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5話。議郎の論戦

文章修正の可能性有り


あとがきが長い? まぁ多少はね?

「そも五尺の童が丞相殿下の御前で使者を気取ることがすでにおこがましい。貴様を使者とした太傅は三達の尊も知らんのか」


ふむ。殿下の移動を止める為に必要な理も持たぬ老害(王允)が、何を以て師の上奏を阻むかと思えば……ここで孟子を(のたま)うことで、私の使者としての存在を貶めることで使者としての価値を消失させ、上奏そのものを握りつぶそうとするか。


こやつらが私や師を非難するのに一番使いやすいのが年齢なのは事実。さらに言えば、ここで私が丞相殿下や陛下の年齢を告げれば、それを不敬として糾弾するのだろう? そのような手には乗らんよ。


「無論某も太傅様もその程度のことは存じ上げておりますとも。されどこの場は(よわい)を尊ぶ郷里に非ず。爵位を尊ぶ朝議の場。なればこそ議郎である私が丞相殿下に拝謁し、上奏することになんの問題が有りましょうや」


「ぐぬっ」


父が荀子の徒であり、私が若輩であることから、まだ孟子を知らんとでも思ったか? 甘いわ。


「……朝議の場で齢は気にするべきでは無い。と言われれば、確かにそれも間違いではなかろう」


「楊彪殿?!」


言葉に詰まった王允に変わって楊彪が出てきたか。王允は楊彪が私の言を一部認めたことに驚愕しているようだが、元々己から齢がどうこう言い出したのだ。同格の三公でありながら年長者の楊彪を蔑ろには出来んよな。


まずは一手。


しかし楊彪は楊彪で私の味方と言うわけではない。そもこやつは姻戚関係にある袁家の存命を願っているのだ。


……いや、師の予想では、弘農楊家が袁家と縁座させられて逆賊にされたく無いが為、袁家の逆賊認定を解きたいのやも知れぬと言うお話であったが、どちらにせよ丞相殿下を手中から逃しては自身の身が危ういことを理解していよう。


つまり、丞相殿下を弘農へと導きたい我らにとっては敵よな。


「されど雨に沐い風に櫛ると言う言葉もある。それを考えれば未熟な司馬議郎を使者として遣わした太傅殿の行いは、丞相殿下に対して些か不敬が過ぎるのではないかな?」


棺桶に片足を突っ込んだ年寄りが何を(のたま)うかと思えば、次は荘子か。


しかしこれもな。言っていることは私が若輩であることを責める王允と同じではないか。いや、私自身が世を知らぬ未熟者であると言われれば、それは否定できん事実では有る。


だがな。それを以て師の不敬を指摘し上奏を潰せるなどと本気で思っているのか? そもそも前提が違うだろうに。


「それは司空様の太早計と言うもの。そも太傅様が某を遣わしたのは『丞相殿下が弘農へと赴く際、牛車の中で年長者を相手に殿下が気疲れをせぬように』と言う配慮にございます」


「ほう。配慮とな?」


議郎である私は陛下の牛車に乗ることが許されている故な。これを妨げる法も論もあるまいよ。


「左様でございます。よもや某のような若輩者でさえ名を聞く司空様が、この程度のことも理解出来ぬとは思いもしませんでした。……大声里耳に入らずと申しますが、耳が聞こえぬほどお歳を召されておきながらそれを自覚せず、尚も丞相殿下のお側に侍る無能の輩をのさばらせることこそ、臣として誠の不敬と申すべきものではないかと某は愚考いたしますが、それについては如何お考えか?」


燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。楊彪如き雀に師を測れるものかよ。


「な、な、なっ!」


おやおや先程までの余裕はどうした? 笑えよ楊彪。


まさかとは思うが、弘農どころか父上を含む長安内部の一官吏でさえ貴様らを管を用いて天を窺う俗人と断じているにも関わらず、こうして面と向かって俗人と言われたのは初めてか? 


命長ければ辱多し。まさしくこやつらを表した言葉よな。


「老いたる馬は路を忘れず、冠旧けれど沓にははかず! 若造の議郎ふぜいが! 長幼の序を知らんか!」


お次は韓非子か。いや孟子の五倫もか? 


「玉の巵底無きが如し。某は議郎であると同時に、太傅様の使者である。規矩準縄(きくじゅんじょう)に照らし合わせれば自身が太傅様への礼を欠いていると言うのに、左様な毛を吹いて疵を求むが如き物言いは如何なものかと存じますが?」


「「ぐっ」」


鏡を見ろ。朝議に於いて優先すべきは爵位だと言うなら、師が就いている太傅の位は三公の上。ならば、こやつらこそ師の使者である私に礼を払わねばならんだろうに。


まったく、ひと呼吸前の己の言葉すら理解も実践もできておらんとはなんたる無能。


こやつらこそ、まさしく漢にとっての蕭牆(しょうしょう)(うれい)よな。このような連中と論を交わしても私に得が有るわけでもなし。丞相殿下も退屈そうにしておられることだし、さっさとこの無駄な時間を終わらせるとしようではないか。


「加えて言うなら、元々此度の太傅様からの提案は、陛下が丞相殿下や太后殿下と共に先帝陛下の喪に服したいと願ったが故のこと。これは五倫における父子の親に倣うものであり、それを認めぬと騒ぐことこそ不義不忠の証ではありませんか」


「なっ! 政も知らぬ若造が、言うに事を欠いて、儂に向かって不義不忠だと?!」


まるで自分は政を知っていると言わんばかりの言い様よな。これを突かれては反論出来ぬからといって、これまで必死で話を逸らそうとしていた小物が良く言う。


「……我等とて陛下が丞相殿下や太后様と共に先帝陛下の喪に服したいとおっしゃるお気持ちは、当然理解しておる。されど陛下が喪に服している間、丞相殿下がその任を代行せねば漢の政が成り立たぬのも事実。また、丞相殿下が弘農に移ることで、袁紹を始めとした逆賊どもが『皇族が政を放棄した』などと言う妄言を吐く可能性もある。我らは臣として、そのような俑を作るかのような行いを認めるわけにはいかぬのだ」


ふむ。ここで袁紹を出すか。やはり論客としては王允などよりも楊彪の方が上手よな。だがそれも甘い。


「それは太傅様も重々承知の上。故に陛下も太傅様もこの『喪開けまで一月』と言う時期まで待ったのです。今ならば丞相殿下が喪に服す期間は移動を含めておよそ半月。その程度の期間なら長安に残った者たちで支えられましょう? そして、それを為してこそ胸を張って諸兄も君臣の義を語れると言うものではございませんか? あぁ、ご懸念されているであろう殿下の移動中の警備に関しては京兆尹と西園軍が受け持ちますのでご安心を。……もしやご自身らを含む長安の官吏だけでは一月に満たぬ程度の期間すら支えられぬ、とは仰いませぬよな?」


常日頃から己が失策を天子の不徳のせいにして無様に騒ぐ俗物どもが。まずは己が行いを見直せ。


「そのようなことは言っておらん!」


「……司馬議郎、その物言いは些か以上に不敬ぞ?」


はっ。論で勝てねば威圧か? くだらん。


この身は若輩なれど、個の武で貴様ら老人に負けるほど未熟では無いし、位で押しつぶそうにも貴様らごときが殿下の御前で何が出来る。


……身の程を教えてやろうか。そう思って仕上げに移ろうとした私の動きを封じたのは、これまで無言で我らが何を語るのかを観察していた丞相殿下であった。


「……王允、楊彪。もういい」


「「殿下?」」


ふむ。これまで無言であった殿下がここで動く、か。


そして殿下が動いたことに王允らがひどく驚いた顔をしている様を見れば、連中はおそらく私と謁見する前から殿下に対して散々我らの讒言をしていた上で『臣があの忠義面をしながら殿下に無礼な上奏をせんとする佞臣の化けの皮を剥がしてご覧に入れます故、どうか我らの論をご清聴願いたい』とでも抜かしていたのだろうよ。


しかし連中は私の化けの皮を剥がすどころか、若造である私の論に抗しきれず、逆に無様を晒すことになった。否、もしかしたらこの愚物共は、今でも自身が無様を晒していると言う自覚がないのやもしれぬ。


ふっ。連中からしてみたら、確かに私は取るに足らぬ若造なのだろう。


しかし、だ。殿下はその私よりもさらに年若いのだぞ? その殿下を前にして『若造が囀るな』だの『若造に上奏する資格なし』などと連呼することが、どのような意味を持つのかすらわからんのか?


つまるところ、いい加減殿下もこの老害共による無様な見世物と、ご自身に対する間接的な罵倒に我慢出来なくなったと言うだけの話だろうに。


だが二人の表情を見れば、そんな簡単なことすら理解できているとは思えん。上に立つ者がこれでは、政権から人心が離れるのも道理よな。


治世の政しか知らず、今が乱世であることを知りながら新たな時の流れを理解できない老害(楊彪)と、政も何も知らぬ癖に王佐の才と煽てられ、自身に実が無く、名だけが先行していることを自覚せぬまま三公に祭り上げられてはそれに増長し、その名を落とすことを病的に恐れながら、日々無様を晒し、今も自ら掘った墓穴に自ら足を踏み入れた阿呆(王允)


貴様らは、つくづく愚かな小物だったよ。

だが安心するが良い。小物には小物なりに役目がある故、な。


この国の行く末を掌上に運らすは貴様らではない。

せいぜい師の掌で踊り、史にその名を残すが良いさ。




~~~



この日、王允と楊彪が犯した過ちは大きく分けて二点ある。


一点目は『司馬懿を使者として遣わした太傅(どこぞの腹黒)の目的を読み違えたこと』であろう。


特に王允は、太傅の狙いが幼い劉協に対して『陛下の言葉』として自身に対する讒言を行い、皇帝の喪が明けた後の政治的な主導権を握ることであると確信していた。


それは実際にこれをやられた場合、皇帝と言う絶対権力者を抱えている太傅に対して抗う術がなくなってしまうし、何よりも『自分ならそうする』と言う思いがあったからである。


……現在の王允が誇る権勢を知る者からすれば、彼がその程度のことに拘ることを意外に思う者も居るかもしれない。


しかしながら王允と言う人物は、反宦官の人間としてそれなりの評判はあれど、政の実績は無いに等しい人物である。


もっと言うならば、司隷弘農に確固たる地盤があり、長年朝廷に仕えてきた実績が有る楊彪とは違って、王允には董卓から借り受けた軍勢以外に何の後ろ楯もないことも、彼の立場を危ういものにしている要因と言えよう。


そもそもの話だが、ただでさえ暴力と言うモノを見下している名家連中が、借り物の暴力で自身の頭を押さえつけるような真似をする王允を認めるだろうか? 


答えは、問うまでもなく、否。断じて否である。


むしろ、現在長安の名家閥の人間たちは『董卓から借り受けた兵の存在さえ無ければ王允などには従わん』と日頃から口々に罵っていたりするのだ。


こう言った事情から、現在王允の派閥に所属している名家の者たちは、彼を旗印としながらも『なんとかして董卓と繋ぎを取れないものか』と言う画策を始めとして、虎視眈々とその立場を狙っていると言っても過言ではない。


そして、そのことを苦々しく思いながらも一応自覚もしている王允は『讒言とは言え皇帝陛下の言葉として誹謗されるのを長安の名家の連中に聞かれるのはマズイ』と判断し、出来るだけその上奏を耳に入れる人員を絞り込むようなことをしてしまった。


その結果が、彼らの二つ目の失点に繋がってしまう。


その失点とは『董卓も恐れる司馬懿(腹黒の弟子)と正面切っての論戦を行ったこと』である。


なにせ相手は年齢は若くとも、元々素養があったところに鄭泰、何顒、荀攸などと言った名だたる名士に加え、師と仰ぐ腹黒から徹底的に教育を受けて各種方面に成長している鬼才の持ち主である。


その鬼才が、治世の汚濁に塗れた宮中しか知らぬ老人や、中途半端な政を行い、中途半端な武功を誇るだけの中途半端な策士に後れを取るはずもない。


故に、謁見の間に自分たちの派閥の人員を集めなかった時点で、彼らの負けは決定していたのだ。


後に彼の師である太傅は『あの場で王允や楊彪が弟子に勝つためには、数の暴力(同調圧力)による勢いで押し切るしか無かったはずだ。それなのになぜ向こうから数の利を捨ててきたんだ?』と首を捻ったそうな。 


敵の狙いを読み違え、敵の実力を読み違える。


結局王允らが犯したこの二つの失点は、言葉にすれば僅か二つでありながらも、間違いなく致命的な失点であり、その失点を突かぬほど司馬懿と言う少年は甘い人間では無かったと言うことだ。




……それから数日後。劉協は何太后と共に弘農に赴き、皇帝劉弁と共に先帝の喪に服す為に長安を発つことが発表された。


その劉協らが長安から弘農へと出立する前日のこと。


長安近郊に於いて、王允が政令として発令していた『届出の無い集会の禁止』に逆らう者たちがいると言う、匿名の者からの情報提供が京兆尹の下に齎された。


京兆尹司馬防は訝しみながらも、とりあえずその場所に兵を送ることにした。

するとそこには丞相一行が長安から出たところを狙わんとする、数十人の武装した賊が居たと言う。


賊の狙いが丞相一行にあることを知った京兆尹の兵は、そのまま賊に対して奇襲を掛け、その討伐に成功することになる。


明けて翌日。


出仕と同時にこの報を耳にした王允は大層激怒し『それは袁紹ら逆賊が雇った賊に相違無い。捕えた者に対する尋問も糾弾も不要。即座に処刑せよ!』と即断すると共に、長安の治安維持を担当していた并州勢を厳しく叱責したそうな。


これを論戦と言えるのだろうか?(哲学)


今回使用された故事成語についての細かい解説は敢えて行いません。


本文を読んだあと、言葉の意味が気になった読者様が調べ、もう一回見直してもらうことで作品を二度楽しめる。と、言うシステムを採用しております。



基本的に何を言ったか。よりも誰が言ったか。が重視される古代(古代にかぎりませんけどね)中国に於いて、相手を貶めるのも立派な論戦です。


その方法は大きく分けて、家の格・爵位(官位)・日頃の行い(風評)の三つを責めることにあります。


しかしながら、河内に荘園を持つ司馬家の家格は弘農の楊家には劣りますが、并州出身の王允には勝るので、当然これは使えませんでした。


爵位(官職)に関しても、皇帝と同じ車に乗って会話が出来る議郎と言う正式な官職を持つ以上、丞相との会話をする分には問題ありませんので、これも駄目。


日頃の行い(風評)は、一部を除き無名ですので、良い風評も悪い風評もありませんが、王允としては、若い=無名(もしくは未熟)である=丞相に上奏する資格無し。と言った方向で攻めるために、孟子だの荘子だのを引用して揺さぶりをかけようとしましたが、結果は返り討ち。


まぁ元々上奏された内容は真っ当なものでしたからね。無理に話を逸らそうとしても劉協が乗り気な時点で負けは確定してました。


……つまりは恥の上塗りってお話。


解説はしないつもりでしたが、一つだけ。

『太早計』は荘子の言葉です。

『大早計』や『早計』の誤字脱字ではありません。

誤字訂正のご指摘はありがたいのですが、正しい言葉に対する的外れなご指摘はご容赦願います。


閲覧、感想、ポイント評価、ブックマーク、誤字訂正ありがとうございます!


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