10話。弘農にて⑤
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楊修が一族の生き残りを掛けて司馬懿に差し出したもの。それは銭でも玉でもなく『情報』であった。
「司徒殿の企て、ですか」
(……なるほど。向こうは向こうでそれなりにこちらの状況を理解していると見える。これこそが過日、政略と謀略の泥沼であった洛陽において生き抜いた経験を持つ司空楊彪が備える生存能力ということか。長安で相対したときはどこにでもいる老人にしか見えなかったが、あれは擬態か。……侮れぬ)
無論、黙っていれば一族郎党が処罰されるのだから、相手に望まれれば銭だろうが玉だろうがいくらでも差し出す心算ではあるはずだ。
だが、それでも彼らが最初に差し出したのが『情報』であったことに、司馬懿は目の前にいる楊修への評価を高めると共に、彼にそうするように指示を出したであろう楊彪への評価を改めることとなった。
それというのも、数年前に司馬懿は師である外道にとある教えを受けていたからだ。
―――
それは数年前のこと。
「戦に勝つために重要なこと?」
「はい」
私からの唐突な問いかけに、師は軽く考え込む素振りを見せた後で言葉を発せられた。
「最上は戦わずに勝つことだ。しかしそのためには万全の戦準備が必要となる。故に重要なのはその準備を怠らぬことだ」
「? 戦わないのに戦の準備をするのですか?」
一見すれば矛盾そのものであろう。そう考えて首を捻る私に、師は「そうではないのだ」と前置きをして話を続けた。
「戦をせずに相手を降すには、相手の士気を折る必要があるだろう?」
「……あぁ。なるほど」
確かに何もせずに降るなら最初から敵になどならない。敵対するにはそれなりの理由があるのだ。よって戦わずに勝つという理想を実現するためには、相手が抱える理由を上回る絶望を与える必要がある。師はそうおっしゃりたいのだろう。
「なので重要なことは、相手より多くの兵を集めること。その兵を無駄なく率いることができる将を集めること。集めた将兵を食わせる食料を集めること。それらを有効に活用するための情報を集めることだろう。ちなみに儒家が重要視する大義名分もあった方が良いのは確かだが、それは勝った後からでも作ることができるから、最重要というほどのものではないな」
「ふむ」
「ただし、これらはあくまで戦を起こす際の最低条件でしかない。よってこれがあれば勝てるといった類のものではないことは忘れるな」
「なるほど」
天の時も地の利も人の和も、それらはあくまで最低条件でしかない。戦に勝つにはそれらをしっかりと用意した上で、敵以上にナニカを重ねることが重要。ということか。
「戦わずして勝つためには。相手に『戦っても勝てない』と認識させる必要がある。この際わかりやすいのが兵数だ。普通は相手に十倍の兵を用意されたら将兵の士気は落ちるし、さらにそれを率いるのが経験豊富な将軍で、豊富な食料もあるというなら尚更だろう?」
「確かにそうですな。しかしそれでも折れなかったのが周の文王であり、高祖劉邦なのでは?」
周に対する殷。漢に対する楚。いずれも相手方と兵数差があった。
「その通り。兵の多寡だけでは連中の士気を折ることはできなかった。だからこそ情報が重要になる」
「情報ですか」
「そうだ。孫子が曰うところの『彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして、己を知れば、一たび勝ちて、一たび負く。彼を知らず、己を知らざれば戦うごとに必ず殆うし』これこそが重要なのだ」
「なるほど」
兵法の基本中の基本とされる一文。それこそが真理なのだと師は曰い、その言葉の意味するところを論じてくださった。
「誰が、いつ、どこから、どれだけの軍勢で攻めて来るかわからない中では満足な戦準備などできん。それ以前に誰が敵で誰が味方なのかわからなければどうしようもなかろう?」
「確かに、彼も己も知らなければそうなりますね」
敵と思って殺したのが実は味方で、味方と思って重用していたのが実は敵だった。そんなことになれば戦どころの話ではない。
「農夫を集めた数千の集団でさえ、それを確かめる術がなければ十万の精鋭に誤認させることも不可能ではない。もしそこに十万の精鋭に打ち勝てるであろう大軍を差し向けても、労力と兵糧の無駄となる」
「それは、そうですね」
「逆の事例もある。近いところでいえば黄巾の乱の序盤だ」
「……数十万の飢えた農民に対して、敵を過小と侮った数万の官軍が挑み、負けましたな」
「うむ」
その後黄巾は相手の脅威度を正確に推し量った皇甫嵩将軍や朱儁将軍が率いる軍によって鎮められたが、あれこそが情報を軽視した結果だと言われれば、素直に頷く他ない。
「結局、相手に情報を渡さぬことで相手の将兵に無駄足を踏ませたり、罠に嵌めることによって戦略的には戦をしつつも戦術的に戦わずして勝つことも不可能ではなくなるわけだ」
「なるほど」
情報によって相手を振り回す。そういうことだろう。
「だからといって情報だけあれば良いというわけではない。相手を謀るにはその情報に見合った地力が必要になる。それがないとその情報に信憑性が出ず、相手を謀ることはできないからな」
「確かにそうですね」
いきなりどこぞの県令から「十万の精鋭と、それを十年養えるだけの兵糧を集めた! だから自分に従え!」などと言われたところで、誰がそれを信じるというのか。
翻って、師や大将軍である董卓ならどうか? たとえば「これから一ヶ月後、袁紹に対して五万の兵を差し向ける予定だ」という情報が流れた場合、現状でそれを否定できる者はいない。
そのため袁紹や袁紹に味方する者たちは慌てふためいて戦支度をすることになるだろう。しかしそれが虚報であったのならば、どうなる? 戦支度に費やした費用の大半が無駄となるだけだ。
かと言っていつ本当に軍を向けられるかわからないので集めた兵を解散させることもできん。それは延々と兵や馬を養わなければならなくなるということ。
袁家といえども銭や兵糧は無限に用意できるものではない。いずれは枯渇する。そして財を失った袁家に脅威はない。その際は本当に兵を用意して攻め滅ぼすもよし。圧力をかけて内部で争わせてもよし。その時々の状況に応じて最適な手段を選ぶだけで勝てる。
これはあくまで極端な例ではあるが、実現不可能というほど荒唐無稽な話でもない。事実扱うものの器量によっては情報一つで勝つことも決して不可能ではないのだ。……そしてそれが可能なのは、師や董卓だけではないということも。
「もう理解していると思うが、情報の取り扱い次第では楽に戦に勝つこともできるし、逆に思わぬ敗北を喫することもある。だからこそ我々は情報を、もとい、正確な情報を得ることを重視しつつ、相手に正確な情報を渡さないよう、色々と謀を巡らせる必要があるんだ」
「正確な情報。それこそが戦の要訣なのですね」
「そうだ。この場合最も効果的なのは、九の真実の中に一の嘘を混ぜたり、九の嘘の中に一の真実を混ぜることだろうよ。真偽の確認に時間がかかれば良し。時間をかけた上で誤った決断をすれば尚良し」
それは、なんと悪辣な。このとき私は内心で絶句していたが、おそらく己に教えを授けていたときでさえも、師はきっと誰かを罠に嵌めていたのだろう。
「元々人から人へと伝わる情報に十全ということはない。どこかで必ず歪むものだ。その歪みさえ計算にいれて自らに都合のよい情報を流し、相手を掌で躍らせることこそ策士の本懐ではないか」
罠に嵌めた相手が苦しむ様でも思い浮かべたのか。静かに笑みを浮かべながら「これこそが策士の本懐」と嘯いた師を見たとき、私は己の未熟さを思い知ったのだ。
―――
……このように、ただでさえ他者の影響を受けやすい幼少期に、よりにもよって漢帝国最悪とも謳われる男から多大な影響を受けてしまった司馬懿にとって、正確な情報は時に万金を積んででも入手しなくてはならないものであった。
まぁ、実際にそこまでは知らなくとも、司馬懿らが情報を重視していることを知った上で差し出してくる情報に価値がないはずがない。
否が応でもその内容に興味をそそられてしまった司馬懿。そうであるが故に、もしも提供された情報が司馬懿の想定した水準に満たなかった場合、せっかく高まった評価が大幅に下落してしまうところであったのだが、そこは流石というべきか。
楊彪・楊修親子の選択は、司馬懿の信頼、ないし期待を違えることはなかった。
「はっ。一度直に長安に訪れた司馬議郎様であれば、司徒王允が自らに不都合な者たちの粛清や弾圧を行っていることや、我が父楊彪がそれに同意していないことはすでにご承知のことと存じます」
「えぇ。そうですね。つまりこれから楊修殿がお話になることにも、司空様は関与していない。そうおっしゃりたいのでしょうか?」
「その通りです」
情報提供の前に楊修は『あくまで王允と楊彪は同じ方向を向いているわけではない』と主張する。楊彪を同志と見込んで秘策を明かした王允からすればこれ以上ない裏切り行為だが、この場にそれを咎める者はいない。
尤も元々王允や楊彪の行いを三公の職務の内と認識していたり、王允に粛清された長安の名家らと何ら関わりを持たない司馬懿にとって、楊彪と王允の関係などどうでも良い程度の話であるので、そこに言及しないのは当然とも言えるし、同席を許されただけの第三者に過ぎない徐庶に至っては尚更のことである。
あえて問題を挙げるとするならば、隣の部屋で話を聞いていた謎の少年が「都合の良いことを……」と密かに気分を害している程度だろうか。
(簡単な為人は事前に父から聞いてはいたが、流石に話が早い。この一切の無駄を許容しない姿勢はまさしく司馬防殿の子よ。ならばここはこのまま話すべきだろう)
後々尾を引くかも知れない弁明はさらりと流されたものの、司馬懿の興味が向けられていることを実感している楊修は、下手に話を長引かせるよりも、今この時こそが己の持つ情報が一番の高値で売れること直感し、賭けに出ることを選択する。
そしてその選択は過たず。楊修はこの会談を以て弘農楊家を救うことになる。
「まず司徒王允は、現在涼州は金城に展開している羌・胡の連中と手を結んでおります」
「ほう」
「さらに郿にて彼らを警戒する大将軍董卓閣下へその情報を伝え金城へと誘い出すと共に、留守となった郿城を攻略し、物資を失った董卓閣下の軍勢を、羌・胡の連合軍と自身の軍勢で挟撃してこれを打ち破らんとしているとか」
董卓が誘いに乗るかどうかも不明なら、郿が空になるのかどうかも不明。その上、王允が郿を攻略するための戦力として考えている兵とは元々董卓が率いていた并州勢である。
この時点で色々とグダグダだが、一日千里を走ると謳われた才を持つ王允の中では勝算があるらしい。
確かに王允は并州出身だし、先日発せられた勅命で并州へと赴任して袁紹と戦うように指示を受けている。また、そもそも并州勢を率いていたのは前并州刺史である丁原である。そして現在丁原に代わって実質的に彼らを率いているのは、董卓の養子であると同時に王允の養女を側室とした呂布だ。
これらの事情を鑑みれば、確かに彼ら并州勢を董卓から離反させるのは難しくはないかもしれない。
……あくまで可能性が皆無ではないというだけの話だが。
「なるほど。しかし普通に考えれば司徒殿が并州勢を率いることができるのは袁紹を敵とした場合のみでしょう? 大将軍閣下を敵とした際に并州勢やそれを率いる呂将軍が司徒殿を選びますかな?」
普段から他者を見下している王允が、名家の文官だけでなく軍部の者たちからも嫌われていることは有名な話である。当然并州勢が王允の命令に従うはずもない。
例外は養女を側室とした呂布だが、呂布一人の意思が并州勢の意思とはならない。実際彼が「董卓と戦え」と言ったところで、逆に捕らえられて董卓の下に差し出されるのが関の山だ。
「そんなことにも気付かないほど王允は阿呆なのか?」言外にそう問いかけた司馬懿。対して楊修は、王允には王允でそれなりに算段があるのだ、と告げる。
「王允は劉益州牧様を自身の後ろ盾とするつもりなのです。同時に劉益州牧様を幼い陛下や丞相殿下の後見人とさせることで、自身らで勅を自儘に操ろうと画策しております」
その算段。つまりは王允にとっての切り札がここ、弘農にて明かされた。
「ほほう。劉益州牧様。ですか」
「はっ」
(あれ? なにか軽くないか? まさか疑われている?)
楊修からすれば秘中の秘を明かしたにも拘わらず、当の司馬懿の反応が鈍いことを受けて
(自身の言葉の真偽が疑われているのか? 讒言と思われては堪ったものではないぞ!)
と今更ながらに情報提供者である自分の信用が薄いことに焦りを覚えたのだが、結論から言えばそれは楊修の杞憂であった。
(きた。これこそ師が言われた『正しい情報』よ)
一見平然としている司馬懿だが、その内心は情報提供者である楊修に深く感謝をしていた。
劉益州牧。すなわち劉焉。
その名は以前どこぞの太傅により王允を操る黒幕として名指しされたが故に弘農陣営の中では仮想敵として認識されていたものの、明確な証拠がなかったが故に、あくまで仮想敵でしかなかった男の名。
それが現役の司空である楊彪から送られてきた使者。それも彼の嫡男から明かされたのだ。弘農にこの情報の真偽を疑う者はいない。
(これで我々は名目を手に入れた。今後はいつでも我々に都合の良いときに王允と劉焉を消せる)
皇帝を擁する弘農陣営とて、宗室である劉焉を討つにはそれなりの理由が必要だ。これに対して彼の師は『大義名分は後から作ることもできる』と嘯いていたのだが、大義も名分も事後に作るよりも事前に用意できていたほうが良いのは言うまでもないことである。
(く、くくくく)
未だに自分が提供した情報が自分が思っている以上に重要な情報であることを理解しきれていない楊修が内心で焦りを覚える中。齎された情報の価値を正しく理解していた司馬懿と徐庶、そして隣の部屋で話を聞いていた謎の少年は、そう遠くない将来、彼らの師が主導して行うであろう粛清の予感をその身に感じ、口元を抑えるのであった。
情報は大事。兵法書にもそう書いてある。
あくまで作者個人の主観ではありますが……天地人とか、それは戦の前に揃えるのが大前提であって、それがあるから勝てるというわけではありませんよね。敵だって揃えてるんだし。
ちなみに作者は運も大事な要素の一つになると考えていますが、流石に人知が及ばない領域である運を前提に戦準備をしたり、策を練る人はいませんからね。
むしろ運が介在する要因を徹底的に除くのが将帥のお仕事だと思っております。









