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21話

「……鮑信の要請に応じよう」


曹操は袁術よりも青州黄巾党と戦うことを決意した。


「よろしいので?」


陳宮もその決断に否はない。

この問いかけは、ただ曹操に考える時間と口実を与えるためのものだ。


それを知る曹操は、脳裏に浮かんだ諸々の事柄を口にすることで考えを纏める。


「劉岱様の仇を討つこともそうだが、隣に賊が蔓延っていては袁術どころの話ではなかろう」


「それは確かに」


「また、袁術が北上の機会を窺っているのは確かだが、それがいつになるかは分からん。陳留に援軍を送ったはいいものの、そのまま拘束されては意味がない」


「それもごもっとも」


「仮に袁術が陳留を落としたとて、その後の統治を考えれば徒に陳留の民を苦しめるような真似はすまい。しかし黄巾の賊徒は違う。連中は蝗と同じだ。そこにあるもの全てを食い散らかす。その後の統治のことなど考えずにな」


飢えた民が、指導者の教えもなにもなく、ただその飢えを満たすためだけに動いているのが青州黄巾党である。彼らの頭にあるのは目先の食糧を得ることだけ。

統治など考えるはずもない。


「……元は作る側の者たちです。正しい指導者がいれば彼らは今も己の田畑を耕していたでしょうに」


「そうだな、その通りだ。余裕があれば我々が導いてやれたかもしれん。一〇〇万の民に田畑を開墾させ、実りある土地を目の当たりにさせることができたかもしれん。だが、現状では彼らに手を差し伸べることはできん」


「ですな。彼らは黄巾の賊徒。黄色の布を頭に巻いた者たちに手を差し伸べれば、それ即ち逆賊の証」


「あぁそうだ」


黄巾党は先帝劉宏が逆賊認定した宗教団体である。


張角を始めとした指導者たちの死を以て乱の平定を宣言したが、その残党を赦すという言葉は出ていない。


つまり頭に黄色の布を巻いた時点で、彼らは逆賊なのだ。


その逆賊が劉岱を殺したことは……まぁ元々劉岱が逆賊だったので罪に問われることはないだろうが、劉氏の面目というものを考えれば赦されるものではない。


どこぞの腹黒あたりであれば『逆賊同士好きなだけ戦わせればよろしい』などと言いそうだが、そもそも兗州は漢の土地なのだ。そこに住まう民のことを考えれば、賊徒に荒らされるよりは諸侯が治めたほうが幾分マシというものだろう。


兗州の現状と長安政権の意。この二つを考えれば、今の曹操に取れる選択は一つしかない。


「うむ。やはり賊徒を先に殲滅せねばならぬ。張邈や衛臻(えいしん)には悪いが、な。彼らには今の話を伝えた上で、もし袁術が動いたら一時東郡へ退くよう進言しよう」


「御意」


陳宮とて地元である陳留が袁術に荒らされるのは見たくない。

しかし曹操がいうように、賊徒に荒らされることとは比べるべくもない。


一一月。冬を前に曹操自ら率いる軍勢が東郡を出立。

そのまま鮑信が相を務める済北国に入り彼の軍勢と合流した後、賊徒を殲滅。

その後泰山郡にて略奪を繰り返す黄巾賊と戦い、これを大いに打ち破った。

返す刀で南下した曹操軍は二手に分かれ東平国と任城国に侵攻。

賊徒やそれに味方していた土豪を打ち破ると、そのまま山陽郡にて合流。

劉岱の旧臣たちとの合流を果たした曹操は、劉岱が散ったと言われる地に赴き劉岱を称える祭壇を建て、そこで追悼の詩を詠み、諸将を涙させた。


そうして諸将の心を掴んだ曹操は残る賊徒を殲滅した後、州治所のある山陽郡は昌邑(しょうゆう)県に入り、そこで驚愕の報を受けることとなる。


興平三年(西暦一九四年)一月。


曹操がその報に接したのは賊徒の大半を討伐し、あとはそれぞれの郡で対処できると判断して兵を休ませようとしたときのことであった


「なんだと? それはまことか!?」


「……はっ」


「馬鹿な……」


その報とは、袁術による陳留への侵攻と、張邈らの戦死。

そして陳留を占拠した袁術軍による悪逆非道の限りを尽くした略奪行為についての詳細であった。


曰く、捕虜となった兵士を、車裂にしたり、熱湯の煮えた大鍋にいれて殺した。

曰く、陳留に住んでいた女性を軒並攫い、慰み者とした。

曰く、富豪を襲って金品を奪った。

曰く、通りがかった邑を襲い、民を皆殺しにして蓄えられていた物資を根こそぎ奪った。

曰く、陳留に蓄えられていた財を全て奪い、家や宮城に火をかけた。


曰く、曰く、曰く。


袁術軍は真っ当な為政者であれば思わず眉を顰めるような所業を繰り返していた。


「何故だ。何故将来自分たちが治める地でそこまで非道な略奪ができるのだ?」


この時代確かに私刑はある。


張邈との戦で将兵にそれなりの犠牲が出たのであれば、彼らの不満を晴らすために略奪を認めるのはむしろ当たり前のことですらあるだろう。


そのため曹操とて、捕虜を殺したことについてはなにも言わない。

女性を攫ったのも理解できなくはない。

陳留に根差した商人を滅ぼし、空いたところに豫州の商人を据えて財を吸い上げることは汝南袁家にとっても有効な手なので、敢えて陳留の富豪を襲わせることもあるだろう。


そこまでは理解できる。


だがその次からが分からない。


邑に住まう民がいなくなれば、食料の生産力が消失する。

それでどうやって民を養う心算なのか。

家を焼き、財を奪われた民に今後どうやって生きろというのか。

その後陳留を再建するための予算と民の心情を考えないのか。


「まさか袁術は兗州を滅ぼす心算なのか?」


そんなことをして何になるのかは分からない。だがそれ以外に思いつくものがない。


袁術も漢の民なのだから、同じ漢の民に無体な真似はしない。

その予想を外されて呆然自失とする曹操。


「いえ、袁術は何も考えていないだけかと」


そんな曹操に痛ましそうな視線を向けつつ、陳宮はその意見を真っ向から否定した。


「元々彼は南陽に於いても似たような真似をしていたと聞きます。袁術にとって民とは目の前にいる民、即ち汝南、もしくは豫州の民であって、それ以外はどれだけ苦しめても問題のない有象無象の存在なのでしょう」


「そんな、いやしかし、確かにそれなら辻褄は合う、のか?」


「殿も仰っていたではありませんか。彼は先代からまともな引き継ぎを受けていない、と」


「……あぁ、確かに言ったな」


「袁術にとって張邈は逆賊。逆賊に従う民も逆賊。故に陳留での略奪を赦す。そんなところでしょう」


「それは……」


漢の常識を当てはめれば、一応の理屈は通る。

屁理屈でも理屈は理屈。

そう主張しないと陳留での略奪ができず、兵たちの不満が溜まる。

ならばこれはある意味では苦肉の策なのかもしれない。


無理やり納得しようとする曹操に陳宮は追い打ちをかける。


「そも彼は民の価値を理解していないのです、それは名家出身の儒者にありがちなことでもあります。その点でいえば袁隗らも正しく理解はしていなかったでしょう。故に略奪ができる」


「むぅ」


民を見ていない。実を言えば曹操とて彼らと似たような部分はあった。

彼が民の重要性を本当の意味で理解したのは、反董卓連合で戦死した衛茲に代わって自分が陳留を治めるようになってからだ。


民を富ませれば生産力が増える。

そんな当たり前のことすら当時の曹操は朧気にしか理解できていなかったのだ。


それを理解していたら、若き日に荒くれ者どもと一緒に暴れまわって好き勝手に略奪をしたり、花嫁泥棒なんて人間の尊厳を冒すような真似はしていなかっただろう。


若き日のあれこれについてはさておくとして。


為政者として自分が治める土地の民と触れることが多くなってから、曹操はこれまで興味がなかった農業や商業にも目を向けるようになったのだ。


そうして成長した曹操だからこそ、袁術の行いがどれだけ愚かしいことなのかがわかる。


だが、同じ経験をしていない袁術にそれを理解することはできないし、略奪で美味しい思いをしている部下もわざわざ袁術に考えを改めるよう注進したりはしないだろう。


それは陳留が焼かれたことからもわかる。


少なくともそれなり以上の権限がある人間に最低限の常識があれば、陳留を焼くような真似はしなかったはずだ。何故なら。


「……そも兗州の刺史は袁術ではなく金尚なる人物だろうに」


そう、兗州の刺史は金尚である。長安政権がそう任じた。

そして袁術はその補佐を任じられている。

それがあるからこそ袁術は兗州へ兵を進めることができるのだ。


だがそれは、あくまで金尚の補佐でなくてはならない。


自分が治めるべき土地が焼け野原となったことを知れば、金尚はどう思うだろうか。

それこそ長安に袁術の暴虐を訴えるのではなかろうか。


ただでさえ袁家の評価が落ちている中で、ここにきてさらにそれを加速させてどうしようというのか。


曹操の疑問に対する答えは一つ。


「袁術にとって袁家以外に価値はないのでしょう。金尚についても『自分の力で刺史になるのだから金尚は自分の配下。刺史が配下なのだから兗州は自分の物』と考えているのでは?」


自分の物だからこそ好きに略奪できる。

それこそ南陽がそうであったように、だ。


「……あの阿呆が」


そう吐き捨てる曹操の目には明らかな怒りがあった。


当たり前だ。兗州の諸侯ということもあるが、それ以前に陳留はかつて曹操が莫逆の友と見込んだ衛茲が治めていた地であり、今はその子である衛臻が治めていた都市だ。さらに郡太守であった張邈とも知らない仲ではない。むしろ相応に馬が合う仲であった。


その彼らが殺され。彼らが治めていた地が穢されたのである。


怒りを覚えないほうがおかしい。


「陳宮。すぐに袁術の軍勢を兗州から叩きだすぞ。兵を休ませるのはその後だ」


「御意。鮑信殿にはなんと?」


元々鮑信は袁術との戦いに否定的な立場を取っていた。

それは自分たちが逆賊に認定されているのに対して袁術が正式に長安政権から認められていたからだ。


当然、長安政権が認めた刺史である金尚と戦うことにも否定的である。もし彼らが長安政権から恩赦の許可をもぎ取ることに成功していたら、なにもかもをかなぐり捨てて一も二もなく彼らに従うことを選んでいるだろう。


それくらい鮑信は自身が橋瑁の口車に乗って反董卓連合に参加したことを後悔し、今も逆賊の汚名を雪げないことを心から恥じているのである。


そんな彼を袁術との戦いに誘うのは極めて危険な賭けとなる。

最悪の場合後ろから襲われることになるかもしれない。


陳宮としてはそのような不確定要素を抱えたくないと考えているが、曹操の考えは違った。


「援軍を要請する。袁術軍が行った蛮行を知れば、今は長安政権がどうとかを気にしていられないと気付くだろう」


「気付かないようなら?」


「私の武運はここまで、ということだな」


曹操からみて鮑信は自分以上に民に近い諸侯である。

そのため民が虐殺されるような状況を見逃すとは思えない。


さらに相手が袁術というのも悪くない。


長安政権が袁紹や袁術を除こうとしているのは周知の事実。

そのことを突けば少なくとも袁術に従うことはないだろう。


懸念があるとすれば金尚だが、陳留のことを考えれば金尚は傀儡だ。

長安政権から責任を問われる可能性もある。


なにせ袁術が焼いたのは陳留だ。


そして今上皇帝劉弁の弟である劉協の肩書は陳留王である。


皇帝所縁の地を焼いた佞臣を討伐することに否はあるまい。


ここまで条件が揃っているにも拘わらず鮑信が曹操に協力しないとなれば、それはもう諦めるしかない。


ある種の開き直りを見せた曹操だが、彼の命運はまだ尽きていなかった。


三月。準備を整えた曹操・鮑信の連合軍は、陳留郡匡亭にて袁術本人が率いる本隊と激突。


これを叩き潰し、袁術軍を兗州から一掃することに成功する。


四月。鮑信を始めとした兗州の諸侯から劉岱亡き後の仮の刺史として立って欲しいと願われ、三度辞退した後にこれを受諾。


あくまで”仮”であることを強調した上で刺史となった。


諸侯はその奥ゆかしさに大いに心を打たれたという。


―――


「荀彧よ、本当だな? 本当に大丈夫なんだな?」

「はっ。公達、いえ尚書令殿や、新たに司徒に任じられた張温様からも確かに認可を頂いております」

「そうか。それならいいんだ。……いや、まて、太傅様からは?」

「……長安にはおりませんでしたので」

「馬鹿者! いますぐに荊州に使者を立てろ! そして今回の件はあくまで”仮”であることと、長安から許可を貰っていることを必ず伝えるのだ!」

「ぎょ、御意!」



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