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14話。西涼動乱②



司隷・右扶風(ゆうふふう)・平陵県


(ここまでくれば問題あるまい)


王允からの指示を受けた翌日のこと。


王允の手の者による監視を警戒した呂布は「援軍だから急がねばならない」という名目を使い、即座に軍勢を率いて長安を出た後に最速で京兆尹を抜け、その日のうちに郿と長安の間にある平陵県に到着していた。


本来であれば数日。早くとも二日はかかるであろう道程を急いだ理由は一つ。


言うまでもなく、兵を小休止させると同時に、王允から預けられていた『秘策』を確認するためだ。


(本来であれば長安で確認してもよかったのだが……)


呂布とすれば、あの場で内容を確認することは無理でも、帰宅してから確認することもできた。だがそれは『誰の目が有るかわからない長安で、王允から出された命令に逆らう』という行動を起こすことを意味する。


(自宅には長安で雇った多数の使用人がおり、その誰が王允と通じているかわからぬ。そもそも隠し事が苦手な俺が下手に『秘策』の内容を知ってしまえば、必ずや表情や行動に現れてしまうだろう。それでは王允の前で指摘をしなかった意味がない)


腹芸が苦手な自分では、長安に生息している他人の顔色を伺うことに特化したような人間を誤魔化すことは不可能である。そう判断した呂布は、悩んだ末に『王允の手の者が追跡できない速さで行軍しその目を欺く』というある意味で単純明快な力技に出ることにしたのだ。


多少無理やりなところはあったが、結果は最良。


当然のことながら王允が用意した『行軍を支える文官たち』は、全力で疾走する呂布らの行軍に付いてこれず、この場に居るのは生え抜きとも言える并州の騎兵のみ。


并州勢の中に王允に与する者がいるかもしれない? それはない。


基本的に王允は并州勢を見下していたし、并州勢もそのことは知っていたので、両者の間には筆舌に尽くしがたい壁があった。それに加えて董卓の将帥としての実力と怖さを理解している并州勢が、董卓を裏切って王允に与するなど有り得ないことだからだ。


それに、だ。もし、万が一并州勢の中に王允に与する者がいたとしても、それがどうしたというのか。


長安に巣食う連中ならともかく単純な并州勢を誤魔化すことくらいなら呂布にもできるし、そもそもこれから呂布が取る行動を王允に伝えるためには、自身が一度長安へ戻るか、王允が派遣しているであろう間者に繋ぎをつけなくてはならない。


つまりそれは「何をするにしても数日の時間差が生まれる」ということである。


そしてこの平陵は、数日あれば郿に進むことも長安に急行することも可能な場所だ。


だからこそ呂布は王允から『秘策』を授けられた時点で(平陵に到着したら内容を確認しよう)と決めていたのだ。


ちなみにこの呂布の狙いを、今や他人の顔色をうかがうことに特化した人間の代表格である王允が読めなかった理由は、偏に王允と呂布の距離に関する価値観が違ったからであろう。


というのも、通常長安から郿まで進軍した場合、急いでも十日以上掛かるというのが常識であり、王允もその常識を念頭に話をすすめていた。しかしながら、それはあくまで官軍、それも歩兵や輜重隊を含んだ軍勢の常識である。


官軍で十日以上必要な距離であっても、今回のように輜重隊や歩兵を連れていない并州騎兵ならば四、五日程度で着く程度の距離でしかないので(単騎ならもっと早い)王允にとって『郿の近く』といえば、右扶風の美陽あたりになるのだろうが、騎兵の行軍速度を基準とする呂布からすれば京兆尹から出たら。否、なんなら長安から出た時点で『郿の近く』と言っても過言ではないのだ。


こうした価値観の相違があったからこそ、呂布の表情や雰囲気を確認していた王允も「呂布は自分に従うつもりのようだ」と誤認することになってしまった。


つまるところ、并州の生まれでありながら故郷を田舎と蔑み、田舎出身の荒くれ者を疎んじていた王允は、その思い込みにより足を掬われる形となった。というだけの話である。


「さっさと『秘策』とやらを確認するとしよう。………………はぁ? いやこれは何かの間違い……ではない、な」


ぐしゃり


王允の失態はさておくとして、董卓が使うとは思えないほど豪華な箱に入った『秘策』を確認した呂布は、最初思わず自分の目を疑い、次いでじっくりとその内容を確認した後で『勅』と書かれた書状を握り潰した。


「……舐めた真似をしてくれる」


呂布の手の中にある書状は『陛下及び殿下らを私物化する李儒とその一党を討つべし』から始まり『その手始めとして郿を攻略して政を壟断する董卓を討て』と書かれていた。


さらに呂布を怒らせているのは末尾に書いてあった一文であった。


「なにが『長安に残した家族は紅昌に付けた使用人が護る故、心配不要』だ。これでは人質ではないかっ!」


本当に勅命ならば家族を人質に取る理由などない。というかそもそも王允に勅命が下されるわけがない。


もしも劉弁か劉協が長安にいたのならば。

もしも王允が彼らから本当に信用を得ていたのならば。

もしも董卓が本当に政を壟断していたのならば。

もしも董卓が紅昌と自分の婚姻を認めず、自分で彼女を囲い込もうとしていたのならば。

そしてもしも、弘農に在って帝を守護する外道の存在を知らなかったのならば。

様々な『もしも』が積み重なっていたならば、あるいは呂布も王允の寝言を信じて董卓へ矛を向けたかもしれない。


だが、現在劉弁も劉協も長安にはいないし、わざわざ王允に勅命を下すほど彼との接点はない。

当然政から距離を置こうとしている董卓が政を壟断しているという事実もない。

さらに董卓には養父というだけでなく、王允の養女である紅昌の存在意義が自分の囲い込みにあるということを理解した上で、彼女と自分の婚姻を認めてくれた恩がある。さらにさらに、臣下に勅命を下すことが可能な皇帝劉弁その人は、弘農の外道に絶大な信頼を置いているではないか。


この状況で帝が王允に対して『外道を討て』だの『董卓を討て』と勅命を下すだろうか? 


「ありえん。これは偽勅だ。しかしだからといって……」


考えるまでもなく『これは王允の策である』と断言した呂布だが、同時に懸念していることもある。


(これが王允の策だというのは分かる。というか王允とて最初からこんな子供だましで俺を騙せるとは思っておるまい。しかし問題はそこではない。問題はこれがどれだけ稚拙な策であろうと、俺は奴に人質を取られている。ということだ)


紅昌が王允の策を知っているかどうかはわからない。だが彼女の周囲にいる連中は間違いなく王允の意を汲んでいるだろうことは疑いようがない事実であった。


(自分が脅されるだけならば良い。紅昌も無関係ではないのだから、彼女の生死とていざという時は仕方がないと諦めがつく。だが妻や娘を王允に殺させるわけにはいかん)


并州にいたころから苦楽を共にしてきた妻の厳氏と、彼女との間に生まれた年端も行かぬ娘は完全に無関係。いや、無関係どころか、呂布の我侭によって巻き添えを喰った被害者だ。その両者の身命が今や王允の手の内にあるという事実は、荒くれ者の中でも比較的感受性豊かな呂布を大きく苦しめる要因となった。


「……李粛を呼ぼう」


王允は憎い。可能ならこれから長安に殴り込みをかけて殺してやりたい程憎い。だがここで怒り狂っても何も解決しない。そう判断した呂布は、彼にしては長時間悩んだ末に、自身の親友であり、董卓の代理人でもある李粛に知恵を借りることにした。


(もし『諦めろ』と言われたらそのときは……)


――呂布の矛が振り下ろされる先は、呂布を信じる養父・董卓(大将軍)か、はたまた呂布を脅す側室の父・王允(司徒)か。


漢の重鎮でもある両者の未来とその命運は、李粛の双肩にかかっている……かもしれない。

呂布『秘策』をあっさりと開封するの巻。


まぁ信用がないから仕方ないねってお話。



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