ハリウッドスター来襲 8
お風呂で温まった僕らは、浴室の外に出る。すると、チップをあげた従業員さんが、汗だくで忙しく走り回っていた。
おそらく、まだお風呂の中にいると思っているのだろう。僕が声をかける。
「お風呂、上がりました。良いお湯でしたよ」
「おや、もう上がるのですか? これからボイラーを全力で回そうかと思っていたのですが……」
「もう大丈夫です。少し休んで下さい」
「そうですか。それではボイラーの火を落とさせてもらいますね」
そう言って、従業員さんはスキップをしながらボイラー室へと入って行く。よほどチップがうれしかったみたいだ。
ホテルを出ようとすると、ロビーでザシャさんが、何やら地図を眺めている。
地図は、この温泉街の地図で、様々な観光スポットが記されているのだが、魅力的な観光スポット見当たらない。
熱心に地図を見ているザシャさんに、ミサキが声をかける。
「どこか行きたい場所でもあるんですか?」
「ここのお風呂、少し小さかったじゃない?」
「そうですね。ザシャさんにとっては、ちょっと小さかったかもしれませんね」
「この川原沿いにある大露天風呂が気になるのよ。ここなら私でも、のびのびと入れそうじゃない」
地図にある大露天風呂の説明を読んでみると、『100畳の大浴場』と書いてある。どうやら、かなり大きな露天風呂らしい。
ジミ子がこの地図を見ながら言う。
「それじゃあ行ってみましょうか。せっかく温泉街に来たんだし、内湯だけじゃなく、露天風呂にも入らないともったいないですよね」
「そうね。ここまで来たんだし、色々と温泉を巡らないと損よね。さあ、行きましょうか、この距離なら歩いていけるわ」
そう言って、ゆっくりと空中を泳ぎ始めた。僕らもその後をつけていく。
目的地の露天風呂までは、徒歩でおよそ10分ほど。誰かにこの姿を見られなければ良いのだが、バレたら大変な事になりそうだ……
ホテルを出て温泉街の中を歩いて行く。この温泉街は狭い渓谷に沿って広がっていて、ホテルやお土産屋の建物が崖にへばりつくように建っている。
狭いごちゃごちゃとした道を抜けて、温泉街のメインストリートになっている、階段のある大通りにやってきた。
ザシャさんの正体がバレないように、人混みは避けた方が良い。メインストリートなんて人の多い場所は、本来は通るべきではないのだが、ここには人が全く居なかった。
「ここ、メインストリートだろ、こんなに人が居なくて、この温泉街は大丈夫なのか?」
ヤン太が心配そうに言うと、キングが答える。
「いや、ダメなんじゃないかな。半分以上はシャッターが閉まってるし。あそこなんかどう見たって廃墟だろ」
辺りを見回してみると、キングの言う通り、ほとんどの店は潰れているようだ。2~3軒はシャッターが開いているが、店の中が暗いので、営業しているかは分らない。
寂れた大通りを進んでいくと、湯気のあがっているお土産屋があった。店先にはおばあちゃんが座っていて、とても暇そうにしている。
雑談をしながら歩いていくと、どうやら僕らに気がついたようだ。お盆に何かをのせて、近寄ってきた。
「お客さん、お客さん、おんせんまんじゅうの試食はいかがかね?」
ザシャさんに近づきすぎると、ホログラムが外れて正体がバレる。僕が慌てて近づくのを止めようとしたのだが、その前にミサキが動いていた。
「では、いただきます。ん~っ! 凄く美味しい!」
ミサキがあまりにもおいしそうに食べるので、僕らもつられて食べ始める。
「美味いないな、これ」
「ああ、お土産に買って帰ろう」
ヤン太とキングがまんじゅうの購入を決めると、おばあちゃんはお茶も出してきた。
「こちらもどうぞ飲んで下さい」
「やっぱり蒸したてはおいしいわね」
「水で軽く濡らした後でレンジでチンすれば、いつでも温かいまんじゅうが食べられますよ」
ジミ子がそう言うと、おばあちゃんは豆知識を教えてくれた。なるほど、水で濡らした後で温めるのか。
僕らが楽しそうに試食をしていると、ザシャさんが僕に言う。
「そのお菓子、10個くらい試食をさせてくれない。お金は払うから」
ザシャさんはまだ試食をしていない。ザシャさんにとって、まんじゅう一つでは、味が分らないくらい量が少ないのだろう。僕がおばあちゃんに交渉をする。
「ええと、10個ほど、蒸しているまんじゅうを売ってくれませんか? 試食用として食べるので」
「売るのは良いけど、10個は試食の量じゃないんじゃないかね? ひとつ80円で、10個で800円だよ」
「では、これ800円です」
「まいどあり。ちょっと待っててね」
おばあちゃんがまんじゅうをお盆に載せ、僕に渡す。僕はお盆を持って、ザシャさんのそばに行き、口の中に次々と投げ入れた。ザシャさんはゆっくりと味わうように噛むと、ハリウッドスターらしい感想を言う。
「素朴な味わいの中に、上品な甘さがあるわ。ふっくらとした皮は、舌触りのよい餡子とうまく調和して、極上のハーモニーを奏でているわね。とりあえず、500個ほどもらおうかしら」
おばあさんが驚いた様子で返事をする。
「ご、五百もですか? そ、そんなに作ってませんよ」
「じゃあ、あるだけちょうだい。あと、インターネットでお取り寄せもすると思うから、ネットショップのURLを教えて」
「うちは、ネットショップとかやってないんですよ……」
おばあちゃんが申し訳なさそうに言うと、ザシャさんが強い口調で言う。
「ダメよ。こんなおいしい物を世間に広げないのは罪になるわ。ネットショップを開設する費用が無いなら、私が出してあげる。ツカサくん、手続きを頼めるかしら?」
「えっ? ええと、姉ちゃんの会社に任せれば大丈夫ですかね?」
「そうね。それで大丈夫でしょう」
僕がおばあちゃんに連絡先を教える。
「連絡先はここです。ザシャさんの名前を出せば、無料でネットショップを開設するように連絡しておきます」
「ええ、あっ、はい。ザシャさまですね。わかりました」
あっけに取られるおばあちゃんを置き去りにして、僕たちは目的の露天風呂に向う事にした。歩いていく途中に、ミサキがポツリと言う。
「あれがハリウッドスターかぁ。いいなぁ、私もポンとまんじゅうを500個とか、衝動買いしてみたい」
あの量はザシャさんだから食べられるのであって…… いや、もしかしたらミサキなら食べられるかもしれない。




