体育祭 8
『借り物競走』という形で、『マッドネス・タクシー』のゲームが校庭の上で再現された。幸い、このゲームの本質には気付かれていないようで、おとなしい普通の借り物レースが続いている。
そんな中で、運転手がジミ子に変った。ジミ子の運転は乱暴なので、二度と乗りたくはないが、なぜだか乗客のターゲットを示す矢印が、僕らの真上に現われる。スタートの合図が放たれると、オープンカーのタクシーは、真っ直ぐこちらに突っ込んでくる。
「僕たちがターゲットみたいだね……」
「どうやらそうみたいね、来たわ、避けるわよ!」
急ブレーキがかかると、ガンガンガンと車とは思えないような音を立てて車は停止する。ただ、ブレーキを掛けるのが遅すぎたらしく、先ほど僕たちの居た場所には、車が突っ込んでいた。避けなければ今ごろ下敷きになっていただろう。
車が止まると、ジミ子は何ごとも無かったかのように、平然と言う。
「ツカサ、乗って!」
「えっ、僕? ミサキじゃダメなの?」
「お題が『元男の友達』なのよ。ツカサじゃないと失格になるわ」
それを聞くと、ミサキがこれ以上ない笑顔で、親指を立てながら言った。
「いってらっしゃい!」
「ああ、もう、乗れば良いんだよね」
ヤケになりながら、ジミ子のタクシーに飛び乗る。ヤン太のように車のドアを開けずに、オープンカーに飛び乗ろうとすると、ジャンプが足りなかったのか、足が引っかかって、シートの上にベチャっと落ちた。シートがクッションになり、痛くは無いが恥ずかしい。
「行くわよ!」
「えっ、ちょっと、まだちゃんと座っていな……」
ガガゴッっと変な音を立てて、車は急発進した。ありえない速度で走るタクシーは恐怖そのものだ。顔が引きつったまま元に戻らない。
この借り物競走では、3人を回収してゴールをすれば良い。車は2人目のターゲットへ向う。
次の矢印は、教員が待機しているテントの上に現われた。三角形の日よけのテントにジミ子が車ごと突っ込む。車は半分ほどテントに突っ込んでから、ようやく止まった。運良く柱の間を通り抜けたようで、テントは無事だ。いくつか跳ね飛ばしたパイプ椅子も、たまたま誰も座っていなかったようで、被害は無さそうに見える。
次の犠牲者の先生は誰だろう? 確率的には、担任の墨田先生が高いかもしれないな。
そんな事を考えて居ると、ジミ子が被害者の名を告げる。
「お姉さん、乗って下さい」
「へっ? 私?」
放送席の近くに居た姉ちゃんが、驚いた顔で答えると、続いてジミ子はこんな事を言う。
「お題は『尊敬できる人』なんです! 乗って下さい」
「えへへ、『尊敬できる人』なんて、そんなお世辞を言っても、何も出てこないわよ」
そう言いながら、姉ちゃんは笑顔で車に乗り込んでくる。これから地獄を味わうとも知らずに。
「次のターゲットへ向います!」
ジミ子はバックでテントを抜け出すと、ハンドルを急に切り、180度のスピンターンをする。遠心力で体がもっていかれそうになる。
「ぐぅう」
あまりの力に姉ちゃんが変な声をあげた。この車は、本当に安全装置がついているのだろうか?
3つめの矢印が見えた。ターゲットは保護者の観覧席の奥の方。老人会のテントの下を指している。
これは運が悪い。観覧席のギリギリ手前で止まったとしても、老人は歩くのが遅いので、その間に相手チームがゴールしてしまうだろう。
僕は負けを覚悟したのだが、ジミ子は違った。
「安全装置を信用して良いんですよね?」
姉ちゃんに変な事を聞くと、姉ちゃんは自信満々にこう答える。
「ええ、大丈夫よ。思う存分、やっちゃって」
やっちゃってって、これ以上、何をやるんだ…… そう思っていたら、ジミ子がタクシーごと人混みに突っ込んでいく。
観覧席から、大きな声があがる。
「おい、突っ込んでくるぞ」「ヤバい、逃げろ!」
人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていく中、ジミ子はブレーキを踏むどころか、アクセルを踏み込んだ。
「ちょ、ちょっとジミ子。ぶつかるって!」
僕は必死に止めようとする。この人たちはCGではない、車が当ったらアウトだ。
ちりぢりになって車から逃げるが、やがて逃げ遅れる人が出てきてしまう。
「ぶつかる!」
僕がそう叫んだが、車はスルリとその人をすり抜け、何事もなかったように通りすぎた。
「あれ? なんで?」
僕が不思議そうにしていると、姉ちゃんが引きつった声で解説をしてくれた。
「『どこだってドア』って、空間をねじ曲げて、違う場所を繋げ合わせるじゃない。この車は、人と接触しそうになると、空間をねじ曲げて衝突を回避するの。だから事故は起こらないわ…… 怖いけど」
なるほど、空間を制御して、車の形を歪めてるわけか。すごい大がかりな装置が装備されているわけか。
そんな話をしていると、ギャギャンと音を立てて車は止まった。
「乗って、おばあちゃん」
「私かね? ほいよ」
3人目のターゲットは、ジミ子のおばあちゃんらしい。おばあちゃんは車に走り寄ってくると、ドアを開けずに、ポーンと軽々とジャンプして乗り込んできた。僕は思わず声をあげる。
「ええっ…… わ、若いですね、ジミ子のおばあちゃん」
「若返りの薬を打ってから調子が良いんじゃよ。ほれ、モタモタせず、車を出さんかジミ子」
「はいよ。おばあちゃん」
ジミ子は再びアクセルを踏み込み、人混みの中に突っ込んで行く。観覧席は、ちょっとした地獄絵図だ。
この後、僕らは悲鳴を無視するように、一直線にゴールをして、勝利をつかみ取った。まあ、この運転方法に対抗するには、同じ様な無茶をやらなければ、勝てない気がする……
ちなみに、この後も『借り物競走』が続くのだが、このような運転が出来ると分っていても、やる人はひとりも出てこなかった。




