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幕間。幽州に吹く風①

この人が関わると一気に筆が重くなるのが作者の悪い癖ですね。

文章修正の可能性大。

初平三年(西暦192年)1月・幽州広陽郡・(けい)


「……何事もなく年を越せたな」


遷都や反董卓連合の解散に伴うあれこれの事件が漢という帝国全土を駆け巡り、様々な勢力が乱立しつつある中、昨年末に正式に幽州の州牧となった公孫瓚は、冀州牧となった劉虞が冀州の渤海に移ったことを受け、自身も拠点を北平から薊に移し、ここで新年を迎えることが出来ていた。


去年までの都督という立場ですら『妾の子が出世したもんだ』と自嘲したものだったが、今回の州牧就任は出世どころの話ではない。しかも公孫瓚は、この人事に対して特に長安に付け届けを贈ったり、自分を出世させるように働きかけたりなどもしていないのに、だ。


それなのに出世してしまったが故に、この度の州牧就任については『付け届けも何もしてないのに自分を州牧にするなんて、どう考えてもおかしい。これは長安の連中は自分を位打ちにするつもりではないか?』といった感じの疑いを抱いていた。


……付け届け無しに武功を認めない後漢クオリティが悪いのか、出世させた後で嵌めることを繰り返してきた洛陽(現長安)の旧上層部に信用が無いのが悪いのかは不明だが、とにかく公孫瓚は長安からどんな理不尽な命令が来ても良いように万全の心構えをしていた。


しかし、年が明けても未だに長安からは特に何かを言って来るわけでもないし、劉虞も公孫瓚の支援を必要としているのは確かだったので、その気持ちも徐々に薄れて来ているのも事実である。


彼は自身の警戒心が緩むのを自覚する度に『いや、この油断が駄目なんだ』と自身に言い聞かせるも、現在彼の寝室の枕元にある劉虞から直接手渡された幽州牧の印綬と、長安から送られてきた正式な任命状が、どうしても彼の警戒心を薄れさせてしまう。


なにせ、これによって公孫瓚は毎日寝る前と目が覚める度に『これは夢ではない』と自覚して機嫌を良くすることができるのだ。これでは公孫瓚の警戒心が長続きしないのも当然であろう。


ちなみに、曹操や孫堅、さらには大将軍である董卓ですら恐れた書類仕事に関してだが、公孫瓚を初めとした幽州勢はそれほど問題視してはいなかった。それは元々幽州は并州と同じような田舎でありそれほど書類が重視されてはいない上、正式な州牧となった彼の下には冀州や青州の混乱を避けて来た文官も多数居るので、現状では焦るほどのものでもないと言うのが大きな理由となっている。


さらに言えば、長安からは理不尽な命令どころか特に指示が無いのに予算としての資財は送られてきているので、現時点の公孫瓚は長安からの理不尽な命令が来ることに多少の警戒はしているものの、少なくとも年末から今までの間、寝る前に印綬と任命状を見て幸せになり、起きてから印綬と任命状をみてニマニマして幸せを噛みしめるという幸せを味わっていた。


しかしそんな幸せは長くは続かないのが世の常である。


それは年明けから数日後のこと。


「殿、次の者なのですが……」


「ん?どうした?」


年明け早々の州牧の仕事と言えば、賊との戦や書類仕事ではない。配下や諸侯・または地元の名士や商人から挨拶を受けることである。それは漢の藩屏たる幽州でも一緒なので、正式に州牧となった公孫瓚もここ数日間は外に出ることなく挨拶を受けることに専念していたと言う。


「……これを」


そんな中、これまで流れるように進んでいた挨拶の波が一時的に途切れた。『何か問題か?』と不思議に思って問いただす公孫瓚に対し、進行を担当していた従事中郎の牽招(けんしょう)が何とも言えない顔をしながら無言で書簡を差し出してくる。


「いきなりなんだ?これは面会予定者の名簿だよな?もしやこれから何か面倒な相手でも……うげっ!」


次の者を迎えるにあたって、こうして流れを途切れさせるくらいなのだから、おそらくこの者は他の連中とは別室に控えていたのだろう。そういった手間を掛ける必要がある相手であれば、顔を合わせる前に名前と身分の確認は必要だろう。


……そう思っていた時期が公孫瓚にもありました。


最初は『とうとう長安から使者が来たか?」と思って覚悟を決めようとしていた彼の前に差し出された面会予定者の名簿。その中にある次の面会予定者の位置には、両者にとって共通する知人の名が載っていた。


「来やがった。本当に来やがったぞ!」


「……どうしましょう?」


「どうするってお前……どうしよう?」


この日、幽州の諸侯から挨拶を受けて内心で得意絶頂となっていた公孫瓚は、記憶の奥底に封じていた極大の頭痛の種によって強制的に夢から覚めることになる。


名簿には『劉備玄徳』と目にしたくなかった文字が記されていたと言う。


~~~


「久しいな劉備」


「おう!兄ぃも元気そうでなによりだぜ!」


「う、うむ。お前もな」


州牧となった自分に対して、公の場で対等な口を叩こうとする劉備の態度に、公孫瓚は頬をヒクつかせながらもなんとか無難な返事が出来た自分を褒めてやりたい気分になっていた。


礼儀作法が文字通り命を握るこの時代、本来なら義勇軍の長や県の尉でしかなかった劉備が、州牧である公孫瓚にタメ口など許されるものではない。その上、今の劉備は督郵を殺したことで正式に手配をされている罪人だ。そのため公孫瓚が劉備に対し説教をするのはなんら間違ってはいない。


それどころか公孫瓚の立場を鑑みれば、彼が現れたと同時にその身柄を拘束し、長安へ送りつけるのが正しい行動となる。だがここで公孫瓚の行動を邪魔するのが、後漢の常識だった。細かく言えば、劉備が同じ盧植門下で学んだ同門であるという事と、属尽であるということだ。


これがどういうことかと説明すると……まず、基本的に何時如何なる時代であっても、信賞必罰は組織の倣いであるのは確かだ。しかし儒教が蔓延している後漢時代では『役人を殺した身内』という存在は非常に微妙な扱いとなってしまうものだし、正式に属尽として認められている劉備をその辺の罪人と同列にすることは出来ないと言う事情がある。


そもそもこの時代は、名家や宦官共が儒教を好き勝手に解釈した結果、法よりも身内を守ることを優先するような空気が蔓延している時代でもあるので、ここで『罪人である』という一点を以て同郷であり同門である劉備を捕らえてしまうと、法を守った立場であるはずの公孫瓚が文官たちからの反感を買いかねない。


さらに言えば、その劉備によって殺された役人が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ある。この場合、第三者が調査をした結果『殺された役人に咎有り』となれば、地方では何進や十常侍を殺害したと伝わった袁紹がそうであった様に、その役人を殺した人間は罪に問われるどころか賞賛される対象になる可能性すら有るというのが後漢クオリティの怖いところであろう。


また、現在幽州の文官筆頭として働いている牽招は、若き日に劉備と誼を通じていたのも問題だ。それが今になって『罪人になったから捕らえる』などと言えば、当の劉備は己の行いを省みず『あいつらは偉くなったから俺を見捨てた』と騒いでひと悶着を起こすことは想像に難くない。


この劉備という人間は、そういったことをするだけの気の荒さがある人間なのだ。まぁそうでなければ、黄巾の乱の際にあえて官軍に加わらず義勇軍など結成するようなことはしないし、その後『自分と面会をしなかったから』という理不尽な理由で自分を査察しに来た督郵の滞在する屋敷を襲撃し、吊るし上げた上に撲殺するようなことはしないだろう。


そんな劉備の気性はともかくとして、これをされた場合、属尽とは言え劉氏にこき下ろされることになる公孫瓚と牽招の対外的な評価はガタ落ちすることになるだろう。名声が重んじられる漢帝国で、さらに人材が少ない幽州に於いて、属尽からの悪評はまさしく死活問題となってしまうのだ。


……こう言った諸事情があるので、属尽というのはかつての何進ですら気を使う必要が有った程度には厄介な存在なのだ。さらに今回渦中にある劉備が所属する属尽のコミュニティは幽州涿(たく)郡にあるので、何かあった場合は劉備一人の問題では済まなくなる可能性も高いということが、公孫瓚が劉備の扱いに頭を悩ませる一因となっている。


これは単純な武力だけの問題ではない。公孫瓚はもし自分が属尽と敵対したとしても、彼らを滅ぼすことは簡単に出来るとは思っている。しかしその結果がどうなるかがわからないからこそ警戒をしているのだ。……ここで公孫瓚が懸念することとは、彼ら属尽を討伐した結果、皇族である冀州の劉虞が敵に回る可能性である。


この場合、こちらの仲間割れを狙っている袁紹や韓馥だけでなく、幽州内部の諸侯や劉虞に降った烏桓の連中すらも公孫瓚の敵に回る可能性が高い。そうなれば周囲を敵に囲まれて敗北を余儀なくされるだろう。


起こり得る事柄と可能な限りの情勢を想定して状況を鑑みた公孫瓚は、ここで劉備(犯罪者)に対して下手なことをして現状でうまく回っている幽州の領政を台無しにするような真似は控えるべきだと判断しており、今は劉備(悪党)が何を企んでいるのか。また、どうすればこの不発弾を安全に処理できるかを考えようとしていた。


……考えすぎなのかもしれないが、元々生まれで差別されて来た彼としては、どこに自分の足を引っ張ろうとする連中が潜む落とし穴があるかわからない以上、どれだけ警戒しても警戒し過ぎるということはないのだ。


このような背景なので、公孫瓚は目の前に存在する旧知の存在(極大の落とし穴)を見据えつつ、内心にある『さっさと消えてくれ』と言った感情を表に出さぬように苦心しながら劉備(見えている地雷)との会話を続けて行く。


「本来なら久々に会ったお前と盃でも酌み交わしたいところだが、まずは仕事をさせてもらおう。ここに来たのは新年の挨拶の為だけではあるまい?」


「おう。さすがは兄ぃ。しっかりお見通しってか?」


「ま、これでも部下の命を背負ってるんでな」


「ほぉう。さすがは州牧様だねぇ」


人懐っこい顔をして頭を搔く劉備(疫病神)に対し、暗に『お前より部下の命が大事だ』と告げた公孫瓚だが、当の劉備(無職の破落戸)には伝わらなかったようだ。


「お前に世辞を言われてもな。とにかくお前の本題はあれだろ?数年前の督郵殺害の罪を俺に無効にして欲しいってんだろ?」


「そうなんだよ!」


無駄に会話を続けても胃を痛めるだけだと判断した公孫瓚がそう言って水を向ければ、劉備(チンピラの頭目)は待ってましたとばかりに話しだした。


「いや、今の俺って無職だろ?流石にお袋に合わせる顔がねぇからってんで、なんか適当な職をもらえれば良いなって思ってたんだけどよぉ。俺ってそれ以前に罪人にされちまってるだろ?だからどうしたもんかって考えてたら、簡雍がな?州牧になった兄ぃなら俺の冤罪を晴らせることが出来るって言うじゃねーか!」


「まぁ、確かにできなくは無いけどな。(なに勝手に冤罪にしてんだよ)」


確かに州牧には罪人に対して裁判を行う権限もあるので、公孫瓚がその気になればここで裁判を行って、劉備を『罪なし』とすることも不可能ではないのは事実だ。


……つまり罪人である劉備が、本来己を裁くべき相手である冀州牧の劉虞(劉備が殺したとされる督郵は冀州に所属する中山国の役人である為)の前ではなく、既知である同郷の公孫瓚の下に現れたのは、職を求めるついでに『自分は不正を働いていた役人を誅しただけだから自分に罪はない』という判決を下して貰う為だったということだ。


「なぁ兄ぃ、頼むよ!このままじゃ、お袋に合わせる顔がねぇんだよぉ!もしも俺の冤罪を晴らしてくれたら、これから兄ぃの為に働くから、なんとかしてくれっ!」


「……お袋さんなぁ(俺の為に働く?なら袁紹のところにでも行ってくれねぇかな)」


先程までとは一転し、真剣な顔で縁故によって自身の犯した罪をなかったことにしようと頼み込む劉備に対し、掛ける言葉も見つからない公孫瓚の図である。


結局この日、公孫瓚は裁判を行って劉備に課せられていた『督郵殺害の罪』を無効とすることとなった。後に幽州からの使者からこの報告を受けた劉虞は「そうか。彼には苦労をかけるな」と、属尽である劉備に対しての配慮に感謝を示したと言う。


こうして幽州牧と冀州牧が劉備の無罪を認めたので、この話はこれでおしまい。となれば良いのだが、公孫瓚は大事なことを失念していた。それは、劉備を罪人として手配したのは当時の冀州刺史では無いということだ。




公孫瓚の受難はこれから始まる……かもしれない。

だいとくがあらわれた!


公孫瓚にとっては、捕まえようが恩赦をかけようが大ダメージを受けることが確定する罰ゲームであるってお話。


――――



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