10話
「さて」
劉弁の命令で荊州へ行くことになった。
正直住み慣れた弘農から離れたくなかったが、皇帝陛下から直々に『働け』と言われてしまった以上どうしようもない。
それに、俺を派遣しようとする劉弁らの狙いは理解できる。
長安で意味のわからない上奏をしてくる連中を抑えるためであり、現地で袁術の息が掛かった連中が騒ぐのを抑えるためだ。
荊州に於いて旧劉表の家臣や、それに従って蜂起した土豪たちの数は少なくない。
今の段階でそれらを討伐できたことは、後顧の憂いを絶つという意味では成功だろう。
しかし、敵対した連中を容赦なく狩った結果、今度は荊州の政に穴が開くという憂いが生じてしまった。
それを補填するための人員が俺というわけだ。
土豪たちがやっていた作業程度であれば、本人がいなくともなんとでもなる。
むしろ不正をしていた連中が根こそぎ消えたのだから、より簡単に纏めることができるだろう。
あとは役人たちを教育すればいいだけの話。
官吏としての悪徳に染まっていない連中であれば『仕事は確実に。不正はほどほどに』というモットーを刻み付けることも難しい話ではない。
実際、弘農ではできたからな。
しかしまぁ、そうした教育や書類仕事だけで済めばいいが、そうもいくまい。
間違いなく混乱はあるだろうし、混乱に乗じて動く連中もいるだろう。
劉琦の関係者はほぼ狩りつくされたが、袁家の関係者とか、劉繇の関係者とかはまだいるだろうし。
そいつらを討伐させるために呂布を連れて行くのだ。
弘農ではやることがなくて無聊を囲っていたようだが、荊州ではしっかりと仕事をしてもらう予定である。
あぁ、あと、ついでに孫堅の武功を確認してそれにふさわしい褒美を渡す役もあったか。
今まで彼に送られてきた褒美は、褒美であって褒美じゃなかったからな。
普通であれば郡太守だの州牧への昇進は褒美以外のなにものでもないのだが、孫堅のような生粋の武官からすれば、それらは煩わしさが増えただけのこと。言わば嫌がらせでしかない。
褒美と謳う以上、相手が喜ぶものを送るべきだろう。
というか、いい加減孫堅が望む褒美をやらないと、彼がキれそうで怖い。
堪忍袋もそうだが、どこかの血管がキれそうで怖い。
嫌だぞ、俺は。歴史に名を遺した英傑の死因が昇進による憤死とか。
尤も、孫堅の負担は今回の人事によって大幅に軽減されるだろうから、問題はない。
問題があるとすれば、準備が整い次第親征を行う予定となっている劉弁たちの方だ。
おそらく親征は失敗する。
もちろん討伐目標である劉焉が決戦に乗ってくれれば、問題はない。
皇甫嵩率いる官軍と淳于瓊率いる西園軍であれば、万単位の軍勢と戦った経験がない益州勢なんざどれだけの数がいようと鎧袖一触で蹴散らすことができる。これは希望的観測ではなく、純然たる事実である。
だからこそ、益州勢は籠城策を選ぶはず。
問題はここだ。
天然の要害たる益州は、守りやすく攻めがたい土地である。
大軍を展開するスペースも多くないこともあり、攻める場合は極めて難しいかじ取りが求められる。
また、長安から益州に入るためには張魯が治める漢中を落とさなくてはならないことも問題だ。
漢中は史実に於いて長安周辺を荒らしまわった李傕や郭汜はもとより、華北と中原さらには涼州を完全に平定した曹操でさえ一時は正面からの攻略を諦めたほどの難所である。
しかも曹操と交戦したときの張魯は劉焉の子である劉璋と袂を分かっていたが、今は大人しく劉焉に従っている状態。
これを落とすのは簡単ではない。
史実を知る自分だからこそ、益州から物資や軍勢の援助を受けられる状態の漢中を落とすことの難しさを理解できているが、長安にいる劉弁や司馬懿がそれらのことを正しく理解できているだろうか。
苦戦する可能性は考えているだろう。
だが負けるとは考えていないはずだ。
そもそも失敗するとわかっているなら親征などしないしさせない。させるべきではない。
俺なら何度か出兵を繰り返して益州の兵や物資を削ったあと、確実に勝てると判断できる状態になってから初めて劉弁に出陣を促す。間違っても最初から劉弁を出すような真似はしない。
「現状劉弁らがどこに勝ち筋を見出しているのやら……。一番簡単なのは内応策だが、これはない。次いで荊州から兵を出すことだが、これも難しい」
最初の障害である漢中を落とすことさえ、難しいのだ。
三国志演義では楊松なる人物が賄賂を貰って寝返ったとされるが、彼はあくまで架空の人物であり、史実に於ける漢中勢の中に張魯を裏切って曹操についた者はいない。
絶対的な権力と圧倒的な兵力を有していた曹操に降らなかった者たちが、皇帝とはいえそれらを備えていない劉弁に降るはずがないのだ。
また、劉弁は早くから劉焉を逆賊認定しており、その配下もまた処分の対象であると公言している。
その言葉の重さは、通常恩赦が与えられる即位の際であっても、新年を祝う宴の際であっても、誰に対しても恩赦を与えなかったことからもうかがえる。
なので今も劉焉に従っている将兵はこう考えているはずだ。
自分たちを赦すつもりがないのであれば徹底抗戦するしかない。
自分たちが彼らを引き付けている間に袁紹らが動けば、劉弁も引き上げざるを得ないだろう。
そもそもが遠征軍だ。補給は簡単ではない。
まして幼い皇帝が長期に対陣できるはずがない。
どうせ我儘を言って無謀な突撃をさせるか、将兵の士気を下げるような命令を出すだろう。
そのときに被害を与えてやれば、這う這うの体で逃げるはず。
その後はこちらが有利になる形で講和すればいい。
と。劉弁の方針もさることながら、明確な勝ち筋が見えているが故に内応策は通じないと見ていいだろう。
では史実に於いて劉備が行ったように、荊州から入蜀するのはどうかというと……端的に言ってこちらも現実的ではない。
そもそも劉備が入蜀したきっかけは、張魯と敵対していた劉璋が援軍として彼を招いたからである。
そのため劉備の軍勢は誰からも邪魔を受けず、それどころか道案内を用意された上で益州へ乗り込むことに成功した。
無傷で内部に入った劉備は、要衝として知られる葭萌関に駐留し、実効支配した後に南下。奇襲と人質作戦を駆使して白水関を落とし、李厳がいた綿竹や張任らがいる雒城を攻略。
その後は丸裸になった成都を囲んで劉璋を降伏させている。
こうしてみると簡単に攻め落としているように思えるかもしれないが、実際に劉備が葭萌関から南下を開始してから成都を攻略するまでに要した期間は約二年である。
おわかりいただけるだろうか。
無傷で懐の中に入ることに成功した軍勢――それも龐統、魏延、黄忠を始めとした歴戦の将帥を擁した軍勢――がいて、法正や孟達といった内通者がいて、地図や食料なども十分にあり、その上で奇襲を仕掛け、なんなら人質作戦まで駆使した上で、優柔不断の人と罵られていた劉璋を打ち破るのに二年を必要としたのだ。
これだけでも益州の攻略がどれほど難しいことなのかがわかるだろう。
尤も、有利な点もある。
今の段階では劉備が入蜀したときと比べて張魯や劉焉の地盤は固まっていないだろうし、三輔飢饉や中原の動乱が深刻化していないため、李厳を始めとする優秀な人材も益州に流れていない。
張魯らと戦っていた頃と比べれば個々の経験も劣るはずだ。
故に付け入る隙が無いわけではない。
しかし、しかしだ。
それらのプラス要因を覆す要因が存在する。
現在益州を支配しているのは劉璋ではない。
その親、劉焉である。
一頭の羊に率いられた獅子の群れを恐れる必要はなくとも、一頭の獅子に率いられた羊の群れは恐れるに値する。
アレキサンダーが言ったとされるこの言葉と、現在益州勢が置かれている状況を念頭に置いて考えれば、今の益州勢は、(老いてはいるものの)経験豊富な虎に率いられた窮鼠の群れである。
これを警戒しない策士などいない。
故に俺ならまだ動かない。あえて戦力を逐次投入して益州勢を損耗させつつ、荊州が落ち着くのを待つ。その間も工作を行い、益州を乱す。本格的に動くのはそれからだ。
そうするのが正しいと確信しているが、ただまぁ、これらはあくまで俺の考えでしかない。
歴史に名を遺す司馬懿や荀攸がこの程度のことに考えが及ばないはずがないんだよ。
つまり彼らには、俺が及びもつかないような策があるはず。
なかったら? それはそれで構わない。
どうせ最終的には勝てるのだ。ならば楽しんだ方がいいだろう?
「慢心か余裕か。鬼策か愚策か。見せてもらおう、司馬仲達の智謀の冴えを」









