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17話。西涼動乱⑤

八月上旬・涼州・金城周辺


長安にて『董卓からの援軍要請』を受けた王允が、喜々として呂布ら并州勢を送り出すための準備を整えていたときのこと。


董卓を警戒し、その動きを注視していたが故に、長安よりも早く董卓の動きを掴んでいた馬騰と韓遂は、本陣として構えていた天幕の中で顔を突き合わせていた。


「董卓が出た、か」


「うむ! 今後は予定通り適度な距離を保ちつつ連中を引っ張り回せば、空になった郿を王允の手の者が……」


「あぁ。それは無理だ」


「は?」


「元々今回の策は『我らが董卓を引きつけている間に空になった郿を王允の配下が接収。その報を受けた董卓が兵を返したところを我らが襲う。もしくは郿を落とした軍勢と挟み撃ちにする』という策であったな?」


ついでに言えば『董卓軍を引っ張り回す中で兵糧を浪費させ、彼らの継戦能力を削ぐ』というのもあるが、それは根拠地である郿を奪った後なら自然と発生する事象なので、わざわざ口にするまでもないだろう。そう判断した馬騰は、敢えてこのことには触れず、あくまで大まかな流れを確認するような感じで韓遂に問いかける。


「う、うむ」


「この策における最大の懸案事項は、董卓が出陣するか否か。王允や王允の後ろにいる劉焉はそう考えていたのだろう。無論お主も、な」


「……」


ここまでは挙兵する前から何度も確認していることだ。よって韓遂としても頷く以外の選択肢はなかった。黙って頷く韓遂を見て、馬騰はさらに言葉を続ける。


「確かに自分たちの策が成就するかどうかは、董卓の動きにあっただろう。それは俺も否定しない。だがな」


「だが?」


「お主らのいう『適度な距離を取って董卓を引っ張り回す』というのは……不可能だ」


「不可能だと? まさか貴様。この期に及んで臆したか?」


今更になって董卓の誘引を『不可能』と断じた馬騰にいらだちを覚えた韓遂は、思わず殺気を交えて挑発じみた詰問をする。


通常、単純で気の荒い涼州人ならば、戦の前にこのような挑発じみた真似をされた場合「侮るな!」と声を荒げ、なにかしらの行動を起こしていただろう。


だが、気の荒い涼州人の一人であるはずの馬騰が取った行動は違った。


「臆した? なぜ現状でその発想に至るのだ? お主、大丈夫か?」


韓遂から発せられた殺気を受け流しつつ「なぜお前は当たり前のことを理解していないのだ?」と哀れみを交えた視線を向け、次いで韓遂を心配するような言葉を投げかけたのだ。


「は?」


(王允や劉焉が気付かぬのは、まぁ良いだろう。だが何故此奴が気付かんのか)


挑発した自分に対して返されたのは、怒りではなく哀れみと心配だった。そんな予想だにしなかった応対をされて頭の中が真っ白になってしまった韓遂を見遣りつつ、馬騰は粛々と今回王允らが立てた策の矛盾点を指摘する。


「そもそもの話だが、お主。出陣してきた董卓から距離を取ることを、羌や胡の連中に伝えていたか?」


「……あっ!」


ここまで言われれば韓遂にも馬騰が言いたいことが理解できた。


大前提として、馬騰も韓遂も四万程度の軍勢で董卓率いる軍勢に勝てるとは思っていない。よって董卓を打倒するには郿を落とした軍勢と協力する必要がある。


その為には王允らが考案した策を成就させなければならない。


よって韓遂らは董卓を郿から出陣させ、尚且つ郿から距離を取らせる必要があった。


ここまでは良い。実現できた。だが、問題はこれからだ。


「理解したか? 戦えば負けるのだから、董卓の手が届く範囲にいることはできない。かといって董卓が我らの動きに不自然さを感じて引き返しても駄目。董卓の軍勢と一定の距離を取り続ける必要がある」


「だがそのような繊細な行動を取れるほど、連中は理知的ではない」


「そうだな。付け加えるなら、今回ここに集った連中はどういう連中だったかを思い出せばわかるだろうに」


「……董卓の怖さを知らない若造。もしくは董卓の怖さを知ってはいるものの、それよりも強い恨みを抱えているが故に参陣をした連中だ」


「そうだな。で、そんな連中が一時的にとはいえ董卓に背を向けるような真似ができると思うか?」


「……思わぬ」


「それが答えだ」


「……くっ」


韓遂が言ったように、今回この乱に参陣した連中は、王允と劉焉が提示した恩賞に釣られて参加した連中と、先年に引き起こされた辺章・韓遂の乱に参加したものの、董卓らによって完膚なきまでに叩き潰された連中の残滓である


加えて彼らにとって馬騰や韓遂というのは、檀石槐のような強大な指導者という扱いではない。各氏族の利害調整役であり、漢との交渉を行う際の窓口担当に過ぎないのだ。


そうである以上、基本的に氏族単位で勝手気ままに動く連中が、目の前にぶら下げられた餌や恨みの対象を前にして冷静に動けるはずがない。


「で、だ。もしもここで『一時的に退く』などと言おうものなら、どうなると思う?」


「……それこそ『臆したか!』と言われて殺されるだろう」


「そうなるだろうな」


羌や胡の名誉のために言えば、決して彼らが短絡的思考をこじらせているわけではない。なにせこの時代正規軍である官軍を率いる将軍でさえ矜持を理由に『戦略的撤退』を受け入れないことも往々にしてよくあることなのだ。


まぁ官軍の場合は、将軍が作戦失敗の責任を負わされることを嫌っているが故、とも言えるが、それはそれ。


漢帝国以上に矜持や武威によって支えられている氏族社会を生きる騎馬民族の連中が、標的を前にして一時的な撤退を受け入れるはずがない。


故に、馬騰からすれば今回の乱は最初から失敗が確約されていたと言っても良い。


それでも馬騰がこの乱に参加した理由は大別すれば二つあった。


一つ目は、漢の腐敗具合を憂いたためである。


基本的に涼州を出ることがない馬騰だが、それでも洛陽や長安の噂は耳に入れるようにしている。そうして得た情報を精査すれば、なるほど。今の漢は腐りきっていると言えたし、改善策として韓遂が言うように『漢には敵が必要なのだ』という理屈も納得せざるを得ないところは確かにあった。


二つ目は、一つ目も絡むことだが『漢にとっての仇敵である羌や胡を弱体化させるための策として考えれば、今回の策は決して悪いものではない』と考えたことだ。


漢という大国を一致団結させるための敵としてみれば、北方騎馬民族の存在は適役と言えるだろう。その上で辺章・韓遂の乱で弱体化した羌の生き残りや、漢に逆らう気概を持つ連中を一箇所に集め、それを駆逐する。


こうすることで騎馬民族たちの牙を折り西と北を安定させることができる。そう考えたのであれば、韓遂も王允も、彼らの後ろにいる劉焉も漢にとっての忠臣と言えるだろう。


(そう思ったのだが、な)


だがそれも一昔前の話。


現在は袁紹による宦官の殲滅や、董卓による名家の殲滅。さらには反董卓連合を名乗った賊どもが可視化できるようになったことで、漢帝国の内部に巣食っていた虫は、退治が不可能な身中の虫ではなくなっている。


(ならば漢に忠義を誓う俺がすべきことは何か? 少なくとも今の段階で韓遂が興した乱に乗じることではない。俺がすべきは羌や胡が乱を興さぬよう抑えること。そうして董卓が国賊と化した袁紹らを討つための時間をつくることだったのだ)


後悔の念に捕らわれる馬騰であったが、実際のところ劉弁も董卓も馬騰を責める気はなかった。それは馬騰が信じた噂話を否定せず、それどころか積極的に噂が広まるよう吹聴して回ったのが彼らだからだ。


結果をみれば、垂れ流された悪評を信じた馬騰が蜂起してくれたおかげで、行方がわからなくなっていた韓遂や、漢に敵意を抱いている羌・胡の連中。さらにそれらを操ろうとする王允や、王允を操る劉焉という身中の虫の存在が表面化したのだ。


それを考えれば、馬騰は釣り餌として最良の成果を挙げたと言える。


故に董卓陣営とすれば馬騰に同情する気持ちはあっても責める気持ちはない。……ただし、それはあくまで裏事情を把握している面々だからこそ言える台詞である。


(此度の不忠。すでに陛下や董卓殿からの許しは得た。だが……)


周囲から被害者と認識されている馬騰だが、本人からすれば今の自分は『己が不明が故に漢に刃を向けた不忠者』でしかない。


旧知の仲である韓遂に乗せられた? 

否。

司徒である王允に乗せられた? 

否。

宗室である劉焉に乗せられた? 

否。


そのどれもが他人を納得させる理由にはなるだろう。


(だが所詮は己の不明を隠す言い訳に過ぎん)


確かに全てを他人のせいにすれば楽だろう。「自分は被害者だ!」と叫んで被害者ヅラすれば楽だろう。しかし、その先にあるのは『簡単に騙される阿呆』という、名誉も何もない存在となった愚かな男だけ。


(認められるかっ!)


今の馬騰は、どこぞの司空のように「何があっても生きていればいい」と受け入れるほど老成もしていなければ、阿呆という世評を大人しく受け入れることができるほど達観もしていない。


(かかる汚名を返上し、失った名誉を挽回する。その為に今の俺ができることはただ一つ)


今更ながらに自分たちの策が最初から破綻していたことを理解して頭を抱える韓遂に冷たい目を向けつつ、馬騰は一人、己の矜持がために全てを擲つ覚悟を決めるのであった。




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