ネット上のやり取りにおける意思の齟齬と、それを解決するための効果的な方法。
「僕はね、SNSのやり取りというのは不完全だって思うんですよ」
カチカチとキーボードを叩く音が、モニターの明かりだけに照らされた部屋の中で響く。
フリーリング床の、八畳ほどの広さの室内は綺麗に整えられており、パソコンの置かれているデスク周りもきちんと整理されている。
「そもそも、人の意思疎通において声や顔――つまり音と映像の意味するところはかなり重要であるんです。イントネーションによって、相手の感情を感じ取れるし、語尾の強さで言葉の意味の強さを知ることができる。目の前にいれば表情を見て取れるから、相手が何を思っているか理解しようとできる」
彼はカチカチとマウスを打つと、開かれたブラウザにはSNSが表示される。
Tubyaitter。僅か140文字にてメッセージを送信する、正確に言えばSNSではなくマイクロブログと呼ばれるものである。
だが、日本語という特殊な体系を持つ日本において、TubyaitterはSNS――コミニュケーションツールとしての側面を保有することになった。
「たった140文字。人が意思を交換し、理解し合うにはやはり不完全なツールです。もちろん、マイクロブログとしてなら何も問題はない」
簡単に書き込める上、問題のある反応をする相手を容易くブロックできる機能。ブログとしてならとても重宝する。自分のブログを荒らされて気分の良い人間はいないからだ。
それはSNSとしてみても、便利な機能だ。ただ、そこにも問題が生まれている。
「しかし、これでコミニュケーションを取るという選択をした時点で、問題は発生していたんです。ちょっとした論戦、言葉の取り違いによる誤解、自分の意図しない解釈……様々な問題がです。それだって十分言葉を尽くして、それでもダメだというなら仕方ない。現実でも理解し合えないなんてザラですから、納得できますよ」
彼は手を止めた。そして若干低くなったトーンで言葉を続ける。
「でもね……一方的に侮辱をされて、反論をあざ笑って、散々虚仮にされた挙句、ブロックされて、それが正式な機能だからと……納得できますか?。相手にブロックされれば、その時点で何もできなくなる。自分に非があろうとなかろうと。やったもん勝ち。した側はされた側を自由に見れるが、された側は何を書かれようと見ることも出来ない。勿論、これは正式な機能だし、そこには文句はないですよ」
マウスを動かし、操作する。今度はマウスから手を離し、キーボードを叩く。またマウスを動かし、キーボードを叩く。それを数度繰り返す。
「これで全部のブロックは解除、と」
くるっと事務椅子を回して、彼は振り返る。
「でもね、それは決して”相手を一方的に嬲っておきながら責任も取らずに逃げおおせる為のものではない”んですよ?」
わかりますか。と、彼はフローリングに転がる男を見下ろした。男は手足を縛り上げられ、猿ぐつわを噛まされている。
「どうしてこんな事をされるか、分かりますか? 分かりませんか? そもそも僕が誰なのかも分からないでしょう?」
床に転がされたまま、男はダラダラと脂汗を流している。動けないように拘束され、既に半日近く経っていた。肉体的にも精神的にも疲労が溜まっている。
あまりにも異様な状況に男は混乱しているのだろう。目を白黒とさせている。
「今から3ヶ月前、Tubyaitter上で一人のユーザーと揉めたのを覚えていますか? きっかけは些細なもの。そのユーザーを揶揄した書き込みをしたのが最初。あなたは日常的に、匿名であることを利用して敵意ある書き込みをしていましたね」
「っ……」
「その上で、さんざん相手を罵り、先にブロックを掛けることでそれ以降のやり取りを一方的に遮断。相手は苛立ちをしこりとして残したまま、泣き寝入りするしかない。そういう問題行動を繰り返し、何度もアカウントを凍結されながら、懲りることなく問題行動を繰り返す。何故なら問題行動をするのは全部、サブアカウントだから」
「………」
「メインのアカウントでは……まあ、家族思いのいいお父さん気取りですか。家族の写真を顔が映らないようにしつつ、自慢するために上げて……ねえ?」
モニターに映っているのは、男の家族の写真だった。先日、小学校の入学式を終えた娘のランドセル写真が、男のコメントと共にアップされている。
「ところで気になりませんか? どうして僕があなたの事を探し当てたのか?」
男はビクッと身体を震わせた。
仕事帰り。家路を急ぐ中、突然背後から衝撃に襲われ、車に詰め込まれた。今も残る脱力感から、スタンガンでも喰らったのだろうと、男は思っていた。
相手の目的がTubyaitter上のトラブルにあるなら、どうして自分だとわかったのか。その疑問は答えを聞くことも恐ろしい。
T入学式の写真。うまく隠してますけど、これってN大学附属小学校の制服ですよね。この特徴的な門柱と合わせて簡単に特定できましたよ。となれば家は学区内。普段忙しいと書き込みが多いから、そんなに遠い場所には住んでいないでしょうからね。それとこのランドセルについているチャーム。とあるイベント限定品で、販売してるものじゃないんですよ。こんなの付けてあら誰だってすぐに分かる。後はその後をつければ………ね、簡単に家が特定できる」
「む――っ!?」
「はいはい。抗議は最後に聞きますよ。……ところで、家族は大事ですか? 愛していますか?」
「っ……!?」
男は、転がされた状態で必死に頷いた。嘘はない。男にとって家族は大事な存在だ。それを見て、彼は嬉しそうに言った。
「そうですか。では当然、相手の大切なものを侮辱されれば怒りを被る。それも分かりますよね?」
彼はゆっくりと、耳に染み込ませるかのように男に問いかけた。男がコクコクと頷くのを見て、彼は満足そうに笑った。
「それじゃあ、どうして………僕の学歴を揶揄するようなことを書いたんですか?」
「……? ――っ!?」
男は一瞬、呆けるようにして、それから目を見開いた。学歴を揶揄。それに思い当たるのは一人のユーザーしかいなかったのだ。
toraというユーザー。きっかけは些細なものだった。買い込みの内容に御用があったのだ。それを叩く書き込みをした。何度かやり取りをして……最後の書き込みをした後、即ブロックを掛けた。
すぐに思い出せたのはそれ以降、攻撃的書き込みを控えていたからだ。
その時に書き込んだ内容は―――。
「”T大卒と言っても、その程度のオツムしか無いんだなww”でしたよね?」
「っ……!」
まるで心を読まれたかのようなタイミングに、ビクリと男の体が震える。
「世の中、学歴よりも実力だとか言うけれど、そんな事はないんですよ。勿論、学歴が全てとも言う気はないですよ。でもね、学歴っていうのは重いんですよ。軽くないんですよ。三流高校卒業の人間が官僚になれますか? 暴走族のリーダーをやってたような奴が、大企業に入れますか? そんなのはフィクションの産物ですよ。同じ面接にまともな学歴を持つ人間と碌でもない学歴の人間がやって来て、後者を取りますか? 取らないでしょう? それぐらいには学歴は重いんですよ。僕はねK大に入るために小学校入学前からずっと何年も何年も何年もずっと勉強してきたんですよそれはもう周りが遊び呆けてる合間もひたすらに勉強し続けたんです春も夏も秋も冬も正月もぼんも夏休みも冬休みも春休みもなくただひたすらに勉強し続けたんですそれもK大に入るっていうたった一つの目標のためにですそれを叶えて大学院まで出てやっとこれからその努力が報われようっていう時にどうして僕はああなたみたいな人間に僕が積み上げてきた時間を遊び感覚で馬鹿にされなきゃならないんですかそれとも何ですかあなたには僕を馬鹿に出来るだけ積み上げた努力の時間があるから馬鹿にしても構わないなんて思っているですかそれなら教えて下さいよあなたが僕を馬鹿にした理由を!!」
ドン――!!
ギラリとした光が、男の前に振り下ろされた。それがよく研がれた包丁であると気付き、男はくぐもった悲鳴を上げた。
「さて、話を最初に戻しましょう。文字上のやり取りには齟齬が生まれる。ではどうしたら良いのか………答えはシンプルです。直接対面して、弁論を尽くせば良い。大丈夫、時間ならありますから。僕にも……あなたにも」
「ふぐっ!?」
彼はそう言って今までで一番の笑顔を、男に向けた。笑顔のまま、彼は男の猿ぐつわを外した。
「お、お前……家族に何をした!?」
「……………さあ?」
カクン、と首を傾げる姿に、男はゾッとした。目前にいる存在がまるで言葉の通じない宇宙人のように見えた。
「さあ、始めましょう。僕とあなたが………正しく”理解し合う”為に」
決して、理解できる存在ではないのだと――男は正しく理解した
二宮杯。お題は”解”。
一見まともに見える人でも、触れてはならないポイントというものがあります。
そこに触れた時、何が起きるか・・・。人を傷つけるような言葉を発しないよう、気を付けましょう。