9話。弘農にて③
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「お話を伺うと言った手前恐縮なのですが、お話の前に一つご了承頂きたいことがございます」
「なんでしょう?」
初手の挑発を鮮やかに回避された形となった司馬懿だが、彼が用意した挑発の種は筵だけではない。
「見ればわかることではありますが、この場には私と楊修殿だけでなく、私の同僚である徐議郎もおります。お話を伺うにあたって彼の同席を認めて頂きたい」
「……」
紹介を受けた徐庶は無言で会釈をする。
(申し訳ございません! 私如きが楊修様を下に見て誠に申し訳ございませんっ!)
傍から見れば憮然とした態度なのだが、心の中では名家の中の名家の御曹司といっても過言ではない楊修に対して無礼を働いていることを心から謝罪している徐庶である。
(交渉相手に私を選ぶくらいだ。当然徐庶のことも知っていよう?)
当然心の中で五体投地している徐庶の内心を知らない楊修からすれば、これから助命嘆願する司馬懿だけを相手に頭を下げるならまだしも、無関係の、それも名家の生まれではない徐庶にまで見下されながら自身の弱みをさらすことになるのだ。その身に感じる恥辱は如何程のものか。
仕掛け人である司馬懿でさえ、自身が同じことをされたら間違いなく怒りを覚えるであろうと思うほどの無礼な所業である。
そんな侮辱を受けた楊修の反応はといえば……
「無論、かまいませんとも」
(なんと)
(えぇぇぇぇ!?)
即答であった。それも、楊修の反応を注意深く観察していた司馬懿から見ても、怒りの感情の欠片も感じさせないほどに、極々自然に受け入れていた。
「……左様ですか」
(どう見ても恥辱に耐えているようには見えぬ。ならばこやつはこの所業を恥辱と考えていない? いや、筵に座らせたときの反応を見ればそれはなかろう。と、なると残る可能性はなんだ?)
初手の下座に用意された筵に座らされることにすら耐えた男だ。司馬懿とて当然これで激昂するとは思っていなかったが、ここまで反応がないのは完全に想定外である。
無表情の中に焦りのような感情を覚える司馬懿。その、ある意味で偉業を成した当人は何を以て徐庶の同席を許したのかと言えば、なんのことはない。
(そりゃあ普通に考えて陛下や太傅様が罪人と見なしている者と一人で会うことなどできぬだろうさ。故に誰かを同席させるのは必須。その中で同席させるのが徐議郎というのは、あれだ。「私と同年代の者を用意することで私が気後れしないように」との配慮に相違ない。それに徐議郎は単家の出。ならば多少は学んでいようが、名家同士の会話に含まれる暗喩を完全に理解することはできまい。つまり司馬殿はあえて徐議郎を同席させることで、周囲に「自身は疚しいことをしていない」としながら、私との会談を行うつもりなのだろうよ)
彼は司馬懿の言葉の中に「こちらにも事情がある。多少やりづらいかもしれないが、ちゃんと話は聞くから少しの間は我慢して欲しい」といった感じで、提案と謝罪が含まれていると解釈していたのだ。
事実と乖離しすぎている解釈なのだが、これはこれで一概に楊修の勘違いとは言い切れないところもある。
なぜなら実際名家同士人間が話し合う際には、単純な言葉の中に様々な暗喩を込めて会話を行うのが普通のことだからだ。司馬懿のように何も込めず、ただ事実を淡々と語る方が珍しい。当然、司馬懿が特異過ぎる人物であることなど、今日が初対面となる楊修にわかるはずもない。
よって、互いを名家の人間であると認識している楊修が、司馬懿の言葉に含まれている何かを考察するのは当然のことなのだ。
さらに「司馬懿に話を聞く気があればこそ、徐庶を同席させた。そうでなければ衛兵を呼んでいる」という現実的な考察が加われば、楊修の中で「隠されてはいるが、きちんと配慮された上で謝罪されたのだ」と判断することになるのも、状況的に考えれば間違ってはいないのである。
そして、配慮されたうえで謝罪されたことを理解したならば、楊修に徐庶の同席を断る理由はない。こういった考察があったが故に、楊修は司馬懿の配慮に感謝こそすれ、恥辱や屈辱は感じてはいなかったのだ。
(読めん。しかしここで終わるわけにもいかぬ。……より直接的に仕掛けてみるか)
楊修の態度に不気味さを感じ始めた司馬懿は、内心の不安を押し殺しつつ三の矢を放つ。
「楊修殿は現状を正しく理解しておいでである。そう考えてもよろしいか?」
(それ聞いちゃうんですか!?)
現状。すなわち「自分が貴公や貴公の一族を皆殺しにしようと画策していることを理解しているか?」と、傍から聞いているだけの徐庶でさえ顔面蒼白になるような、色々な意味でありえない問いかけをするも。楊修はあわてない。
「当然ですな」
(当然、ときたか)
(えぇぇぇぇぇ!?)
平然と答える様は、まさしく自然体。
(ふむ。覚悟ができていると言いながら一切悲観したところはない。……股夫の故事を踏襲したとでもいうつもりか? 私がそれを知っていれば、さらに警戒されるとは考えなかったのか? それとも、それさえも覚悟してこの会談の場に臨んでいるというのか?)
初手から筵の上に座らされた上に、現在進行形で己とその一族を族滅せんと企てている者から、そのことを正面から宣告されて平然とした態度を取れる者がどれだけいるというのか。
(……侮れぬ。どころの話ではないな)
司馬懿の中で最上級と言って良いくらいに評価が高くなる楊修だが、当の本人は「司馬懿が自分たちを族滅せんと企んでいる」ことなど理解していない。
彼は司馬懿の言葉の裏を読みとった上で「こちらが配慮しているってことは理解しているだろうな? 後からちゃんと返礼しろよ」と釘を刺されたと判断していたのだ。
名家の常識として、配慮してもらった以上はそれなりの返礼をするのは当たり前のこと。なので楊修としては、見返りに用意しなければならないモノの大きさに一抹の不安はあるものの「当然返礼はしますよ」と答える他なかったのである。
結局のところ、楊修が自身を『今の自分は名家の子息ではなく、罪人である』と自己認識しているせいで発生している奇妙な深読みと勘違いが生み出したすれ違いの賜物なのだが、それを知らない司馬懿からすれば楊修の態度はあまりにも泰然とし過ぎていた。
だからこそ、とでも言おうか。
「……大変失礼をいたしました。それではお話を伺いましょうか」
現時点で司馬懿は楊修のことを『少なくとも己より高い能力と視野を持っている』と判断することにしたのであった。
さらに、今回楊彪があえて自分を交渉相手に選んだのも、向こうが自分を舐めていたのではなく、長安で自分を見た楊彪が、純然たる事実として『同年代ながらも楊修なら司馬懿を説き伏せることができる』と判断した結果ではないか。と、真摯に受け止めることにしたのである。
向上心に溢れる少年、司馬仲達。彼はどこぞの老人のように「自分より優れた者の存在など認めない!」などという妄言を吐いたりはしない。それ以前にそのような低俗な思考は持ち合わせていないのだ。
そんな司馬懿の心境をあえて言語化するとすれば「老害に舐められるのは本意ではない。本意ではないが、相手が自分以上の策士であるということを証立てをした以上、それは正当な評価である。それも老齢ではなく同年代の少年なのだから、言い訳のしようもない。ならばここで楊修を殺してなんになる。自身の不明を省みて精進する他ないではないか」と言ったところであろうか。
すれ違いや勘違いの結果とはいえ、世の中は結果こそ全て。
その結果に鑑みれば、楊修は司馬懿が用意した(本人の与り知らぬところで行われた)命懸けの圧迫面接を(本人の与り知らぬまま)開始早々終わらせることに成功したことになる。
この瞬間、楊徳祖の名は『長安にて政を壟断している三公が一、楊彪の息子』としてではなく『司馬懿に敗北を認めさせた端倪すべからざる異才にして、座筵懐玉の人』として弘農勢力の人間全てに記憶されることとなったのであった。
……このことが本人にとって良いことなのか、悪いことなのか。それは未来の彼にしかわからない。
先手、「さらに挑発」
後手、「私は一向に構わんッ!」
先手&記録係(……こやつ。やりおる)
生存フラグが確認されたもよう
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股夫の語源となったのは、言わずと知れた国士無双の男こと韓信ですが、彼の場合は生まれが貧しい庶民であり、日頃の行いも決して良くはなかったため、地元の不良や役人に絡まれ、股下を潜らされるのも自業自得みたいなところがありました。
対して名門中の名門のお坊ちゃんであり、日頃の行いも悪くはない楊修には、ここまでの屈辱を我慢する理由がありません。
そんな前提条件がありますので、仕掛人である司馬懿が『楊修の胆力(我慢強さ)は韓信を凌ぐ』と誤解するのも仕方ないことですね。(断定)
座筵懐玉は老子の被褐懐玉を引用した造語です。深く考えないで頂ければ幸いです。