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22話。政変の裏で

司馬懿らによって捕らえられた王允やら劉焉の縁者やらは幸せなほうだろう。なにせ彼らは獄中に入れられたとはいえまだ生きているし、何より『漢王朝へ反逆をした』という一事で以て史に名を残すことができるのだから。(本人がそれを幸せと思うかどうかは別として)


悲惨なのは王允に阿ったせいで名も残らないまま死ぬことになる役人たちである。


彼らは洛陽を支配していた化生たちと競えるほどの能力もなければ争うだけの覚悟もなかったが故に何もしていなかった。当然栄達なんてものは望めなかったが、そのおかげで洛陽での政変に巻き込まれることなくやり過ごすことができたのだから、ある意味では幸運の持ち主であっただろう。


しかし反董卓連合が結成され、洛陽が脅かされることを警戒した劉弁によって遷都が行われた後、彼らの状況は一変することになる。


まず、反董卓連合に参加した面々の親類縁者が全員処刑された。


袁紹らはこの行動を『非道』と断じたが、連合を結成して洛陽へと矛を向けたのは当の袁紹らである。


董卓が行った悪逆非道な行いとはなんなのか。

喪に服している最中の劉弁が誰に勅を伝えたというのか。

勅を偽造し、兵を集め、洛陽に迫る行為のどこに大義があるというのか。

そもそも貴様らは肉屋の倅と血が繋がっている劉弁を皇帝として認めていなかったはずではないのか。


大義とも言えない大義を掲げて洛陽へと迫る袁紹ら反董卓連合の面々に対し、遷都に伴い長安へと疎開していた主流派ではない名家の者たちは『自分の入る墓穴を掘っているとは、なんともご苦労なことだ』と冷笑を向けていた。


宦官も死に主流派だった連中も死んだ以上、空席となった椅子に座るのは自分たちだ。そう確信していたからこその余裕である。


しかしてその余裕は、連合軍が仲間割れを起こしたことや、彼らが互いの足を引っ張るために洛陽の各所に火をつけたり消火と称して敵対する派閥に所属している者たちの関係者の家を破壊したり、破壊された家に残っていた家財や建材などを回収して自分の財産にしていることなどを知ったときに完全消失。


冷笑は燃え盛る憤怒へと変わった。


それはそうだろう。自分の故郷を破壊されて嬉しい人間などいないし、何より彼らにとって今回の遷都は一時的なものでしかなく、反董卓連合の勢いがなくなれば洛陽に帰ることができるのだと思っていたのだ。


そこに来て洛陽破壊のお知らせである。


よりにもよって『漢王朝の秩序を取り戻す』と嘯いていた連中によって帰るところを破壊された彼らが怒り狂うのも当然のことといえよう。


そうして洛陽へ帰ることができなくなった彼らはようやく現実へと向き合うこととなる。


即ち、誰に媚びを売るか、だ。


主な対象は三公である楊彪か王允。対抗で弘農にいる太傅・李儒。大穴で大将軍の董卓。


このうち、董卓は早々に消えた。


理由? 主流派ではないとは言っても、彼らとてそれなりの歴史を持つ家の人間である。そんな彼らにとって生粋の武人である董卓は理解できる存在ではなかった。


有り体にいって怖かったともいう。


――実際特になんの罪も犯していないのであれば、書類仕事ができる文官に飢えている董卓陣営は諸手を挙げて歓迎した上でかなり良い待遇で迎え入れたはずなのだが、それを知らなかったのが彼らにとっての不幸であった。


残った三人のうち、楊彪も早めに消えた。


何故か。楊彪が袁家と姻戚関係にあることや、そもそも名家と呼ばれる諸子百家の中でも上澄みと言える楊家の当主である楊彪の周囲には、洛陽時代からそこそこ威を張っていた者たちが集結していたからだ。


彼らの中ではすでに分配の段取りまで終わっている。故に、今更そこに加わったところで下っ端扱いされるのは変わらないのは明白。労力を費やしてまで阿る意味がないと判断してしまった。


――下っ端でも生きているだけマシ。そう思えなかったのが彼らの不幸であった。


次に消えたのは李儒。


若くして権力を得た李儒は自分の派閥を持っていない。一応弘農にいる面々が派閥の一員になるのだが、数が足りないのは明白。故に早いうちから接近すればそれなりの職に就けるはず。


実際そう考える者は多かった。しかしその考えを実行に移せたものは限りなく少ない。具体的には蔡邕とその娘である蔡琰や司馬防を始めとした司馬一家とその関係者くらいのものだ。


他の者たちが勝馬に乗れなかった最大の理由は、李儒が長安にいなかったからだ。


弘農にいこうにも理由がないので行けないし、なにより弘農では劉弁が喪に服している最中だ。儒教的な考えから、そこに行って自分を押し売りに行くような真似をすることは憚られたのである。


加えて、実質的に長安を支配していた王允や楊彪が李儒を敵視していることを隠していなかったことも、彼らの動きを封じた大きな要因であった。


楊彪の派閥は大きい。故に派閥に属していなくとも、否、派閥に属していないからこそ目を付けられるのは避けるべきだったし、なにより王允の存在が大きかった。


元々王允には確固たる政治基盤がない。楊彪とは友好的な関係にあったものの、自己の派閥を形成できていたか? と問われれば、誰もが首を傾げたことだろう。


事実長安に入ったあとの王允は、丞相である劉協を抱え込み彼の名を使って様々な勅を発するなどして自分の立場を固めるために必死であった。


――その姿は彼自身が忌み嫌っていた宦官たちと同じであったが、王允自身がそれに気付くことはなかった。


そうこうしてなんとか己が権力を確固たるものにしようとしていた王允は、自分が発した勅に従わない、否、従わないどころか事あるごとに自分が発した勅を無効とする命令を発して政局を混乱させようとする勢力、即ち弘農にいる若造たちを明確に敵対勢力として認識していたのである。


洛陽から長安へと移ってきた名家の者たちの心情とすれば、どこの馬の骨とも知れない老骨に頭を下げたくはない。


しかし、実力が伴っていないとはいえ司徒は司徒。さらに王允は董卓から同郷の武官を借り受けているので、王允がその気になれば長安にいる名家の者たちの命なんざいくらでも刈り取ることが可能な状況であった。


そんな状況で特殊な伝手も持たない者たちに弘農にいる李儒らに接近することなどできるはずもなく。結果として長安にいる士大夫の中で寄る辺がない者たちは王允に擦り寄ることとなってしまった。


それが不幸……というべきではないだろう。


なぜならこの状況はとある腹黒の手によって意図して作られた状況なのだから。


―――


先日喪があけた劉弁が長安へと赴く事前準備として、長安に於いて大規模な清掃活動が行われてから少ししたある日のこと。


本格的な移動を控えて今日も今日とて多忙を極める太傅の下に、一人の男が陳情に訪れていた。


その陳情の内容は『王允らと共に捕えられた士大夫たちに対して恩赦を出して欲しい』という、なんとも言えないものであった。


弘農郡弘農・宮中執務室


「そもそも、仕事の量に対して士大夫の数が多すぎるのです。役人の数が多すぎるが故に、一つ一つが大したことがない量しか抜いていない筈なのに、最終的に尋常ではない量の物資が中抜きされてしまっている。これは早急になんとかしなくてはなりません。違いますか?」


「……否定はしません」


今や味方からも腹黒外道と恐れられる李儒だが、意外というべきか、その言動は極めてまともなものであることが多い。


彼が周囲から恐れられる最大の理由は、目的を達成するための手段を選ばないことと、その際に出る犠牲に対して忖度や容赦を一切しないところにある。


とは言っても『中抜きを完全に止めさせる』などと言った現実に即さないルールを作って押し付けたりはしない程度の常識は持っているので、踏み越えてはならない一線が何処に有るのかさえ理解していれば彼ほど付き合いやすい人間はいないと言える。……かもしれない。


そんなこんなで現在太傅の目の前にいるのは、彼の一線が何処に有るのかをおぼろげながらに理解しつつある数少ない人物であり、何進を支えていたことで個人的な付き合いもそれなりにある男、荀攸である。


ただ、荀攸が何をしてもできないことはあるわけで。


「現状我々が直接管理する必要があるのは司隷と涼州の二州のみ。もう少ししたら益州も加わりますが、それでも三州だけなのです。これから各勢力が文官を増やし各々で土地を管理していくことを考えれば、現在いる士大夫連中の多くは古い因習から抜け出せぬ愚物となり果てます。我々にそれらを抱える余裕はありません」


「……そうですな」


正論の刃に刻まれた荀攸に反論する術はない。


「故に今回の件に於いて恩赦はございません。ご承諾願います」


完全論破である。


「承りました。ご多忙の中このような些事にお時間を取らせてしまい申し訳ございません」


自分の立場を一切考慮しない容赦のなさにさしもの荀攸も不快感を示すか? と思いきや、そんなことはなかった。


それどころか今や劉弁に仕える名家閥の代表と目されているが故に、名家の者たちから『なんとか恩赦を引き出して下さい! なんでもしますから!』と拝み倒されて交渉役にされてしまった挙句にけんもほろろに陳情を却下されてもなお荀攸は一言も反論することなく、それどころか「無駄に時間を使わせてすみません」と李儒に頭を下げたのである。


これは荀攸の人徳のなせる業……ではない。


「謝罪は受けましょう。しかし荀攸殿もご苦労なされておりますな」


「えぇ。もう少しどうにかならないかと思いますが、何とも難しいところです」


「しかし今回の件でまた連中の数が減りますからな。これからは楽になるのでは?」


「そうなってくれることを願います」


はははと力なく笑う荀攸と、それを見て「苦労しているなぁ」と憐憫の目を向ける李儒。


恩赦を勝ち取って貰うために荀攸に望みを懸けていた名家の者たちからすれば、要望を叶えられなかったにも拘わらずこうして李儒と談笑するなど明確な裏切り行為に他ならない。


しかしながらそれは大きな勘違いである。なにせ荀攸は自身が荀子の子孫であることを誇りとしているタイプの人間だ。荀子の教えを踏襲すれば、不正や中抜きをする人間は庇護する対象には成りえない。そのため彼は元から李儒がいう『名家を減らす』という意見に反対していないのである。


いや、反対していないどころか、まともに仕事をしないうえに不正を働いておきながら罪を償おうともせずに生き延びようとしている連中を心底見下しており、積極的に裁こうとしているくらいであった。


ここまで言えばわかるだろう。そう、荀攸は今回李儒から恩赦を引き出すための交渉をしにきたわけではない。逆だ。自分に恩赦を引き出して欲しいと交渉に来た者たちの存在とその名を報告するためにきたのだ。


一応派閥を率いる身なので陳情はした。だがそれだけだ。


そもそも荀攸自身が王允に擦り寄った連中に価値を見出していない、というのもある。


なにせ一時は「文官が足りない!」と騒いでいた董卓陣営でさえ、遷都を終えて軍務に集中できるようになった今では少しずつ余裕が生まれてきたし、元々長安を中心とした三鋪地域は洛陽から来た面々などいなくても十分以上に余裕をもって回せていたのだから新しい文官は必要とされていない。


また遷都によって洛陽からおよそ六〇万の人口が流出したとはいえ、彼らは何も持たずに移動した難民ではない。計画的に疎開した移民である。まして洛陽から移動する際に回収した物資は豊富にあるし、なにより半数近くを弘農で引き受けているので長安にかかる負担は限りなく少なく抑えられているのだから猶更新たな人員は不要とされていた。


こうなると、洛陽から移ってきた文官が邪魔者扱いされるのも当然のことと言えるだろう。


まして彼らは名家の人間なので中途半端に仕事をさせれば当然のように中抜きをするし、仕事をさせなければ「収入がない! そちらの命令で遷都してきたのだから補償しろ!」と騒ぎ立てる迷惑な存在である。


尤も、彼らが遷都の命令に従って移動してきたことも、それによって仕事を失ったことも事実(遷都に従っていなければ死んでいたが)ではあるので、言っていることだけは間違っていないがそれだけだ。


「中抜きは犯罪ではないのか?」と言われるかもしれないが、後漢的な常識や名家の基準で中抜きは当たり前に行うべきことであって罪と認識されていない。よって中抜きをしていることを理由に処罰を下した場合、本当の意味で文官が全滅してしまうことになる。そのため彼らを処刑したり放逐する理由として中抜きを使うことはできない。


ちなみに中抜きを理由として西園八校尉を処罰したケースがあるが、あれは政略と謀略の化物である何進が根回しをしたことに加え『皇帝の財産を横領した』ことを罪として弾劾したからこそ処罰できたのであって、今回の件はそれには当たらない。


だが、中抜きをされることで物資が浪費されることも事実である。一人百銭程度のものであっても千人でやれば一〇万銭だ。これが毎日、それもいたるところでやられているのだから、財政が破綻するのも当然だろう。


【悪意なく国を腐らせる害虫】


これが現在劉弁ら弘農にいる者たちが洛陽から長安へ移動した士大夫たちに与えている評価だ。


さしもの荀攸も、李儒と敵対してまでこれを庇護しようとは思わない。それだけの話だ。


まして今は国難のときである。早急に国を立て直すためにも財政の健全化は迅速に行わなければならない。そのためには大量にいる害虫を駆除しなくてはならない。


しかしながら理由なく連中を排除するのも難しい。何か悪事を働いてくれれば処罰もできるのだが、いかんせん彼らは小物に過ぎた。荀攸には中抜き以上の罪を犯さない連中を裁く術は思い浮かばなかった。


(どうしたものか。そう考えていたのだがな)


誰もが頭を抱える難題に対し、李儒はあっさりと答えを提示してみせた。


李儒曰く『これから処刑される逆賊に引き受けてもらえばいい』とのこと。


その逆賊とは当然、漢の地を匈奴に売り払った売国奴の王允と、王允を操って帝位の簒奪を目論んだ劉焉のことである。彼らの罪は極めて重く、その罪に相応しい罰とは即ち九族の殲滅である。王允に連座して殺される人間の数が如何程になるかは不明だが、少なくとも恩赦を与える必要はない。


これにより大量の文官が死ぬことになるし、その分だけ財政に余裕ができる。そう考えれば非常に素晴らしい策だった。


この策を聞いたときは荀攸も思わず「なるほど!」と手を打ったものだ。


「思えば私も随分と毒されてきたな」


李儒との会合を終えて執務室を出た荀攸は、自分が多くの士大夫たちの命に価値を見出していないことを自覚し、独り言ちた。


士大夫を見捨てたことに後悔をしているのではない。逆だ。


「刑徳とはよく言ったものよ。うむ。刑を与える際に逡巡してはならぬ。この歳になってようやく荀卿の教えを理解できた気がする。まぁその教えを最も理解し、実行しているのが彼というのが些か気になるが……もしや卿は彼のような人物だったのか? いや、よそう。これについては深く考えないほうがいい気がする」


一瞬、敬愛する祖に近付けていることを実感して頬を緩ませたものの、気付いてはいけないことに気付いてしまったような気がしてどこか釈然としない思いを抱く荀攸であった。

閲覧ありがとうございます。


リハビリがてらネタ小説も投稿しております。下部のリンクから飛べますので、興味がございましたら閲覧よろしくお願いします

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