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20話

農作物の収穫も終わり、年を越す準備をしようかという一〇月中旬のこと。


曹操は陳宮から驚愕の報を受けていた。


「……劉岱様が賊に討ち取られた、だと?」


「御意。青州方面から迫りくる百万を号する黄巾の賊徒と果敢に戦うも、武運拙く敗れた、とのことにございます」


「修飾はいい。本当のところは?」


「賊は一〇万に近い集団だったそうです。鮑信殿が『賊徒は蝗の如く数と勢いだけはあります。今のままでは簡単には倒せません。ですがまともな訓練も受けていなければ攻城兵器さえ持ち合わせていない烏合の衆なので、まずは籠城して賊徒の勢いを削ぎ、それから打って出れば大勝できるかと存じます』と告げたところ、何を勘違いしたのか『烏合の衆ならば籠城の必要などあるまい!』と言って出陣してしまい、衆寡敵せず、賊徒に呑まれての討ち死ににございます」


「阿呆か」


端的に言えば、名家にありがちな”自分に都合の良いことしか聞こえない耳”が悪さをした結果出陣した総大将が討ち死にした。それだけの話である。


死んだ方は自己責任で済む話が、残された方は堪ったものではない。


そのことは陳宮も理解しているようで、普段とは比べ物にならないほどその表情を硬くしていた。


「それで、その賊徒はどうなった?」


「鮑信殿と公孫瓚殿から援軍として差し向けられていた范方殿という方の奮闘も相まって、今は追い払うことに成功したとのこと。されど被害は甚大で、鮑信殿からは支援物資と援軍が欲しいとのことでした」


「支援物資は、いい。袁紹から巻き上げたモノがあるからな。だが援軍となると……」


ここで重要なのは、賊徒はあくまで追い払っただけであり、滅したわけではないということだ。


当然援軍の仕事は賊徒の討伐となる。


それ自体はいい。曹操とて異論はない。

しかし、時期が悪かった。


「陳留の張邈殿より、袁術の動きが活性化しているとの報がございます。ここで鮑信殿のもとに援軍を送れば、袁術への対処に不安が生じまする」


そう。袁術が虎視眈々と北上の機を窺っているのだ。今回のコレはまさしく絶好の機会。


必ずや動くだろう。むしろここで動かなければ袁術のみならず配下たちの正気を疑うくらいだ。


南の袁術、東の賊徒。

どちらも討伐しなければならない相手であることに違いはない。


片方だけならなんとでもなる。

しかし同時に、となると。


「二手に分ける、は悪手だな」


「御意」


兵力の分散は控えるべし。

兵法の基本である。


さらに袁術も黄巾賊も数だけは多いので、最低限の数を用意しなくては劉岱と同じように勢いに呑み込まれてしまう。

なにより数が少ないと主導権を握れない。


曹操自身が率いる軍勢ならば一定の裁量を任せてもらえるだろう。だが分割してしまうと、片方が鮑信の軍勢に、もう片方が張邈の軍勢に取り込まれてしまいかねない。


もちろん曹操がいる方はそんなことはさせないが、往々にして発言力とは率いる兵の数に比例する。つまり率いる兵の数が少ないということは、それだけ発言力も減ってしまうということである。


「援軍として馳せ参じたものの発言力がないとか、最悪だな」


反董卓連合に参加したときの曹操がまさにそんな状況であった。

ただあの時は袁紹のおかげ? で副盟主という立場にあったので諸侯の下につくことはなかったが、そうでなければ良いように使い潰されていたはずだ。


もちろん張邈や鮑信が理由もなく自分たちを使い潰すとは思っていない。

ただそれは、逆に言えば”理由があれば容赦なく使い潰す”と同義である。


実際曹操も彼らと同じ立場になったら、無駄遣いはしないがいざという時には使い潰すのだから、そこに文句を付けるのは間違っているとわかっている。わかってはいるのだが、軽々に決断できることではなかった。


「……どう思う?」


「理想は即座に賊徒を片付けて、そのまま陳留へ入ること、ですが……」


「黄巾の賊はしぶとい。もし逃げに徹されたら始末に負えん」


「御意」


元が農民の集団である。

村民になり切ることもできれば、山に潜むこともできる。


それらを探しだして討伐しなくてはならない。


ただでさえ滅入る作業なのに、今は季節が悪かった。


「これから冬がくる。おそらく連中は青州に帰る心算はないのだろうな」


「……生まれ故郷を捨てますか?」


「土地にしがみついて生きていけるならそれでもいいだろうさ。それができなかったから連中は兗州へと押し入った。すべては政を疎かにした刺史が悪い。そういうことだろう」


「青州の刺史は孔融殿でしたな」


「元、な。今は劉焉だ」


「そう言えばそうでした。しかしその劉焉は討伐の対象となりました。ならば今はまだ青州では孔融殿の施策がまかり通っているのでしょう?」


「……そうだな」


孔融の施策は儒教の教えに則ったものが多い。

分かりやすいところだと。

田畑は決められたところだけを耕しなさい。

作物は決められたものだけを育てなさい。

塩は国家の専売品なので勝手に作ってはいけません。


こんなところだろうか。


田畑の開墾を制限することで、官吏側は農作物の生産量と税が計算しやすくなる。

農民は決められた土地だけしか耕さなくていいので、家族が増えれば増えるほど農民一人当たりの負担は減る。塩はもちろん犯罪だから勝手に作らない。

人口が増えたらそれを計算して新たな土地を開墾させればいい。

農民は楽だし、官吏も楽。誰も困らない素晴らしい施策である。


机の上では。


この政策には重大な欠点が存在する。


そう、不測の事態が発生したとき対処できないのだ。

洪水や日照りで既存の田畑が潰れたときが一番わかりやすいだろうか。

決められた土地以外では開墾できないため、農家は必死で使えない土地を耕して農作物を作ろうとするが、生産される量はほとんどない。

同じ土地で同じ作物ばかり作っていれば、連作障害も発生する。

官吏がその都度新たな指示を出せるような人間ならいい。


だが後漢末期の役人の質は、誰もが知っているように最悪の一言。


能力がないのは当たり前。そのうえ彼らは単体で傲慢、強欲、怠惰、暴食、色欲、嫉妬、憤怒、虚飾を網羅している最悪の存在だ。


しかもそれは特別な一人に限った話ではない。役人の大半がそうなのだ。


そんな連中に己や家族の命運の託すことになった民がどれだけ絶望したことか。


さらには大陸全土を襲った凶作と飢饉によって、賊徒と化す者たちが増大した。


自分たちの土地で食べるものが作れないのであれば、他から奪うしかないではないか。


賊に殺されないためには自分も賊になるしかないではないか。


こうして青州黄巾党は、目立った指導者もいなければ目立った方針もないままに一〇〇万を超える集団となったのである。


彼らは政に無理解な儒者に机上の空論を押しつけられた結果生み出された、時代の被害者であった。


「だからと言って何をしても赦されるわけではないがな」


いかなる理由があっても賊は賊。


まっとうに暮らしている民を脅かす存在を赦す理由はない。


通常であれば賊徒の討伐に全力を傾ける。

しかし、袁術を放置するわけにもいかない。


賊か袁術か。


悩んだ末に曹操が選んだのは……。

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