勉強合宿 7
火星の学習収容所で、バンド活動をしている人達がいた。
『自立支援』という名目で、この場所にいるようだ。
確かに、音楽だけで自立することは難しい。食べていく事もままならないかもしれない。
しかし、この場所に居れば、味はまずいが、バランスの取れた食事は出来る。
衣食住について何も考えずに、楽器をいじっていられるこの場所は、もしかするとバンドマンには理想郷なのかもしれない。
遠くから演奏する様子をみていたミサキが、ロボットにこう言った。
「他に面白い人達が集まっていたら、そこへ連れてって」
「『面白い』かどうかは判断できませんが、特定の理由でこの施設を利用している人達はいマス」
「じゃあ、そこへ連れてって」
僕たちはまた歩き始める。
5分ほど歩くと、また人の集まっている場所に出てきた。
教室のような広場に、花をいけている花瓶が飾っており、その周りを人が取り囲んでいる。
この人達は、ただ花瓶を眺めている訳ではない。花瓶の絵を描いているようだ。
それぞれの前に、イーゼルという譜面台のような物を置き、熱心にペンや筆を動かしている。
「どんな絵が出来上がるのかしら?」
ミサキが気になって絵を覗き込む。
だが、後ろからでは描いている人の背中が邪魔になり、良く見えない。
僕らが後ろの方を、うろちょろとしていたら、気がつかれてしまった。
絵を描いていた初老の人が手を止め、こちらにやってきて声を掛けてくる。
「君たち、見学かね? そんな所ではよく見えないだろう。どうせ見るならもっと近くにきなさい」
芸術家といえばおっかないイメージがあるが、意外と優しいみたいだ。
僕は、申し出を受け入れる事にした。
「では、お言葉に甘えさせて見させてもらいます」
ミサキと二人で教室の中の方へと移動をする。
移動をしながら描かれた絵画を見てみると、それは十人十色だった。
描かれている絵画は、温かく柔らかな色彩で描かれた物もあるし、モノクロの水墨画のような絵や、写真を切り取ったような精巧な絵画もある。
それらはどれも素晴らしい出来栄えだった。同じものを描いていても、画家の個性により全く別の作品が生まれるようだ。
「凄い上手いね」
僕がミサキに言うと、ミサキはちょっと失礼な感想を漏らしてしまう。
「そうね。自立できないって話だったから、もっと下手だと思っていた」
「ミサキ、ちょっと!」
僕が強く注意しようとすると、初老の人は僕らの間に入り、仲裁をする。
「まあまあ、この絵画の世界では厳しくて、このレベルだと、なかなか食べていくのは難しいのだよ」
「そうなんですか? 僕は十分に絵が上手いと思います。美術館にあってもおかしくないですよ」
この言葉はお世辞ではなく、本心からそう思った。
むしろ、最近の美術館の方が訳の分からない変な絵が多い気がする。あんな絵より、こちらの方がはるかに良い。
「ありがとう、お世辞でもうれしいよ。そういえば君たちは暇かね?」
なぜか唐突に話題を変えられた。僕はちょっと警戒する。
「まあ、暇といえば暇ですが…… なんでしょう?」
すると、初老の人は目をギラつかせ、こう言った。
「よければ絵のモデルをやって見ないか?」
「ええと、でも僕たちは今日帰らないといけないので、あまり時間が……」
僕がやんわりと断ろうとしても、初老の人は強引にモデルの話しを進めようとする。
「それなら30分、いや15分で良いから。この場所ではモデルが不足しているんだ、これを見てくれ!」
そういってスケッチブックを取り出してきて、ページをめくり、僕らに見せる。
そこには鉄パイプで出来たような細身のロボットが、モデルが取るようなセクシーポーズをしている絵があった。確かにこれではモデルがあまりに酷すぎる。
この惨状を見て、ミサキがセクシーポーズを決めながら言う。
「ちょっとだけなら、モデルを引き受けてもいいんじゃないかしら?」
……どうやらミサキは乗り気らしい。
引き受けるしかなさそうだ。僕が念の為、モデルの内容を確認をする。
「まさかヌードとかじゃないですよね?」
「普段着で構わんよ。もし、希望するならヌードでも良いが……」
「いえ、普段着でお願いします」
こうして僕らはモデルを引き受ける事となった。
「右手を上げて」「腰をもっとひねって」「左手は太ももに添えるように」
僕とミサキは花瓶の隣に立たされ、様々な要求を突きつけられる。
「胸の大きい子、視線を上に」
「いや、視線はそのままで」
「なんだと、視線を上げた方が、断然良いだろう」
「ふざけるな、お前の感性は狂ってる」
しかも指示を行なうのは一人ではない。それぞれの芸術家が、それぞれ勝手に指示を出す。おかげでポーズがなかなか決まらない。
色々なポーズを取らされて、最後に結局『楽な格好をして下さい』という事になった。
僕は椅子を借りて、座りながら本を読む姿勢を取る事にした。
いつも読んでいる本はマンガくらいだが、今回は分厚い聖書を渡された。普段なら絶対に読まない本だ、この本を広げるのは、これが最初で最後かもしれない。
一方、ミサキは先ほどの腰をひねったモデルみたいなポーズを決めていた。
「モデルの方は出来るだけ動かないで下さい。では、ここから15分間、開始します」
初老の人が取り仕切り、いよいよスケッチが始まった。
カリカリと鉛筆が動く音が辺りから聞こえてくる。みんな真剣で、この場所には緊迫感が漂っている。
僕らはモデルとして、出来る限り動かないようにジッとしていた。
そしてスケッチが始まって5分ほど経った。動かないというのは意外とキツい。本を支えている手が辛くなってきた。
ミサキは小声で僕にささやく。
「キツい、キツいわ、この体勢」
「少しの間だから我慢しないと」
僕がなんとか言い聞かせる。
ミサキはセクシーなポーズをとったので、無理な体勢がかなりキツそうだ。
10分後、ミサキは小声で「ふおぉぉぉ」という、うめき声に似た声を発し始めた。
僕は聞こえないふりをする。周りの人も聞こえているはずだと思うが、特に何も言わず黙々と絵を描いている。
13分後、プルプルと震え始め、顔が歪んでいる。あともうちょっとなので頑張れミサキ。
15分後、終了の声が上がり、ようやくスケッチが終わる。
「つらかった」
その場で崩れ落ちるミサキ。
ミサキは変な汗をかいていてグッショリと濡れていた。
僕は心配して声を掛ける。
「大丈夫?」
「うーん。大丈夫よ。ちょっと待ってね」
ミサキは寝転んだまま、腰を縮めたり伸ばしたりストレッチをする。
そして、しばらくすると起き上がった。
軽くジャンプをしている様子を見ると、後で筋肉痛にはなりそうだが、特に問題はなさそうだ。
「どんな絵が描けたのかしら?」
ミサキが好奇心旺盛に、初老の人に聞く。
「見てみるかね?」
「是非、お願いします」
僕らは描かれた絵を見て回る事にした。
15分という短い時間だったが、描いていた人はプロに限りなく近い人達だ。
何枚ものラフ画が出来上がっていた。
ラフ画はもちろん。僕が本を読んでいる姿と、セクシーポーズをしているミサキの姿だ。
絵の横には、仮のタイトルとみられる文字が振られている。
僕の絵には『読書にたたずむ少女』『聖書を読む聖女』などの地味なタイトルが付けられていた。
一件だけ『巨乳』というタイトルが付けられていた気がするが、それは見なかった事にしよう。
ミサキの絵にはちょっと変わったタイトルが多い。
『苦痛に顔をゆがめる少女』『苦悶』『鬼の形相』など、ろくでもないタイトルばかり付いていた。
「私のセクシーなイラストはどこ?」
ミサキは自分の妖艶な絵を探すが、そんな絵は一枚もなかった。
やはり、あの苦痛に耐える表情が、芸術家達の印象に残ってしまったらしい。
一通り、描かれた絵を確認すると、ミサキは早くも飽きてしまったようだ。僕をせかしてくる。
「そろそろ次に行かない?」
「分かったよ。じゃあ挨拶をして次に行こう」
僕らは初老の人と向かい合う。
「今日は貴重な体験をさせていただき、ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそモデルを引き受けてくれてありがとう。感謝するよ。何かあったら何でも言ってくれ。協力できる事があれば手伝おう」
「いや、特に頼み事は…… そうだ。何か他に珍しい場所を知っていませんか?」
すると、初老の人は、こんな場所を教えてくれる。
「君たちは『花の丘』へは行ってみたかね?」
「いいえ、全く知らないです」
「あそこは綺麗だよ。ここからも近いし、一度見ておいた方が良い」
「分かりました。ありがとうございます。行ってみます」
僕らは別れの挨拶を済ますと、『花の丘』へと向って歩き出す。




