12話。諸悪の根源に対する考察と周知①
短め
文章修正の可能性有り
劉焉。彼の先祖は、後漢の章帝時代の元和年間に中原から江夏郡に国替された一族のうち、江夏郡にそのまま移住した分家筋の家と言われており、前漢の魯恭王であった劉余の末裔に当たるとされる。
彼は、李儒が何進の下に出仕する前から、宗室の人間として冀州刺史・南陽郡太守・宗正・太常を歴任した人物であり、劉弁の父である霊帝劉宏の時代に、十常侍と名家、そして外戚である何進の登場による政争から距離を置くため、霊帝に対して地方の刺史に兵権を持たせた存在である州牧の復活を進言し、自身がその先駆けとして益州の州牧となっている。
益州牧となった後は、董卓の死亡後に引き起こされた三輔地域の飢饉や戦乱によって生じた難民を受け入れ、東州兵と言う官軍とは別の命令系統を持つ私兵軍団を組織したり、道教の教祖である張魯を漢中に配属して、橋や道を破壊させた挙句に彼を長安に対する壁とし、長安政権から距離を置いて益州を半独立国のような状態にした人物であり、後に劉備が建国する『蜀』の前身を築いた人物でもあり、そして史を編纂するために資料をまとめていた三國志の著者である陳寿から、その野心を指摘された人物であった。
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「師、いえ、太傅様。その、諸悪の根源……とは?」
長い付き合いのある荀攸ですら声を掛けるのに躊躇する空気を醸し出す李儒。そんな彼に注視されて呼吸が危うくなりつつあった蔡邕や、李儒の放つ重圧で胃を痛めそうになっていた周囲の幹部たちを救ったのは、蔡邕を弘農へと連れてきた張本人であり、李儒の弟子でもある司馬懿であった。
「ん? あぁ。もしかして口に出していたか?」
司馬懿から質問を受け、李儒が放っていた謎の重圧が消える。
李儒が放つ重圧から解放された周囲の面々から「良くやった!」と言う賞賛の目を向けられた司馬懿であったが、彼が李儒に声をかけたのは、別に蔡邕を救う為でもなければ、李儒の放つ重圧に耐え切れなくなったわけでもない。
純粋に、李儒が口にした『諸悪の根源』が気になったから声をかけたのだ。
(師がそのように評する者とは一体誰のことだ? まさか王允如きではあるまい)
そもそも、司馬懿が師と仰いだこの男は、何進と共に黄巾の乱の始まりから終わりの画を描き、韓遂の乱では董卓を含む西方の群雄や、彼と繋がりがある羌族や匈奴に己の存在を示し、張純の乱に対処した公孫瓚と劉虞の仲を取り持って鮮卑や烏桓への影響力を強め、袁紹の暴走から生まれた反董卓連合を利用して遷都を行うと同時に、名家の選別と連中が溜め込んでいた財を徴収すると言う離れ業を見せた男である。
そして今もまた王允に并州勢と言う武力を付け、長安にいる宦官や彼らと繋がりがある濁流派や、王允を見下していた清流派の者たちを滅ぼさせているのが、司馬懿の目の前にいる男なのだ。
こういった実績から、今も地方で生き残っている名家や宦官たちに『諸悪の根源』と呼ばれるのに相応しいのは誰か? と問えば、九割以上の者(弘農の人間含む)が『李儒』とその名を挙げることは確実である。
ただまぁ、彼の行動は一貫して漢の為に行っている行動であり、漢に不利益を生じさせているわけではない(名家の剪定は、彼らにとっては悪でも、漢にとっては必要なことである)ので、少なくとも現在の漢帝国皇帝である劉弁は、李儒を『悪』とは見なさないだろう。
皇帝が白と言えば、黒いカラスも白である。
故に皇帝が悪と見なさない李儒は悪ではない。
そんな儒教的な証明はともかくとして、敵から悪逆非道と恐怖され、味方からも腹黒外道と畏怖される自らの師が『諸悪の根源』と敵視する相手がいると言う。
弟子として、策士として興味が湧かないわけがない。
つまりこの質問は、司馬懿と言う人物からすれば極めて珍しい『好奇心の発露からの質問』であった。
「策士たるもの、無意識に内心を口に出すなど言語道断。師としても弟子に見せて良いものではなかったな。……いやはや、私もまだまだ未熟よ」
「三〇にして立つと申します。師は未だ三〇になっておりませんので、多少は問題ないかと」
「ふむ。偉大な先人の言葉を踏襲するならそうとも言える、か」
「はっ」
自らの弟子から己のミスを指摘され己の未熟を恥じる李儒。彼は司馬懿からの『極めて珍しい質問』を受け、敢えて『太傅』としてではなく、師として接することで、重苦しい雰囲気を払拭することに成功する。
「では私の考えを伝えよう。あぁ、諸君らも聞いて欲しい。今後の方針に無関係と言うわけではないからな」
「「「「はっ!」」」」
李儒が放つ黒い重圧が消えたからと言って、荀攸らは『これで一安心』と気を抜くわけにはいかない。
なにせ、あの李儒が『諸悪の根源』とまで言い切る者が居るのだ。それが誰を、そして諸悪とは何を指すのかが不明なままでは『今後に不安が残る』どころの話ではない。
さらに、司馬懿からの質問を受けた李儒は、司馬懿だけではなく、この場に居る全員に教えると言う。この状況で後から己の意見を聞かれた際に「聞いてませんでした」などと腑抜けたことを口にすればどうなることか?
やればわかる? やらなくてもわかるだろう。
「まず、司徒殿の行動の不自然さについての説明からだな」
「不自然さ、ですか?」
「そうだ。あぁ、諸君らも疑問に思ったことは随時口にしてくれて構わないぞ。ただし……」
「「「ただし?」」」
「あまり感情的になったら面倒なので、その場合は強制的に頭を冷やすことになるが、な」
「「「……」」」
「理解してくれたかな? では話を続けよう。そもそも王允の行動は……」
「「「……」」」
この会議の場に集められた面々の中に「横暴だ!」などと騒ぐ阿呆がいないことを確認した李儒は、自らの考察を語り始める。
彼ら弘農派と呼ばれる派閥の幹部たちは、その言葉を聞き、己なりの分析を働かせることに注力するのであった。
史実の劉焉はもっと色々とやっているのですが、全部記載していたらただのウィキのコピペにしかならなそうなので敢えて割愛しております。
興味がある方はググってみましょう。
こうして羅列すると、ウチの李儒君って随分とえげつないですね。
次回は周囲への解説を挟んで、それから話が進む……かも? ってお話
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