地図を見ながら呟く。
「ただ、兄ぃは先に青州の黄巾を一気に徐州へ押し込む心算だ」
「ほほう」
「あぁ。まずは勢いでぶつかって青州の賊を根こそぎ徐州に叩きだす。それから腰を据えて退治しようってか?」
「そういうことだな」
黄巾賊の恐ろしいところは、どこにでも潜めるところにある。
騎兵が中心の幽州勢では、山岳などに潜まれると非常にやりづらいこととなる。
不正規戦闘なんてされた日には目も当てられない。
だが、地の利がないところでは同じようにはいかない。
地元である青州の山なら潜めても、他州の山には潜めない。
そもそも徐州の山には徐州の民が住んでいるのだ。
彼らが余所者の賊が勝手に潜むことを認めるはずがない。
兗州に入った賊徒もそれがあって山や邑に潜むことができず、曹操らに殲滅されたのだ。
このことからも、賊徒を地元から切り離すことで十分な効果が得られることは証明されている。
戦場を変えることの利点は他にもある。
「青州で戦えば青州が荒れるが、徐州で戦う分には青州は荒れねぇ」
「それもあったか」
「あの人も考えているんだねぇ」
青州は公孫瓚の領地ではないが、彼にも多少の管理責任があることは否めない。
なので公孫瓚はこの機会に青州内にいる賊をたたき出すとともに、未だに支配者面をしている孔融の取り巻きどもを”管理責任”の名のもとに処分して、青州の健全化を図るつもりであった。
「そんなわけで、多分俺らにも出陣するよう命令がくると思うから、いつでも出られるよう準備しといてくれ」
「わかった」
「おうよ!」
「あいよ」
六月。幽州の公孫瓚が電撃的に青州へ出兵。一〇〇万を号する黄巾の賊徒を粉砕し、青州からたたき出すことに成功した。
その後公孫瓚が率いる本隊は袁紹が動く前に幽州へと帰還するも、劉備や太史慈が率いる軍勢が徐州へ入り、青州から逃げた黄巾の賊徒を殲滅することとなる。
この際、青州の名士である孫乾や鄭玄。徐州の大商人である糜竺らと知己を得たが、このことが後にとある騒動を生むこととなる。
孫堅や曹操と同様に李儒が警戒していた英傑、劉備。
彼もまた正史とは異なる道筋で歴史の表舞台に立とうとしていた。
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