2話。プロローグ2
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漢全土を揺るがした勅が発令され、司徒である王允に并州への出陣を命じられた。これを「王允に手柄を与えようとしている」と見るか「王允を追放しようとしている」と見るかは人それぞれであろう。
実を言えば当の本人は後者であると確信していたが、長安にいる大多数の人間は前者だと受け止めていたりする。
何故なら王允が率いるのは今や漢で並ぶものがないと言われる程精強であることを証明した并州勢であり、討伐する相手は現状冀州すら完全に抑えることができていない袁紹だからだ。
長安の面々から見た袁紹という男は、宮中侵犯という罪を犯したことで政治的な判断すらできないことを証明し、隆盛極まりない袁家の衰退を招いたことで家の当主としての適性も持たないことを証明した上に、連合を組んで二十万の大軍を用意したにも拘わらず董卓の軍勢を破ることができなかったことで軍事的な才覚を持たないことを証明した愚か者である。
褒めるところが一つもない袁紹だが、今回特に重視されるのは軍事的な才覚の有無だ。
なにせ袁紹率いる反董卓連合軍は、遷都を行いながら戦闘をしていた董卓軍を突破できない程度の存在でしかなかったのだ。さらに董卓は連合軍を迎撃するにあたって精強と謳われた官軍を用いなかったのである。
そんなある意味で手を抜いていた董卓を打ち破れなかったのだから、袁紹の指揮能力を疑う声が出るのは当然であろう。
まぁ連合に関して言えば、袁紹も橋瑁らに担がれただけであったが故に諸侯に対する強制力が乏しかったことや、同じ袁家の袁術が袁紹に張り合おうとしたこと。また、諸侯が橋瑁らの言い分を信じておらず、自分たちの損耗を厭い万事に消極的であったせいで、集めた大軍を活かしきれなかったという面もあるし、騎兵中心の涼州勢や并州勢の運用方法と歩兵中心の官軍のそれはまるで異なる存在であるため、董卓軍は官軍を用いないほうが強いという事実があるのだが、そういった現場の状況を考慮考察できる人間は極めて少ない。
まして洛陽から長安に逃れた末に王允に擦り寄るような連中であると考えれば、その数は推して知るべし、といったところだろうか。
兎にも角にも、長安に居る面々が袁紹を過小評価すればするほど、彼が洛陽から逃げだすことになった宮中侵犯という大罪は、新帝劉弁はもとより、宮中に親類縁者を出仕させていたせいで被害に遭いながらも、袁家が強大だからこそ泣き寝入りしていた者たちにとって決して容認できるものではなくなってしまう。
故に、洛陽から長安に移った名家閥の面々を自派閥に引き入れる事に成功した王允が、彼らに代わって袁紹に引導を渡すということは政治力学的に考えても間違いではないのだ。
加えて言えば、王允は并州出身なのだから、今回の勅は故郷に錦を飾るという意味でも王允にとっては褒美であるはずなのだ。
だからこそ長安の面々は王允が動かないことに疑問を覚えていた。
そして同じ疑問を抱いているのは、袁紹討伐の報を受けて祝杯を挙げようとしているだけの名家連中だけではない。
袁紹討伐軍の先鋒として戦場を駆けることになる并州勢もまた、王允が動かないことに疑問を覚えていたのである。
興平元年(西暦一九二年)六月下旬 司隷・京兆尹、長安
「一体王允殿はどういうおつもりなのだ?」
大将軍であり養父でもある董卓から并州勢の指揮を任されている呂布は、王允が一向に動こうとしないことに首を捻る毎日を送っていた。
王允もそうなのだが、呂布にとっても并州は地元であり、そこに戻ることは褒美にこそなれ罰とは思っていない。これは丁原と共に洛陽に上洛した并州勢の大半がそう思っていることである。
気の早い者はすでに并州で待つ家族に土産を買っているくらい、出発を心待ちにしている程だ。
ちなみに董卓は呂布を始めとした并州勢に対し、帰郷の許可を出している。
これは軍事的に見れば、隣が地元でありすぐに帰省できる涼州勢と違い、長期間故郷を離れている并州勢に対する配慮であり、政治的に見れば、勅を受けた王允に対して自身も協力することを厭わないという配慮とも言えるだろう。
また、養子であり并州勢を率いる立場にある呂布に帰郷を赦したのは、彼が王允の養女を室にしていることも無関係ではない。……見ようによっては王允の関係者を遠ざけようとしているとも言えるが、流石にそれは穿ち過ぎであろう。
閑話休題
呂布としても、何らかの理由があって王允が動かないというならそれはそれで構わないのだ。
(たとえば弘農からの密命が出ている。とかな)
密命である以上口外しないのが当然である。己が知るべきではないことを追求した場合、災いが降りかかることになるというのは世の常識である。
(わざわざ藪を突いて書類仕事を持ち込まれては堪ったものではない、しかし、このままでは予算が組めん。予算が無ければ行軍など不可能だ。かと言って予算編成に手間取って行動が遅れてしまい、それを勅に逆らったと見なされると……)
元々主簿として予算計上に関わってきた呂布は、予算編成の重要さを正しく理解している。
そんな呂布にとって最も恐ろしい敵は、斬れば殺せる名家の連中などではない。斬っても殺せない、むしろ斬ったら仕事が増えることになる書類であり、その書類を無限に生成できるどこぞの悪党であった。
だからこそこれまで呂布は自分から動こうとはしなかった。だが、勅が発令されてから早一月。地元への帰郷を望む配下からの突き上げもあれば、戦を前提とした帰郷なのだから訓練だって必要だし、そもそも兵の維持には予算が必要不可欠なのだ。
元々騎兵とは歩兵と比べて数倍の金が掛かる兵種である。これが涼州や并州に住む遊牧騎馬民族ならば、その維持費は最低限で済むだろう。また郿の董卓は半分遊牧で半分は軍の予算と言った感じで回すこともできるだろう。しかし長安に滞在する騎兵にそのような真似は不可能である。
人は我慢出来ても馬は我慢できない。故にどれだけ簡略化しようとも、飼葉、塩、水は当然のこと、馬房や馬房に敷く藁。馬の世話をする人員の確保が必要となる。
しかし長安で人員を確保したとしても、それを并州にまで連れて行くことはできない。
なればこそ今のうちに并州までの移動に際して必要な資材や人員の確保をしなければならないが、出陣の予定日が分からないことにはその準備すらできないのである。
軍というものは「動け」と命じられたからといって即座に動けるものではなく、迅速に動くためには最低限の準備が必要なものだ。
軍を率いたことがある王允にそれがわからない筈がない。今まではそう考えていた呂布だが、ここ最近の王允を見ていると、その常識を理解しているのかさえも怪しくなってくる。
実際黄巾の乱の際、董卓が黄巾に敗れる事になったのも、洛陽の文官が戦を理解していなかったからだし、王允に軍を率いた経験があると言っても、彼が率いた軍勢は何進によって全ての下準備が終わっていた官軍であった。
(……しかたない、か。藪を突くことになるやもしれんが、それでも満足な兵糧も用意できないまま出陣させられるよりはマシだ)
急な出陣となった場合、長安の役人が必要な分量を出してくれるかどうかは不明である。気の荒い連中は「最悪奪えば良い」と抜かすかもしれないが、味方から無理やり略奪したら流石の董卓も許さないだろう。
で、ある以上、今のうちから準備をしなくてはならない。
丁原と董卓、二人の養父から預かった軍勢を無駄死にさせないため、呂布は敢えて火中の栗を拾うことを決意する。
その栗は、彼の予想していたようなものでもなければ彼が予想した場所にもないのだが、今の呂布にその事を知る由はなかった。
長安・宮城。司徒執務室
「出陣の日取りが知りたい?」
「はっ。并州へ向かうにあたり、最低限の準備をしたいと思いまして」
「あぁ、なるほど(こやつも、か。……いや、こやつはただの猪。そこまで考えておらんな)」
自身を并州に追いやろうとする連中に迎合するかのようなことを口にする呂布に対し一瞬憎悪の感情を抱いた王允であったが、呂布、というか并州の人間を見下している彼は、それが自分の考えすぎだと思いなおすことに成功する。
そうして何度か頷き心を落ち着かせた王允は、元々呂布を抱え込む為に用意していた口実を口にする。
「そのことだが……儂は并州に向けて出陣するつもりはない」
「それはまさか、司徒殿は勅に逆らうおつもりだ。ということでしょうか」
「いやいや、それこそまさか、よ」
「それでは?」
「うむ。これはまだ極秘の情報なのだが」
「?」
「実は羌や胡の連中が長安を狙っておるという情報を掴んだのだ。それも涼州軍閥と共に、な」
「なっ!」
衝撃を受け、呂布が纏う剣呑な空気が一気に消し飛んだ。王允はそこに畳みかけるように情報を開示していく。
「おそらく勅を耳にしたのだろうな。儂らが并州へと行けば、それを隙とみて侵略する心算よ」
「まさか、いや、しかし……」
「元々この季節になれば略奪のために動き出す連中よ。漢が混乱しているなら猶更よな」
秋口になると羌や匈奴の者たちが略奪のために襲撃をしてくるのは事実である。そのことを知っているが故に、呂布は王允の言葉が嘘とは思っていない。
「ですが、郿には大将軍がおりますぞ?」
しかし、そもそもそう言った連中を掣肘するために董卓がいるのだ。そして羌や胡、匈奴や涼州軍閥は董卓の怖さを十分以上に理解しているはず。その彼らが董卓を敵に回してまで長安に侵攻してくるだろうか? 涼州の片田舎を襲撃するくらいじゃないのか?
(ちっ)
軍事的な観点から疑問を呈した呂布に「面倒な……」と思いながらも、王允は持論を展開していく。
「貴公がそう考えるのも無理はない。だが敵には韓遂や馬騰といった者共がおるらしくてな」
「韓遂と言えば確か数年前に涼州で乱を興した男でしたでしょうか?」
「うむ。先年の戦で董卓殿に敗れた男よ。おそらく韓遂自身の雪辱を晴らすとともに、董卓殿への意趣返しという意味を込めて長安を襲う腹積もりであろう」
「なるほど」
「加えて、袁紹が韓遂に資金援助をしているようでな」
「なんと!」
「袁紹にしてみれば儂らの足止めを兼ねていよう。わざわざアヤツの策に乗るのは業腹だが、かと言って長安を裸にするわけにもいかぬ。なにせ相手は戦略的な意味を持って長安を攻めるのではなく、意地と嫌がらせで攻めるつもりなのだからな」
「むぅ……」
実際韓遂に資金援助をしているのは袁紹ではないのだが、王允としても董卓の養子である呂布にそこまで情報を明かすつもりはない。だからこそ、それらしいことを口にしたのだが、呂布にはそれで十分であった。
「敵は騎兵を中心とした賊どもよ。董卓殿が全てを止められなかった場合、この長安にも被害が出てしまうだろう」
「……」
「儂とて勅を無視するつもりはないのだ。しかし今は動けぬ」
「……そうですな」
「陛下とて勅を下した際にこのような状況は想定してはいなかったはず。まずは後顧の憂いを絶つことこそ肝要とは思わぬか?」
「それも、確かにその通りです」
「このような状態であるが故、今は陛下に連絡をして指示を仰いでいるのだ。極秘の情報なので貴殿に知らせることができなかったのは申し訳ないと思っておる」
「そうでしたか。いや、そのような理由であれば某とて口を噤むでしょう。故に謝罪は不要です」
「うむ。わかってもらえたようだな」
「はっ。お手数をおかけして申し訳ございません」
「いやいや、貴殿の気持ちも分かる故。しかし、このことは……」
「軍事機密につき他言無用。承知しておりますとも」
「うむ。頼もしい婿を得たものよ! それではよろしく頼みますぞ」
「はっ!」
(ふっ。万夫不当の猛将と煽てられようと、所詮はこの程度よ。しかしこれで一手進んだと思えば悪くない)
洛陽でそれなりの政治闘争を経験してきた王允にとって、真実を交えた嘘を用いて呂布を操ることなど造作もないことであり、この両者の会談により、王允は自身にとって一番の懸案事項であった「感情的になった呂布による暴走」という問題を解決することとなってしまう。
順調に内外を固めつつある王允の謀。
その矢面に立つは、郿にて職務に励む大将軍董卓。
漢を揺るがす大乱はまだ幕を開けたばかりである。
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