21話。太傅のお仕事
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牛輔が帰った後のこと。劉弁と李儒は『良い機会だから』と、予てからの懸案事項である、喪が明けたらどうするのか?と言うことを話し合っていた。
「うーん。どうするって言われてもなぁ。やっぱり難しいよねぇ」
「そもそも牛輔殿を送り込んできた董閣下の思惑は陛下の御意向の確認ですからね。あと四ヶ月後には喪が明けますから、流石に方針は決めるべきかと」
「むー。李儒の言うこともわかるんだけどねぇ」
董卓や孫堅を始めとした諸侯が散々悩んでいることであるが、実はそれは劉弁も同じであった。と言うか、背負っているものの大きさを考えれば、彼ら以上に苦悩していると言っても良いだろう。
なにせ生まれてからずっと洛陽の後宮の中で暮らしてきた劉弁には、国の運営に関して具体的にどうするか?と言う明確なビジョンが無いのだ。
これは彼が愚鈍だとか明晰だとかは関係なく、生まれ育った環境が問題であろう。
皇帝はただ命じるのみ。家臣は従うのみ。
こういった環境の中で育てられてきた彼は、自身が皇帝になったらどのような国にしたいか?などは考えたことがなく、ただ信用できる部下を信じて命令を下すだけで良いと思っていたのだ。
それは後漢の皇帝として決して間違った行為ではない。むしろ外戚や宦官を頼らず、司馬懿や徐庶と言った人材を重用し、自身で見出した人材を育成し、漢の行政に蔓延る名家の澱みを振り払い、国家の財政を立て直すことが出来たなら、これだけでも劉弁は名君として後世に名を残すことができたはずだ。
しかし世は暴力が蔓延る乱世になりつつある。そして乱世の中で必要なのは、自身の想いを貫き通す確固たる意思であり、その想いを実現化させる武力である。
だからこそ重要なのが、劉弁が何を望むのか?と言うことになる。
もし劉弁が「自分が傀儡で良い」と言うならそれも良いだろう。『李儒や司馬懿に全て任せる』と命じれば、彼らは劉弁を錦の御旗として名家だろうがなんだろうが滅ぼして、より良い国を創るのだろう。
しかしそれは誰の国なのか?
李儒が死んだあとはどうなる?
司馬懿が死んだあとは?
彼らの後を継いだ人間が、皇帝に従順である保証はどこにもないではないか。
そもそも国家は民のものでもなければ家臣のものでもない。皇帝のものだ。
必要以上に個人に力を与えてしまえばどうなるかと言うことは、袁紹や王允のように、自身が喪中であることにかこつけて平然と皇帝に弓を引くような真似をする連中が存在することを見れば一目瞭然だ。
ならば皇帝である自分が表に立ち、自身の才覚で将帥を差配して天下を糺すべきか?
その後は高祖や光武帝が行ったことを参考にした上で、より良い体制を作り後進に残すことこそ、宗家を継いだ皇帝の仕事であろうと言われれば、確かにその通りだ。そこに反論の余地はない。
だが、だからこそ劉弁は迷う。
有り体に言えば……怖いのだ。
三年前に袁紹が宮中に乱入し、自分たちが少数の兵に護られて洛陽を脱したときは、いつ後ろに袁紹の放った追っ手が来るのかと恐れを抱いた。
そして翌年にはその袁紹が反董卓連合なるものを結成し、数多の諸侯があの逆賊に賛同した上に二十万もの兵を集めたと聞かされたときなど、袁紹だけでなく諸侯も自分の首を狙っているのか?と身震いしたものだ。
自分は何もしていないのに、何故ここまで狙われねばならないのか。その理不尽さに憤りもした。
自身が受け継いだはずの都を捨てたとき、宗廟から歴代の遺品や遺物を回収しているときなどは、情けなさで涙も流した。
あんな思いはしたくない。そう思ったからこそ劉弁は李儒に師事して学び、自身を可能な限り鍛えた。体を蝕んでいた毒は消えつつあるし、馬にも乗れるようになった。剣も弓もまぁまぁ使える程度にはなった。
間違いなく成長しているのは実感している。だが、その過程で気付いたのだ。
己の命令で命を捨てる兵士の存在に。己の命令で殺される名家の者たちの存在に。己の命令で司馬懿や徐庶が死地に向かうことになると言うことに、ようやく彼は気付いたのだ。
故に、命令するのが怖かったのだ。彼らの命を預かるのが怖かったのだ。だが、師である李儒にそのことを伝えれば『それこそが皇帝に必要なものである』と教えてくれた。
高祖も光武帝も、始皇帝すらもその恐怖と戦って、それでも前を向いて歩んだからこそ国を創ることが出来たのだと教えてくれた。
それらの恐怖を知らず、宦官や外戚に全てを任せた結果が今の漢の姿なのだと教えてくれた。
自身が漢を立て直す。もしくは一度潰して新たに造り直す。
それが出来ればどれだけ良いだろう。その時に司馬懿らが居てくれればどれだけ心強いだろう。だがそのためには逆賊どもを滅ぼす必要があり、逆賊を滅ぼす為には戦をする必要がある。
そして戦をすれば味方も死ぬ。劉弁はその考えの中で堂々巡りをしてしまい、前に踏み出すことが出来なくなっていた。
だからこそ、とでも言うべきなのだろうか。その背を押すのは太傅である李儒の役目であった。
「陛下。まず一つずつ片付けましょう」
「一つずつ?」
「えぇ。そうです。現在の漢と言う国は、これまで長年の問題が解決されることなく山積みにされておりました」
「うん、そうだね」
この時点でも、宦官や外戚による政治の壟断然り、名家による知識層の独占然り、地方の役人の暴政然り、儒教家の妄言然り、本当に様々な問題が累積されているのが現状だ。
「なればこそ、その問題を一つずつ片付けて行けば自ずと陛下が創る国が見えてきます」
「うーん。そんなものかな?」
「えぇ。少なくとも問題を放置して次代に繋ぐよりはマシでしょう?」
「それは……そうかも」
結論を出すことに恐れを抱いている劉弁に対し、李儒は『急いで結論は出さなくても良い。ただ少しずつ良くしていこう』と囁きかける。
決断を先延ばしにする行為ではあるが、無為に日々を過ごすわけでもなければ、無策と言うわけでもない。最低限やるべきことをやるだけでも随分と違うのだ。と囁きかける。
内心では『諸事情があったとは言え、歴代の皇帝、特に三代目の章帝や四代目の和帝がアホ過ぎる』とか『そもそも絶対君主制でありながら皇帝の立場が軽すぎる』と考えている李儒からすれば、皇帝の教育に儒教的な考えは不要であり、儒教の教えに凝り固まった名家の連中も不要であった。
だからこそ、劉弁が何かを包括して決断することが出来なくても、名家と言う枠組みは一度破壊するべきだと考えていた。
とは言っても、李儒は科挙(官僚登用試験制度)による官僚の取立てが唯一無二の正解では無いことも知っている。最初は良いだろうが、結局数十年もすれば試験の為の試験となり、現実を知らず本だけの知識を学んだ人間が政治に参入することになるのは歴史が証明している。
また試験官も人間であるから、問題の漏洩だの、賄賂だの、家柄を忖度して合否を覆すような真似をすることになるのも知っている。
だからこそ彼は『劉弁は道筋を作るだけでも良い』と考えていた。自分もその中で寿命を迎えるだろうから、後のことは後の人間が決めれば良いのだ。
ある意味で投げやりで無責任な考えではあるが、李儒と言う人間は『一人の人間が国家の行く末を縛ろうとする方がよほど傲慢であろう』と考える人間であると同時に、そもそもの目標が『悠々自適な隠居生活』なのだ。
そのために必要なのは自分が過ごしやすい環境であり、その環境を創るためには国家に安定してもらう必要がある。だからこそ、目先の問題の種を排除することに躊躇は無い。
「ご理解頂いたところで、さっそく最初の問題に行きましょう」
「最初?」
「えぇ。まず陛下が決めるべきは、劉氏の処遇についてです」
「うぇ?」
てっきり逆賊の討伐に関することだと考えていたところに、予想外の話を聞かされた劉弁は思わずおかしな声を上げてしまう。だが、決してこの話は逆賊の話と無関係ではない。
「まず冀州牧である劉虞様は問題ありません」
「う、うん」
劉虞は元々反董卓連合にも参加せず、韓輹や袁紹の誘いにも乗らずに長安に使者を出してきたので、劉弁としても特に彼を責める理由はないことは納得している。
「問題が有るのは反董卓連合に参加した劉岱や劉繇。それと劉表の子である劉琦。加えて益州で何やら企んでいる劉焉殿が主なところになりますね」
「……なるほどねぇ」
劉岱・劉繇・劉表は明確に劉弁に対して叛旗を翻した逆賊である。劉琦は劉表の子供でしか無いが、現在は逆賊の一族として処刑対象であるのは事実だ。これらをどうするか?と言う問題だろう。
「朕としてはれんちゅうを許すきはないよ。りゅうえんについては……情報がたりないかな?」
「御意。ではまずは逆賊同士で殺し合ってもらいましょう」
自身の決定に対して拱手で応える李儒の姿を見て、劉弁も「一つずつってこういうことか」と李儒の言いたかったことを理解した。
「では次に、属尽の処遇についてです」
「ん?ぞくじんって何?」
一般人にとっては面倒な存在であっても、皇帝にとって所詮属尽とは親戚の親戚の親戚の親戚と言った存在でしかない。そのため十常侍や霊帝も劉弁に属尽についての知識を与えなかったのだろう。
そのことを理解した李儒は、自身の思ったままのことを劉弁に伝えることにした。
「そうですね。属尽とは皇族を名乗れないほどに遠くなった劉氏の末裔のことです」
「へぇそんなのがいたんだ?」
「えぇ。居たのです」
「あれ?なんか嫌なやつらなの?」
何とも言えないような顔をしてしみじみと語る李儒を見て、劉弁は何かを察したようだ。そしてその勘は間違っていない。
「えぇ。劉氏であることを笠に着て、税を払わず、兵役にも応じず、法を捻じ曲げ、県令や太守から生活費を貰っている癖に彼らの指示には一切従わない等、地方でやりたい放題をして劉氏の名に泥を塗っている存在ですね」
「そいつら、なにしてくれてるの?!」
彼らの立場を慮る必要がない立場に居るからこそ出来る讒言、否、一切誇張の無い事実の報告であった。
「彼らの存在のせいで、地方の人間は劉氏に対して隔意を抱いております」
「……そりゃそうでしょ」
税を払わない上に働きもせずに生活費をもらう存在など、慢性的に財政に頭を抱えている地方の役人から見たら憎しみの対象でしかない。そんなのが地方にゴロゴロいたら……最近財政を学んでいる劉弁は、その考えに至り、頭を抱えたくなった。
「あれ?もしかして前の反董卓れんごうにさんかした兵って……」
こいつらのせいで朕のことを嫌ってたりするの?言外にそう尋ねると、視線を向けられた李儒は視線を逸らしてこう答えた。
「……否定はできません」
「なにしてくれてんの?!」
同じ劉氏と言うだけで特別扱いを受けている連中のせいで自分が責められると言う不条理に、劉弁は思わず叫び声を上げる。
「そいつらは絶対だめ!許さない!さいていでも特権はなくして!」
「はっ。では宗正(宗室を監督する官庁)にも指示を出します。逆らう者が出た場合は如何致しますか?」
「逆賊!」
「はっ」
同じ劉氏でも劉岱や劉繇と言った由緒ある連中すら逆賊とした以上、劉弁としても属尽如きに遠慮する気はない。膿を出し切ると言う意味も込めて、彼は属尽に対する特権剥奪を正式に命じることを決意する。
劉弁の服喪が明けたあとに正式に公布されたこの勅に対し、各地の属尽とその関係者は当然反対の声を上げるも、彼らの存在に頭を悩ませていた地方軍閥諸侯は、喜んでその勅を受け入れたと言う。
これについて後世の歴史家は『当時の儒教的な価値観を鑑みれば無謀にして無情。しかし現実問題に対処する為政者としては正しい行為』と評を下す。
この決定により、一人の属尽は史実に比べて大きく動きを制限されることになる。
そのことを知るのはどこぞの腹黒唯一人。彼はその異名に相応しく、黒い笑みを浮かべていたと言う。
実は劉弁殿下の方針が決まっていなかった件。
国家については識者が数年~数十年かけて論ずるものだし、なんだかんだで箱入りの少年に対して「国の行く末を定めろ」と言ったところでそうそう決まりませんわな。
属尽……とんでもない奴らだってお話。
とりあえずこの話で作者の中での一部が終わりました。
少々休んでから続きを書く予定ですので、よろしくお願いします
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