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9/9

翌日

スペンサーは、昨日とはうって変わって、爽快そのものの目覚めを迎えた。

運ばれてきた朝食を忽ち平らげ、お代わりまで要求した。

なにしろ今日が正念場だから、途中でだれてしまわぬ様にしっかりと精を付けておかねばな、と決意を新たにした。

着替えを済ませて執務室に入ると、椅子に深く掛けて虚空を睨み、今日の手順を頭のなかで反芻していた。

秘書がやって来て、大賢人会議の開催準備が整った事を告げる。

スペンサーは腹の底で気合いを入れると、立ち上がった。


ケルブは、肩の痛みに一晩中呻いていた。

夜明けと共にガーディアン達は帰って行った。

さすがに、大賢人会議の開催中に崇高賢者を拘束していたという記録が残る事は避けたかったのであろう。

ケルブはそれを待ちかねた様にベッドの上で上体を起こすと、自派の大賢者達に召集命令を下した。

そこへ、スペンサーから「大賢人会議に出席するに及ばず。養生を優先せよ。」との伝言が入った。

これはしばらく大人しくしている方が良さそうだと感じて、出席は見合わせる事にした。

頃合いを見計らって秘書に支えられながら会議室に入った時、愕然とした。

友好団体の大賢者は一人も居らず、下部団体ですら半分近くが居なかったのである。

部屋の隅で居心地悪そうに身をすくめているグロムイコを怒鳴り付けた。

「これはどうした事じゃ。ちゃんと連絡を取ったのか!」

グロムイコはしどろもどろに答えた。

「そ、それが、他の方々は皆、都合がつかぬ、とのご返事でございます。」

ケルブは、昨日の失態で自分の権威が急落している事を覚らざるを得なかった。

これは何としても巻き返しを図らねばならぬ、と危機感を覚えたので、出席者に対して会議の内容は逐一報告を入れる様に厳命した。


議場ではケルブ派以外の大賢者達が、これから始まる会議の成り行きについて見当もつかず互いに顔を見合せていた。

大半の大賢者は、いずれかの崇高賢者を領袖に戴く大小様々の派閥に属しており、大賢人会議の前に派閥としての方針を指示されて会議に臨むのが普通である。

ところが今回に限っては上からの指示が全く無く、不審を抱きながらの出席となった。

彼等が議場に入ると、壇上の深紅色のビロードのガウンを着た領袖達が居心地悪そうに互いに視線を反らしているのを見て、不審は不安に変わっていった。

壇上の崇高賢者達は、スペンサーの怒りをどうやって避けるかだけを必死に考えていた。

なにしろ、全員がスペンサーを見捨てたのである。

よもやこの危機を乗り切れるとは夢にも思わなかったのだから、やむを得ない仕儀ではあったが、その結果全員が非難されるべき立場にあった。

特にケネスは、うまく立ち回るチャンスがあったにも関わらず咄嗟に掴み損ねるという大失態を演じている。

何とか保安局長に弁護させようとしたのだが、サリバンは多忙を言い立てて呼び出しにも応じない。

こうなれば、一旦スペンサーに非難させた上で論駁し、こちらの言い分を明らかにしてから謝罪する、という手しかなさそうだ。

論駁に失敗すれば取り返しが付かなくなる可能性もあるが、だからといって全閣僚を罷免するわけにも行くまい。

結局、スペンサーにしても崇高賢者達をここで謝罪させるしかない筈だから、それなら出来るだけその謝罪を高く売り付けるべきである。


深紫色のガウンを羽織ったスペンサーが、議場に現れた。

壇上の崇高賢者達も、議員席の大賢者達も一斉に立ち上がって、議長を迎える。

プロトコル通りの言葉で開会宣言が行われると全員が思っていたが、スペンサーの言葉は、予想とは違っていた。

「賢者諸君。急な召集にも関わらず、万障繰合わせての出席に感謝する。今回の事件に関しては、不幸な行き違いに起因するものとは言え、死者・負傷者合わせて500名を越える惨事となった事は痛恨の極みである。この点については、連邦政府、特に崇高賢人会議の不手際が大きな要因となった事は明らかであり、その責めは挙げて最高賢者たるこの私の不徳にある、と言わざるを得ない。よって、この場で全ての国民、特に今回犠牲となった皆様にお詫びを申し上げる。」

そう言って、スペンサーは壇上で深々と頭を下げた。

崇高賢者達は、戸惑いの表情で顔を見合せた。

弱味を持っている人間は、無条件に謝るという事ができない。

一旦非を認めたら、その後で責任を追及されても回避するすべが無いからだ。

つまり、会議冒頭で全面的謝罪をしたという事は、自分の非を論う事ができる者はいないのだ、という勝利宣言なのである。

「この悲劇に際して今我々が為すべきは、互いを非難し合う事ではなく、心から犠牲者を悼むと共に二度とこのような惨事を繰り返さないように手を携えて行く事でなくてはならない。今回の行き違いの原因となった心得違いから暴力に走ってしまった者もおろうし、愚かな保身の念から恥ずべき怠慢を専らとした者もいる事は否定できぬ。しかし我々がこの悲劇を乗り越えて行くために、これら全ての者を赦し全ての死者及び生者に対してその罪を一切問わぬ事をここに提案する。」

ケネスは、思わずしまったと呟いた。

スペンサーがその罪を一身に引き受ける姿勢をアピールした上に、謝罪する前に一方的に赦されてしまった事で、謝罪を前提とする条件闘争そのものが封じられてしまった。

しかも自分達が、炎の剣の暴徒達と同列での赦しを受けるべき存在と位置付けられてしまったのである。

これでは、今後スペンサーに逆らえば、忘恩の徒というレッテルを貼られてしまう事になる。

「この議題について、何か意見のある賢者は居るかな?」

ケネスは、事態が終息した時点でスペンサーの前に身を投げ出し、無条件で謝罪するべきであったと覚ったが、過ぎてしまった事は仕方がないと、遅まきながらプライドを棄てる決心をした。

「議長、発言をお許し下さい。」

ケネスが右手を挙げるのを見たスペンサーは、ゆったりと頷いた。

「何と言うご寛情、ケネス心より感激致しました。この偉大なるご寛容の徳は、永く語り継がれて行く事でございましょう。そこで、この赦しに基づく和解の象徴として、今回の全ての犠牲者をその属する陣営に関係なく一緒に葬る事とし、個別の墓碑を建てず合同慰霊碑を建立致しまして、その慰霊碑に閣下の徳をしかと刻み付け、後世に伝える事を提案いたします。勿論その慰霊碑の建立に関わる費用は、不肖このケネスが全て負担させて戴きます。」

このあからさまなへつらいぶりを見た他の崇高賢者達も立ち上がって、先を争ってスペンサーの寛容を誉め称え、慰霊碑の費用を負担したいと主張した。

「待て待て、落ち着きなさい。そなたらの賛同は真に嬉しく思う。しかし、こういう物の費用を個人で負担するのは、些か奇異に感じられる。だから慰霊碑は連邦政府の費用で建てる事としよう。その上で、ケネス師には合同葬儀の委員長を勤めて貰う事としたいが、どうじゃな?」

「身に余る感激でございます。必ずやこの大役立派に勤めてご覧にいれましょう。」

「さて、この提案に反対の賢者は、挙手願いたい。」

勿論、反対は無かった。

「それでは、この提案は可決された。」

そう言って、スペンサーは満足げに頷いた。

「続いて第二の議案に移る。皆も存じておる通り、現在崇高賢者の身辺警護はSI局のケンジントン支局が担当しておる。しかし、これはSI局の基本業務とは全く関係のないものであり、また本来は、警護は保安活動の一環である事が常識的な判断と言えよう。従って、今回の悲劇的事例を鑑みて安全な保安体制の確保が急務と言える現在、この変則的な体制を解消し、効率的な保安体制の確立を図るため、ケンジントン支局自体を保安局へ移管する事を提案する。」

この提案を聞いて、議場全体にざわめきが広がった。

勝者自らが、その武装を放棄しようという提案なのである。

賢者達はてんでに議場を見回したが、意外な表情をしていないのは、スペンサー、サリバン、ランドルフと、後は崇高賢者の護衛に着いているセジャンズの4人だけであった。

スペンサーが自信たっぷりな表情で議場を見回す中、サリバンは満足げに頷き、ランドルフは平静を保っていたが、セジャンズは顔面が蒼白になっていた。

なにしろ、今まで最高賢者の威を借りてさんざん蔑ろにしてきた相手である保安局の下に入る事になってしまったのだ。

「この議題について、何か意見のある賢者は居るか?」

既に返り忠の功績を認められたケネス以外の崇高賢者達は、口々にスペンサーの決断の高潔さを誉めそやし、全面的な賛成を表明した。

スペンサーは、彼等の体裁を憚らない阿諛にはもううんざりし始めていたが、それを表情に表す事なくにこやかに聞いていた。

一頻り内容の無い阿諛迎合の声を聞いた後、議決に移った。

「さて、この提案に反対の賢者は、挙手願いたい。」

やはり、挙手は無かった。

可決を宣言するスペンサーの声は、茫然自失のセジャンズの耳には入っていなかった。

さてこれからが本番じゃ、とスペンサーは腹の底で気合いを入れた。

「それでは次の議題に移る。今回の惨事の遠因の一つとして、禁書館の所属が明確で無かった事が挙げられよう。現在の禁書館は、連邦政府に属しておるもののその位置付けは明確でなく、従って財政的措置も講じられなかった。館員の給与については政府予算の雑費の中から支出されるものの、それ以外の補修などの臨時費用は特に定めがなく、都度雑費や崇高賢人会議の予算から支出されてきた。」

実際には、ほとんどSI局が被って来たがね、とランドルフは腹の中で毒づいた。

「この事に象徴されるように、禁書館はその存在自体がタブーとされ、それに対する責任の所在は常に曖昧であった。これにより禁書館は連邦の中でその存在の正統性を疑われ続けてきた。しかし我々にとって禁書館が必要な存在であることは、疑いが無い。なぜなら我々は常に正義で有らねばならぬが、何が悪であるかを知る事なく正義であることはできぬ。そして、我々が悪を知りまたこれを広く知らしめる手段は只一つ、禁書目録インデックスのみである。この禁書目録を編纂するためには、禁書館は必要欠くべからざる存在なのだ。この事から、禁書館を連邦の中で然るべき部署と位置付け、更にこれを広く国民に周知する。具体的には、禁書館を担当する崇高賢者を定め、その執行に委ねる予算を手当するべきである。また、この担当崇高賢者としては、禁書館の特殊性に鑑みて最高賢者を当てる事としたい。この議題について、何か意見のある賢者は居るかな?」

崇高賢者達は、これ以上諛っても逆効果となると見て、誰も意見を述べなかった。

「さて、この提案に反対の賢者は、挙手願いたい。」

わざわざ自発的に厄介物を背負い込もうという提案に、敢えて反対する者はいなかったので、可決を宣言した。

よしこれで半分片付けたぞ、とスペンサーは内心ほくそ笑みながら、表面はあくまで緊厳な表情を保って次の議題に移った。

「それでは本日最後の議題に移る。先程の議決に従い連邦政府として禁書館の必要性の啓蒙に務める事は当然であるが、それでもなお、蒙昧を根絶する事は難しいと言わざるを得ない。」

スペンサーはここで一旦言葉を切り、胸の中で自身を励ますと有らん限りの威厳を込めて宣言した。

「再び、蒙昧な不心得者があのような悲劇を起こす事の無いように、禁書館自体に防衛力を持たせる事を提案する。」

サリバンは愕然とした。

確かにケンジントン支局は長年に渡って保安局の目の上の瘤だったので、これを配下に取り込む事で今回の直接の目的は達成された。

とは言えそれは、暗黙的に保安局がケンジントンで唯一の武力(ケンジントン支局なしのSI局は、武力としては数の内に入らない)となるという保安局の悲願を達成する事と同義であるはずだった。

そして、さっきまではその悲願を手中にしたという、確かな手応えを感じていた。

しかし今、それは砂の様に指の間をすり抜けつつある。

「この議題について、何か意見のある賢者は居るか?」

賢者ではないサリバンに、発言権は無い。

ケネスが、保安局代表として発言するのを待つしかないのだ。

せめて、発言を求めた上で代理発言の形でこちらに振ってくれれば、阻止する事も不可能ではない。

サリバンは、すがるような眼差しをケネスに向けた。

ケネスはその視線に気付いたが、動かなかった。

見栄も外聞も棄てて尻尾を振る事でやっと勝ち取った返り忠の功績を、こんな事でふいにする積りは全く無い。

そもそもナンバー3で満足する気が無いケネスにとっては、保安局担当賢者の地位は通過点に過ぎない。

従って、ここで自分のキャリアを賭けてまで保安局のために論陣を張る必要性を全く感じない。

第一、スペンサーの言い分にはそれなりに筋が通っており、どうやって反論すれば良いのか、皆目見当が付かない。

サリバンの何か言いたげな表情からすると、彼には反論する自信があるのだろうが、今更代弁してやる気も起こらない。

むしろ昨日からのサリバンの態度を思い出して、良い気味だと思っていた。

他の賢者達は、要するにスペンサーが今後も自前の武力を保持し続けるという事であり現状と大差無いと受け止めたので、反論して最高賢者の機嫌を損ねる危険を犯す値打ちは無いと判断した。

一頻り沈黙が続いた後、採決に入った。

反対者は無く、議案はそのまま可決された。

スペンサーは全て思い通りになった事で、肩の荷を下ろした思いに思わず安堵の吐息を漏らした。

全ての賢者達を掌中に収める、少なくとも当面逆らう恐れを完全に摘み取る事に成功した上に、保安局に(少なくとも表面上は)充分な報奨を与えながら、自分の取り分を確保する事ができたのだ。

それらがあまりにもスムーズに進行した事に、拍子抜けしていた。

久しぶりに物分かりの良い大人風の装いを脱ぎ棄て、大賢人会議にその人有りと知られたタフ・ネゴシエーターぶりを発揮する必要があると心中密かに期していたのだが、何の波風も無く終った事が少々残念にも感じられた。

まあ、それは望蜀の貪というものと思いつつ深い満足感を懐いて閉会を宣言しようとした時、大音声が響き渡った。

「お待ち下さい!緊急の議題がございます。!」

一斉に声のした入場扉に振り向くと、左肩に包帯を大袈裟に巻いたケルブが、グロムイコに支えられながら立っていた。

「おお、ケルブ師か。傷の具合はどうじゃな?」

スペンサーが宥める様に声を掛けたが、ケルブはそれを全く無視して息を切らしながら繰り返した。

「緊急の議題がございます。!」

肩の骨が砕けていると聞いたが元気なものよ、とスペンサーは呆れ顔で促した。

「それでは、その議題を述べよ。」

ケルブは肩の痛みに顔をしかめつつ、ランドルフの横に控えているサーリムを指差して捲し立てた。

「そこな若造が、事もあろうにこの私めを狙撃して、この様に重傷を与えました。これは、崇高賢者の神聖不可侵性に対する重大な冒涜でございます!」

「そなたは今来たところだから存じておらぬだろうが、此度の一件に関しては、全ての者に赦しを与える事が既に決まっておる。その件は無用じゃ。」

スペンサーは穏やかに諭したが、怒りに燃えるケルブは聞く耳を持たない。

「その話は伺っておりますが、この件は別でございます!連邦憲章には『崇高賢者の神聖不可侵性は、何人もこれを奪う事ができない』と規定されております。従って、この若造の罪だけは赦しの対象とする事ができませぬ。」

これは面白くなってきた、とスペンサーは思った。

「崇高賢者の神聖不可侵性に対する冒涜の罪に対しては、火刑以外の刑罰は無い事を理解した上での告発じゃな?」

「勿論その通りでございます。この罪が赦される様であれば、最早崇高賢者の平安は保てませぬ。」

サーリムにとってはあまりに突然の事で、全く現実感が湧かなかった。

ランドルフはこのケルブの発言を聞いて驚き、反論しようと立ち上がりかけたが、スペンサーはそれを制して重々しく宣言した。

「それでは、この告発について審議を始める。」

ケルブは肩で息をしながら、その言葉に満足げに頷いた。

ランドルフは、スペンサーが告発を受け入れてしまった事に深い絶望を覚えた。

この罪に例外規定は無くまた減刑も認められないため、審議が行われれば判決は火刑しか有り得ないのだ。

「先ずは事実関係を確認しよう。ケルブ師、そなたが撃たれたという日時はいつじゃな」

「昨日の15時頃でございます。」

告発の審議が始まった事で、ケルブは勝利を確信した。

これはささやかな腹いせでしか無いが、何も得られぬよりは良い。

「それはつまり、最後の攻勢の最中という事じゃな。」

「はい、左様でございます。」

勝利を目前にしているつもりのケルブは、その質問のニュアンスに気付かなかった。

「で、その時そなたは、何処に居った?」

「中央広場の演壇でございます。」

「攻勢を掛ける暴徒のただ中に居った、という事か?」

ようやく話の流れに気付いたケルブは、狼狽した。

「い、いやその事は、この件とは関係有りませぬ。」

スペンサーとしては、この健気な少年を火炙りにするのは可哀想でありできれば避けたかったのも事実だが、それ以上にケルブをやり込める絶好の機会に年甲斐もなく胸が踊るのを感じていた。

「儂にはそうは思えぬがのう。考えてもみよ、そなたは連邦憲章を引き合いにして、崇高賢者への攻撃について、儂にはこれを赦す権限は無い事を指摘した。その指摘は確かにもっともであるが、憲章は同時に「連邦政府に対する暴力的挑戦は、理由の如何を問わずこれを認めない」とも謳って居る。従って、政府資産である禁書館に対する破壊行動が偶発的な事故であるなら、儂が赦す事ができるが、意図的に行われたとなるとこれを赦す権限は無い。」

ケルブは、自らの手で墓穴を掘った事に気付いた。

「仮に、良いか『仮に』じゃぞ、教団指導者が指揮を取っておったという事実が確認された場合、これを偶発的な事故と呼ぶ者はおらぬであろう。そして、そなたがあの時その場所に居ったとなれば、現在拘束されておる暴徒どもにその点を尋問し、また目撃者を捜す必要が出てこよう。」

ケルブは絶句した。

元々は、禁書館を潰してしまえば後で何を言われても知らぬ存ぜぬで押し通す予定であった。

炎の剣の勢力の前には皆沈黙するしか無いだろうし、炎の剣を恐れない唯一の賢者であるスペンサーは、騒動の責任を被せて退陣に追い込んでしまい、その後にはこちらの言いなりになる者を立てる筈だったからである。

しかし、あれだけの騒ぎを起こしながら禁書館攻略に失敗した今、炎の剣の権威は大きく傷ついており、ここで無理押しをすれば中間派がスペンサーの支持に回る恐れがある。

そうなると、最大派閥とはいえ大賢人会議の議席の3割を擁する(今朝の出席状況ではそれも怪しい)に過ぎない炎の剣が、政治的にも敗北する可能性が高い。

「儂には、そなたがそんな所に居った事実というは無く、その怪我は階段で足を滑らせた物ではないかという気がしておるのだが・・・どうであろう?」

最低限の退路を示したこの提案に、しばし沈黙した後ケルブは不承不承に答えた。

「仰せの通りでございます。」

「そうであろう。そなたは不運な事故で重傷を負い、その苦痛のあまり錯乱してしまっただけじゃの。」

覆い被せる様な物言いにケルブは、屈辱に身を震わせながら同意せざるを得なかった。

スペンサーは、いずれ片付けなければならないと密かに決意していた懸案について、ケルブが自発的に炎に飛び込んでくるという幸運に、胸の内で快哉を上げながら更に追い討ちを掛けた。

「儂らの年齢では、そのような大怪我は殊更堪えるからの。どうじゃ、その体で崇高賢者の激務は辛かろう。ここは一旦その職を退いて、治療に専念してはどうかの?」

「その儀は・・・暫く考えさせて頂きたく存じます。」

ケルブはかろうじて怒りを抑えて答えた。

「なに、そのまま引退せよと申しておるのではない。そなたの回復ぶりを大賢人会議で検討して充分と判断するまで、ケンジントン内のしかるべき施設で養生して貰いたいだけじゃ。」

それはつまり、この儂を監禁するという事か!ケルブは愕然とした。

「如何であろうか?ケルブ師のこれまでの功績に対する感謝の意を込めて、連邦政府の『援助』の元、このケンジントンで安楽に養生できる環境を提供したいと思うが、反対の賢者は挙手願いたい。」

賢者達は、互いの様子を窺いつつ迷っていたが、結局誰も手を挙げなかった。

「では、養生のための施設は早急に手当するとして、一先ず医療施設でお休み願う事としよう。ガーディアン、ケルブ師を医療施設にお連れしなさい。」

茫然自失の体のケルブは両脇をガーディアン達に抱えられ、そのまま連れ出された。

やれやれ結構なオマケまで付いたわ、とスペンサーは心から満足して、今度こそ本当に閉会を宣言した。


スペンサーが執務室に戻り儀礼用ガウンを脱いで寛いでいると、プロメターがやって来た。

「これはこれは、プロメター師、君達の活躍はランドルフから聞いておるよ。本当に良くやってくれた。礼を言う。」

そう言いながら、スペンサーが機嫌良く迎え入れると、

「いえいえ、我々はほんの少々お手伝いしただけでございます。」

と愛想よく答えて、本題を切り出した。

「今回はお願いの段がございまして、罷り越しました。」

「何だね?」

「合葬に関してでございますが、重力の使命の犠牲者についてはご辞退申し上げたいと存じまして。」

「ほう?何故だね。」

「ご趣旨は真に結構と存じますが、彼らは皆故郷を遠く離れたこの地で、命を喪う事となりました。そこで、できればその亡骸を故郷に還してやりたいと存じます。」

合葬についてはケネスが追従のために言い出した事であり、スペンサーにとってはどうでも良い話である。

「良かろう。」

スペンサーは、気軽に応じた。

「厚顔ながらもう一つお願いがございます。監査官のアマギ氏の亡骸も申し受けたく存じます。」

この請願には、少々興味を覚えた。

「何故じゃな?」

「彼は私の個人的な友人でございまして、その彼が暴徒達と共に葬られて墓碑まで共にさせられる事は忍びなく、せめて、我が教団の墓地にささやかな墓碑を建てて葬ってやりたいと存じます。」

プロメターの今回の功績を思えば、この程度の我儘は聴いてやっても良いだろう、と思った。

「良かろう。先の願いと併せてケネス師に伝えておこう。ただし、ケネス師の体面もあろうから、おおっぴらに運び出すのは遠慮せよ。」

「承知致しました。ケネス師の了解を頂きましたら、今夜にでも禁書館の裏口からそっと運び出す事といたしましょう。」


ケルブの告発が不発に終わった事は、かえってサーリムの殊勲をケンジントン中に広める結果になった。

今や、この15歳の少年は英雄であった。

次々と大賢者達がSI局を訪れて、サーリムと会いたがった。

ランドルフは、サーリムにこれからの事をゆっくりと考えさせるために、禁書館に避難させマーガレットにその世話を頼んだ。

今ケンジントン中で最も辛い想いを背負っている二人を一緒にしておく事で、少しでもその辛さが紛れる事を期待したのだ。

禁書館の職員達も、意識して二人の部屋には近づかない様にした。

少年は、父親と兄を同時に喪った少女の辛さを想い、気遣おうとした。

少女は、最も敬愛する師を喪った少年の辛さを想い、気遣おうとした。

自然に言葉は少なくなり二人は沈黙の中で向き合っていたが、無言の内にも互いの気遣いは伝わり、その沈黙に重苦しさは無かった。

やがて少女は、年上らしく自分から声をかけるべきだと思い、さりげない口調で話しかけた。

「終わっちゃったね。」

「そうだね。」

互いに、それ以上の言葉は思い付かなかった。

黙って見つめ合う少年と少女はどちらからともなく手を伸ばし、やがてしっかりと抱き合った。

自分の腕の中にある確かな暖かさを意識したとき、二人はそれぞれ自分が喪った物の大きさをようやく認識する事ができた。

その左肩がいつのまにか涙で濡れている事に気付いた時、感情は堰を切って溢れだし、二人は廊下まで響く程の声をあげて泣き始めた。

しばらく経ってランドルフが部屋の前に立ったとき、まだ二人の泣き声が響いていた。

それを聞いたランドルフは、安心した。

仕事柄、心が壊れるほど辛い体験をした人間を沢山見てきた。

一度壊れた心は、元通りになる事はない。

心の破片を拾い集めて並べ直す事しかできないし、その結果は元の心と同じものにはならないのだ。

それを『成長』と呼ぶ者もいるが、ランドルフはその点については懐疑的であった。

その再構成を通じてより高い見識を身に付けた人物も、より下卑た人格になった人間も見てきたし、そもそもそんな経験をしないですめばそれに越した事は無いのだ。

それでも並べ直さない限り、心は壊れたままである。

そしてランドルフの経験からすると、声をあげて泣く事は破片を拾い集める作業が始まった徴なのである。

ランドルフは辛抱強く、泣き声が収まるのを待っていた。


深夜のプラットホームに、重力の使命の関係者が勢揃いしていた。

「ネッド、遅いですね。」

エピメターの問いに、プロメターが宥める様に答える。

「まあ良いじゃないか。今は子供達にとっては一番辛い時期だからな。ここは待ってやるのが大人ってもんだろう。それに、ランドルフさんに、こんな時間の臨時列車の手配までして貰ったんだから、少々待たされた位で文句を言ったら、罰が当たるよ。」


ようやく嗚咽が収まり微かにしゃくり上げるだけになってきたので、ランドルフは控え目にノックした。

二人は慌てて離れると、涙を拭って答えた。

「どうぞ。」

部屋に入ったランドルフは、サーリムに話し掛ける。

「ちょっと来れないか?」

「何です?」

「ケイに別れの挨拶をしに行こう。」

意味が判らず戸惑っているサーリムに簡単に事情を説明すると、二人は同時に立ち上がった。

「私も行きます。初恋の人にさよならを言う権利があってもいいでしょ?」

マーガレットの言葉にランドルフは無言で頷き、三人は部屋を後にした。


三人がやって来ると、エピメターは遺体の積込を指示した。

ケイ以外の全ての遺体が積み込まれると、プロメターは整列した信徒達に厳かな声で話しかけた。

「君達の尽力に心から感謝する。盛大に送り出してやれない事は実に残念でならないが、君達の功績は今後末長く語り継がれて行くだろう。そして、負傷者と犠牲者の遺族に対しては、教団を挙げて援助を行うことを約束する。」

その言葉を噛み締める様に俯いたまま信徒達が無言で乗り込んで行く横で、ケイの亡骸の顔を被う白布が捲られ、サーリムとマーガレットは無言でケイの顔を見つめていた。

ランドルフが二人に目で合図すると、二人は無言のまま再びケイの顔を布で被った。

「それでは、宜しくお願いします。」

ランドルフがそう言うと、三人はプロメターに深々とお辞儀をした。

「大した事はできませんが、できる限り丁重に葬らせて頂きます。ダグ、宜しく頼むよ。」

「承知しました。アマギさんに会いたくなったら、いつでも来てください。歓迎致します。」

そう言うと、ケイの亡骸と共に、列車に乗り込んで行った。

弔砲代わりの警笛が響き、列車は走り出した。

四人は、列車が見えなくなるまで無言で見送った。

「そろそろ、戻ろうか。」

ランドルフが声をかけると、サーリムは振り向き、意を決した表情で言った。

「局長、僕は監査官になります。」

少年の真っ直ぐな視線を見返しながら、ランドルフは尋ねた。

「良いのか?もう少し考えてからでも良いんだぞ。」

「もう決めました。本当になれるかどうかはわからないけど、頑張ります。」

ランドルフは、恰もその決意の固さを見極めようとする様に、少年の澄んだ瞳を無言で注視した。

その鷹を想わせる視線の鋭さにも、少年は全くたじろぐ様子を見せなかった。

「実は、君はもう監査官になる事が決まっている。スペンサー師の直々の指示による措置で、明日発表される。これは、君がもし他の職業を選んでも、あるいは不幸にして監査官になるには能力が不足していると判明しても、君には監査官の身分が保障される、という意味だ。」

監査官にはケンジントン内でも武装する権利があり、また連邦に加盟する全ての地方政府は、管轄内に滞在する監査官の安全を最優先で保障する義務がある。

もし、今後サーリムが炎の剣の復讐に倒れるような事があれば、政府の体面に関わる事を怖れての措置であった。

サーリムは少し拍子抜けしたが、決意は変わらなかった。

「但し私は、君の能力が十分である事が証明されない限り、実際に監査官の職務に就ける気は無い。君は身分上は見習いの付かない正規の監査官だが、当面は私の指導監督を受ける。とはいえ、私も局長の職務で忙しいから、実際の教育はジョーンズが見ると請け合ってくれた。まあ、君の能力についてはケイが太鼓判を押しているから心配はしていないが、それでも慢心して研鑽を怠れば、実際の職務には就かせないぞ。プロメター師、私と共にこの子を見守って下さいませんか。」

「彼はケイの弟子ですから、私の弟子も同然です。微力ながらお力になりたいと思います。」

そう言って、二人は互いに頭を下げた。

「これで君は、大賢者・SI局長・ベテラン監査官の三人の後見者を持つ事になる。」

その顔ぶれの豪華さに、サーリムは少し恐ろしくなった。

その心の動きを見てとったマーガレットは、ちょっと活を入れてやろうと思った。

「良かったじゃない!頑張りなさいよ。」

そう言ってサーリムの肩を叩いたマーガレットの声は弾んでいたが、微かに寂しさが混じっていた。

ランドルフは、マーガレットに向き直った。

「次の禁書館長には、司書長のクロムウェルが就任する予定だ。君の当面の面倒は、彼が見てくれる。君が成人したときにそれを望むなら、君は禁書館職員になれるだろう。」

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