15話。年末の孫家
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初平2年(西暦191年)12月。荊州南郡・江陵。
長安の董卓が孫娘を心配して悶々とした年末を迎え、兗州東郡の曹操が二日酔いと財政に頭を悩ませている頃、先の戦で襄陽を落とし、劉表を追放して完全に南郡を手中に収めた孫堅は、彼らとは別種の悩みのせいで頭を抱えていた。
その悩みとは……
「父上!来年には、いえ、今年中にでも江夏の劉琦を討ち取りましょう!」
このように、休日の親を遊びに誘う少年よろしく、顔を合わせるたびに自身に出撃を促してくる跡取り息子、孫策の存在であった。
孫堅にしてみれば、江夏の劉琦などわざわざ急いで討伐する価値があるとは思っていないのだが、かと言って話も聞かずに否定してしまっては、後継である孫策の立場も無いだろう。そう考えて、とりあえず孫策の言い分を聞いてみると、孫策は孫策で考えがあったようだ。
曰く「連中は孫家に対して並々ならぬ敵愾心を抱いております!こちらが気を抜けば攻められる可能性もあるのですから、その前にこちらから攻めて禍の種を除くべきです!」とのことであった。
この孫策の意見も、軍事的に見れば、一応頷けるだけの理屈はあることは孫堅も認めざるを得ない。
しかし戦を語るには軍事的な視点だけでは駄目なのだ。今の孫策は自分たちが江夏を攻めるには懸念材料が多々あるということが理解できていない。これが現在孫堅が頭を痛めている問題であった。
「なぁ策よ、俺が江夏に攻め込まない理由が分かるか?」
「え?この度手に入れた南郡の慰撫を優先しているから。ではないのですか?」
「うむ。それも理由の一つではあるな」
「……一つでしかないのですか?」
「そうだ。他にも理由があって動かんのだ」
最低限は理解しているようで何よりではあるが、やはりまだ足りん。
元々は一地方軍閥の統領に過ぎなかった自分が、いきなり長沙一郡の太守となったのがおよそ五年前のこと。それから一昨年の何進暗殺から始まる一連の混乱の渦中で、孫家は荊州の南四郡と南郡を治めることになった。つまりこの僅か二年で単純に考えても五倍以上領土が広がっていることになる。その急速に増えた領土の維持管理を考える必要があるので、今はこれ以上徒らに領土を拡大したくないと思っているのも確かだ。
なにせ増える領土に比例して不足する人材という現象が生み出すのは、捌ききれない書類仕事が時間とともに増加して行き、処理しても処理しても先が見えない書類地獄という名の地獄。
その地獄の恐ろしさは、一回殺せばそれで終わる劉琦との戦と比べて数倍、いや、数十倍恐ろしい。これは俺だけではなく、文官全員の共通した想いだろう。
そんな俺たちの心情を孫策が正しく理解出来ていないのは、こいつ本人の気質もあるだろうが、やはり襄陽を得た際に登用に成功した劉表配下の文官たちのおかげで、一応領内の政が滞りなく行われているせいだろうな。
いや、政が滞りなく行われるのは決して悪いことではないぞ?しかしそのせいで危機感まで薄れてしまうのは困る。さらに言えば、幸いというか何というか、周囲の状況に目を向ければ状況が孫家に味方しているように見えるのも悪いのだろう。
まずは南。零陵や桂陽の蛮族を支援していた交州の妖怪を早々に討ち取ったことで、今は交州刺史の朱符がその妖怪の家族による跡目争いを傍観しつつ急速に影響力を増している最中であり、現状では南方からの侵攻は無いと断言出来る。
そして西。益州は先年の馬相の乱の影響を完全に断ち切れてはおらず、州牧の劉焉はなにやらよからぬことを企んでいるようではあるが、今は内部の統制を強めている最中なのか、少なくとも荊州に手を出せるような状況ではない。
北。南陽も司隷も味方である董卓の軍勢が居座っており、現状では彼らに挑もうとする勢力はいないので、これも問題ないだろう。
最後に東。現在の揚州は反董卓連合に参加した諸侯が劉繇を旗頭として朝廷に逆賊の汚名を晴らすために上奏しようとする派閥や、袁術に味方して逆賊の汚名を解除してもらおうとする派閥。さらには徐州牧である陶謙に降ろうとする派閥や、俺に降ろうとする派閥。さらには半独立状態にある派閥など、様々な派閥に分かれて争っているので、向こうから荊州に手を出す余裕は無いと思われる。
こんな感じで、荊州に隣接する東西南北全ての地域に居る諸侯が孫家に攻勢を仕掛けてくる可能性が無いと判断できる状況にあっては、今のうちに自分たちの反抗勢力である劉琦を叩いて、荊州の内部を完全に固めようとする孫策の意見は、軍事的には間違ってはいないのだ。
しかし、ここに軍事しか見ていないが為に見落としている大きな落とし穴がある。
「まず資財だな。これはお前もわかっているだろう?」
江夏を攻めるとなれば船戦になる可能性が高く、その為の準備やら何やらには単純な陸戦以上に時間と金が掛かる。
「はい。ですがいずれは攻める必要がある敵です。それに奴が逆賊である劉表の子である以上、攻める口実には事欠きません。ならば纏まった力を得る前に潰す方がよろしいのではないでしょうか?」
金に関する反論は予想していたのだろう。孫策はしたり顔で『今なら最小限の出費で済む』という彼らしからぬ意見を述べてきた。
(これは周瑜あたりが入れ知恵したか?)
最近孫策が同い年である周家の御曹司と随分仲が良いらしいと言うことは聞いているし、後継者である孫策にこういった視点を持つ友が居るのは良いことでもある。だからそのことに文句を言うつもりはないぞ?……しかしその御曹司も経験不足故かまだまだ視野が狭いと言わざるを得ないな。
「そこまでわかっているなら話は早い。今回はその『纏まった力』というのが問題なのだ」
「?」
「わからんか?ではまず我々が江夏を攻めた場合、攻められた連中はどうすると思う?」
「どうって……交戦ですよね?」
やはり甘い。
「そうしてくれれば良いな。だが、もしも連中が袁術に降伏したらどうするのだ?」
「あ!」
ようやく理解したか。
そう。現在江夏を治める劉琦は反董卓連合に参加した劉表の嫡子。つまり漢に所属する俺たちから見て、彼は逆賊の子。その上、刺史は世襲制ではないと言うことを考えれば、今の時点で劉琦は江夏を不法占拠している状況になるので、攻める口実にはなるだろう。だが劉琦が袁術に降った場合はことが一気に面倒になってしまう。
「分かるか?現在袁術は条件付きで恩赦を受けることが内定している立場にある。故に、袁術に降った場合、劉琦も恩赦の対象になる可能性が発生する。なにせ逆賊の指定を受けたのは彼の父親である劉表であって彼ではないのだからな」
実際汝南袁家は恩赦を餌にして周囲の連中の取り込みを行っているしな。今の段階で劉琦に声をかけていても驚かんぞ。
「な、なるほど。直接逆賊の指定をされた袁術ですら恩赦の対象になると言うのなら、劉表の子でしかない劉琦が恩赦の対象になる可能性は高いんですね」
「その通り。さらに今の長安は劉氏に対して便宜を図ろうとしているというのもある」
「便宜ですか?」
意表をつかれたような顔をする孫策だが、少し考えれば分かることだろうに。
「そうだ。これは弘農に御座す陛下や丞相殿下の意向ではなく、楊彪殿や王允殿の思惑だがな」
元々董卓が政権を握った際に、劉表やら劉岱、劉虞等を州牧に任じていたのが彼らだ。帝派に近い王允にとっては、下手に名家や宦官の紐付きが権力を得るくらいなら、劉氏に力をつけて欲しいと願ったのだろう。さらに姻戚関係にあった袁術の助命を成した(と思っている)楊彪も、王允から『今後は袁氏よりも劉氏を優先するように』などと言われてしまえば反論は難しいのだ。
おそらく王允はこうやって劉氏を優遇することで、彼らの覚えを良くしておこうという考えなのだろうよ。内々にやっているならまだしも、あからさまに協力を要請されては俺とて逆えん。
このように、長安の上層部に王允が主導する劉氏優遇政策に賛同する勢力がある以上、下手に彼らを敵に回してはこちらが逆賊にされかねんのだ。
「さらに先年のことで袁術らも我らを恨んでいるだろうからな。今は恩赦を受けるためにあからさまな敵対行動はしてこないが、もしも我らと戦端を開く口実があるなら、積極的に劉琦の支援をするだろうよ」
「あぁ。確かに」
連中の中には俺たちが襄陽を落とした際に、反董卓連合に参加する条件として提示した二万の兵を養うための物資を根こそぎ奪われた恨みはまだ残っているはず。
あの行いは戦の最中の謀略の一手であり、今は俺が味方した董卓陣営が勝者となっているので表立って文句をつけてくることは無いだろうが、完全に手玉に取られたことに対して不満を溜めているのは間違いないだろう。
それを考えれば、孫家と袁家が戦になった際に、袁術が長安に『最低でも中立を保ってくれ』と根回しをする可能性は非常に高い。
そして司空という立場にある楊彪は、俺たちを逆賊に認定することは難しいだろうが、袁家を一方的に悪者にしないよう、中立を保たせるのも不可能ではないだけの権力がある。
弘農? あの腹黒がわざわざ俺の味方をするはずがない。味方をするどころかむしろ『中立なら問題ないでしょう?それとも貴殿らは袁術に勝てませんか?』とか抜かして、こちらの武門としての誇りを煽りつつ、孫家と袁家を戦わせて両者を弱らせる策を実行してくる可能性を考慮しなくてはいけないくらいだ。
つまり弘農に話を持っていくのはかえって危険と言わざるを得ない。
そんな弘農に潜む腹黒外道はともかくとして。
つまるところ、孫家としては袁家との戦で疲弊したところを他勢力に叩かれては目も当てられない。だからこそ今は積極的に攻める時期ではなく、まずは守りを固めつつ内政に専念し領内を安定させる時期だと判断しているというわけだ。
「そもそもの話、俺は南郡都督でしかないからな。今は南郡を纏めるのが先だし、江夏の劉琦が逆賊でなくなれば、攻める口実がなくなってしまうだろう?」
「それはそうですが……」
ならその前に!とでも言いたいのか?やれやれ。
「考えても見ろ。戦の最中に袁術に横やりを入れられるだけなら良いが、戦の途中で長安からの使者が来て戦を止められてはどうなる?江夏攻めなど無駄な出費にしかならんだろう?」
「長安からの停戦命令ですか。確かにその可能性はありそうですね」
「だろ?その場合得をするのは誰だ?」
「劉琦……いえ、無傷で江夏を手に入れる汝南袁家?」
「そうだ。よく見た」
俺としても、相手が劉琦だけなら鎧袖一触で潰す自信はある。だが、ここに汝南袁家が加われば戦が長引くことになるだろう。そしてこの場合、長安が主張する『中立』は不干渉ではない。停戦命令だ。つまり今の段階で江夏を攻めることは、資財と兵を浪費させるだけでなく、汝南袁家に劉琦を得る口実になりかねないと言うことだ。
さらにこの停戦命令が出てしまった場合、袁術と劉琦は『未だ逆賊でありながら孫家と対等の扱いを受けた』と言う実績を得ることになってしまう。そうなれば孫家は丸損どころの話ではない。
故に、わざわざ彼らに付け入る隙を見せるくらいなら今は動かない。これが俺の考えであり孫家の決定だ。とはいえ、こちらが戦を望まないからと言って、向こうがそれを避けてくれるとも限らないわけで……
「だから我々は動かん。しかし、本格的な戦が起こる可能性が無いわけでもない」
「それは?」
「様々な可能性があるがな。一番戦場になる可能性が高いのは揚州だろう」
「え?揚州なんですか?」
まさか荊州の内部を纏める前に他の地域に手を出すとは思って居なかったのか、孫策は目を丸くして確認を取る。
「うむ。今の揚州はかなり荒れているからな。向こうの連中から援軍要請が来る可能性は低く無いと見ている」
現在揚州の中では先述した派閥が入り乱れているのだが、実を言うと揚州に存在する地方軍閥に於いて大半の連中は、直接反董卓連合に参加していたわけではない。まぁそれは別に董卓に味方したわけではなく、元々洛陽から遠かった為に兵を送り出せなかったという事情ではあるのだが……とにかく、彼らは揚州牧である劉繇に巻き込まれた形で逆賊にされているに過ぎないと言う事情がある。
厳密に言えば、揚州諸侯の大半が劉繇の反董卓連合への参加を容認したり、兵糧などの支援を行っていたので、完全に無実とは言い切れないのだが、少なくとも直接兵を向けた連中よりは扱いが軽くなる可能性が高いのも事実だ。
だからこそ揚州の中には、袁術に降って条件付きの恩赦を受けるより、初めから逆賊でも何でもない俺に降って、俺から逆賊認定の解除を上奏して貰おうと企てる者達も居るわけだ。
このような事情なので、今の揚州は俺と袁術、劉繇に陶謙などの勢力による狩場と化しつつ有る。こんな状況だったら、場合によっては来年早々に各勢力の代理戦争のようなものが勃発する可能性も有るだろうさ。
「だからな。俺としては、今ここで江夏を攻めて無駄に戦線を拡大したくないのだ」
「なるほど!」
政治的な話を正しく理解できているわけではないのだろうが、戦力の分散は避けるべきだという戦の要訣を理解した孫策は、今までの訝しげな顔から一転し、今では尊敬する父に示唆された来年に起こるであろう戦に思いを馳せるような顔をしていた。
(はぁ)
孫策からすれば、初陣が南方から来る賊退治であったことがよほど不満だったのだろう。執務室から退出していく後ろ姿には、次の戦こそ!という意気込みが見えるほど戦に逸っているのがわかる。
だが、そんな息子の姿を見て『頼もしい』と思うより『危うい』と考えるのは、自分がただの軍閥の将軍ではなく、所領を治める太守としての自覚が芽生えて居るからであろうか。
……己の成長と意気揚々と去っていった息子が残して行った気配の残滓に苦笑いをしつつ、執務に移ろうとした孫堅だったが、ここでふと思ったことを口に出してしまう。
「しかしあいつ、血の気が多すぎやしないか?一体誰に似たんだかな」
「「「間違いなく殿ですな」」」
「……」
思わず呟いた言葉に対し、今の今まで無言で書類仕事をしていた黄蓋らが口を揃えて突っ込んだのは言うまでもないことだった。
董卓・長安・曹操と来たら、残る群雄は孫堅ですよね!
え?G?誰ですかそれ?(ΦωΦ)?
董卓や曹操と違い、後継に関して頭を悩ませるのは幸せなことなのか……
そんなわけで孫堅の事情。諸事情により袁術とは仲が悪いですが、袁術としては名目も何もなしに孫堅を攻めることはできませんからね。ですが、もし劉繇だの劉琦が口実になってくれるのなら『袁紹を討つために後方の安全を確保する』と言う名目で戦を仕掛けてくる可能性が高いのです。
孫堅の勢力の増大は周辺諸侯も恐れてますからねぇ。腹黒?笑って見てるんじゃないですか?ってお話
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