表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/203

15話。涼州の乱の終わりと張純の乱

涼州の乱については一旦終了です。韓遂や辺章のその後?ハハッ。

中平4年(西暦187年)5月。司隷京兆尹・長安


美陽の戦からおよそ半年、涼州の乱を鎮圧するために派遣されていた官軍は、涼州の州都が有る武威郡を奪還した時点で一度追撃を打ち切り、董卓が率いる一部の軍勢を除き長安へと帰還していた。


「そうか。やはり奴は漢に叛旗を翻したか」


そして長安に戻り、ここでの論功行賞を終えるとほぼ同時に『張純が河北で乱を起こした』と言う情報を大将軍府の者が極秘裡に伝えに来たので、指揮官である張温と副将にして監査役扱いの(実際は監査役でもなんでもなくただの董卓の援軍であるが、李儒の官位と何進の存在が周囲にそう思わせている)李儒は、長安の宮城中に置かれた臨時の将軍府執務室において今後の対策を練るために地図を前に向き合っていた。


この報はこちらから見て非常に無駄の無いタイミングであり、このタイミングで張温に報が入るのは張純にしてみれば誤算もいいところかも知れない。しかし実際のところ遠征軍は連中が反乱を起こすタイミングを見計らって動いていたので、これも万事予定通りと言ったところだったりする。


つまり最初から張純に勝ちの目など無いと言うことだ。


「はっ。予定通りと言えば予定通りです。しかし……」


その為、張温も落ち着きをもってこの報を受けることが出来た。それはいいのだ。だが反乱の発生自体は予想通りだと言うのに、李儒の顔色は冴えない。


「うむ。お主の言いたいことは分かるぞ」


張温にしても目の前で李儒が困惑したような顔をするのも良くわかる。それは「反乱の規模が大きくなりすぎた」とか「向こうの行動が予想以上に早い」などと言ったものではないのだから尚更である。


「まさか張純が、ろくに備えもしていない通りがかりの公孫瓚に負けるとは思いもしませんでした」


「……それはそうだろう。10万の軍勢と吹聴した軍勢が、公孫瓚が率いるたった3000の騎兵に一方的に負けるなぞ想像出来る筈がない」


そう。張純が河北で蜂起したことを受けて、何をトチ狂ったか(おそらく名家閥の連中が主導したのだろうが)朝廷が、幽州の騎兵を率いてこちらに合流予定であった公孫瓚に対して「通り道なんだからついでに片付けろ」と言った感じで張純の討伐令を出し、それを受けた公孫瓚が張純が集めた軍勢を蹴散らしてしまったのだ。


張純を知る張温としては「3000対10万で負けるって。張純(アイツ)は何をしているのだ?そりゃ黄巾にも負けるわな」と言ったところで済んだが、軍略家である李儒にすれば、向こうの戦場で何があったのか理解が出来なくて困惑しているのだろう。


実際鍛えに鍛えた騎兵が3000居れば民兵崩れの10万を蹴散らすことは不可能ではない。しかし張純と共に乱を起こした者達の中には烏桓の連中も居たはず。


彼らは幽州の騎兵に勝るとも劣らない精鋭だと考えれば、3000でどうやって打ち勝つのか。兵法を知れば知るほど理解が出来ないのは当然と言える。


そんな戦場の摩訶不思議はともかく、今回の件のせいで予想外の問題が発生してしまったので、こうやって彼らは会議を行っている次第である。


「石門で公孫瓚に敗れた張純は一目散に長城を越えて逃げたとか。……面倒なことになりましたな」


秦の始皇帝が築いたと言われる長城は、この時代の漢の国境線でもある。コレを越えた先は異民族が蔓延る魔境であると言うのが当時の価値観だ。


「そうだな。朝廷は張純の首を求めている。故にこうして逃げられる前に首を獲りたかったが……この分では今後ヤツは戦に出てこんだろうな」


と言うか、ここまで無様な敗戦を重ねた人間に指揮権を渡す人間はいないと言う方が正しい。そのため今後の張純は後方支援に専念することになるのだろう。実は彼にやられて一番面倒なのがコレだったりする。


読み書き算術ができて、兵糧の配分やら何やらの計算と言う地味な裏方作業は基本的に文官である張純の土俵である。よって張純が戦に怯えた結果、表に出ずに裏方仕事に専念されてしまえば、基本的に無計画な異民族どもも効率的に動くようになってしまうかもしれない。


この場合、行動が読みやすくなると言えばその通りだが、ことはそう簡単ではない。


騎兵中心の異民族と歩兵中心の官軍は元々の機動力が違うので、向こうはこちらの動きを見てから対処を変更することができる。つまり戦術上の後出しジャンケンが可能なのだ。そんな連中に縦横無尽に動かれると、行動の予想をして迎撃準備を整えても、その対処を素通りされることになる。


つまりこのままでは、河北の乱(烏桓兵)に対して官軍では対処出来ないと言う事態に陥ってしまい、グダグダなまま乱が続くと言う状況になる可能性が高い。


そうなってしまえば張温とて自分の身が危うくなるし、張温が失脚したら何進も彼に恩を着せた意味がなくなってしまう。言うなれば共倒れだ。


「現状では長城を越えての追撃は現実的ではありません。理想としては烏桓と張純の仲違いを狙うべきでしょう」


上記の理由の為、何進の意向を受けている李儒も今回の事態に対して真剣に献策を行うようだ。


「ふむ。烏桓も血の気の多さでは羌に劣らんからな。戦から逃げる張純との離間はそれほど難しくはなさそうだな」


張温としては張純が今回の乱を引き起こすことを黙認した彼らに多少思うところはあるが、元々は自分が原因だし(結局は張純の逆恨みであるが)彼らは今の段階では自分を裏切ることがない盟友だ。ならばお互いに利用すべきだと言うくらいの分別は有る。


そして利用するとなれば李儒の存在は実にありがたい。


なにせ彼は洛陽の澱みを理解している上に、大将軍である何進の紐付だ。どこぞの虎のように、書類から逃げるためだけに出撃許可を求めるような真似はしないし、献策の内容も頷けるものが多い。


しかも彼がいるだけで洛陽の連中による物資の中抜きも無ければ、事務処理で焦らされたりすることもない。……自分たちが要求した物資が、予定通りの日数でさらに過不足無しで送られてくると言う光景には、張温だけでなく孫堅達も驚きで目を丸くしたものだ。


そんな彼からの提案が張純と烏桓に対する離間計である。


洛陽の連中が欲しているのは張純の首であって、烏桓どもに関してはいつもの賊程度にしか考えていないだろう。それを考えれば、今回の負け戦で衝撃を受けているであろう烏桓を懐柔することは難しく無いように思える。


と言うか今の状況を考えれば、確かに長城を越えるのは現実的ではない。ならば烏桓は懐柔して先に漢の内部の賊を殲滅することこそが、軍事的にも政治的にも上策と言えるのは確かだ。


問題はそれを洛陽の連中が納得するかどうかだが、まぁ何進の口添えがあれば不可能ではあるまい。


「はっ。まず閣下が洛陽に戻り兵を纏めた後に北上すれば、丘力居は助命か己の氏族の立場の保証を求めるでしょう」


言葉だけならば羌や涼州連合を見下す宦官や名家と同じなのだが、彼らと李儒の違いは希望的観測に基づく楽観論では無いと言うことだろう。


「うむ。ただでさえ負け戦の後だ。今頃は張純に乗せられたことを後悔しているだろうさ。この状況で我らが北上すれば、向こうから膝を折る可能性は高いだろう」


なにせこちらは羌と涼州軍閥連合軍を一方的に叩き潰した精鋭部隊である。


……まぁ実際は李儒のせいで弱体化したところに野性を開放した董卓の兵が襲いかかった結果だが、対外的にはそうなっている。


そんな精鋭が自分たちを打ち破った公孫瓚の部隊に合流するのだから、向こうにしたら堪ったものではない。連中は下手に敵対して殺される前になんとかして生き延びる為、様々な手を打つだろう。そこで張純の首を条件に臣従するようにすれば良い。


張純にしてみれば官軍に敗れて死ぬのではなく味方に裏切られて死ぬことになるのだが、それはそれで漢に背いた者の末路としては相応しいし、宦官や名家の連中好みの死に様とも言えるので、反対意見は少ないと思われる。


「後は今回の乱に便乗した黄巾の残党たちでしょう。張純の首が届くまでに鎮圧できれば良いのですが、なまじ規模が小さい連中の集合体ですので滅ぼすのは難しいかもしれません。張挙に関しては現在情報がありませんので、閣下が現地に赴いてから確認する必要があります」


「あぁ、そんなのも居たな」


張温にとっては逆恨みして自分の足を引っ張ろうとする張純さえ殺せば良いと言う考えが有ったし、洛陽の連中も首謀者の首があれば文句は言わないだろう。


問:しかしその首が手元に無いならどうなるか?


答:乱を鎮圧できない無能として讒言を受けることになる。


戦で勝っても、韓遂の首を取れなかった皇甫嵩がまさしくコレだった。そのため張温は時間を稼ぐために代わりの首を用意する必要がある。


それが張純と共に挙兵した張挙であり、彼の反乱に呼応して暴れている黄巾の残党だ。黄巾はともかく、元泰山太守の張挙の首なら多少の価値は有るだろう。


死んでいるならまだしも生きているなら狙う価値は有るので、これはこれで有用な助言と言える。


結局のところ李儒から張温に与えられた助言を纏めるなら「張純と烏桓の離間」と「張挙や黄巾の始末」の二つとなる。「逃げたのなら追う」のでは無く「向こうから差し出させる」と言う着眼点こそが、策士である李儒の真骨頂と言えよう。


「では我らは洛陽へ凱旋するとしよう、その最中に洛陽から正式な使者が来るのだな?」


「はっ。今頃宦官どもが「閣下を呼び戻せ!」と顔を赤くして叫んでいる頃かと」


「……司空である私が言うことでは無いのだろうが、洛陽へは立ち寄りたくないな」


出来たら直で現場に行きたい。洛陽で蠢く連中の顔を思い浮かべ沈鬱とした気分になる張温だが、残念ながら彼の立場ではそのような贅沢は許されない。


「お気持ちはお察ししますが、流石に帰還の挨拶と論功の奏上は行なう必要があります。これを怠ると後ろから刺されますぞ」


「わかっておるわ」


帝への挨拶は当然だし、部下の功績を奏上するのも将として当然の話だ。しかしこの言い方では李儒は洛陽に戻らないような言い様ではないか?


「……お主は洛陽に戻らんのか?」


「えぇ。弘農で仕事が有りますし、何よりこちらの董卓殿や孫堅殿といった方々への引継ぎがありますからな。お手数ですが奏上などは閣下に一任することになります」


「なっ?!」


いや、まさか、そんな。ありえんよな?と思いながら確認する張温に対して、よくぞ聞いてくれた!と言わんばかりにハキハキと答える李儒。


確かに董卓は現地の即戦力なので現状で引き戻すわけには行かないし、孫堅も現在は首に縄を付けられて書類仕事の真っ最中。立場や官位の上でこいつらの暴走を抑えられるのは、この軍勢の中では自分を除けば李儒だけだと考えれば、彼がここに残るのも当然と言える。


しかも遠征軍の兵糧は弘農を経由して送られて来ているので、弘農丞である彼が後方支援に回るのもおかしな話ではない。




そんな建前をつらつらと並べられた張温は李儒を風除けにしようとする計画を諦め、トボトボと洛陽へと帰還したと言う。


洛陽が近付くにつれてどんどん顔色が悪化し、頻繁に胃の辺りを抑える様子は羌に大勝して乱を平定した将軍の凱旋とは思えないほどに落ち込んでいたと言う。



公孫瓚強すぎの巻。


まぁ実際は3000対10万なんてことは無かったと思いますけどね。多分。きっと。ただ戦には勝てても、張純の首を取れないのは失敗でしたってお話。


そもそも戦は総大将が戦死する方が稀ですし、3000では追撃も満足には出来ませんので、当然と言えば当然なんですけどね。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ