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14話

襄陽にいたときに早馬で『過度な歓待は不要』といったことが功を奏したか、孫堅が催した歓迎の宴は実に簡素なものであった。


呂布も「そうだよ。こういうのでいいんだよ」と出された食事や酒に舌鼓を打っていたし、俺としても襄陽の連中が用意した宴は趣味に合わなかったので、孫堅の配慮には感謝をすることしきりである。


簡単な歓待の宴が終わったら、実務の話である。


本来であれば宴の後はゆっくり休ませ、翌日になってから大々的に行うべきなのだが、何事も本番の前の擦り合わせというものがある。


先々代の桓帝劉志や先代の霊帝劉宏のときはサプライズで恩賞や懲罰を与えたりするケースが多かったが、それは裏を返せば行き当たりばったりと同じことだ。


まともな組織が、それも罰を与えようとしている相手ならまだしも、報奨を与えようとしている忠臣に対してやることではない。


そのため孫堅や黄蓋など一部の宿将だけを一堂に集めて話をする必要があった。


「というわけで、陛下におかれましては孫堅殿を責めるつもりはございません。むしろ戦功を称えるよう指示を受けております」


「陛下のご厚情、確かに。以後一層の忠義を誓わせていただきます」


「結構。それで、孫州牧に対しての報奨なのですが」


「……はっ」


褒美の話になったとたん、やや警戒を高める孫堅。


普通は逆なのだが、今まで褒賞と称して面倒ごとを押し付けられてきたことを考えれば、彼の気持ちも理解できる。


毎度毎度本当に申し訳ないと思っている。


だが今回の報奨は彼にとっても嬉しいものなはずだ。

なにせこれは漢の人間ならだれでも欲しがるモノだからな。


「「「…………」」」


引っ張ってもしょうがないので、俺は周りの連中が固唾を呑んで見守る中、一つの印璽を差し出した。


「……こちらは?」


新しい役職を与えられたと思ったのだろうか、やや硬い表情になる孫堅とその仲間たち。

だが今回のコレはそんなモノではない。


「こちらは畏れ多くも皇帝陛下より預かりし印璽にございます。これを以て孫文台を列侯へと任じます。食邑は長沙郡の中にある県をお選びください。ただし郡治所である臨湘(りんしょう)は除きます」


列侯とは、後漢に於いて採用されていた爵位制度である二十等爵に於いて、臣下が賜ることのできる最高位の爵位である。


主な利点としては、朝議に於ける発言力の増加。罪に対する罰の軽減効果。それと食邑と呼ばれる領地を貰えることだろう。


たとえば大将軍である董卓は郿侯という爵位を得ており、郿から得られる租税を己のものとすることが赦されている。当然、中央に税を支払う必要はない。


董卓の場合は功績も権力も膨大であるため長安に近い土地を得られているし、そもそも役人が怖がって租税を請求できないという事情もあるので簡単に比較はできないが、長安から遠く離れた荊州、それも南四郡の一つにすぎない長沙の中に在る県程度であれば好きにしても問題ないと判断された結果である。


もちろん長安の文官たちが思うほど長沙は田舎ではない。


漢水と長江が交わることで豊富な水資源を有し、荊州と揚・交州を結ぶ中継地点であり、郡の人口も一〇〇万人を数えるという江南屈指の要衝である。


その中の県を一つ貰えるということは、およそ五〇〇〇戸、人口にして三〇〇〇〇~四〇〇〇〇人が住む都市を貰えるということだ。


それだけではない。現在長沙の太守は孫堅だ。

また、長沙には孫堅の他に列侯や王がいないので、孫堅こそが名実ともに長沙を支配することとなる。


つまり、郡太守として長沙を栄えさせれば自分の所領も栄えることになるわけだ。


これならば実利としても十分以上。


これまで軍閥の長として生きてきたが故に、州牧としての州の政をすることは本意ではなかっただろう。だが州の管理は面倒であっても、己の所領や、それと密接する郡の管理なら喜んでやること請け合いである。


そう思って彼に印璽を差し出したのだが、どうも反応がよろしくない。


「……はい?」


もしかしたら受け取り拒否か? そうなると面倒なんだが。

そう思いつつ、気を取り直してもう一度告げてみる。


「おや? 聞こえませんでしたか? ではもう一度お伝えいたします。陛下のお言葉ですので聞き逃さぬようお願いしますね? こちらは畏れ多くも皇帝陛下より預かりし印璽にございます。これを以て孫文台を列侯へと任じます。食邑は長沙郡の中にある県をお選びください。ただし郡治所である臨湘(りんしょう)は除きます。よろしいでしょうか?」


「は、ははっ! 謹んで御受け致します!」


「それは重畳」


皇帝陛下からのご褒美だから絶対に受け取りなさい。という意思を込めて再度伝えてみたところ、こんどはきちんと受け取ってくれたので何よりである。


いや、なにやら固まっているところを見ると、万が一の可能性がある、か。

今回は本当に孫堅が喜ぶと思ってこの褒美にしたのだ。

それが嫌がらせになっては意味がない。


「……もしお嫌なら別の褒美も考えますが? どこぞの州牧とかいかがです?」


「「「……っ! 殿!」」」


「はっ! いいえ! 滅相もございません! これでいいです! これがいいです!」


「左様ですか? 無理に受けなくともいいのですよ?」


いや、まじで。恨みを買いたいわけじゃないからな。


「大丈夫です! 無理などしておりません! ありがとうございます! 皇帝陛下万歳っ!」


「「「皇帝陛下、万歳っ!」」」


別の褒美を示唆してみたところ、黄蓋らが慌てて孫堅の名を呼んだし、それを受けてなにやら固まっていた孫堅は凄い速さで首を横に振ったかと思えば、印璽をその懐に入れて、なぜか家臣たちと共に万歳を始める始末。


確かに万歳は皇帝を称える仕草としては正しいが、何故ここで?

いや、勅使を迎えた漢の民としてはこれが正しい態度なのか?


そうだな。いままで正式に勅使として接したのが義勇軍時代の劉備だけだったから知らなかっただけで、もしかしたら武官にはこういう風習があるのかもしれない。


なんとも言えない空気の中、俺と同じように何とも言えない空気を醸し出している呂布をちらりと見るも、すいっと目を逸らされてしまった。


これはやはり、放っておけということだろう。


「ふむ」


なんだかんだで三〇年以上いきてきたのでもう慣れてきたと思っていたが、どうやら俺が知っていたのは中央に限った狭い世界の常識だったらしい。


この歳になって未だに漢の慣習を理解しきれていなかったことを反省しつつ、孫堅らの興奮が収まるのを待つことにしたのであった。



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