表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
145/203

20話 長安での政変③ 地下牢の中で②

「貴様が、貴様が元凶かっ!」


牢に入れられた自分を見下す蔡邕を見た王允は、全てを悟った。


目の前に居る老人こそが諸悪の根源なのだ、と。


王允にとって蔡邕は『頑固で、ものの道理を理解出来ない老人』であった。王允がそう思うことになったのは、蔡邕の職務態度に原因がある。


と言っても、蔡邕が手を抜いていたとか、そういった意味ではない。問題なのはその内容だ。元々蔡邕は、王允によって投獄されるまで、数名の文官と共に漢史の編纂を行っていたのだが、その内容が王允を不当に貶めているものだったのだ。


王允からすれば、自分は『優れた才を持つ賢人』だ。当然、自分は失策などしていないと考えている。確かに長安が政治的に混乱したこともある。だが、それは自分のいう事を聞かない名家の連中や、李粛らの怠慢であって自分のせいではなかった。


しかし蔡邕が記す書の中では『長安における混乱の原因は、主に王允が失策を犯したことによるもの』となっている。これはとんでもないことだ。


ただでさえ名誉を重んじるこの時代。史に汚名を残されることは王允でなくとも許容できるものではない。故に王允は何度もこれを訂正するよう求めたが、蔡邕は頑としてそれを認めようとしなかった。


当然だろう。蔡邕からすれば、王允の行ったことの大半は現実を理解していない愚か者による愚かな政である。そんな愚かな政しか行えない司徒の存在など、混乱を助長させるだけの存在でしかないではないか。


まして、そう考えていたのは蔡邕だけではない。楊彪を含む当時長安にて政に携わっていた名家・名士と呼ばれる者たちのほぼ全員がそう考えていたのである。


(このままでは史に悪名が残される)


周囲の人間が抱える思いは知らずとも蔡邕の様子からそのように考えた王允は、自分に向けられる視線から悪意を感じ始めたこともあって、董卓の手の者を使って自分に従わない者たちを粛清するなど、己に降りかかりそうな悪意を他人(主に董卓)に向けるための行動を開始した。


実際、洛陽での粛清や遷都のせいで名家や名士が目の敵にしている董卓は、悪評が向けられる矛先として最良の存在である。


しかしながらその董卓は政に関して王允へ委任している状態であり、彼本人も常から郿にあって長安にはいない。それでどうして政の失態を董卓のせいにできようか。


王允も色々と考えたが、それに関しての良案は浮かばなかった。だが、それらは後からいくらでも辻褄をあわせることができるものでもある。そう、董卓が死に、史の改竄(王允としては修正)に協力する人間さえ居れば、全ての罪を董卓に着せることも決して不可能ではないのだからして。


ここで問題になるのが、今まで編纂したものの修正を認めない蔡邕である。故に王允にとって蔡邕は何よりも先に除かねばならない害悪であった。


では蔡邕にとって王允はどのような存在だろうか? 


一言で言えば『田舎から出てきた頑固な老人』であろう。


元より縁故を大事にする者たちからすれば、王允は何処までいっても『身の程知らずの田舎者』でしかない。そんな田舎者が司徒という三公の座に居るのは、偏に董卓と知己があったが故。もっと言えば、前任者である何進と違い洛陽になんの伝手も持たない董卓が、政治的な面倒事を担当させることができる相手を探した結果、名士として名が知られていたものの、その出自から宦官にも袁家らにも距離を置かれていた王允に白羽の矢が立った。それだけのことだ。


違いがあるとすれば、王允を推挙したのが董卓ではなく李儒であったことくらいだろうか。


当時はまだ名家閥の領袖であった袁隗にとっても、宦官閥の領袖であった趙忠にとっても、王允はただの田舎者でしかなかった。で、あるが故に、自前で人材を用意できない王允はその職務を全うするために名家閥の人間や宦官閥の人間を登用する必要がある。袁隗や趙忠が王允を司徒として認めたのは、李儒に対して配慮しただけでなく、洛陽の名士に伝手の無い王允のもとに自分たちの息のかかった者を送り込む心算があってのことでもあったのだ。


そういった諸々の思惑があるが故に、現在司徒府において職務に励む下級・中級の官吏の大半は、名家閥や宦官閥の息が掛かった者となっている。


当然のことではあるが、名家閥や宦官閥の息が掛かった者らが王允や王允の後ろ盾と認識されている董卓の為に働くことはない。むしろ王允が失敗するように動くのは当たり前のことであった。(尤も、真面目に働いたところで彼らに漢帝国を運営する能力があるかどうかは別の話であるが)


その結果が、大小様々な失策だ。


王允は己が司徒としてするべきことを知らぬし、部下に何をさせるのが正しいのかさえも知らないのだ。これでは失敗するのは当然の話だろう。今の王允の状況を日本人にわかりやすいように例えるのであれば、織田信長の力を借りて上洛して将軍となったものの、将軍としての教育を受けていなかったが故に多数の失策を繰り返し、最終的に朝廷や諸侯からの信用を失った足利義昭に近いかもしれない。


王允にとって最大の問題は、彼を推挙した李儒や董卓はそれも織り込み済みであったことだ。


(哀れといえば哀れ)


今も血涙を流さんばかりに自分を睨みつけながら罵倒を続けている王允を見て、蔡邕は王允に与えられた役割を考える。


人は経験したことがないことはできない。それはどれだけ優秀な人間であっても同じだ。よって、袁家を始めとしてこれまで漢帝国を支えてきた文官を除いた今、劉弁を皇帝として戴く新政権下において数年の間混乱することは目に見えていたと言ってもよい。


だからこその喪でもある。なんらかの問題が有るたびに皇帝の徳がどうたらと能書きを語る儒家であっても、本人が喪に服している間に行われた失敗を皇帝のせいにすることはできない。


そこで矛先が向くのが、皇帝その人に代わって政を行っていた人物となる。本来であればそれは丞相である劉協であろう。だが劉協は十歳になろうかどうかという子供だ。自他共に認める神輿でしかない子供に文官たちが仕事に慣れるまでの間に犯した数々の失敗の責任を負わせることは不可能だ。


であれば誰がその責任を負うのか? 当然、皇帝の代役として政を行っていた丞相を支える存在、即ち三公にある者だ。


ただし、三公の中に在っても太尉(軍の長官)である曹嵩は責められない。なにせ、軍部の実権を握っているのは太尉である曹嵩ではなく、大将軍である董卓だと皆が知っているからだ。


そしてその董卓は、少なくとも軍事に関する事柄に於いて失態を犯していないのである。董卓憎しの感情があるとはいえ、ただでさえ董卓が持つ問答無用の暴力を恐れている中で、失点のない董卓を非難するような真似などできるはずもない。


では司空である楊彪はどうか。


これもない。なにせ楊彪が当主として君臨する弘農楊家は名門中の名門である。いちゃもんをつけるには敷居が高すぎる。加えて士大夫層に伝手が無い王允と違い自前の人材を擁することや、楊彪本人にも過去に九卿などを務めた経験があることもあって、彼は司空としての職務に於いてなんの問題も起こしていないのだ。基本的に書しか知らず、口を動かすことしかできない儒家ふぜいに楊彪を非難できる気概などあろうはずもない。


残ったのが、中央に伝手を持たぬ田舎者であり、実際に数多くの失敗を犯している王允だ。


(むしろこのために残された、と言った方が正しいのだろうな)


王允に与えられた役割は、新たに雇用された者たちが仕事に慣れるまでの間の繋ぎであり、董卓の足を引っ張るために尽力する名家閥や、新帝劉弁になりかわろうという野心ある人間を釣る為の餌なのだ。


(餌を気にして釣りはできぬ)


釣りにおける餌の役割とは何ぞや。無論魚を釣ることだ。ただし、餌が死んでいては目的としていた魚が寄ってこない可能性があった。故にこれまでは生簀の中で元気に泳がせていた。しかして今、目的の魚は釣れた。ならば餌が生きている必要は、ない。


(かと言って、用済みだからと斬り捨てれば非情の誹りは免れぬ)


いくら王允が嫌われ者であるとはいえ、それだけで斬り捨てることはできない。そんなことをすれば、その内容が何であれ皇帝の行動を監視し、批判するのが義務と勘違いしている儒家たちから叩かれるし、なにより皇帝に仕える者たちが『自分も斬り捨てられるのでは?』と疑心を抱いてしまうからだ。


皇帝に求められるのは、失敗に対する厳罰ではなく寛恕である。失敗を犯した者を一々厳罰に処していては人材が枯渇する。というのもある。


(しかし此度は話が違う)


通常の失敗だけであれば、王允を罪に問うことはできなかった。


呂布を使って董卓を暗殺しようと企んだことも、痴情の縺れでしかないと言えばそれまでの話。


劉焉を長安に呼び込もうとしたことも『幼い皇帝陛下や丞相殿下を宗室の人間である彼に支えさせるために呼んだ』と言い逃れることはできただろう。


(だが羌・胡を呼び込んだこと。これは駄目だ)


元々漢にとっての主敵は北方騎馬民族である。その主敵を己が野望のために呼び込む、人はそれを【売国】という。当然漢の法的にも儒の教え的にも死を賜る以外にない大罪だ。


屋敷に残されていた証拠の他に、配下の証言もある。何より王允の同志として情報を共有していた楊彪からの情報提供もある。ここまでくれば王允を裁くことに異を唱えるものはいない。


まして王允は、董卓を討ち破って長安に入った羌・胡の者たちに対し、自分に敵対した者たちの財貨や家族を譲り渡す算段までしていたのだ。当然その中には蔡邕の娘である蔡琰も含まれている。否、それどころか蔡琰はその末路まで決まっていたのである。


(儂を殺した後、残った蔡琰を己が養女として胡の者に下げ渡す? 舐めた真似をしてくれるっ!)


王允の手の者から聞かされた計画を思い出した蔡邕は、この期に及んで今なお『自身は漢の忠臣である!』と主張する老人の妄言に終止符を打つべく口を開く。


「あきらめろ」


「何だと!」


「すでに貴様らの計画は露見しているのだ。貴様も、貴様の一族も、そして貴様が頼りにしているであろう劉焉も、当然その子らも。全てが逆賊として処分されることが決まっておる」


「なっ!」


新帝による暴虐極まりない粛清……ではない。これは謀叛人に対する正当な法の執行である。


「喜べ、貴様の名は史に残るぞ。身の程を弁えぬ田舎者にして、欲に溺れ身に余る栄華を欲したが故に漢を滅ぼさんとし、それに失敗して身を滅ぼした強欲にして阿呆な売国の徒として、な」


「あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


「ふっ」


認めない。認めてたまるものか。


せめてもの抵抗、と言わんばかりにこれまで以上に大きな叫び声を上げる王允。そんな彼を見下ろす蔡邕の口元は、かすかに、だが確実に歪んでいた。

閲覧ありがとうございます


5月17日に拙作の三巻が発売予定です。よろしくお願いします



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ