4話。議郎、丞相と謁見する
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父上との会談を終えた数日後のこと。丞相殿下とお会いする為に昇殿した私を待っていたのは、丞相殿下と司空殿、司徒殿の他に数人の文官だけ(護衛の兵士は含まない)であった。
これは陛下のお側に居る議郎である私を出迎えるには些か少数にすぎる。
だが、元々公務ではなく太傅様からの私的な使者と言うことを告げていたので、こう言った形になることもあるだろうとは予想していた。
それに、司空殿はともかくとして、ここ数年の司徒殿の行いを考えれば、不特定多数の者に聞かれたくない事もあるだろうから、こうなるのも仕方のないことやも知れぬ。
「久しいな司馬懿よ」
「はっ。丞相殿下におかれましては、ご健勝のことお慶び申し上げます」
私が内心で師を含む弘農の面々からの司徒殿の評価を思い返しつつ周囲を確認していると、丞相殿下からお声が掛かる。ふむ。口上をそのまま信じて、私を勅使ではなく師からの使者として判断されたか。
まぁ間違いではない。
今の私は、陛下からのお言葉を預かった師が遣わした使者とは言え、そのお言葉を引き出したのが師だからな。故に実質的に師の使者として扱われることに異論も不満も無い。
……油断させた方が周囲の連中の反応を確認出来る故、こちらの方が都合が良いと言うのもあるしな。
「ははっ。相変わらずの鉄面皮よなぁ。それに父に似ておる。こうしてそなたを見ているだけで京兆尹の顔が目に浮かぶわ」
「恐縮です」
ほほう。父上と一緒と来たか。これは司徒殿が言わせているのではなく殿下の本音のようだな。
ふーむ。私が丞相殿下にお会いするのは数年振りのことであるというのに、この様子ではしっかり覚えて頂いていた様子。
しかし僅か十一歳でこの態度とは、流石は殿下と言うべきか。これでは毒に犯されていた頃の陛下しか知らない連中が、陛下を廃して殿下を新たな帝として立てようとする派閥を作るのも無理もないやも知れぬ。
しかし、だ。今の殿下の姿は、中身が伴なわぬ虚構の王の姿。
なにせ殿下は馬にも乗れず。書も読み解けず。己の意志で政を行うわけでもない。ただ皇族として生まれた少年でしかないのだ。
それに、これまで殿下の職務と言えば司徒殿や司空殿が上奏してきた書簡に印を押すだけであったのだからな。おそらく『周囲に舐められないように』とご自分なりにご奮起なされたのだろうよ。
幼い身で自分の意志を持ち、兄である陛下の足を引っ張らぬようにと胸を張ることが出来る。これだけでも十分非凡では有る。しかし、だ。このままここに居てはその才を腐らせてしまうのは必定。
なにせ司徒殿も司空殿も彼らに従う文武百官どもも、誰一人とて殿下や陛下の成長など望んでは居ないのだからな。連中の狙いは、先年からの混乱で宦官や濁流派が消えたことで浮いた官職や権益を握り、陛下を傀儡として己が栄達を図ること。
ふっ。袁隗などは俗物では有ったが政を理解した者であったらしいが、こいつらはどうか?
政も、軍事も、外交も、師が言う経済も理解しておらぬ者共が、国の舵を取る? 寝惚けるな。
今この長安で司徒殿、否、王允と言う、過去の名前が先行しただけの愚物を旗頭にして集った連中は、宦官や濁流派だけでなく、清流派の主流にすら『派閥に加える価値が無い』とみなされた小物共ではないか。
そんな連中が集まり、丞相殿下を担ぎ上げたところで既に朽ちかけている漢と言う国が再興される筈もなし。
あぁ。王允よ。自称名臣にして漢の守り人よ。貴様は十分役に立ったぞ。貴様が集めた愚物を処分することが陛下による漢の再興の第一歩となるのだからな。
「して。此度太傅からの使者としてお主が来たのは、太傅から私に個人的に上奏したいことが有るが故、と聞いたが?」
「はっ。詳細はこちらの書状に書き記してあります。そして書状の内容に疑問が有った際は、不肖某にご確認して頂ければ殿下の疑問にお答えさせて頂きます」
この書状が王允に渡す引導となるか。それとも王允が我が師の想定を超えて動くのか。
「そうか。ではまずはその書状を確認させて頂こう」
「はっ」
殿下の言葉を受けて私の下に書状を受け取りに来た名も知れぬ文官に対し、師から預かった書状を渡せば、殿下は文官に対し「早くその書状を持って来い」と言わんばかりに睨みを利かせる。
……そうして王允らの視線を受けたものの、無事に書状を受け取った丞相殿下がそれを読む事暫し。
「なるほど。私としては太傅の要望に従うことに否やはない」
「それは重畳」
ほう。この決断の速さ。これは殿下の能力が高い、と言うだけではないな。
おそらく殿下は前々から師から根回しを受けており、元々師の書状の内容を理解していたからこそ、この早さで決断が出来たのだろうよ。
まぁあの方は段取りを重視される方だからな。私が丞相殿下に拝謁し上奏を奉る際に、事前の根回しを怠るような真似をなさるとは思えぬ。
つまり此度の私の訪問と上奏は、丞相殿下が待ち望んでいたことでもある。と言うことだな。
「……殿下。太傅殿はなんと?」
問題はソレを知らない司空殿と王允よな。特に王允など、自分の頭越しに師と殿下が通じ合っていることに不快感を隠しきれておらんわ。
ふっ。元々太傅で有る師は、私的には陛下の師として。そして公的には録尚書事として陛下や殿下に対して直接上奏をする権限を持つ。その為、私が持つ書状の中身を確認することが出来なかったことで、ここ数日は自身に対する讒言ではないか? と随分と気を揉んだようだな。
だが、自惚れるな。今更師が貴様如きに対して讒言などするものかよ。
それに、だ。陛下の喪明けが控えた今、王允はこの三年間の失策を陛下に糾弾されることで史に悪名を残すことを恐れているらしいが……安心しろ。陛下は、貴様には『無能な愚物』と言う名すら惜しいとお考えだ。
だから、そうだな。その先鞭として、ここで散々醜態を晒すが良い。
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司馬懿が頭を下げて劉協からの言葉を待つ中。王允は司馬懿と劉協の会話に割り込み、玉座に座る劉協に対して持ち込まれた上奏文の内容を確認しようとする。
実際のところ王允は、皇帝の側に侍る佞臣による讒言で自身が貶められ、何かしらの罪を着せられることや現在の地位から罷免されることを警戒していたのだが、その不安は悪い意味で外されることになる。
「うむ。先帝陛下の喪が明けるまで、あと一月となったであろう?」
「……そうですな」
自分の想定していたこととは全く違う方向から話題を切り出されたものの、劉協の顔を見て「懸念していたことではないようだ」と内心で安堵の溜息を吐く王允。そんな彼の内心を知ってか知らずか、劉協は無邪気とも言えるような表情を浮かべながら言葉を続ける。
「そこで太傅は、私と母上も弘農へと赴き、最後の半月を陛下、いや現在は服喪中で公務を行っておらぬので敢えて兄上と呼ぶが、その兄上と共に喪に服してはどうか? と提案してきたのだ」
「ッッ! なんと?!」
「王允が驚くのも無理はない。しかしな。これまでは兄上が我らの分まで先帝陛下の喪に服してくれたが、私とて先帝陛下の子としてその喪を弔いたいと言う気持ちはあったのだ。それは当然母上も同様だろう。だからこそ私は此度の太傅の上奏を認め、弘農へと赴こうと思う」
驚愕の声を上げ「やられた!」と表情を歪ませる王允に対して、劉協は表情を明るくしている。
それはそうだろう。王允らにとって劉協は神輿であり、自身の権力を補完する存在だが、劉協にしてみれば自身が神輿にされて日々判を押すだけの仕事を押し付けられて面白いはずもない。
また、そうして溜った日々のストレスを発散する手段が無いのも問題だ。現在の劉協は十一歳である。当然女や酒に溺れるような年齢でもなければ、散策だって気軽に行えない。故に鬱屈が溜まっても寝るか食事で晴らすのみ。
その食事とて、どこに毒を入れられているかわからないのだ。そんな生活を強要されている中で、どうして『長安に居たい』などと思うだろうか。
それに元々劉協が丞相として長安に居るのは、あくまで劉弁の喪が明けるまでの時間稼ぎなのだ。その必要が無くなったと知った以上は、もう我慢する必要は無い。
加えて父の喪に服したいと言う気持ちももちろんあるのだが、それ以上に、毒が抜けた兄と共に会話や食事をしたり、同年代の司馬懿らと共に学問を学んだ方がよっぽど面白そうだと思うのは当然のことであろう。
劉弁の母である何太后は言わずもがな。これまで息子の戦いの邪魔をしないようにと、我慢に我慢を重ねていた彼女に対し『弘農へ行ける』と知らせたならば、たとえ劉協が移動を嫌がったとしても、一人で弘農へ向かおうとするだろう。
自分も喜び、母も喜び、兄も喜び、泉下の父も喜ぶ。劉協にとって今回の上奏は、誰も損をしない素晴らしい上奏であった。
しかしながら、それは劉協らの都合である。
「殿下! そのようなこと臣はとてもでは有りませんが認めることは出来ませんぞ!」
「王允?」
「……憚りながら、某も司徒殿と同意見でございます」
「楊彪?」
弘農にいる佞臣の狙いが『自身が皇族を確保する事である』と理解した王允と楊彪は、その狙いを阻む為に佞臣の手先を睨みつける。
「はて。司徒殿らには何の権限が有って太傅様からの上奏を受けた丞相殿下の行動を掣肘なさろうとするのでしょうか?」
「黙れ小童が! 儂らが居る限り貴様ら佞臣共の好きにはさせんッ!」
「答えになっておりませんな」
己の手の内から玉を逃がすつもりの無い王允と、その王允の手から玉を逃がさんとする司馬懿。
幼き丞相の目の前で、漢の未来を左右するであろう論戦が始まろうとしていた。
今回はそのまんまなので特に補足は無し。
次回。議郎、司徒と論戦する……かも。ってお話
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