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12話。濮陽にて

八月上旬。兗州・東郡・濮陽


親族の豹変を受けて顔面蒼白となり、命からがら弘農から逃げ出すことに成功した(あくまで彼の主観ではそうなっている)荀彧は、元々の予定であった故郷頴川の復興具合の確認や、冀州にて別れた一族の現状の確認などを行うことなく、足早に主君の待つ濮陽へと帰還していた。


「荀彧が昨日戻ってきたらしいが……詳細は聞いたか陳宮?」


「あまりにも急いでいた、とだけですな」


「うむ。本当は昨日のうちに私に報告をする心算だったらしいが、あまりにアレだったために家人に止められたそうだ。しかしそんなことを報告されても、な。その、なんだ。正直反応に困る」


「まぁ曹操殿が速度を重視していることは旗下の皆様全員が理解しているところですからなぁ」


「しかしそれとて時と場合によるだろうよ」


「ごもっとも」


事実、曹操は常日頃から「多少の無礼は認めるから最速で情報をよこせ!」と言っているし、今回弘農に送った荀彧が、予想以上に早くそれも顔面蒼白で息も絶え絶えに帰還してきたことを聞いたことから、曹操も陳宮もその理由を(急がねばならぬほどのナニカがあったのだろうな)と判断していたのは確かだ。


また、そのナニカが弘農からの指示であると確信していたので、最速で報告をして欲しいという気持ちがあったのも否定しない。


曹操に付き従うにあたって『情報が全てを左右する』と教えられ、それを実践している面々からすれば、荀彧の取った行動は迂遠そのもの。


これでは彼に否定的な面々から「焦らすことで家の格をこれみよがしに見せつけているのではないか?」などと批難されても仕方のないことではあるかもしれない。 


しかし、だ。これらの意見には曹操が望むのは『正確な情報を素早く伝えること』であって、冷静さを欠いた者から主観混じりの報告を受けたいわけではない。という大前提が完全に抜け落ちてしまっている。


こういった事情もあって曹操としては、今回荀彧側から「落ち着くために時間が欲しい」と言われたことに対して批難する心算もなければ罰する心算など毛頭なかった。


(それなのに、なぜわざわざその程度のことを悪しざまに報告して来る者が後を絶たぬのか)


未だ一郡の太守であり、それに見合った規模でしかない己の家臣団の内部で行われている足の引っ張り合いに内心でうんざりする曹操だったが、一応彼にも「荀彧の一族が董卓陣営や袁紹陣営にいるのが気に食わない者」や、「宦官閥なのか名家閥なのかはっきりしないところが嫌いだ」という者がいるのは理解できるのだ。


しかし、しかしだ。その能力は元より、自身の出自から名家閥と、そして妻の出自から宦官閥と繋ぎが取れることなどを鑑みれば、荀彧は今の曹操にとってなにものにも代え難い大駒である。


それを潰すなんてとんでもない。


少なくとも現時点で曹操に荀彧を放逐したり冷遇する心算はないし、文官筆頭の座を譲り渡すこととなった陳宮とて、一緒に書類仕事をしてもらっている上に一番の面倒事を担当してくれている荀彧を排除する心算はない。それどころか曹操が庇えば角が立つと考えている陳宮は荀彧の行動を批難する声が挙がる度に「ならば君が書類仕事をするかい?」だの「なんなら弘農に逝ってもらってもかまわんよ?」といった感じで人知れずフォローをしているくらいだ。


こういった背景もあり、文字通り清濁を併せ持つ覚悟を決めた曹操や、個人の名誉よりも実益を重視してる陳宮からすれば『もう少し仲良くしろ』と言いたいところなのだが、人の心はそう簡単には定まらないといったところだろうか。


結局、曹操と陳宮の間で交わされる議論は「皆が彼の存在を完全に認めるまでには時間と成果が必要不可欠である」というありきたりな結果に終わるのが常であった。


閑話休題


「……陳宮。お主、妙に落ち着いてるな?」


弘農に向かった荀彧が、外聞も何も気にせず、駆け込むように帰還した。


現在わかっているのはこの程度のものでしかない。


さしもの曹操もこれだけでは何がどうなったかを推察することは難しいと言わざるを得ない。しかしながら荀彧が向かった先で待ち構えていたであろう人物の怖さを知っている曹操にとって、この状況は悪夢そのもの。


この時点で頭痛が痛い状態になっていた曹操だが、しかし彼と共に荀彧の報告を待つ立場にある陳宮は、少なくとも表面上は冷静そのものだった。


一周回って冷静になった? 違う。彼は彼なりの算段があって冷静さを維持できているのだ。


「いや、最初は某も焦りましたが、よくよく考えれば荀彧殿が生きて戻ったというだけでも朗報だなぁと思い直しまして」


「……あぁ。なるほど」


もし荀彧がこの場にいたのならば「そんな危険なところに自分を送り込んだのか!」と声を荒げただろうし、曹操と陳宮の二人は声を荒げる荀彧に対して『何を今更』と思いながらも宥めすかすことになっただろうが、残念ながらこの場には曹操と陳宮しかいないので、死地から生還してきた荀彧に対する配慮の言葉はなかった。


あるのは冷徹なまでの考察である。


「もしも向こうが曹操殿に敵意を抱いていたり何も望んでいなかったというのであれば、荀彧殿は逆賊の徒として処断されていたはず。ですが実際は……」


「焦ってはいるが無事に帰還している。つまり向こうは私に何らかのやらせたいことがある、か」


「御意」


「ふむ」


こちらになんの話もさせずに踏み潰すことができるだけの地力がある相手に悪意や敵意を向けられても困るし、無関心も怖い。しかし荀彧が生還(帰還ではない)してきたことから、最悪の状況ではないことは確かだ。


「そして往々にして物事というのは最悪でなければ何とかなるものです」


「確かにそうだ」


要約すれば「最悪じゃないならいいじゃないか」という、なんとも社畜精神に溢れた言葉である。


普通ならば「なにがいいんだ」と反論するところだろう。しかしながらこの言葉を放ったのが共に散々苦労してきた陳宮であったがために、曹操は反論するよりも先に納得を覚えてしまう。


「そう考えれば気も楽になるな……。ん。荀彧が来たか。よし! それでは本人から話を聞くとするか!」


「えぇ。えぇ。そうなさいませ。やはり太守たるもの余裕が大事ですからな。……たとえ話の内容がどれだけアレなものであっても、心を壊してはいけませんぞ」


「ははは。こやつめ」


先程までの沈痛な空気から一転し朗らかな雰囲気に包まれた曹操・陳宮の主従は、荀彧が到着したという報せを受けると同時に席を立ち、彼が弘農から持ち帰ったであろう策を確認せんと足を運ぶことになる。


……結果論ではあるものの、この後荀彧が持ち帰った『曹操にしてほしいこと』は、荀彧にとっては容易ならざることであったが、曹操にとっては多少苦労はするだろうが最悪でもなんでもなく、ある意味では極々普通のことであったので、表面上は難しい表情をしたものの、内心では嬉々として弘農陣営が用意した策を実行することになる。



―――涼州、そして長安を主とした関西での動乱を前に、関東でもまた騒乱が引き起こされようとしていた。



社畜というか普通に苦労人と化している曹操主従。

まぁ、いきなり郡太守ですからねぇ。

孫堅との違いは、時期と逆賊扱いされているせいで政権からの援助がないことでしょうか。



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