管轄外地域 8
「それではさっそく、100マイルが投げられる施術をしましょう。この誓約書にサインをお願いします」
トニー・ジョン博士が書類を渡すと、警官のミシェルさんはパパッと目を通してサインをしてしまった。
……絶対にアレはマズい誓約書だろう。ミシェルさんはもっとちゃんと読むべきだ。
博士はサインを確認すると、ニタリと笑いを浮かべながら、説明をする。
「100マイルのボールを投げられるようにしますが、コントロールまでは保証できません。それでも良いですか?」
「ああ、構わない。やってくれ」
「では、まずは素の状態でピッチングをしてみましょう」
博士がそう言うと、部下がグラブとボールを持ってきた。ミシェルさんはそれを受け取り、ピッチングを始める。
投球をしながら、トニー・ジョン博士がミシェルさんに聞く。
「フォームがしっかりと出来ていますね。球速は70マイル(112キロ)程度ってところかな。野球の経験がありますよね?」
「ええ、高校まで野球をやってました。ほとんど補欠みたいな腕前でしたが」
「いや、なかなかのものですよ。未経験者だと脳のあちこちを書き換えなきゃならないが、これなら最小限で済みそうだ」
最小限と聞いて、ミシェルさんが安心をしたようだ。本当に安心できるかは分からないけど……
何度か投球をすると、博士がミシェルさんに言う。
「OK、充分なデーターは集まりました。書き換えますんで、こちらの席に座って」
「はい。本当に大丈夫なんでしょうね?」
「問題ないですよ、多分ね。ポチッとな」
ミシェルさんにヘルメットのような装置を被せて、スイッチを入れた。
「グガガガガ」
ミシェルさんから、悲鳴とも、断末魔とも取れる声があがる。本当に大丈夫なのだろうか……
しばらくしてフォームの書き換えが終わったようだ。ぐったりとするミシェルさんに福竹アナウンサーが声をかける。
「ミシェルさん、大丈夫ですか? 体の具合はどうですか?」
「うん、ああ、何ともないみたいだ。大丈夫、記憶もしっかりしてるよ、これで俺は100マイルの球を投げられるんだろう?」
すると博士が答える。
「まあ、とりあえず投げてみて、様子を見ましょう」
博士にグラブとボールを渡された。
ミシェルさんは再びピッチングを開始する。すると、先ほどよりは速くなった気がするのだが、時速160キロには及ばないようだ。球速を見て、福竹アナウンサーが指摘をする。
「どう見ても160キロは出ていませんよね。そもそも、選手が女性化した事により、プロ野球の世界でも140キロ付近が最高速です。フォームの改造だけでは、やはり無理なのでは?」
「現在は球速は80マイル(129キロ)程度ですね。実はまだ施術の途中なんですよ、フォームの改造は成功しているようなので次の段階に行きたいと思います。私の後についてきて下さい」
トニー・ジョン博士はそう行って、2人を別の部屋に連れて行く。
廊下を歩いて次の部屋に向っている途中で、博士が福竹アナウンサーに聞いて来た。
「ボールを速く投げるのには、何が必要だと思いますか?」
「うーん。やはり筋肉でしょうか? 筋肉さえ鍛えれば、速くなると思います」
「正解の1つではありますが、それだけでは速くなりませんよ。160キロのボールを投げるには、フォームの正しさ、筋肉の強さ、恵まれた体格、この3つが必要です。ミシェルさんは体格に恵まれ、フォームも正しくなりました。あとは筋肉だけですね」
「つまり、体を鍛えるトレーニングを続ければ、160キロの球を投げられるのですね」
「地道なトレーニングを積んでも良いのですが、ここはパパッと宇宙人の技術で解決しましょう。コチラがそのマシーンです」
トニー・ジョン博士がドアを開けると、そこには見慣れない装置が置いてあった。
「これは何ですか?」
福竹アナウンサーがたずねると、トニー・ジョン博士はこう言った。
「これは宇宙人が開発した、細胞の3Dプリンターのようなものです。体の組織を立体的に作り出して、それを転送装置で体の中に移植します」
「再生医療などに使う装置ですね。それで、この装置で何をするんでしょうか?」
「まあ、実演した方が早いでしょう。まずは採血をします。ミシェルさん、あちらの椅子に座り、腕を出して下さい」
「ああ、わかった」
ミシェルさんが大人しく採決に応じる。
博士は血を採り終わると、宇宙人の機械にセットする。カチャカチャと機械を操作しながら、博士が説明してくれた。
「今からミシェルさんの筋繊維を培養します。筋繊維とは、筋肉の元となる細胞ですね。通常なら筋肉を鍛えて、この筋繊維を太くするのですが、手っ取り早く、この装置で筋肉を移植をして増やします。さあ、ミシェルさん、装置の横のベッドに寝て下さい」
「こうかな?」
「ええ、それで構いません。投げるのに必要なのは、腕の筋肉だけではなく、背筋や腰回り、足の筋力も必要です。では、ポチッとな」
機械がブゥーンと音を立て始める。しかし、ミシェルさんに変化は無いようにみえた。初めのうちは……
しばらくすると、機械が止まった。トニー・ジョン博士は、ミシェルさんに声をかける。
「はい、終わりました。ミシェルさん、立ち上がってボールを投げてみて下さい」
「痛みも何も無かったんだが、これは何が変ったんだろう?」
ミシェルさんは立ち上がるのだが、変化は明白だ。格闘漫画のキャラクターのように筋肉がめちゃくちゃついている。
「ちょっと良いですか? 筋肉がムキムキですよ。警官の制服がはち切れんばかりです」
思わず福竹アナウンサーも突っ込みを入れる。
「よし、いっちょ投げてみるか」
鍛えられた体で、ミシェルさんが投球フォームに入ると、ミットを構えていた博士がストップをかける。
「ちょっと待った。危険かもしれないからキャッチは部下に任せましょう。私はスピードガンでちゃんとした速度を測りますんで」
そうい言って、部下の1人を手招きで呼び寄せる。
「俺ですか? 俺、野球のキャッチャーなんてやった事、無いですよ」
部下は怯えながら答えた。博士は部下に防具を渡しながら言う。
「大丈夫だよ、防具は着けるから死にはしないだろう。さあ、座って」
部下に防具を着させ、強引に配置につかせると、博士は合図を送る。
「準備ができたので投げてみて下さい」
「では、初めは軽めでいきますよ。それ」
ミシェルさんの腕から放たれたボールは、うなりを上げてキャッチャーに向っていく。バチンというもの凄い音と共に、ボールはミットに収まった。
スピードガンをみていたトニー・ジョン博士が、少し驚いた表情で言う。
「軽く投げるって言ってたけど、101マイルを超えているね…… 少し筋肉を盛りすぎたかな?」
その後、ミシェルさんはピッチングを続け、最高速度は106マイル、時速170キロををマークした。これは、人類最速の球、105.1マイルを上回る速球だ。
世界最速という記録を出し、トニー・ジョン博士はカメラに向けて笑顔でアピールをする。
「どうです、この実験の成果。最高でしょう。今ならこの施術が10万ドルで受けられますよ」
この値段を聞いて、福竹アナウンサーが拒否反応を起こす。
「高い! あまりにも高すぎる! この手術は手軽に出来るのですから、もっと数をこなして、薄利多売で行きましょう。5000ドルではいかがでしょうか?」
「……それはいくらなんでも安すぎるのでは?」
「いや、いけますよ。この施術に15分も掛からなかったじゃないですか。1時間で3人こなせば6時間で18人。金額にすると、一日で9万ドルも入ってきますよ」
「……なるほど。では、期間限定で5000ドルという値段で行きましょう」
「はい、いまならお買い得ですよ。連絡先はこちらまで」
ウェブページのアクセス先が出てきて、番組が終わってしまった。
ドキュメント番組を見ていたはずだが、最後に通販番組を見ていた気分になった。
しかし、福竹アナウンサーは、一日当り18人の患者を見込んでいたのだが、はたしてそんなに集まるのだろうか……




