表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
123/203

15話。エピローグ的な何か

文章修正の可能性有り

初平3年(西暦192年)5月末。司隷・弘農宮城


先帝劉宏の死から三年。長子である劉弁は喪明けと共に弘農の宮城にて文武百官を集め、勅を発することとなった。


それは十常侍によって私とされたものでもなければ、李儒や司馬懿のような側近が代理で語るわけでもない。正真正銘、皇帝劉弁による勅であった。


「丞相、劉協」


「はっ」


最初に名を挙げられたのは、三年間劉弁の代理として、王允や楊彪らに奉じられることで風除けとしての職務を果たした実弟、劉協。


名を呼ばれた劉協は、それが当然であるかのように劉弁の前に跪く。


「これまで朕に代わり漢の運営に尽力したその忠勤に報いたい。何か要望はあるか?」


信賞必罰の法に則り、劉弁が劉協へと褒美を与える。それを劉協が大人しく受けることで、未だに劉弁の即位に不満を持っている名家連中に対する牽制とする。


これが劉弁が行う皇帝としての最初の仕事であった。


当然劉協もその事は承知しており、彼が劉弁に望むものもまた当人同士の間で話し合い済みであった。


「恐れながら申し上げます」


「うむ」


「もしお許しいただけますならば、某も先帝陛下の喪に服したく存じます」


「……そうか」


劉協からの申し出を耳にした周囲の者達がざわつく中、劉弁は黙って目を閉じる。


劉協の願い。それは喪という名の休息であった。


そもそも彼は生まれてすぐに母親を亡くしていた上に、九歳で父親までも亡くしている。その後、兄である劉弁が解毒と周囲の評価を慮って喪に服すこととなったが故に、一〇歳にも満たぬ身でありながら劉弁の代理として表舞台に立っていた苦労人だ。


その幼さ故に己から何かを行うことは無かったが、丞相としての職務の最中に王允や楊彪を始めとした先帝の実子である自分を利用しようとする連中から受けていた粘りつくような視線は面白いものではなかったし、持ち前の聡明さが災いして、彼らから上奏されてくる書簡に込められた重要性をそれなりに把握できていたが故に、表面上はただ判を押す作業だけであっても、その身心には多大な重圧を感じていたのである。


いい加減休みたい。そして亡き父母の喪に服したい。

疲れ切った劉協がそれを望むことは当然のことと言えた。


当然、自身が不甲斐無いせいで幼い弟に苦労を掛けたことを承知している劉弁は、喪中に劉協から言われたこの要望に二つ返事で頷いた。


劉弁が表に出ると同時に劉協が喪に服す。宗家を継いだ者としてこれを許可することによって劉家の当主が誰であるかを内外に示せると共に、弟を政治的に守ることも出来るのだから、劉弁に反対する理由はない。


だが漢に弓を引いた袁紹や、彼に味方した諸侯。その諸侯を懐柔するために勝手な動きをしている長安の連中や、彼らの裏に潜みながら己の野望を果たさんとする宗室の連中を相手にする予定の劉弁陣営は人材不足が懸念されている現在、皇帝の実弟という大駒を温存出来るだけの余裕があるわけでもない。


「良かろう。ただし期間は最長で三年とする。その後は丞相として再度働いてもらうぞ」


「はっ」


そこで劉弁は、期限を切ることにした。これによって劉協に休息を与えると共に、彼を政敵として処分したわけではないと周囲に周知させたのだ。


愚鈍の噂があった劉弁が劉協に細やかな配慮をしつつ、皇帝としての振る舞いを見せたことで、彼を詳しく知らぬ者は一瞬「アレはどこぞの腹黒が用意した影武者ではないのか?」とその存在自体を疑うも、気性が激しいことで知られる何太后が涙ながらにその様子を見守っていたり、聡明で知られる劉協も何も言わずに劉弁を立てようとしている様子から、その可能性は低いと認識することとなった。(皆無とは言い切れないところが漢の怖いところでもある)


この印象操作には当然どこぞの腹黒が関わっている。


そもそも劉弁が、毒のせいとはいえ一時期まともとは言えない状況であったのは事実ではある。だが、その彼は普段後宮におり、本人を見たことがある者は極めて少ない。


そう、劉弁が愚鈍だ。というのはあくまで『噂』なのだ。そしてこの時代の名家の人間が評判や噂を広めることは本能と言っても良い。


また、当時の劉弁(正確にはその後ろ盾である何進)には敵が多かった。まして後宮に入ることを許されていた宦官と敵対していたのだから、彼らが劉弁の悪評を流そうとするのも当然と言えなくもないし、実際に劉弁を知っていた者の大半が死んでおり、この数年間、新たな悪評が流れなかったことも無関係ではない。


そう言った事情を踏まえて考えたとき、士大夫層を名乗る知識人たちの中にも『劉弁の悪評は何進の甥である劉弁を即位させたくない者たちが、徹底して悪評を流していた可能性があるのではないか?』と考える者が出てくるのは当然のことと言えよう。


どこぞの腹黒一派にしてみれば『十常侍や濁流派が流した噂を信じてどうする』と言ったところだろうか。


兎にも角にもこの場に参列した者たちにとって重要なのは、劉弁の過去の評判ではなく、彼が三年かけて先帝の喪に服した孝行者であることや、しっかりとした自我を持った少年だということだ。


「丞相については以上だ。次いで余の者どもに命ずる。確と傾聴せよ」


これから新帝の勅命が発せられることを理解した文武百官は、一斉に跪き、頭を垂れた。


そんな彼らの様子をみて満足気に頷いた劉弁は告げる。


「大将軍たる董卓は郿にて羌や胡を警戒させる。この旨、確と董卓に申し伝えよ」


「「勅、確かに承りました」」


この場にあって董卓の代理人として参列していた李傕と郭汜が声を挙げた。


漢にとって最大最強の敵は袁紹ではなく漢の北方に展開する騎馬民族である。よって劉弁が旗下の最大戦力である董卓を彼らに当てると宣言したことに異を唱える者はいない。


「左車騎将軍であった朱儁を驃騎将軍として関東の戦に当たらせる。また右車騎将軍であった皇甫嵩を衛将軍とし、長安の守備に当てることとする。異論は有るか」


「「ございません!」」


黄巾の乱で功績を挙げた両将軍を重用するのも当然のことと言えるし、漢に忠誠を誓う皇甫嵩や朱儁にしても与えられた役職や職務に不満はないため、異論を唱えることなく承諾する。


ここまでは当人や代理人が居るので問題はない。問題はこれからだ。


「司徒王允を車騎将軍とし、兵を率いて并州へ向かってもらう。その後は冀州牧劉虞と共に袁紹を滅ぼすべし。その後は黒山賊を名乗る賊どもを誅殺させる。異論の有る者はいるか?」


「「「…………」」」


司徒である王允に兵権を与え、逆賊を討たせる。


これは以前涼州で発生した辺章・韓遂の乱に於いて司空である張温が車騎将軍に任じられて涼州へと派遣された前例がある為、それほど突飛な方策ではない。


問題とするならば、最初の勅命は長安にて行われるのが当然と考え、長安で様々な下準備をしている王允が、この場に参列していないことくらいだろうか。


当人にしてみたら完全に顔に泥を塗られた形であるが、その泥を塗ったのが皇帝である劉弁となれば王允を庇う者は居ない。むしろ大した功績も無いくせに長安で偉そうにふんぞり返っていた王允には良い薬だとさえ思っているのが大半であった。


異論を唱える者がいないことを確認した劉弁はさらに告げる。


「袁術は朱儁の指揮の下、兗州に蔓延る逆賊劉岱と揚州に蔓延る逆賊劉繇の討伐をするよう命じる。逆賊劉岱に代わる兗州牧は金尚とし、逆賊劉繇の後任は袁術とする。尚、これ以上恩赦の幅を広げることは許可しない」


「「「……」」」


宗室の一員である劉岱と劉繇を賊と認定しつつ、袁術の恩赦を認める。それと同時にこれまで司空楊彪が行ってきた恩赦に釘を刺す。これが劉弁にとって最大の譲歩であることを認識した名家の者たちは、内心でもう少し恩赦の幅を広げたいと思いつつも口に出すことは無かった。


「南郡都督孫堅を征南将軍とし、今も荊州江夏郡に居座る逆賊劉琦の討伐を命じる。討伐後、余裕があるなら袁術と共に逆賊劉繇らを討つことを命じる。その後は孫堅を荊州牧とする」


元が一軍の将に過ぎない孫堅が州牧となる。周囲の人間も思わず目を見張る大抜擢であるが、元々孫堅には黄巾や韓遂・辺章と言った賊を討伐した実績がある上、いまだ治安が安定していない荊州への赴任を望む者も居なかったので、異論は出なかった。


……もしこの場に常々「南郡都督だけでも面倒だ」と言っている孫堅本人がいたならば、この勅に絶句して「勘弁して下さい!」と恥も外聞もなく頭を下げていたのだろうが、幸か不幸かこの場に彼や彼の代理人となりそうな者はおらず、この人事も確定したものとなってしまう。


「徐州牧陶謙は徐州付近で天子を名乗る愚か者を滅ぼした後、公孫瓚と共に青州の賊を滅ぼさせることとする」


徐州下邳郡にて天子を名乗り、陶謙と共に周囲で略奪を働く賊、闕宣。

劉弁は敢えて陶謙にこれを討たせることで、陶謙の忠誠を試そうとしていた。

上手くいけばそれでよし、闕宣を庇ったり何らかの失敗が有ればそれを咎めるつもりである。


「また、賊の討伐も出来ぬどころか、その苛政で以て大量の賊と流民を生み出した罪を以て、現青州牧の孔融を罷免する。その後任は益州牧劉焉とする」


「なんですとっ?!」


これまで無言で劉弁の勅を聞いていた者の中から声が挙がった。


「何か?」


上段に座る劉弁が声の主に向けて鋭い視線を向ければ、視線の先に居た者は表情を真っ青に染めてその体を震わせる。


なにせ現在劉弁が述べているのは、彼が皇帝として初めて発する勅命なのだ。それに反発するという事は、新帝の顔に泥を塗るに等しい行為である。


その結果何が齎されるか? そんなことは考えるまでもない。劉弁からの視線だけでなく、周囲の者達から向けられる視線を感じながら、男は思わず声を挙げてしまった自分の迂闊さを悔いていた。


そんな男の後悔は、半分は正しい。


基本的に李儒や司馬懿に自身の考えを否定されることに慣れている劉弁にしてみれば、自分たちが考えるよりも良い意見があるのならば異論はあっても良いと考えている。むしろ何か問題が発生する前にその可能性を指摘してもらえるならば反対意見の方こそ望むところである。


しかし、今回はタイミングが悪かった。


彼には孔子の末裔を謳いながら民に苛政を強いながら、我が物顔で『徳とはなんたるか』を語る孔融という愚物を庇う者に容赦をする気もなければ、劉焉を追い詰める為の方策を邪魔しようとする者に情けを掛けるつもりもない。


よって名も知らぬ文官が「孔子の子孫で徳のある人物だから~」などと抜かすようなら「ならばその徳とやらを感じて来るがいい」と、男の持つ権限の全てをはく奪して青州に送り込むつもりであったし、劉焉を庇うようならそのまま適当な理由を付けて牢獄へと送り込むつもりだった。


「……失礼致しました」


しかして男から出たのは、孔融を庇う言葉でもなければ劉焉を庇う言葉でもなかった。彼は青い顔を浮かべながらただひたすらに謝罪をする。


「……そうか。何か朕に伝えたいことがあるならば遠慮なく申せ。ただし朝議の場で、な」


「はっ!」


流石に声を挙げただけの者を罰する気はない(罰することは不可能ではない)劉弁は、この場は流すことにした。……まぁこの朝議が終わった後で彼がどうなるかは推して知るべしと言ったところだろう。


気を取り直した劉弁はさらに続ける。


「劉焉の後任の益州牧は定めぬが、議郎の龐羲を巴郡太守とし、益州刺史と同様の権限を与えることとする」


「はっ!」


この場にいない劉焉ではなく、実質的な後任となった龐羲が承諾の声を挙げる。


もしも劉焉に何かしらの思惑が有ればこの人事を受けることはないだろう。そしてもし劉焉がこの大勢の前で発した勅命に逆らうというならば彼を逆賊と認定することが可能となる。


逆賊となった劉焉を討つのは、彼を諸悪の根源と認定したどこぞの腹黒だ。


色んな意味で終わった劉焉に対する興味を失った劉弁は、この日最後となる勅命を下す。


「重ねて、今まで朕と同じ劉氏であることを良いことに、様々な特権を貪ってきた属尽たちの特権を剥奪する。朕に従う諸侯は、今後一切属尽に対する特権を認める必要はない。税を取ることも、罪を問うことも、賦役に使うことも朕が許可する。と言うか、連中を働かせろ」


宗室に関しては未だに手を出しかねるが、属尽であればそう難しい話ではない。なにせ、劉氏と言うだけで様々な特権を貪る彼らを面白く思っていない者たちは多いのだから。


劉弁にしても、一番大変なときに自分たちを助けに来ないで権利を貪り、あまつさえ劉氏の名を貶めている連中の存在など面白い筈がない。


大体皇族の長老である劉虞や、幼い劉協でさえ仕事をしているというのに、遠い親族でしかない連中が働かずに各種恩恵を得るとは何事か。


「「「……」」」


隠しきれないイライラを滲ませた上で発せられたこの日最後の勅命に異議を唱える者は居なかった。





―――初平改め興平元年。六月。


新帝劉弁の喪明け初日に弘農から発せられた異例の勅命は、様々な者達に衝撃を与えながら確実に漢全土に浸透していった。


その勅命を耳にしたある者は「よし! とりあえず現状維持だ!」と部下と共に喝采を挙げ。


またある者は「州牧かよ……」と確定した面倒事に頭を抱えながら隣で「凄い凄い」と騒ぐ息子をどうやって黙らせるかを考え。


そしてまたある者は「は? 劉岱はともかく私は?」と不自然なまでに自分の名前が挙がらなかったことに恐怖を感じ。


さらにまたある者は「天子さんは俺らに死ねって言ってるのかよぉ!」と声を挙げ、仲間に「いや、働けって言われてんだろ」と突っ込まれたりしていたという。


そして都となった長安でも……


「おのれぇ佞臣どもっ! 幼く愚鈍な帝を操るだけではあき足らず、帝の守護者たるこの儂を除いて自身が栄達を謀らんとするかぁ! 許さん。許さんぞっ!」


三公たる自分を抜かした状態での勅や様々な人事の発令という、皇帝劉弁が取った慣例やらなにやらを完全に無視した行動によってこれでもかというほどに面目を潰された一人の老人が、聞く者の魂を震わせるが如き怨嗟の声を挙げていた。




……黄巾の乱から始まったとされる動乱は未だ収束の気配を見せることなく、漢の大地を覆っている。その先を見据えているのは、極々少数の者たちだけであった。






政治的な問題はまだまだありますが、勅を出すほどのものではないのですよねぇ。

と言う訳で逆賊討伐に重きを置いた勅が発令されました。


当然逆賊の中には自分の命令に従わない者も含まれますってお話。


この話でこの章は終わりの予定です。次の更新は何時になるやら……


―――


閲覧・感想・ポイント評価・ブックマーク・誤字訂正ありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ