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24話

「ではまず。兗州侵攻前からですね」


袁術の行動から学ぶ、絶対にやってはいけないこと講座の時間である。


参加者は劉協の他に彼と一緒に弘農から移動してきた董白とその付き人である王異。

そして呂布の娘である呂玲と、荊州の名士である龐徳公の甥、龐統であった。


彼は劉協が荊州に入ったことを知った龐徳公から、劉協と年齢が近いうえ英傑の片鱗が見える甥に出世の機会を与えると共に世の中を知って欲しいと願われて出仕させられていた。


李儒や劉協からすれば人質を差し出されたようなものだが、荊州の名士と関わりを持つことは劉協にとっても損なことではないし、なにより李儒が龐統のことを知っていたので、二つ返事で受け入れたという経緯があった。


董白と王異については、まぁお察しである。


元々彼女は当時弘農にて喪に服していた劉弁陣営と董卓を繋ぐという重要役目を帯びていたため――元々は李儒に文句をいうため――弘農に滞在していた。


また――董卓は絶対に認めないが――対外的に見れば大将軍が皇帝に人質を送ったともとれるため、彼女が弘農にいることに対して周囲からの反発は皆無であった。


なお、それに付き合わされている李傕と郭汜からの抗議はないものとする。


喪が明けた劉弁が長安に入った後も彼女は弘農に滞在していたが、それは本人が長安に行くのを面倒くさがったことや、溺愛する孫娘が政治的な喧騒に巻き込まれることを嫌った董卓が彼女に対して弘農に留まるよう懇願していたからである。


こうして大義名分を得て弘農へ留まり自由気ままな生活を送っていた董白であったが、近年事態が急変してしまう。


まず挙げられるのが実質的に漢の政務を担当していた李儒が荊州に下向してしまったことだ。


弘農から李儒がいなくなったことで、董白が弘農にいる大義名分の大半が消失してしまった。


それでもまだ劉協や何太后が残っていたので、彼らに対する人質という形で弘農に残ることはできていた。だが数か月前、なにかと董白を構ってくれていた何太后が、息子である劉弁の妻、唐后に妊娠の兆候が出たことを知ると、こうしちゃいられねぇと言わんばかりの勢いで長安へ向かってしまったのだ。


それでも劉協の存在があったので、かろうじて彼女が弘農に留まる理由はあった。


しかしついに「私も長安にいかなきゃ駄目かなぁ」と面倒くさげにつぶやいていた彼女の下に――正確には彼女のお目付け役であった李傕と郭汜に――荊州から一つの指令が下された。


そう、劉協の連行である。


命令を受けた李傕と郭汜は悩んだ。凄く悩んだ。


それはもちろん皇帝の弟である劉協を拘束して連行することに対する悩みではなく、李儒の指示に従うかどうかを悩んだのだ。


そも李傕と郭汜は董卓の配下であって李儒の配下ではない。


彼らはその董卓から『絶対に逆らうな!』と厳命を受けてはいるものの、同時に『絶対に董白を護れ』という命令も受けている。


劉協を荊州へ運ぶとなれば、護衛対象である董白を残すことになる。


二手にわかれることも考えたが、戦力の分散は下策である。


董卓に恨みを持つものは多いし、劉協を害そうとする者がいないとも限らない。


『二手に分かれたがゆえに両方護れなかった』なんてことになれば最悪だ。


李儒の命令には逆らえない。かといって董卓の命令もおろそかにはできない。


結局悩みに悩んだ彼らは、董白に相談した。


彼らは彼女に皇帝がいる長安か董卓のいる郿に移動して欲しかったのだが、董白はそのどちらも選ばなかった。


なんと彼女は、劉協と共に荊州へ行くことにしたのである。


相談した李傕と郭汜は思わず「なんでそうなるの!?」と叫んだが、彼女には彼女なりの理屈があった。


曰く『太傅様の近くに誰もいないのはまずいでしょ?』とのこと。


これには李傕と郭汜も黙るしかなかった。事実だからだ。


「長安は郿に近いからお爺様と陛下の間に齟齬は生じない。生じたとしても対処できる。でも荊州は遠い。もし太傅様とお爺様の間に齟齬が生じたら大変なことになるわ。違う?」


「それは、そうなんですけどね」


我儘ではなくちゃんとした理屈がある以上、李傕と郭汜も董白の主張を無下にはできなかった。


また董白が荊州に行くのであれば護衛も二手に分かれる必要がなくなるので、結果的に李儒と董卓、双方の命令を完遂することができる。


またまた悩んだ二人は董卓へ『お嬢がこんなこと言ってますけど、どうしやす?』と使者をだした。


その使者から話を聞いた董卓は頭を抱えるも、結局彼女の荊州行きを許可した。


董卓としては可愛い孫娘を手元においておきたかった。

しかし郿の周辺は近年行われている農業政策の関係上()()()()()血なまぐさいところがあるし、長安には董卓を嫌う連中が山ほどいる。


可愛い可愛い孫娘がそんな連中の悪意にさらされるくらいなら、荊州で自由にやってほしい。

そう考えた末の決断であった。


こうして董卓から許可を得た董白は、いきなり拘束されて目を白黒させている劉協と共に荊州へと下向したのである。王異は最初から董白と一緒にいる心算だったので、特にいうことはない。


呂布の娘に関しては、劉協が荊州に下向することを知った呂布が、護衛付きで移動できる機会だからと家族全員を呼び寄せていた。彼女は彼女でもともと董白とも仲が良かったことや、呂布の単身赴任が長引いていたせいで弘農でも微妙に居心地が悪くなりつつあったこともあり、荊州に呼ばれたことについて文句をいうようなことはなかった。


呂布が現地で自分と同い年くらいの若い娘を囲っていなかったことも無関係ではない。


参加者の経緯についてはこのくらいにするとして、本題である。


「兗州侵攻に伴う最初の失敗は、事前に調略を行ったことにあります」


「調略を行うのは当たり前のことなのでは?」


「普通ならそうです。しかし調略に応じないとわかっている相手にそれを仕掛けることは徒労でしかありません。相手に情報を与えることも含めれば損でしかないのです」


「調略に応じない? あぁそうか。兄上……陛下はこれ以上の恩赦を認めぬと宣言したものな」


「そうですね。皇帝陛下その人が恩赦を認めないと明言しているのに、その配下でしかない袁家の者が恩赦を囁いても意味はありません。それどころかその不遜さを責められますね」


事実、調略を実行したことで袁家の評判は落ちている。

それは不遜さもそうだが、無意味なことをする阿呆という評価でもあった。


「また、この動きにより兗州の諸侯は近いうちに袁家が北上すると推察し、戦支度を整えることができました。まぁそれが活かされたとは言えませんが」


「青州の黄巾賊だな」


「えぇ。彼らが兗州に乱入したことで、兗州の諸侯が練っていたであろう対袁術の戦略は無に帰しました。その隙を突いて動いたことに関しては、戦略上でも戦術上でも正しい。この点に関してだけは袁術の行動は間違ってはいません。惜しむらくは青州の賊徒は袁家に関係なく動いていたことでしょうか。もしも彼らを動かしたのが袁家であれば策としては最良と言えますね」


袁家といえども、というか袁家だからこそ飢えと怒りで猛っていた賊とは交渉ができない。

そもそも決まった指導者がいない群れなので交渉自体が不可能である。


「諸侯が足並みを揃える前に叩く。これ自体はなんら間違っておりません。ですが、その後が問題でした」


「陳留の略奪、だな」


そう告げる劉協の顔は怒りやらなにやらで歪みきっていた。


「はい。陳留を護る張邈に準備を整える時間を与えたせいで予想以上の抵抗を受けたこともあるのでしょう。通常勝った側が将兵の鬱憤を晴らすために略奪を許可することはよくあることなので、一概に悪手とは言えないのですが。それでも限度というものがございます。袁術はやりすぎました」


度が過ぎた略奪は諸侯の怒りを買い、兵士たちから規律を奪った。


「規律のない兵は賊と同じです。曹操と鮑信は袁術の軍勢を思うがままに誘導し、地の利がない平丘は匡亭に誘導し戦を仕掛け、勝利しました。このとき軍勢の中に袁術がいたと言いますが、それがなければもう少しまともな戦になったかもしれません」


「なぜだ? 総大将が陣頭に立つのは問題かもしれんが、指揮を執る分には問題なかろう?」


総大将が戦わない軍勢は弱い。

そのため大将はできるだけ姿が見える場所にその身を置くべし。


兵法上の常識ではあるが、これにもいくつかの条件がある。


「総大将が率先して戦おうとしてはならない。それは事実なのですが、同時にこうも言います。いざというとき総大将に戦う気概がなければいけない。と」


皆から見える場所にいる総大将が率先して逃げればどうなるか? 

当然、軍勢が崩れる。袁術がやったのはこれだ。


「敵の前に姿を晒すなら覚悟を決めねばなりません。その覚悟がないのであれば、最初から姿を見せない方がマシなのです」


「なる、ほど……」


「また、総大将を護るために精兵を割かねばなりません。このせいで、ただでさえ規律が薄れていた袁術軍は精強な軍勢ではなく武装した破落戸の集団と化しました。最初から覚悟を決めていた曹操や鮑信たちからすれば赤子の手を捻るようなものだったでしょうね」


事実、一〇万を号する軍勢を四万程度の軍勢で迎え撃ったにも拘わらず、曹操や鮑信が率いた軍勢に大きな犠牲はなかった。


袁術は己の行動と覚悟のなさによって一敗地に塗れたのである。


しかし、彼の愚行は留まることを知らない。


「曹操らに敗れた袁術は敗残兵をまとめると本拠地である豫州へ帰還せず、揚州が寿春に侵攻しました」


突然の侵攻に対処できなかった寿春はさしたる抵抗もできずに陥落。

揚州牧である劉繇は苦情を申し入れようとしたようだが、そもそも劉繇もまた討伐されるべき逆賊である。


漢の忠臣たる袁家が討伐対象である劉繇を攻めるのはある意味で当然のことなので、劉繇は泣き寝入りするしかなかった。


だが、袁術と劉繇が裏で繋がっていたこともまた事実。


それを知る者たちからすれば、袁術の行為は裏切りに他ならない。


もちろん、ここにいる面々はその”知る者たち”に該当している。


「袁術はなぜ寿春を攻めたのだ?」


この期に及んでなぜ仲間割れをするのか。劉協にはわからなかった。

だが、袁術という人間を知れば答えは簡単に出てくる。


「おそらくですが、袁術は豫州の民に自身が敗北した姿を見せたくなかったのでしょう」


「そんな理由で!?」


劉協からすれば信じられないことだが、名家にとって面子は時に命よりも大事なものだ。


それなのに『大軍を擁して攻め入ったがあっさりと敗退しました。反撃の手立てはありません』など、どの面下げていえようか。


まして今回掛かっているのは面子だけではない。


「陳留で失った資材の補填もしなくてはなりません」


一〇万もの兵を食わせるための兵糧や彼らが装備する武具など、様々なモノが用意され、そして破棄されているのだ。


それらをなんとかするために袁術が選んだのが、隙だらけの寿春だった。

これはそれだけの話だ。


しかし、それらはあくまで袁術の都合に過ぎない。


一方的に裏切られる形となった劉繇は袁術の行いに対して憤怒しているし、袁術から支援を受けている劉琦も袁術を疑うだろう。もちろん周辺の諸侯とて、このような真似をした袁術を信用することはない。


兗州の諸侯はもちろんのこと、徐州や揚州の諸侯は今後袁術を信用することはないだろう。


目先のことに囚われすぎて、他者の信用を失う。

これもまた袁術が犯した愚行の一つであり、史実の劉協がよくやっていたことであった。


散々袁術をこき下ろした後「殿下はこういうことをしないように」と結んだ李儒の表情には一切の感情が見られなかったそうな。


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