マッドハンド 1
土曜の夜の9時すぎ、ミサキが僕の家に来ていた。なぜ、こんな時間に来ているのかと言えば、英語の宿題を片づけるためだ。
先日の中間テストで、ミサキは酷い点数を取ってしまった。補修をするかわりに、大量の宿題が出されて、今、台所のダイニングテーブルで二人で勉強をしている。
ミサキが悲鳴に近い声をあげる。
「ああ、もう、こんな量、終わらないわよ。日曜日が遊べないじゃない」
「それじゃあ、日曜日も宿題をやれば良いんじゃないかな」
「……もしかして、ツカサも付き合ってくれるの?」
「いや、僕はヤン太達と遊びに出掛けるよ」
「そんなぁ、監視してくれる人いないと、私はサボるわよ!」
ミサキは力強く言い切った。自分の性格は、意外と冷静に把握しているみたいだ。
僕はミサキに、言い聞かせるように言う。
「じゃあ、明日は午後から遊ぶ事にしよう。午前中は勉強に付き合ってあげるから、頑張って」
「うん、それならがんばる」
ふてくされながらも、ミサキは宿題の続きをやる。このペースだと、何とか終わるだろう。
宿題は順調に減っていき、時刻は10時をすぎた。ミサキが机に突っ伏しながら言う。
「もうダメ! 疲れた! 今日はここまでにしましょう」
「うん、じゃあ続きは、明日の朝8時からやろうか」
「ええっ! そんなに早く起きられない!」
「いつも学校に行く時間に起きれば大丈夫だよ」
「……無理よ、だって日曜日なんだもの」
そんな会話をしていると、玄関の方から声が聞えた。
「ただいま~ 今日は飲み会でおそくなっちゃった~」
どうやら、姉ちゃんが帰ってきたらしい。
姉ちゃんは帰ってくると、僕たちがいる台所にやってきた。冷蔵庫を開け、冷たいお茶を手に取りながら、僕らに言う。
「あら、こんな時間まで、ミサキちゃんと勉強していたのね。偉いわね」
「おじゃましてます。はい、勉強をしていました!」
さっきまで完全に手が止まっていたミサキが、再び勉強をするフリをする。ただ、集中力は完全に切れているようだ。筆が全然進んでいない。
これ以上、やっても、あまり意味がないだろう。
「今日はそろそろ終りにしようよ。続きは明日の朝で」
「わかったわ、そうしましょう」
僕に言われてミサキはそそくさと勉強道具を片付け始めた。
片付けが終わると、姉ちゃんが突然、思いついたように言い出した。
「あっ、そうそう、時間があるなら手品を見てみない? 弟ちゃん、ちょっと手をだして」
「いいけど、何をするの?」
「まあ、あれよ、ちゃらららららー」
姉ちゃんはマジシャンのテーマ曲を口ずさみながら、会社でつかっている鞄から、2つの金属の輪っかを取り出して来た。
金属の輪っかはブレスレットほどのサイズで、腕が入りそうだ。酔っ払った姉ちゃんは、そのまま手品を続ける。
「えー、ここになんの変哲も無い、金属の輪っかがあります。まず2つを合わせるようにくっつけてから…… 弟ちゃん、ちょっと腕を通して」
「ええと、こんな感じで良いかな」
僕は腕に輪っかを通し、肘のちょっと前で固定をする。
「うん。じゃあ、ハンカチをかけます。そして、この、なんの変哲もないボールペンを…… いや、ちょっと待って」
姉ちゃんは、ハンカチを少しだけめくり、ゴゾゴゾとなにかをやっている。しばらくすると準備が出来たらしい。
「えーと、この、なんの変哲もないボールペンをハンカチの上から刺します」
ハンカチの上に、ボールペンを突き立て、そのまま中に押し込んでいく。すると、ボールペンが腕を貫いた。もちろん僕は痛くもかゆくもない。
「うわ、すごい! どうなっているんですか?」
ミサキが素直に喜ぶ。この手品は簡単で、はっきり言って子供だましだ。
「これは、おそらくボールペンが伸び縮みをして、腕を貫いたように見えるだけだよ」
僕が仕掛けを言うと、姉ちゃんはこう言った。
「それじゃあ、ミサキちゃんのもっているペンで、この部分を貫いてみて」
ミサキは言われた通りにシャープペンを取り出して、姉ちゃんの言った部分に刺した。シャープペンは特に抵抗もなく、僕の腕を貫いたようだ。
「あれ? ボールペンに仕掛けがあったんじゃないのかな?」
予想をハズした僕は、他にどんな方法があるのか考えていると、姉ちゃんがボソッと言う。
「あっ、外れた」
次の瞬間。僕の腕の先が、ボトッとテーブルの上に落ちた。
「えっ? あれ? 僕の腕が!」
パニックになる僕に、姉ちゃんが落ち着くように話しかける。
「大丈夫よ弟ちゃん。手は繋がっているから、手を開いたり閉じたりしてみて」
試しに手を動かしてみると、ちゃんと繋がっているみたいで、思い通りに動く。
「姉ちゃん、これ、どうなってるの?」
僕が聞くと、姉ちゃんは説明してくれる。
「これ、実は固定式の小型の『どこだってドア』なのよ。見た目は、切り離されているように見えるけど、空間は繋がっているわけ」
僕はこんな質問をする。
「この装置、何に使うの? まさか手品用じゃないよね?」
「もちろんよ。コードの配線が複数あって、それを整理する時、引き抜いてから刺し直せばいいんだけど、切断できない装置や機械って意外とあるのよ。これは繋げたままで、切断したように扱える装置ね」
「用途は分ったけど、どうすれば、これは元に戻るの?」
僕が聞くと、ねえちゃんは僕の腕の先を手に取って、実演をしながら言う。
「簡単よ。二つの輪っか、腕の先についている輪っかと、腕の元についている輪っかをくっつけて、正しい位置を確認。そして、ロックを解除すれば…… ほら元通り、もう引き抜いて大丈夫よ」
輪っかから手を抜くと、僕の腕はもとにもどった。痛みなどは一切なかったが、酷い目にあった気分だ。
元通りに戻った僕の腕を見ながら、ミサキが目を輝かせながら言う。
「面白そうな装置ですね。よければ貸してもらえませんか?」
「何に使うの? まあ良いけど。これ、説明書と注意書きね」
姉ちゃんは軽い気持ちで、この装置をミサキに貸し出してしまう。ミサキはいったい、何に使う気なんだろうか?




