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11話。とある名家の事情②



文章修正の可能性あり

「ではそちらにおかけくだされ。白湯か水。もしもお望みなら酒を用意いたしますが、なにかご希望はおありですかな?」


「ご配慮に感謝いたします。では水をいただけますかな?」


「承りました。すぐに用意させましょう」


挨拶を交わした後、すぐに椅子にかけるよう促すと同時に飲み物の要望まで聞く荀攸。


挨拶と同時に筵の上に座らされた楊修とは比べ物にならないくらいの高待遇を受ける荀彧だが、これには彼らにしか通じない、所謂家庭の事情というものがある。


元々その出自を同じ頴川荀氏とし、年も近かった両者は顔見知り以上の仲であった。


親戚を相手にしているというのに荀攸の態度に堅さがある理由は、当時の社会的な常識が原因である。


年齢だけでいえば荀攸は荀彧より年長となるものの、荀氏の家系図を辿った場合、荀攸と荀彧の関係は甥と叔父の関係となるし、今の荀彧は荀家の宗家を継いでいる家長という立場にあるので、当時の常識として認識されている長幼の序に照らし合わせれば、荀攸こそが荀彧を立てる必要があるからだ。


故に、荀攸が荀彧を上位者として持て成し、それを荀彧が当然のように受けることは、親族という間であるならばなんら間違ったことではない。


だがこの日荀攸の下を訪れた荀彧もまた、彼へ気を使っていた。


それは、そもそも荀攸が荀彧に配慮をすることが、あくまで荀家内部の事情でしかないからだ。


当然というかなんというか、公と私は混合して良いものではない。


私の部分。つまり荀氏の序列で見れば荀彧が上位者となるが、皇帝を頂点とした漢帝国という国家の権力構造の中に於いてはその限りではないのだ。


公。つまり漢を第一と考えた場合、現在荀攸が尚書令という官職を持つ皇帝の側近であるのに対し、荀彧は東郡太守曹操の配下という立場。しかも曹操は反董卓連合の副盟主であったせいで正式に逆賊として認識されており、東郡太守というのも今上の帝劉弁が認めたものではなく、あくまで自称にすぎないのだ。


つまり、荀彧を曹操の配下として考えるのならば逆賊の配下となるし、彼個人もまた無位無官の徒となる。


この場合、たとえ荀彧が荀氏の惣領といえども尚書令たる荀攸がその執務室で頭を下げるような相手ではない。むしろ頭を下げてはいけない。


荀子の子孫にしてその教えを継承している荀彧は、そこまで考えを巡らせた上であえて荀攸を尚書令殿と役職呼びすることで「己は荀家の当主である以前に漢の臣である」と荀攸に伝えたのである。


そんな年下の叔父が見せた配慮と心意気を理解出来ぬ荀攸ではない。


彼は彼で荀彧を迎えるにあたって様々な配慮をしており、席次や出迎えた際の態度となどで言外に「そちらが漢の序列に従うことは了解しました。こちらも逆賊の家臣として応対するのではなく、荀家の当主が訪問されたものとして歓迎いたします」と伝えたのだ。


互いの立場を理解し、思いやる。


優秀なれど未だ年若い司馬懿や楊修では到底できないやり取りを両者は交わしていた。



~~~



「ふぅ。ご配慮感謝いたします。本来ならばこのまま旧交を温めたいところなのですが、そうも言っていられない状況がありましてな。……聞き耳を立てる者は?」


過剰なほどの緊張感を身に纏いながら、本題に入ろうとする荀彧。その姿は荀攸から見ても些か度が過ぎるようにも見えるが、それも荀彧からすれば必要なことであった。


なにせ彼にしてみれば弘農は敵地なのだ(正確に言えば、荀彧が仕える曹操が公式に漢の敵と認識されている)。もしもここで自分が下手を打って捕まってしまえば、その被害は主である曹操だけでなく、今上の帝に仕えて確固たる足場を築きつつある荀攸にも及ぶことになるのだ。


たとえ若くして尚書令となった荀攸といえども、否、この場合は若くして尚書令となったからこそ。と言うべきだろう。名家同士の足の引っ張り合いの醜さと凄惨さを知っている荀彧は、曹操の部下として、そして荀氏の惣領として荀攸といういざというときの命綱を失うわけにはいかないのである。


「……一応数人おります。ですがその者たちもある程度の事情は把握しておりますので、余程のことがない限りは大丈夫かと」


「余程のこと、ですか」


「えぇ。余程のこと。です」


「……」


「あぁ。まぁこちらとしても荀彧殿の状況は理解しております。現段階ではこの場で荀彧殿が何を口にしたとしても我々が『余程のこと』と認識するようなことはありませぬよ」


「さ、さようですか」


そんな荀彧の思いを理解した上で荀攸は、緊張に体を強ばらせる彼を安心させるために「あの太傅が反応するようなことを口にしなければ大丈夫だ」と告げる。


(事実、現状で『余程のこと』に該当するのは劉焉絡みのナニカのみ。今の彼らになにかができるわけでもないからな)


如何に曹操が有能であっても、距離の壁は越えることは不可能だ。

司隷や荊州を抜けて益州の劉焉と連絡が取れるはずがない。


(なればこそ現在の曹操ができることと言えば、隣の冀州で袁紹絡みでナニカをすることや、并州に下って袁紹を討伐するよう勅命を受けた王允と何かしらの取引を行う程度のことだろう? もしも曹操が王允とつながっていたというのであれば、それを理由に消すだけの話だし、袁紹なら尚更よ)


元の世評に加え、現在の長安における隆盛ぶりから世間では三公だの司徒だのと言われて一定の評価を受けている王允。しかし弘農陣営からみれば彼はすでに終わった存在でしかない。


袁紹? 今更袁紹に味方したとて、それが一体なんになるというのか。せいぜいが体の良い壁にされた挙句、墓前で「親友よ、すまない。お前の敵は必ずや私が取ってみせる!」などといった寸劇をされるのが目に見えている。


(そうなりたいというのであれば、そうしてやるまでのこと。書類仕事が得意なことに定評のある曹操を失うのは確かに損失ではあるだろう。しかし所詮はその程度。帝のご意思と比べれば些事に過ぎぬ)


これ以上ないくらい明確に漢という国に叛旗を翻した袁紹の討伐は、漢の秩序を守る上で必須事項。たとえ袁紹の下に一族の者が仕官していようとも、この期に及んで袁紹に容赦をするという考えはないのだ。


そしてその荀攸の気持ちは荀彧も共にするところである。彼にも彼の主である曹操にも袁紹の命乞いなどするつもりはなかった。


「で、では単刀直入に伺います。前兗州牧劉岱様と前揚州刺史の劉繇様が正式に手を結び、袁術の攻勢に備えようとしている昨今。弘農。いえ、陛下は我らに何をお望みか?」


「ほほう。確かにこちらも件のご兄弟が大人しく降伏するとは思っておりませんでしたし、勅命を受けて動く袁術殿への対抗措置として手を結び、北と東から圧迫するであろうことは想定しておりましたが、やはりそのようになりましたか」


「う、うむ! ……あぁいや! 違う! はい! そうなったんです!」


現在曹操の名は、世間一般で袁紹の盟友にして逆賊の首魁の一人と認識されてはいるものの、実際のところは彼は、董卓からの指示を受けて袁紹が掘った墓穴を広く、そして深く掘り下げる役目を帯びた埋伏の毒だ。


その彼が袁紹の行動をうまく調整したからこそ、先年の戦で漢という国の奥底に巣食っていた身中の虫が大量に表に出てきたし、今もこうして『宗室の中でも二龍とまで称された劉岱と劉繇の兄弟。その二人が選んだのは、帝に対する謝罪ではなく抵抗である』という、弘農陣営が欲していた『正確な情報』を齎してくれているのだ。


これだけでも彼を埋伏の毒として送り込んだ董卓と、そうするように指示を出した者の目は正しかったといえよう。 


「ふ、ふふふふ」


(これでこちら側も動けるな)


(ひ、ひぃぃぃ!)


荀彧が暴露した『正しい情報』を耳にした荀攸。その表情は、長安から送られてきた使者の口からとある人物の名を聞いたときの太傅の弟子たちが浮かべた笑みと同じ種にして、さらにその闇を深くしたものだったという。



一見荀彧=サンが「交渉に負けたようにも思えますが、そもそもの話、彼は荀家内の序列はともかくとして、社会的立場でお互いを比較した場合自分が完全に負けていることを自覚しているし、そもそも弘農に長居をしたいと思っていないので、最初からさっさと重要情報を出して指示をもらい、早々に曹操の下に戻るつもりだったもよう。


その結果は……どうなることやら。



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