21話。長安での政変④
蔡邕と楊彪が、今や罪人となった王允の言い分を史に明記するため――感情に任せて叫ぶ内容の中に自分たちが知らない情報があるかどうかの確認をするためでもある――にあえて王允の激情を煽る言葉を用いて彼の精神に負荷をかける少し前のこと。
長安の宮城にほど近い区画に構えられていたとある屋敷に於いて、皇帝劉弁に先立ち長安に入っていた司馬懿が主導する問答無用の捕り物劇が繰り広げられていた。
「くっ。この狼藉者め、一体何のつもりか!」
「下郎ども! 我らが誰か理解しているのか!」
「放せ! 放さぬかっ!」
「あ、う、え?」
「……気を抜き過ぎでは?」
捕縛された後も抵抗を続ける面々を眺めて溜息交じりの感想を漏らす司馬懿。彼が捕らえたのは王允の自信の元にして後ろ盾である劉焉の子らである。
長安を制圧する計画を完全に遂行するためだろうか。長男の劉範、次男の劉誕、三男の劉瑁、そして四男の劉璋が揃って屋敷にいたこともそうだし、侵入者に対する備えがまるでできていなかったこともそうだ。それに何より、誰一人逃げる素振りを見せず文字通り一網打尽に捕縛できてしまったことが司馬懿から見てどうしても納得できないところであった。
だがそれを劉焉の子らの油断と断ずるのは些か酷というものだろう。
「宗室の一員である自分たちがこうして捕らえられることなど想定すらしていなかったのだな」
あまりの手応えの無さに思わず首を捻る司馬懿を横目にみやりつつそう告げたのは、司馬懿と共に手勢を連れて劉氏の屋敷に踏み込んで彼らを捕縛することに成功した京兆の尹にして司馬懿の父でもある司馬防であった。
「それは……逆賊と組んで陛下に叛旗を翻さんとしていたにしては、随分と悠長なものですね」
「そういうな」
あまりにも直情的な息子の言い様に、司馬防も苦笑いで応えることしかできなかった。
もともと劉氏であるというだけで属尽ですら一定の敬意を抱かれるこの時代、宗室の一員として数えられるだけでなく、名士としての名も高く前帝の施政に於いて確固たる地位を築いていた益州牧・劉焉の子である彼らにとって、自分たちが問答無用で捕縛されることなど想像の埒外であったことは確かだろう。
司馬懿からすれば「阿呆どもが」としか言えないが、一般的な価値観を持つ司馬防からすれば司馬懿の感想こそ異端である。
加えて言えば、子に対して厳格という言葉では表現できない程に厳しい教育を施すことで知られる司馬家の一員である息子が、管轄こそ違うものの京兆尹という立場があると同時に父でもある自分に対してはっきりと自分の意志を示したこともまた、司馬防にとっては意外なことであった。
(もしおかしな風に成長していたならそれを糺すことも已む無し。そう考えていたのだがな)
「陛下はこれらをどう処するおつもりなのだ?」
普通であれば異端は糺すべきである。しかしながら、皇帝その人が配下に異端であることを望んでいるのであれば話は別。それが明らかに方向性を見失っているのであればともかく、今回の件は謀叛人の捕縛だ。劉氏の家長でもある皇帝が同族に対しての尊敬や配慮よりも、斟酌をしないことを求めているのだから猶更だ。
(で、ある以上、今はこれが正しい)
息子の成長と態度に関しては八歳の頃から師として面倒を見ている男の影響が大きいことは司馬防とて理解している。そもそも息子にその男のことを教えたのも、紹介状まで用意したのも司馬防である。
無論、自分で「息子を鍛えて欲しい」と頼んでおきながら、その成長具合が気に食わないからといって矯正するのは筋が通らない。
それでも、司馬防は司馬家の当主として、息子を最低限の水準まで鍛える義務がある。そして矯正するのであれば今やらなければ間に合わない。世の中の流れや司馬懿の年齢からそう考えていた司馬防であったが……。
「無論、処刑します」
「なっ!」
「ほう?」
(罪人とはいえ劉氏を前にしても一切態度を崩さぬ、か。うむ。悪くない)
ここ一年、何度か顔を合わせて仕事を共にする中で司馬防は、司馬懿を無理に矯正する必要はないと判断している。その最たる理由は、司馬懿の成長具合ではなく、その役割に在った。
(もとより儂には陛下の側近としての在り方を教えることはできんからな)
司馬防とて、自身がそれなりに優れた文官であるという自負はある。だがそれだけだ。
(儂は陛下の側近として公的に、もしくは兄弟子として私的に陛下を導く術を知らぬ。それを知るのは陛下の師たる彼の男のみ。なればこそ、この子はこのままで良い)
忠義の形とは愚直に仕えるだけではない。それを知りながらも、ただ愚直で在ることを己に課してきた――それが自身や家を守ることに繋がると確信していたが故であるが――司馬防は、自分とは違う形ではあるものの、確かな忠義を以て同年代の皇帝へ仕えんとする息子を見て僅かに目を細めていた。
そんな父親の思いを知ってか知らずか、今になって自分がどのような扱いを受けるのかを自覚して焦り始めた劉焉の子らを睥睨しつつ、司馬懿は淡々と話を進める。
「彼らの罪は陛下に対する謀叛と売国にございます。その大きすぎる罪に対する罰は九族の死。それ以外にございません」
「はぁ!? 私たちを殺す、だと? そう言ったか!」
「えぇ。それがなにか?」
「き、貴様、正気か! 私たちは劉氏、陛下の親族ぞ!」
「劉氏のくせに羌や胡を引き入れて政権の転覆を謀る者たちに比べれば十分まともでしょうな」
「なっ!」
「あぁ、すでに証拠は揃っております故、弁明は不要。釈明したいことが有るなら牢の中でお願いします。……拘束して牢へ運べ。口を塞いでも構わぬ」
「はっ!」
「貴様ら……っ!」
「うむ。罪の重さに対する罰としては極めて妥当ではある。しかし、劉氏が減るぞ?」
劉範らが拘束されていく様子をみやりつつ、これまで劉氏の権益を守ってきた者たちの主張を以てそれらを、刑に処すことの是非を問いかけてきた司馬防に対し、司馬懿はあっさりと答えを返す。
「はて。彼らが居たとて何の役に立ちますか?」
「……言いよるわ」
劉氏に対する敬意も何も有ったものではないが、そもそも前漢の皇室を祖としている劉焉に対し、今上の帝である劉弁は後漢を興した光武帝劉秀の血筋に連なる身なので、両者は同じ劉氏であっても血縁関係は皆無と言える。(なんなら劉焉の方が、劉弁との血の繋がりがあることを認めない)
加えて、養子として桓帝劉志の子になる前は皇族と思えないような生活を送っていた先帝劉宏と、庶民の出である何太后は驚くほど名家や宗室との繋がりがない。よって劉焉の九族を処刑の対象にしたとて、その影響が劉弁の周囲にまで及ぶことはない。
(で、あれば彼らを罪に問うことになんの問題が有ろうか)
また、皇帝となった劉弁やその代理として丞相となっていた劉協が、自分たちを助けるどころか謀叛人である袁家の者を担ぎ上げ、反董卓連合と銘打たれた連合を興して洛陽に兵を向けてきた者たちを憎んでいるのは周知の事実である。
反董卓連合には劉岱や劉繇、劉表といった宗室の中でも名が知られた者たちもいたが、劉弁を護るために洛陽へ入った宗室や属尽は皆無だった。これでは劉弁が彼らに隔意を抱くのも当然と言える。
唯一例外と言っていいのが、袁紹らに反董卓連合の盟主の座を打診されたものの『如何なる理由が有れど洛陽へ兵を向ける心算はない』と明言した当時の幽州牧であり皇族の長老格であった劉虞くらいだろうか。
その劉虞が援軍を出さなかったことについては、李儒や董卓から『援軍は不要であった』と事情を聞かされているため、劉弁も劉協も劉虞に対して不満や不信はない。だが、それ以外は別である。
皇帝を護ろうとしない宗室や属尽の存在が叛徒に名分を与えてしまっていることを知った劉弁が、属尽に与えていた特権を廃止することを決めたのは、極々自然な成り行きであった。
そして今回のこれである。
「今までは宗室(というか、その先祖)に対しての遠慮もあったようですが、ここまで明確に謀叛を企てたのです。もはや彼らに遠慮など不要。そう判断なされたようです」
「厳刑重罰、か」
「然り。陛下は乱れた漢を糺すためには刑徳を明確とすることが大事とお考えです」
韓非子の教えだ。
国家が国家足り得るのは法を敷き、それを護らせるからこそ。それを身内だからとあやふやにしていては国家は成り立たない。身内だから許すのではない。身内だからこそ厳しく接しなければならない。先帝劉宏のように『張譲だからしょうがない』などと言って部下の勝手を許すような真似はしてはいけない。
故に今上の皇帝劉弁は罪を犯したら劉氏ですら裁く。この姿勢を明確にすることで、今まで好き勝手してきた劉氏に対する見せしめとすると同時に、彼らの行動を縛る軛とするのが劉弁らの考えであった。
「うむ。周囲から『やりすぎだ』と非難されようとも罰を下そうとする姿勢を見せることは、君主たるものの行動としてなんら間違ってはおらぬ」
君主に必要な素養は刑と徳を理解し、それを十全に扱うことにある。
荀子の徒でありその弟子でもある韓非子の教えを是とする司馬防は、劉氏に対する情よりも国家の法を重んずる劉弁の覚悟を是としたし、それを支えようとする息子司馬懿の行動もまた是とした。
「然り」
今までは誰もが――洛陽にいた名士たちですら――綱紀粛正の必要性を感じてはいたものの、それにより既得権益を侵されることを忌避した者たちがいたせいで、たとえ皇帝その人であってさえもそれを実行することができなかった。
しかしそれもこれまで。
今現在、絶対権力者たる皇帝の周囲には、情報を操作して、時に皇帝すら暗殺してまでその改革を邪魔をしてきた宦官たちはもういない。
宦官の敵であるものの、字と算術を握ることで実務者の立場を独占し、自分たちに都合の悪い情報を隠して汚職の限りを尽くしてきた名家の者も、もういない。
いるのは、度が過ぎたさぼりや中抜き、必要以上の付届けが強制されることがないよう、日々目を光らせている文官の長とその部下たち。そして法を破った者を容赦なく断罪することを厭わない野性味あふれる武官の長とその部下たちである。
文武ともに容赦の入る隙間のない監視社会のように見えるが、そもそも法を順守していればなんら問題はない。事実、数年前からこの制度を適用して運営されている弘農に於いては特に問題がおこっていないのだから、劉弁としても現在の体制に問題があるとは思っていない。
そもそもの話だが、基本的に一般の民衆は単独で法に触れるような問題を起こさない。したとしても酒に酔って暴れたりする程度が関の山である。よって、それをするのは大半が宦官や名家の関係者だ。彼らが自分たちの懐を満たすために無理な徴税を行ったり、近隣の土地を襲ったりして困窮しないかぎり、普通に暮らす民衆は法を犯さないのである。
翻って、今回の劉焉が取った行いはどうか。
「宗室の者が犯した今回の漢を乱す大罪と、それに対する罰。これを満天下に知らしめましょう」
信賞必罰、一罰百戒。たとえ劉氏の名が落ちようと、劉氏の犯した罪を皇帝その人が糺す。これに異を唱えることができる者はいない。
(今回劉焉が犯した罪をあえて宗室という大きな括りにしたことによって、今も各地で傍観している劉氏を掘り起こすことになるだろう。同時に、これまで劉氏の維持にかけていた予算を他に回せるようになる。文句を言うものには、劉焉が犯した罪を強調しつつ『光武帝が決めた劉氏に対する処遇を復活させただけだ』とでも言えばよかろう。さて、これから忙しくなるな)
司馬懿は兵士によって牢に連れられていく劉焉の子らの背中を見やりつつ、新帝劉弁と共に興す新たな漢の在り方を思い、僅かに笑みを浮かべるのであった。
閲覧ありがとうございます。
そろそろ主人公が準備運動を始めるころ……かもしれない。
5月17日に拙作の3巻が発売予定です。何卒よろしくお願いします。









