登場人物紹介+用語解説+地図
登場人物等がわからないという方の為の解説付き人物紹介。
基本的に作者の考察と言う妄想垂れ流しですので、コレが真実だ!等と思わないように。
そういうのが耐えれる方のみ閲覧お願いします。
地図はもっと知りたい三国志様より引用。
もちろん管理者様からの許可は頂いております。
李儒 文優。 弘農丞→???
主人公 20歳 (西暦185年時点)
生没年が???~???である為、作者が勝手に弄っている。
また出自の情報があやふやなので独自設定てんこ盛りである。
拙作では弘農郡に荘園を持つ名家出身と言う設定。
一般的には董卓の軍師として有名。徐栄と組んで曹操を撃退したり、いろんな策を董卓に献策し、彼をただの田舎者から天下人に押し上げた人物でもある。
演義においては長安への遷都やら劉弁暗殺などを董卓に提案している。
別名、諸悪の根源。
演義では四つ裂き刑にされているし、横山先生の三國志では董卓が死んだ時に呂布に斬られている。蒼天○路ではいつの間にか死んでいたっぽいが、史実では王允が死んだ後に李傕と仲良しになっているらしいので、いつ死んだかは不明。
当作品では西暦165年生まれ扱い。勝ち組になるために西暦180年に15才で何進の元に出仕。今は下っ端なので悠々自適な生活が出来ていないが、いずれは!と夢見ているらしい。
ただ社畜根性が身についている為か、普通に休日出勤や他の部署のことにも協力をさせられたりしている。たまに仕事をしながら寝ている(寝ながら仕事をしている)らしい。ドリ○ンの催眠術にかかった愚○独歩現象とも言う。
色々鍛えた結果文武に優れた人間として認識されている。通称李家の神童。
コー○ー的ステータス
統率 91
武力 85
知力 97
政治 96
魅力 66
―――――
何進 遂高。 将作大匠・河南尹→大将軍
メインヒロイン? ずんぐりむっくり
荊州南陽郡宛県出身。42歳 (西暦185年時点)
生没年で???~189となっているので、年齢は勝手に弄られている。妹が帝の寵姫で、弁太子(妹の子)の年齢を考えればそんなに歳はとってないのかもしれない。
河南尹は首都が有る洛陽県のトップのこと。将作大匠は宮殿・宗廟(お墓)の造営を司る役職。当時の大将軍は兵権はあれども敵が居ないという状況だったので、外戚の筆頭に与えられる名誉職だった。
宦官の推薦で妹を帝に差し出して出世したと言われている。元は屠殺業者(肉屋の問屋さん)らしい。
妹の立場を利用し宦官・名家を敵に回しつつ上手く立ち回り、同じ外戚である董承たちを差し置いて大将軍まで上り詰めた偉人。
作者の個人的な意見を言ってしまえば、日本の豊臣秀吉より凄い人。
生まれ以外に弱点がなく、宦官や名家が仕掛ける謀略を跳ね返して昇進した実績は見事の一言。さらに黄巾の乱を平定したことで立場を固めてしまったため、宦官や名家で有っても手出しができず、最終的に暗殺されるまで漢帝国における実質的なトップであった。
また自分の足元である軍部からの評判は高かったと言われている。
○ーエー的 ステータス
統率 50
武力 73
知力 62 (謀略100)
政治 83 (政略100)
魅力 78
―――――
董卓 仲穎。 中郎将→破虜将軍
第二ヒロイン? 筋肉ムキムキのマッチョマン。
涼州隴西郡臨洮県出身 46歳(西暦185年時点)
生没年で???~192年となっているので、年齢は勝手に弄られている。
暴君の代名詞。両手で弓を引けたらしい。いくらなんでも董卓五銖銭はどうかと思う (小並感)
作者のイメージとしては肥前のクマー。鍋島直茂が李儒で、四天王が徐栄・華雄・牛鋪・張繍。あれ?4人しか居ない。呂布を追加。
くるるぁ?!名家ぇ~?知るか!付け届けぇ~?今は持ち合わせがないから鉛弾でえぇかのぉ~?格式ぃ~?はぁ~ん?舐めた口叩くのはこの口か?をぉ?!
これなら洛陽も長安も蒼○航路っぽい世紀末になるかと思われる。
ただその前は普通に将軍をしていたので、流石にここまでの無法さは無いでしょう。作者的には袁紹や曹操に色々盛られた設定かと思っているので、まぁそこまで話が進んだら解説付きで考察と言う名の妄想を垂れ流す予定。
コーエ○的ステータス
統率 94
武力 90
知力 55
政治 34
魅力 84(妙なカリスマ有り)
――――
張譲 宦官。12人いるけど十常侍の筆頭。
50歳 生没年がハッキリしているので普通にこの年齢。
第三ヒロイン? 細身の爺様。
帝の側に居るのを良いことに色々悪さをしている。
実は養子の妻が何太后の妹である。
何進の妹と書かないのは彼とは父親も違うからだろうか?
何太后は何進の異母妹らしいし……複雑な家庭なのかもしれない。
コ○エー的ステータス
統率 10
武力 9
知力 88
政治 94
魅力 20
――――
袁隗 次陽。 司徒
第四ヒロイン? 細身のオッサン
豫州汝南郡汝陽県出身 45歳。
生没年が???~190年なので年齢を勝手に弄られている。
司徒は司空・太尉と並ぶ三公と呼ばれる地位。田土・財貨・教育を司る役職。
内政官の筆頭の一人。偉い。
袁紹・袁術の叔父。兄であり袁紹の実父とされる袁逢も三公になっているので、蒼天航○で袁紹が連呼する三公四世とは関係ないと思われる。
なお名家限定で人気有り。
コー○ー的ステータス
統率 31
武力 20
知力 80
政治 95
魅力 88
――――
皇甫嵩 義真
面倒事を嫌って出仕(就職)しなかったのに、帝に誘われたので渋々就職したらやっぱり謀略に巻き込まれたと言う、まさしく被害者。武将としては優秀である。
――――
朱儁 公偉
とりあえず謀略から逃れた。曹操や孫堅を使って頴川黄巾を打ち破った人。偉い。
――――
盧植 子幹
劉備や公孫瓚の師匠。戦乱が長引いた元凶はコイツかもしれない。演義では理想に溺れて溺死した。
――――
崔烈 威考
名前のインパクトが好き。
若い頃から有名で色んなことをしていたらしいが西暦185年に売官制度を利用し、金で三公の地位を買ったことで自分の子供からも軽蔑された。なんでや!売ってたモノ買っただけやろが!
涼州での乱が起こったときに「涼州なんて捨てればいいじゃない」と発言し叱られた。鶏肋鶏肋。
拙作ではその前に名家の推挙を受けて将帥として出陣。頴川で負けている。
――――
張純 (字不明)
次の章でポツポツ名前が出てくる。拙作では宦官に推挙されて崔烈と共に出陣。頴川で負けた。
――――
王允 子師 四八歳。(西暦185年時点)
伝説のクソゲ―である四八。そして王允の晩年もまたそんな感じ(もちろん作者の独断と偏見)
王允は一日に千里を走るらしい。(褒め言葉ですよ?)
昔から宦官に色々やられて居るので宦官に対して恨み骨髄。
その関係で宦官滅殺をした董卓とは仲が良かったかも?
この時代に張譲を告発して生きているなんて。凄い……漢だ。
――――
韓遂 文約
涼州に於ける乱の主導者の一人。何進をはじめとした軍部の人間に「漢帝国を再興したいなら最初に宦官を皆殺しにするべき!」と言う主張を唱えていたが、受け入れられなかったので地元へ帰った。
後の馬超との関係が有名。
――――
張角・張宝・張梁
太平道という宗教団体の教祖である張角とその弟。人呼んで黄巾の天・地・人。三人揃っても負けた。
――――
馬 元義
張角の腹心。洛陽で事を起こす為に潜伏していたところ、密告によって見つかって殺される。その際、彼と繋がりがあった人間が一斉検挙され、洛陽で大量粛清が発生した。
これにより張角らの決起が早まることとなり、黄巾の乱はグダグダな武装蜂起になってしまう。
――――
張 曼成
様々な分野でお馴染み。噂の超!マンセー!
李典とは曼成繋がりだが関係ない。南陽黄巾党の主導者ではあるが、彼は張角の協力者であっても信者ではない。南陽郡の宛を拠点として神上使を自称したり南陽限定で通用する年号として神上と言う年号を交付したとされる厨二病患者。
漢に於ける厨二病患者は数多いが、彼を越える逸材は西暦552年に漢 (笑)を立ち上げたとされる侯景こと宇宙大将軍の誕生を待たねばならないだろう。
西暦184年から西暦552年までの間、彼は神の立場にあった。(蒼○航路・曹植風)
――――
波 才
潁川黄巾軍の指揮官の1人。おそらく張角の信者ではない。史実においては頴川において朱儁や皇甫嵩を撃退した実績を持つ実力派。拙作では崔烈と張純を撃退している。
――――
黄巾の乱。
一般的には西暦184年に張角を中心として行われた、太平道信者による武装蜂起である。
ただ腹心とされる馬元義が洛陽において宦官と接触を持っていたり、十常侍筆頭である張譲も絡んでいたことが判明しているので、本来は宦官主導で名家や外戚を排除するクーデターのようなモノを起こそうとしていたのに利用されたのかも。
張曼成の例が有るのでわかると思うが、張角は旗頭の一人ではあるが全体の絶対的な指導者ではない。と言うかそもそも黄巾賊とは張角の信者や張曼成に従う者、さらに便乗犯など様々な集団の集合体なので、一括りにして考えるべきではないだろう。
当時の政治の腐敗ぶりに耐えかねた連中が宗教に嵌った挙句に切れたのが発端ではある。それを利用して、各地の農民が地元の圧政者を排除しようとしたと考えればわかりやすいかもしれない。共通しているのは反漢帝国であること。
そんな中でも声高らかに立ち上がったのが我らが神上使・張曼成である。さらに「力こそ正義!奪われるよりも奪え!」と言う世紀末思想で暴れまわったのが各地で発生した便乗犯。頴川は太平道の馬元義がリーダーで波才がナンバー2っぽく語られることが有るが、その他の人間もそれぞれの都合で参加しているので基本的には一枚岩では無い。
元々黄巾は、五行思想に於ける火・つまり赤をイメージカラーにしていた漢帝国の次は自分たち(五行思想に於ける土・つまり黄色)だ!と言う火生土的発想から太平道の信者が装着していたのだが、それがトレードマーク化した感じ。
スローガンは 蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉 (蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし、歳は甲子に在り、天下大吉)
なんで彼らが漢帝国を蒼天(青=水)と表現したのかは諸説有り、可能性としては皇帝が劉氏つまり龍と考え、五行的発想から龍は水を司るからだとか言われたりしているのだが、結論は出ておらず今も議論されている。
三國志地図
司隷地図
あくまで史実と演義と横山と蒼○航路の影響を受けた作者による注釈です。え?そうなの?と思ったら調べてみるのも歴史好きの楽しみ方ですよねってお話。
とあるゲームにおいて、主人公は天の御使いを名乗るらしい。つまり神上使である張曼成はハーレム主人公だった? (混乱)
他に誰か居ましたかね?
――――
「仕事はする」「執筆&更新もする」。「両方」やらなくっちゃあならないってのが「作者」のつらいところだな。
(叱られる)覚悟はいいか?俺はできている。
例えクレクレと言われても、その結果1:1だけでも私は一向に構わんッ!燃料もらえるだけマシです! (正直)
閲覧・感想・ポイント評価・ブックマークありがとうございます!