11話
益州親征に関しては続報を待つとして。
国家に仕える公僕として、自分に与えられた仕事はきちんとこなさねばならない。
というわけで、弘農に残る連中に仕事の引継ぎや有事の際の連絡方法などを徹底的に叩き込んでから、荊州で書類仕事をさせる予定の文官衆約一〇〇人と、呂布が率いる護衛兼援軍の兵二〇〇〇を引き連れて出立。
荊州に入り南陽郡は宛県にて中原の情勢を警戒している朱儁将軍に挨拶と状況の説明をしたのち、襄陽へと移動。
南陽は、一時期黄巾賊の主力の一つであった張なんたらが暴れていたり、反董卓連合の際に袁術が拠点としていたこともあって全体的になかなかの荒廃具合であったが、徐々に復興の兆しが見え始めていた。
この分であれば一〇年後にはかつての隆盛を取り戻せるかもしれないと思わせるには十分な光景であった。
尤も、どこぞの属尽が南陽郡の南にある新野に入って好き勝手したり、夢見がちな若造が空城計を仕掛けるために住民を扇動して強制的に移動させたり、それらを賄いきれなくなったからといって肉盾として使いつぶそうとしたりした場合はその限りではないが……今のところ荊州にその属尽を迎え入れるような下地はないので問題はないと思いたい。
将来のことはさておいて。俺としては途中で賊や賊を装った袁術あたりの手の者に襲われる可能性も考えていたのだが、さすがに万全の警戒態勢を敷いていた二〇〇〇の兵に襲い掛かってくるような連中はいなかった。
袁家の連中にも最低限の理性は残っていたようでなによりである。
そうこうしているうちに、宛や新野といった三国志ファンであれば一度は聞いたことがある県を有する南陽郡と、今は亡き劉表が拠点としていた襄陽がある南郡を隔てる大河、漢水をその視界に入れることができた。
そのまま船を利用して対岸に上陸し、数日進んで襄陽に到着した。
この移動にかかった期間はおよそ一カ月。本来の予定では三週間ほどで到着する予定だったが、復興具合の確認や、途中にある都市に金を落とすという大義名分のもと、三国志好きによる聖地巡礼を含めた観光のようなことをしていたため多少時間がかかってしまったことは否めない。
しかしながらそこは古代中国。広大な土地を移動するにあたってこの程度は誤差の範囲内――もちろん移動の途中に報告をする必要があるが――なので、お咎めなどはなかった。
今の荊州に俺を咎めることができるような人物がいないというのもあるが、それはそれ。
現在孫堅は江陵にて水軍の訓練やらなにやらをやっているとのことなので、俺たちもまた江陵に向かうこととなった。
文官たちの中から「呼び出さないのか?」という声もあったが、ちゃんちゃらおかしい。
そもそも俺は軍監として荊州に派遣されているのだ。
実際に劉琦と矛を交えた軍を見ないでどうしようというのか。
そう告げたところ、文官たちは衝撃を受けたのか目を見開いたまま固まったが……こいつら大丈夫か?
劉表が中原から逃れてきた名家の子息たちを集めて重用していたことは知っているが、あまりにも危機管理がなっていない。なんなら孫堅に襄陽を奪われたことを反省する気配がまるでないように感じられる。
あれだろうか”自分たちは赦されたから大丈夫だ”とでも考えているのだろうか。
もし連中がそう考えているなら『甘い』と言わざるを得ない。
今のご時世、家柄だけの無能者を養う余裕はないし、なにより俺に連中を優遇するつもりがない。
彼らにはしっかり給料分働いてもらう所存である。
なにせ連中は随分と高い給料をもらっているようだからな。
それに見合う仕事となると、はてさて。何日持つことやら。
ちなみに、逃げたら捕まえて殺す。
逃げなくても仕事ができなければ殺す。
もちろん不正を働いても殺す。
劉表や孫堅の手で荊州にいた土豪もあらかた一掃されたことだし、生き残ったゴミも処分しなきゃいかんだろうよ。
もし長安にナニカを訴えても無駄だ。
向こうからなにか言ってくる前に処分するだけの話。
もしなにか言われても「処分した後です」と返してやるさ。
その場合は、史に己を否定するような内容を書かれることを警戒し周囲の反対を押し切って蔡邕を獄死させた某老害の司徒や、自分の実子に家督を継がせるために養子であった劉封を殺した某属尽や、判断ミスの責任を荊州閥の代表格であった馬謖に押し付けて殺した某丞相のように涙を流した方がいいだろうか?
そうすれば後で誰かが『泣いて〇〇を斬った』なんて美談にしてくれるだろうからな。
……こうしてみるとあの連中は本当にろくでもねぇ連中だったんだな。
権力を持たせないよう警戒しておこう。
―――
六月中旬 荊州南郡 襄陽
「おぉ! やはり義兄殿も参られましたか!」
「うむ。さすがに今日は、な」
この日、荊州に住む名士たちの大半が宮城へと出仕していた。
その中には龐徳公や司馬徽といった、劉表や孫堅からの招聘に応じなかった者たちも数多くいた。
ちなみにこの龐徳公。今でも人物鑑定の大家として有名ではあるのだが、後世ではそれに加えて身内に恥ずかしい二つ名を付ける人物ということで知られている。
著明なものであれば、自分を兄と慕う司馬徽には【水鏡】と。
義理の娘の弟(諸葛亮の姉が彼の子供と結婚している)である諸葛亮には【臥龍】と。
甥の龐統には【鳳雛】と名付けている。
身内びいきしすぎでは? と思わなくもないが、この時代の二つ名は身内同士でつけて喜ぶのが普通だったし、なにより司馬徽も諸葛亮も龐統もそれぞれ一廉の人物ではあったので、特段彼が身内に甘いわけではない……ということにしておこう。
そんな彼らの目的は、もちろん荊州に下向してきた太傅その人。
ある者は今上の皇帝と強い繋がりを持つ彼と誼を通じるため。
ある者は孫堅に対して強い影響力をもつ彼と誼を通じるため。
ある者は彼の弱みを握り袁家や楊家に恩を売るため。
そして、ある者は大陸中に賛否入り混じる噂がまことしやかに囁かれている人物が、実際どのような人物なのかを見定める――ついでに二つ名を付ける――ため。
様々な理由はあれど、彼らはただ一人の人物と接触するためにこの場を訪れていたのである。
(緊張と興奮、それと畏怖、か。わからんでもない。この私も柄にもなく緊張しているのだからな。しかし、さすがは義兄殿よ、緊張の欠片も見えんわ)
周囲がまだか、まだかとざわつく中で、己も緊張していることに気付いた司馬徽は、隣にいた期待に胸を躍らせているのが丸分かりな義兄に声をかけることにした。
「嬉しそうですな?」
「おうとも。家の力ではなく己の力で位人臣を極めた男をこの目で見る機会などそうそうない。その機会が訪れたのならこれを喜ばずしてなにを喜ぶ!」
「はは、さすがは義兄殿。しかし、彼にまつわる噂は良いものだけではございませんぞ?」
事実、李儒を権力者にすり寄る腰巾着と揶揄するものは少なくない。
その中には洛陽や長安で名を知られている人物も含まれている。
火のないところに煙は立たず。
悪い噂が流れるということはそれなりの理由があるのだ。
故に司馬徽でなくとも『悪評を流されるようなことをしている』と判断するのはおかしなことではない。
しかし龐徳公は、司馬徽の懸念を歯牙にもかけなかった。
それは李儒の評判云々ではなく、人を観るときは噂に流されず、自分の目で観て推し測ることが大事と知っているからである。
それだけではない。
「当たり前であろう。法令は治の具にして制治清濁の源に非ず。何進、董卓、そして今上の皇帝陛下の傍にある者が洛陽や長安にいる儒者共が好む言動をするはずがあるまいよ」
「まぁそうですな」
そもそも李儒の悪評を垂れ流している者の多くは、洛陽や長安の名士たちだ。
それらは何進や董卓によって既得権益を奪われた連中でもある。
龐徳公からすれば彼らが勝ち組の代表格である李儒の悪評を垂れ流すのは当たり前のことだと思っていたし、なにより龐徳公は――これは彼に限ったことではないが――洛陽や長安にいた名士を自認していた連中を嫌っていた。
嫌いな連中が何を宣おうと関係ない。
心の底からそう思っているが故の発言であった。
こうした考えが念頭にある以上、龐徳公にとって彼にまつわる悪評は悪評ではなかった。むしろ腐りきって己の本分を忘れた儒家どもを薙ぎ払ってくれた徳の高い人物として高く評価していたくらいだ。
とはいえ、いくらなんでもその先入観だけで他人を評価するほど龐徳公も若くはない(生年が一六三年だとすれば一九三年時点で三〇前後)。
故に実物を見るために宮城へと足を運んだのだが……。
「しかし、これだけの人だかりがあっては、遠目に見るのが限界かな?」
如何に人物評の大家と謳われる龐徳公といえども見た目、それも遠目に見ただけで人物鑑定ができるわけではない。
鑑定をするにあたっては見た目や雰囲気も無関係ではない。しかしながら最も大事なのは中身である。
中身を知るためにはしっかりと言葉を交わす必要があるのだが、今の龐徳公には李儒と言葉を交わす理由がなかった。
「まさかこちらから押しかけるわけにもいくまいしなぁ」
向こうから「鑑定してほしい」と言ってくれれば話は別だが、わざわざ荊州の人間に人物鑑定を依頼するほど暇ではないはずだし、そもそもその必要性を感じていない可能性が高い。
――この時代の人物鑑定とは名士からの評価である。その評価は立身出世に多大な影響を及ぼす。しかしながら現状で位人臣を極めている李儒は評価を必要としていないし、もし悪い評価をされた場合は損しかない。このため李儒が人物鑑定に時間をかける必要性は皆無である――
李儒の事情も理解しているがゆえに、龐徳公も無理を押し通そうとはしなかった。
さりとて、己の好奇心を満たすことをあきらめたわけではない。
「とりあえず今回は顔を見るだけだな。あとはここにいる誰かに『私が時間があるときに話がしたいと言っていた』とでも伝えてもらうとするか」
なんやかんや言っても龐徳公は襄陽に名だたる名士である。
声をかければ協力してくれる仲間はいくらでもいるし、なにより今後の荊州統治のことを考えれば、この要請を断るとは考えづらい。
「うむ。そうするか。ここに集った者たちの職務を邪魔してはならんしな。お主もそう思うだろう?」
名士らしい理論武装を終えた龐徳公はそう結論付けると、この場を後にする準備をするため隣にいた司馬徽に声をかけた。
「……」
しかして、司馬徽からの返答はなかった。
それどころか司馬徽は普段浮かべている笑顔を忘れたかのように顔をこわばらせ、どこか一点を見つめていた。
「おい、徳操。なにが……んん?」
ここにきてようやく龐徳公は固まっているのが司馬徽だけでないことに、周囲から音が消えていることに気が付いた。
無音。何も聞こえない。
もちろんこの場に誰もいないわけではない。
自分たちと同様に集まっていた名士や役人たちは一人も減っていない。
それどころか増えているようにも思えた。
しかし、何も聞こえない。
咳き一つ上がらない。
明らかな異常事態だ。しかし誰も、なにもしない。
まるで何者かに動くことを禁じられたかのように微動だにしない。
「いったい何が?」
狼狽しながら司馬徽が見つめる先に目を向ける龐徳公。
そこには弘農から派遣されてきたと思しき集団がいた。
「あれか。確かに整然とした行軍だ。美しささえある。軍勢を見慣れていない者であれば引き付けられるのも理解できる。しかし……」
それだけでこんな現象は起こらない。起こるはずがない。
なにか理由があるはずだ、と目を凝らしてみたそのとき。
彼の目は一つの色に押しつぶされた。
それは黒かった。
戦場で目にする烏よりも黒かった。
墨など及びもつかないほどに黒かった。
夜の闇と比べてもなお黒かった。
しかして害意は感じなかった。
「これ、は……」
深淵、とでもいうのだろうか。
無理に喩えるなら、深い深い井戸を覗き込んだときに覚える感覚。
それに近いものを龐徳公は感じ取っていた。
その姿を見せるまでもなく、その威容だけで荊州に住まう名士たちの心を掴んだ男、李儒。
彼の存在は荊州に住む者たちに受難を齎す凶兆か、はたまた明るい未来を齎す光明か。
荊州に新たな風が吹き始めようとしていた。