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16話

「申し訳ございませぬ太傅様。すべてはあ奴の愚行を止めることができなかったこの龐徳公の不徳の致すところにございます……」


「そう言われましても、何を謝罪されているのかわかりません」


孫堅やその家臣一同から熱い万歳を受けた後、簡単な調査と引き継ぎを終えて襄陽へと帰還した俺を待っていたのは、荊州に名高き名士の一人である龐徳公からの謝罪であった。


「実は先日……」


なんのことかさっぱり分からなかったので話を聞いてみたところ、なんでも義弟として接していた司馬徽が俺がいないうちに荊州の名士たちを連れて逃げ出したのだそうだ。


それも『太傅の狙いは荊州の名士を根絶やしにすることだ! ここに残っていると根絶やしにされるぞ! 洛陽や長安でやったように!』と扇動したらしい。


ちらりと周りを見渡してみれば、残った蒯越や蒯良を始めとした文官たちが龐徳公に対して恨みがましい眼を向けているではないか。


どうやら彼らは『勝手なことをした責任を取れ!』と思っているようだが、未だに日本人的な思想を持つ俺としては、親でもなければ師匠でもないさらには推挙したわけでもない司馬徽がやらかしたことの責任を龐徳公に負わせるのは違うと考えているので、正直彼から謝罪されても困るとしか言いようがない。


それ以前の話としてなんだが。


「私は別に名士を問答無用で根絶やしにしようとは考えていないのですが、どうしてそのような話になったのでしょう?」


「それは、その……」


俺や俺の教育を受けた劉弁が排除したいのはあくまで仕事をしない、もしくは不正を働く連中であって、真面目に仕事をしている人間を排除するつもりなどない。


実際、劉表の懐刀であった蒯越や蒯良だって普通に使っているわけだしな。


彼らにとって馴染みのある存在で例を挙げるとするならば孫堅の存在がある。彼は此度列侯に叙任されたことで正真正銘の名士を名乗れる立場になっている。その部下である黄蓋らも孫堅と比べれば格は落ちるが、荊州に根付いている名家を嘯く連中よりも格上の地位を授かっている。


つまり、ちゃんと働いている人間にはちゃんと報いているのである。


最近は戦が多いせいか今のところ武官が出世することが多い傾向にあるが、文官を軽視しているわけではない。今回荊州に同行した役人たちだって成果如何によっては出世することも約束しているわけだしって、もしかしてそれか?


「司馬殿は『このままでは某が連れてきた役人に仕事が奪われる。仕事が奪われた名士は排除される』そうお考えになられたのでしょうか?」


「……はっ」


確かに、そういうことをやらないわけではない。

実際洛陽や長安ではやったし。


でもそれは、連中が大前提として不正をしたりまともに仕事をしなかったからなんだが……まぁこの時代の『普通の役人』は、大半が読み書きと算術ができる――なお、計算が早いわけでもなければ正確ですらない――だけの自称エリートで、付け届けやらなにやらを貰わなければ中途半端な書類仕事すらしないような連中だからな。


そんな連中からすれば俺が連れてきた役人たちはあり得ない存在だろう。


彼らは付け届けも貰わず、歓待も受けず。

休日は決められた日だけ。休息も決められた時間だけ。

それ以外は朝から晩まで黙々と書類を捌くという、まさしく文官(社畜)の理想を体現した集団である。


そりゃあ、今まで『読み書き算術ができる俺たちがいなければ政は回らんぞ!』と偉そうにしていた連中の目には、彼らの存在はさぞ異質に映ったことだろう。


その上で『あれくらいやらなきゃ駄目なのか』と絶望した可能性はある。


俺からすれば今までの勤務態度などどうでもいいことで、これから改善すればいいだけの話なのだが、今までぬるま湯に浸かっていた連中に意識改革を求めるのは酷というものなのかもしれない。


結局、彼我の差を鑑みて『自分たちには同じようにできない』と考えていたところに、司馬徽が爆弾を投じたわけだ。


自分を変える前に逃げる。


さすがは洛陽のゴタゴタを嫌って荊州に逃げた挙句、荊州でも政争に巻き込まれるのを嫌って当時荊州の支配者であった劉表からも距離をとってニートをしていた挙句、劉備に諸葛亮や龐統の情報を与えておきながら自分は招聘を拒否した男だ。心構えが違う。


そりゃ劉表にもぼんくら扱いされるわ。


人物評の大家らしいが、ニートの分際で誰を、どんな立場で、どの面下げて評価していたのか。


いや、彼の立場についてはいい。問題は彼の起こした行動だ。


面の皮の厚さは評価に値するが、今回の件は些か拙速に過ぎると思わないでもない。


尤も、彼の弟子として知られる諸葛亮や龐統にもそういうところがあったのでそれほど違和感は覚えていないが。


とりあえずの結論としては”別にどうでもいい”これに尽きる。


むしろ連中を処罰する口実を作ってくれたことに感謝してもいいとさえ思っている。


気になるのは連中が逃げた先だが、当然落ち目の劉琦ではないだろう。

親征が公表されている益州でもない。

未開の地と蔑んでいる交州には絶対に行かないはずだ。


ならば可能性が一番高いのは袁術がいる豫州。次いで劉繇のいる揚州か。


彼らは荊州から逃げたものの、別に逆賊認定されているわけではない。ただの文官だ。

ならば袁術が登用すること自体にはなんの問題もない。


というか、袁家あたりならばあえて大々的に登用して『太傅の失策』として広めるくらいのことはやりそうだ。


それならそれで別に構わない。

荊州から逃げた役人を使って好きなことを好きに吹聴すればいい。

気位が高いだけの使えない連中を抱えて偉そうにしていればいい。

出来ることならその考えを袁家以外のところにも広めて欲しい。


そうすれば各地の名家たちはこぞって長安政権と戦おうとするだろう。

袁術とて名家の領袖として立ち上がらなければならなくなるはずだ。


反劉弁連合、いや、さすがに皇帝を名指しすることはないだろうから、敢えて名を付けるなら反李儒連合か?


……自分で言っておいてなんだが、これはないな。

俺はそこまで大物ではないから名前に重みがでないし。


どうしても名を付けるなら【反長安連合】くらいが妥当なところだろう。


連合の表向きの目的は『幼き皇帝陛下に名士、名家を軽んずるよう進言している佞臣の排除』で、実際の目的は『下賤の血を引く子供を排除して、高貴なる血が流れている存在を傀儡の皇帝にすること』だろう。


やっていることは梁冀と変わらんな。

まぁ名士なんてそんなものだと言えばそれまでなんだが。


ともあれ、荊州から逃げた連中が袁術を突き上げてくれればこちらも大手を振って袁術を討伐できるようになるのだから、損はない。むしろ得をした感じだ。


なので、今まさに死にそうな顔をしている龐徳公に罰を与えるつもりはない。

ただ、なにも罰を与えない場合は蒯越や蒯良らに嫌がらせを受けるかもしれないし、なにより彼自身が病んでしまいそうなので、ここはあえて仕事をさせることで罪悪感を解消してもらおうか。


「お話は理解しました。誤解があったとはいえ、司馬徽殿の行いは決して簡単に許していいものではありません」


「はっ」


対外的にも放置するのはまずいしな。

面子の問題もそうだが、なにより罰を与えないことで俺が『司馬徽のことなどなんとも思っていない。むしろ彼の行動をありがたいと思っている』と諸侯に知られてしまうのが不味い。


諸侯には荊州から逃げた連中を抱え込んでもらわないと困るのだから。


「かといって龐徳公殿に明確な罪があるわけでもありません。よって、もし龐徳公殿が司馬徽殿を身内と思い、今回の件を身内の恥とお思いであるならば、その恥を雪ぐために我らにお力添えをお願いしたい」


「そ、それは……」


「龐徳公殿ほどの御方が某のような若輩者に仕えるのは忸怩たる思いがあるでしょう。しかしながら貴殿に出仕していただければ、現在荊州の方々が抱いている誤解を解くことができると思うのです」


本当に名士を滅ぼす心算なら、ここで龐徳公を赦す理由がないからな。


そもそも、名士がいなければ政は立ち行かないのだから、今の段階では問答無用で滅ぼすことなどできない。それをするにはこれから数十年かけて役人の教育をしていく必要があるだろう。


それまで俺が生きているとは思えないし、生きていたとしても現場教育は司馬懿あたりの仕事になっているはずだ。


つまり俺が楽をするためにも、彼らには生きてもらわなければ困るのだ。


もちろん、多少の意識改革はしてもらうがな。


「……承りました。この龐徳公。太傅様のご厚情に深く感謝いたします」


よし。現地に詳しい部下ゲットだぜ。

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