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当日昼

ケルブはマイクの前に立ち、群集に向かって鷹揚な仕草で右手を上げると、ゆっくりと話し初めた。

「敬虔なる信徒諸君、此度の巡礼行は誠にご苦労であった。そなたらの信心深き行いは、必ずや慈しみ深き神々の御嘉納に預かる事であろう。」

広場の放送機器は、全て大いなる再構築以前からの設備でありしばしば故障を起こす物なのだが、事前に入念なメンテナンスがされていたようで、ケルブの豊かなバリトンを明瞭に伝えていた。

巡礼行の苦労に対して労いの言葉を述べた後、型通りの説教が始まった。

説教は特に刺激的な言葉も使う事なく、穏やかに続いて行った。

30分も続いたろうか、ケイの横でサーリムが舟を漕ぎ始め、連られてケイも眠気を催し始めた頃に、声の調子が少し変わった。

「さて、そなたらは神々の御心に従う選ばれた者達が、かの壮挙すなわち大いなる再構築を行うに至った経緯については、改めて説明する迄もなく良く存じておろう。そしてまた、それが未だ途上にあり、それがために人類が苦難の道を歩んでおる事も知っておるはずじゃ。」

段々と、扇情的なトーンになっている。

サーリムは頭を振って眠気を払った。

ケイが囁く。

「こうやって頭の働きを鈍らせる事で、理性を麻痺させておいてから煽り立てると熱狂させ易くなる。ここからどんどん調子が上がって行くぞ。」


「グロムイコ君。ケルブ師に、説教を切り上げてこちらへ来る様に伝えよ!」

スペンサーは厳しい口調で要求したが、グロムイコは平然と拒絶した。

「私如きが尊師に命令する事が出来る立場かどうかは、お分かりかと存じますが?」

勿論、支部長が教団指導者に命令できるはずがない事位は始めから分かっている。

『伝言』を要求したのに、『命令』できないとあからさまにすり替えて対応を拒否したわけだ。

代理人としてまともな対応を取る積もりも無い、という明確な意思表示である。

「それでは君は、一体何のためにここにおるのじゃ?」

「勿論、皆様のお言葉を、尊師に成り代わって承るためでございます。」

グロムイコは、自信たっぷりに慇懃無礼で押し通した。


ケイの言葉通り、ケルブの演説のトーンは徐々にではあるが確実に上がり続け、今やはっきりと群集を煽っていた。

それに連れて、群集の態度は熱を帯び始めた。

「そなたらは、大いなる再構築の完成を見ぬままに、死んでも良いのか!この壮挙の完成のための苦難をその子供や孫に押し付けて、平気なのか!そうではあるまい。子供にそして孫に素晴らしい世界を遺すために、ここで命を投げ出す事を躊躇う様な唾棄すべき利己主義者は、ここにはおらぬと儂は信ずる!」

そう叫ぶと同時に群集のあちこちで、拳を振り上げながら賛同の言葉が上がった。

「サクラも仕込んであるな。奴等は本気でやる気だ。」

見る間に熱狂が広がり、群集の大半が拳を振り上げながら叫び始めた。

ケルブ師は大仰な仕草で、両手を差し上げると、群集に向かって叫んだ。

「今や、大いなる再構築の完成の時は近づいている。幼児のごとき汚れ無き無知こそが、神々の望み給える人の有り様である。この世界に呪われた知識が残っている限り、人類の救済は無い!あそこに蓄えられているのは、最早消滅せねばならぬ旧世界の残滓なのだ!」

信徒達の興奮が最高潮に達した頃に、魔法の様に何処からともなく銃や刀が現れ始めた。

信徒達は次々と武器を手にして、肩をいからせ禁書館の方へ大股に歩いて行く。

たちまちブリッジゲートのバリケード前は、怒号の渦と化した。

「ここを開けろ!」

今や暴徒と化した信徒達は、口々に喚く。

「ここは通せない!今ならまだ間に合う。馬鹿な真似は止めるんだ!」

ブリッジゲート防衛班のリーダーである館長は、説得を試みようとしたが、怒号の渦まく中では大声で叫ばざるを得ず、その声の調子がかえって火に油を注ぐ結果となった。

暴徒達は、バリケードに取り着いて揺さぶり始めた。

バリケードが崩れそうになって、館長はやむを得ず、拳銃を抜いた。

「今すぐ退がらないと、撃つぞ!」

その警告は逆効果となった。

館長が拳銃を抜いたのを見た先頭の男が、興奮のあまり、拳銃の引き金を引いてしまったのだ。

その弾丸はあさっての方向に飛んでいったが、銃声を聞いた暴徒達は堰を切った様に発砲しはじめたのだ。

ブリッジゲート防衛班は、急いでバリケードの陰に隠れて応射する。

バリケードに取り付いていた先頭の男達は、前後から射たれて次々と倒れ、動かなくなった。

それを見た暴徒達は、慌てて距離を取る。

双方は、ブリッジゲートを挟んで膠着状態になった。


セジウィックは、広場を見下ろす四階建てのレンガ造りの建物の会議室に居た。

この部屋からなら、禁書館を正面に見据えて広場全体を一望することができるし、もしここに立て籠る事になったとしても、この堅牢な建物は十分にその任を果すであろう。

勿論、万に一つもその恐れはないが、そう思いながら広場を見下ろしている。

この建物は、どこかの比較的裕福な教団がケンジントン支部として所有していたものを、禁書館攻略の司令部とするために内々に買い取ってあったのだ。

勿論十分な対価は支払われているが、あまり表沙汰にはできないような、手荒な交渉もあったと聞いている。

とはいえ、それは彼には関係の無い話である。

セジウィックは、傭兵隊長として紛争を抱える教団を渡り歩いて来た。

そしてかなりの成績を修め、「勝利の請負人」と渾名されている。

実は、この渾名は彼自身が金を使って広めさせた物である。

商売に宣伝は付き物なのだ。

この渾名が評判となり、今回炎の剣が引っ掛かって来たという訳だ。

それに、過去の戦績を見れば勝率は8割近いので、満更嘘という訳でもない。

今回の戦いは、彼の戦歴に金文字で特筆される物になろう。

彼は、今までこれほどの大軍を率いた経験はない。

その上、攻城戦とは言え相手は50名にも充たない。

更に、目的達成のためならどれほどの犠牲を払っても良い、とクライアントであるケルブ直々に言い渡されており、しかも前渡しの支払いは傭兵団の三年分の維持費に相当するし、成功の暁にはそれを上回る成功報酬が約束されている。

正に夢のような好条件であった。

ただし、いくつかの制約もついていた。

まず、兵士は当然として各部隊長クラスまで、全て信徒で占める様に要求されていた。

普段でも傭兵団だけで戦うことはまず無く、クライアントの教団の信徒を組み込んで軍を編成するのだが、全て信徒のみという条件は珍しい。

そのため、今回は傭兵団本体は根拠地サンタ・ホルヘに残し、中核となるスタッフのみを幕僚として連れてきている。

更に、使用する武器はライフルまでとしそれ以上は認めない、と言われた。

どちらも、偶発的な事態を装うためである。

実際の戦闘部隊が(彼から見れば)素人のみで構成されていることは、多少気に入らない話ではあるが、見方を変えれば、どれだけ前線に損害が出ても彼自身の懐は痛まない、という事でもある。

また、攻城戦であることを考えるとライフルでは心許ないため、念のために大砲を使用する許可を求めたが、認められなかった。

やむを得ず別の手段を提示したところ、用意しても良いがなるべく使用しないで済ませる様に、と言われた。

装備に制約を加えると、その分は別の手段で埋め合わせをする必要が出てくる。

この場合、別の手段とは前線兵士の血である。

しかしこのクライアントにとって、前線兵士の出血は損害の内に入らないらしい。

それならば、どうせ自分の兵士ではないのだから目標達成のために必要なだけ使わせて貰おうと、開き直った。

そのため、セジウィックにとっての唯一の気がかりは、戦闘開始前に禁書館が降参してしまわないか、という点であった。

何しろ成功報酬を当てにして、既に傭兵団の装備を更新し始めてしまっているのである。

無事に戦端を開く事ができて、安堵していた。

ここまでは、彼の想定通りに事が運んでいる。

「どうだ、アル。戦争で本当に大事なのは事前準備で、それがしっかり出来ていれば勝ったも同然だ。後はミスをしない事だけを心掛けていれば良い。」

そう言いながら、セジウィックは振り返る。

「はい、閣下。」

後方に控えている若い男は、アルノール・ウェイギャンといい、彼の幕僚の中でも、最も将来有望と見ている若者だ。

セジウィックの信ずる所では、軍事能力は事務能力よりもむしろ絵画や音楽の様な芸術的能力に近い。

勿論、基礎はしっかりと学ぶ必要があるが、ある点から上の更に高みを目指すなら、本人に才能がなければどうしようもない。

才能を持ち合わせない凡愚は、天才の示す鋭い光を追ってついて行く存在に過ぎないのである。

彼自身は、自分の才能について幻想を懐いた事はない。

天才的な閃きで劣勢を一気にひっくり返す様な魔法は自分とは縁がないと信じているので、ひたすらに堅実な手法を積み重ねて、言わば泥臭いやり方で勝利をもぎ取って来た。

それは言い方を代えれば、相手がそれなりに軍事を理解している場合にはその虚を突く事は出来ない、という事である。

それでも慎重を期して十分に準備しておけば、相手が繰り出す殆どの奇手に対応する事が可能なのであり、更には、相手が奇手に打って出る時は同時にその手元が疎かになる瞬間でもあるので、こちらが堅実さを失わない限りそこを突く用意が常に手元に残るのだ。

特に堅実な手法によって追い詰められた人間は、一発逆転の奇手に訴える誘惑を断ち切り難いのである。

だから自分の限界を良く理解しているセジウィックは、常に堅実な手法を追求し、追い詰められた相手が苦し紛れに奇手を打って来た所を見済ましてその手をネジ上げて勝つという、華々しさとはおよそ縁の無いやり方で勝利を納めて来た。

勿論、あっと驚く様な奇手で見事な勝利を飾って見せるという誘惑自体は常に彼の中にもあるのだが、その誘惑に負けた事がないと言うのが(多少の自嘲的な感情を交えてではあるが)自慢なのである。

しかし、後ろに控えている若いウェイギャンは違うと思っている。

この若い男は、セジウィックの見るところでは、彼の持ち合わせない『何か』を持っている。

それは恐らく天才的な閃きであろうし、それによっていつか必ず彼がどれだけ望んでも届かぬ高みに、軽々と登って行くであろうと(少々の嫉妬を覚えつつ)感じている。

ただし、今は決定的に経験が足らない。

もっと経験(と苦労)を積ませなければ、その閃きはウェイギャンにとっては、破滅の元に成りかねない危うさを含んでいるのだ。

だから、今回特に幕僚に加えたのである。

その時、背後で扉が開いた。

二人が振り返ると、ケルブが取り巻きを従えて入って来た。

「これは尊師。わざわざのお運び光栄でございます。実に素晴らしいご説教でございました。」

「うむ、後は宜しく頼むぞ。」

そう言ってケルブはセジウィックの横に立ち、広場を見下ろした。

「この後は、いかがなさいますか?」

「執務室に居ると色々煩そうじゃから、儂もここで観戦する事としよう。」

この爺さんが横にいると色々やりにくそうではあるが、セジウィックは贅沢を言える立場ではないので、我慢する他なかった。


再び、サリバンにメモが手渡された。

メモに目を通した途端に顔色が変わったのを見たスペンサーは尋ねた。

「サリバン君、どうした。」

サリバンは立ち上がると、メモを見ながら答えた。

「炎の剣の巡礼団と禁書館の間に、銃撃戦が始まったとの事です。」

会議卓に緊張が走った。

「グロムイコ君、直ぐにやめさせなさい!」

グロムイコは平然と答えた。

「広場は混雑して居りますからな。何かの見間違いでございましょう。」


「セジウィックよ。この後はどうするのじゃ?」

まだ緒戦の小競り合いが始まったばかりだというのに、ケルブはもうじれ始めていた。

やれやれ堪え性のない爺さんだ、と心中苦笑いしたが、スポンサーの意向を無視するわけにもいかない。

「そうですな、そろそろ次の手を打ちましょうか。」

セジウィックは、ウェイギャンに命じた。

「渡河を開始せよ、と伝えろ。」


ケイと背中合わせに川下側を監視していたサーリムは、2艘の平底船が、兵士を満載してオールで流れに逆らいながら遡上して来るのに気付いた。

普段は、河口からの物資の運搬に使用されているものだ。

2艘で100人は乗っているだろうか、防備の薄い川下側に上陸して、ブリッジゲート側とで挟撃するつもりだろう。

「ケイ、船が来る!」


平底船は、それぞれ50名以上の兵士を乗せて、立垂の余地もなかった。

普通に人間を乗せれば7~80人は乗れる筈だが、装備を担いだ兵隊は案外嵩張るのである。

2艘合わせて100人を越える兵士達は、抵抗を排除しつつ島の川下側に上陸して橋頭堡を築き、後続を迎え入れる手筈になっている。

川下側の壁は、どこからでも梯子無しで乗り越えられる高さしかないから、渡河が成功すればこれで勝利は決まったも同然である。

そのため渡河軍の先発部隊は、最も士気の高い者を集めてセジウィック自身が鍛練した精鋭部隊となっている。

動力のない(小型船舶には構造の単純な蒸気機関は大きすぎて載らないため、複雑なガソリン機関やディーゼル機関の物しか無かったので、早々に失われてしまった)舟なので、両舷に並ぶ兵士達が、川の流れに逆らって進むために必死で櫂を動かしていた。

強襲部隊を率いるニューメインは、一号船(作戦の都合上、先行する舟を一号船、後続を二号船と呼んでいる。ニューメインは、もっと誇らしい名前を付けたかったが、セジウィックが許さなかったのだ)の舳先にライフルを持って立ち、禁書館を睨み付けていた。

ニューメインは、荒くれ揃いで知られる漁師達の間ですら、陰では熄火(ちょっと吹けばたちまち燃え上がる)という渾名で呼ばれる程に粗暴な男だが、その勇猛果敢ぶりと信仰の篤さを買われてこの最精鋭部隊を率いる事になった。

セジウィックはその性格に不安を覚えて入れ換えを求めたが、彼を推薦した教区長が、ニューメインの信仰の篤さを強く訴えて入れ換えを阻止したのだ。

やむを得ずセジウィックは、入れ換えを諦める条件として、必ず二号船に乗り、一号船が上陸を果たしてから上陸に掛かる事を約束させた。

しかし、ニューメインは教区長の顔を立てて頷いて見せただけで、そんな指示に従う気は全く無かった。

昔っから海の男は指揮官先頭と相場が決まってらあ、と独りごちる彼は、心中密かに自らをネルソンやトーゴーの様な古の偉大なる提督達に準えていた。


サーリムの声に振り向いたケイは、状況を見て取るとトランシーバーで指示を出した。

「裏庭班、緊急対応準備!大勢来るかも知れん」

それを聞いたプロメターは、即座に全員を壁に張り付かせた。

裏庭には、大して人数を充てていない。

元々人数が少ないため、裏庭に充分な数を配置することは不可能なのだ。

あの人数が襲来すると、裏庭班で上陸を阻止する事はできまい。

もし上陸を許してしまえば、落城は決まったも同然だ。

上陸される前に何とかしなければならない。

ケイは手早くボウガンを縦に持ち、弦をベルトのフックに掛けて先端の鐙を勢い良く踏んでセットした。

続いてテルミット弾に点火すると、ボウガンにつがえて構えた。

しかしジリジリと燃える導火線を横目に見ながら、ケイはボウガンを構えたまま、引き金を引こうとしない。

「危ない!早く撃たないと!」

サーリムが叫ぶが、ケイはそのまま何かを待っている。

導火線が燃え尽きそうになった瞬間に、ようやく引き金を引いた。

カン!という高い弦鳴りと共に放たれたテルミット弾は、空中でオレンジ色の炎の塊と化して、1艘目に向けて飛翔した。


ニューメインは、禁書館の鐘楼からオレンジ色の光点が飛び出すのを見た。

何だありゃ?と訝しむ間にも、みるみる光点は近づいて来て一号船の右舷近くに落ちた。

その瞬間、水面から見た事も無いような巨大な水柱が上がった。

舟は大きく揺さぶられ、船縁に立っていた数人はバランスを崩して川に落ちた。

「これだからおか者はいけねぇ。落ちた奴に構うな。全員、舟に掴まれ!」

そう叫ぶと、鐘楼の人影に向けて、ライフルを放った。

この距離ではとても命中は期待できないが、次の攻撃を牽制しようとしたのだ。


ケイは再び弦を引きながら、驚いているサーリムの方を振り向き、白い歯を見せて言った。

「こいつは燃焼が始まれば3000度を越えるからな。その状態で着水すれば、落下点の水は爆発的に沸騰する。水蒸気爆発と言うんだ。」


「あれは何じゃ!」

水柱を指してケルブが叫ぶ。

セジウィックも、驚いていた。

あんな武器があるとは聞いていなかったのだ。

命令を伝達して戻ってきたばかりのウェイギャンに、再び命じた。

「あれの正体を確認して来い。それから、広場の部隊に鐘楼を攻撃するように伝えろ。」


舟から射撃が始まり、続いて橋側の暴徒たちも鐘楼めがけて盛んに銃を撃ち始めるが、暴徒達の銃ではこの距離で狙い打ちはできない。

それでも、次々と至近弾が掠めて行く。

ケイは、弾が頬を掠めて行くのも構わず、次々とテルミット弾を放った。


オレンジ色の炎が、立て続けに舟の周りに落下する。

その度に舟は大きく揺さぶられたが、ニューメインの指示通り全員が舟をしっかり掴んでいるので、落ちる者はいなくなった。

その間にも、手が使える者を総動員して鐘楼を狙い撃ちさせた。

同時に広場側からも撃ち始めたので、鐘楼は文字通り集中砲火を浴びている筈だが、鐘楼の人影は攻撃の手を緩めない。

向こうにも度胸が座った奴がいるみてぇだな、とニューメインは武者震いした。

「いいか。舟を付けりゃぁこっちの勝ちだ!力一杯漕ぎやがれ!」

ニューメインは、大声で励ました。


次々と水柱に揺さぶられながらも、舟はじりじりと接近して行く。

もう、川底が見える所まで来た。

あと少しで、浅瀬に乗り上げる。

「いいか、てめぇら!舟が乗り上げたら全員飛び出すんだ。銃を濡らさねぇ様に、両手で頭の上に差し上げるんだぞ。用意!」

ニューメインの銅鑼声に全員が銃をしっかりと握り締めたその時、彼の運は尽きた。

飛来した炎が、ニューメインを直撃したのだ。

一瞬で彼は炎に包まれ、同時にニューメインと衝突した炎は粉々に砕け散って、船中に広がる。

壮絶な悲鳴が上がり、ニューメインは燃え上がりながら後ろ向きに倒れた。

想像を絶する高温の火の粉を浴びた兵士達の頭髪や服は、即座に燃え上がった。

思わず全員が手に取っていた物を投げ棄てて、必死にその炎を叩き消す。

銃を持っていた兵士は勿論の事、漕ぎ手達はオールを投げ棄ててしまった。

全員が必死に自分の体の炎と戦っている間に、炎はたちまち船その物に広がる。

暴徒達が身を捩って逃げ場を探す間に、漕ぎ手の止まった舟は流れに乗って後退し始めた。

ほんの僅かの間に消し炭となってしまったニューメインを見て、恐怖に駆られた暴徒たちは先を争って河へ飛び込む 。

炎を上げながら後退して行く一号船を見た二号船上では、たちまちパニックが起こった。

そもそも強襲部隊の統率が取れていたのは、セジウィックの付け焼き刃の訓練によるものではなく、ニューメインの気っ風の良さのお蔭だった。

そのニューメインがいなくなった今、二号船の中に冷静に指揮が取れる人間は居らず、彼らは川の真ん中で心理的には孤児になってしまっていた。

旺盛な士気は全て消し飛び、ただひたすらあの炎が飛んでくる事が恐ろしかった。

誰が命令するわけでもないのに、恐怖に駆られて大急ぎで舟の向きを反転させると、そのまま全力で逃げ出した。

無我夢中で船着き場も通り過ぎ、必死に漕ぎ続けて、ようやく落ち着いた時には、ケンジントンから遥かに離れていた。


舟が見えなくなった事を確認したケイは、再びトランシーバーで呼び掛けた。

「裏庭班、ひとまず警戒体制に戻れ。」


苛々しながら待っていると、ようやくウェイギャンが戻って来た。

「見ていた者から話を聞き出すのに、えらい苦労しました。もう、話が全く要領を得なくて。」

「あそこに出ているのは、全員素人だからな。仕方があるまい。で、どうだった?」

「一号船は爆発炎上して、そのまま漂流していきました。二号船はそれを見て逃げ出した様です。」

「船着き場に戻っているんじゃないのか?」

「いいえ、船着き場を通り過ぎて、そのまま下って行ったそうです。」

セジウィックの目算では、強襲部隊が橋頭堡を築けばその後は腰を落ち着けて運搬船のピストン輸送で次々と後続を送り、禁書館に二正面作戦を強いる事で、腹背に敵を受けた防衛軍は進退極まって降服に追い込まれる筈であった。

従って橋頭堡の確保は絶対的な達成目標であり、そのために優秀な者を全て強襲部隊に集めていたのだ。

つまりこれで最精鋭が消滅してしまい、後は数を頼むばかりの二線級の兵力のみになってしまったわけだ。

「ところで、あの武器は何だったんだ?」

「着弾と同時に派手に爆発したそうなので、榴弾だと思われます。」

目撃者は素人ばかりのため、船上に落ちた弾が爆発しなかった事には気付かなかったし、そもそも爆発と炎上の区別も明確でなかった。

「着弾と同時に?空中で爆発した弾はあったか?」

「いいえ。全て着弾と同時に爆発したと言っています。」

「それは不味いな。」

導火線に点火して投げる手投げ弾なら、ぴったり着弾と同時に爆発するような調整はできないので、空中で爆発する物や転がってから爆発する物が出るはずだ。

第一、そんな物を手投げで銃の射程距離外まで飛ばす事ができるなら、人間ではなく化け物である。

全て着弾と同時に爆発したなら、着発信管を装備した榴弾ということになる。

着発信管とは、発射時の衝撃に安全に耐えながら着弾時の衝撃で確実に発火するという、精密な機械仕掛を持った信管である。

セジウィックも話に聞いただけで、実際に見た事はない。

そんな物を造る技術は、とうの昔に失われてしまった。

セジウィックが攻城用に要求した大砲にしても、中まで鉄が詰まった砲丸を撃ち出して、その運動エネルギーで城壁を破壊するための物なのだ。

報告の内で、飛距離と着弾と同時に爆発したという情報を総合した結果、着発信管を装備した砲弾を大砲から撃ち出したのだろう、と推測したのである。

投石器という可能性は失念していた。

「榴弾砲とは、随分厄介な物を持っているな。」

セジウィックは考え込んだ。

「結局、あれは何なのじゃ?」

「えー、その、破裂する砲弾を撃ち出す大砲の可能性があります。」

ケルブは驚いた。

「そんな物が有るのか?」

「もし有るとしたら、大いなる再構築以前の遺物でございましょう。」

「それを相手にして、勝てるのか?」

「もう全く撃って来ませんから、恐らく弾切れではないかと。」

セジウィックは、そうであることを願った。

報告された通りの代物なら、陸兵に向かって使用する方が、遥かに効果がある。

しかし今のところ、広場に向かって撃ったという報告はないので、弾切れか故障か、とにかく撃てない理由があるのだろうと判断したのだ。

セジウィックは、目撃者が素人である事と伝言ゲームの危険性を見落としていた。

「よし、正面に全力を集中する。まずはブリッジゲートの突破だ。念のために、できるだけ一ヶ所に固まらない様に注意しろ。」


「いいか、サーリム。今の場合は相手が舟だったから水蒸気爆発が期待できたが、本来こいつは高熱を発するだけの代物だから、基本的には直撃した相手にしか損害を与えられない。だから撃つのは、その値打ちがある的がある時だけだ。弾にも限りがあるしな。」

サーリムは、無言で頷いた。


「そもそも、何故炎の剣の巡礼団が武装しておるのだ。中央地区での武器携帯は、禁止されておるはずだ!」

スペンサーの(全くの修辞的な)疑問に対し、グロムイコは平然と答えた。

「恐らく、一部に個人で武器を持ち込んだ不心得者が居るのでございましょう。何しろ、色々と物騒な世の中ですからな。勿論、好ましい事ではございませんから、後程叱っておきましょう。」


再び、暴徒たちはゲートに殺到した。

攻撃をゲート一点に絞って全力を投入するつもりだ。

先頭の男たちは人数を頼んで、銃を撃ち続ける。

ゲート防衛班は、館長の指揮の元、バリケードを巧みに盾にしながら、応射する。

盾にする物の無い攻撃側は、良い的になっている。

なにしろゲートに接近するには橋を通るしかないので、どうしても無防備な状態を曝す事になる。

特に、大いなる再構築以前の技術で掛けられた橋の上の構造物は、解放感を強調するために細い欄干をこれまた細いステンレス棒の柵で繋いだ物だけなので、身を隠す手段が無いのだ。

攻撃側は、闇雲に突撃を繰返しては、その都度ダメージ負って後退を繰返した。


セジウィックは具体的な攻撃手段は現場の指揮官に任せるべきだと思っているので、ゲート突破の命令を出したあとは黙って見ていたのだが、次々と無意味に死傷者を増やすだけの余りに芸の無い遣り口に見ていられなくなったので、ウェイギャンに指示を伝えさせた。


ゲート防衛班は戸惑っていた。

先ほどまでは、群をなして橋に向かって突っ込んで来ては応射を喰らって後退していた暴徒達が、一斉に退がり橋から距離を取った。

続いて、数枚の高さが3メートル近い板が暴徒達をかき分ける様に出て来た。

その板はかなりの重量がある様で、足取りはよたよたと覚束無いが、それでも確実にゲートに迫って来る。

館長はその板に向かって銃弾を撃ち込んだが、少しよろめいただけで、衝撃を受け止めて更に接近してくる。

どうやら、どこかの扉を外して持って来た様だ。

中央広場は、世界連邦の首都であるケンジントンの中心にあるので、これに面した建物群はそれに相応しい外観を要求される。

また、その大半は一等地を確保する事が出来る程の有力団体が押さえているので、見栄も手伝って多額の費用と手間を投じて重厚な外観になる。

当然、玄関の扉も分厚いマホガニーやチークの一枚板で作られた立派な物ばかりである。

黒色火薬による初速の遅い弾丸は、威力を稼ぐためにその口径が大きく取られているので必然的に貫通力が低くなり、硬い木の分厚い板であれば食い止める事が可能なのだ。

とはいえ、そんな都合の良い扉が何枚も有るわけでは無いから、盾の使える人数は限られてくる。

それならさほど警戒する必要はあるまい、と踏んだ館長は射撃を続けようとする部下を制した。

「無駄弾を撃つな。近くまで引き寄せるんだ。至近距離なら歯が立つかもしれん。」


攻撃側の意図に先に気付いたのはケイだった。

鐘楼から見下ろす位置にいる事から、ゲート班より少しだけ大きくドアの向こうが窺えた。

そしてその目に、ほんの一瞬だけ蛇の舌の様に立ち上る炎の先端がみえたのだ。

ケイはトランシーバーに向かって叫んだ。

「ゲート班、奴等を近付けるな!火を着ける気だぞ!」


館長は、判断ミスにより距離を詰められてしまった事を激しく後悔したが、ともかく火力を集中する事で撃退するしかないと判断した。

一発でも貫通してくれないかと祈るような気持ちで、弾を撃ち込み続ける。

弾が食い込む度に4枚のドアは衝撃で動揺するものの、直ぐに姿勢を立て直してじりじりと迫って来る。

やがて、ドアは橋の入口とゲートの中間辺りで立ち止まった。

それを凝視したとき、拳銃が歯が立たなかった理由が判った。

ドアは全て2枚重ねで鎹で固定されていたのだ。

その場の思い付きを拙速に実行したのではなく、十分に考えられている。

やはり偶発的な行動ではない、と館長は思った。

火が放たれたら、もう止めようがない。

「撃ち方止め!良く見て、陰から手が出たところを狙うんだ!」

銃を構えたまま、命令した。

双方が固唾を呑んで見守るなか、一枚のドアの横から松明を握る手が覗いた。

無言で銃を放つと、他のメンバーもそれに倣った。

その内の一発が手首を貫通し、悲鳴と共に松明がその場に落ちると、バリケードのこちら側で、短く快采が上がった。

その一瞬の気の緩みが、致命的なミスに繋がってしまった。

松明を握る四本の腕がほぼ同時に覗いたが、館長は咄嗟に指示する暇もなく銃を放つしかなかったので、弾の大半は最初に覗いた腕に集中してしまった。

その腕は先程と同じ様に撃ち抜かれて松明を取り落としたが、残りの三本の腕は殆ど妨害を受ける事なく松明を放った。

多少腰が退けていた事もあり、その内の二本は手前に落ちたのだが、一本だけは度胸のある奴が居たのかやけくそで放ったのか、大きな弧を描いてゲートに積み上げた机や椅子とその間を埋めるがらくたの中に飛び込んだ。

後退していた群衆の中から快采が上がり、マイケルは火を消そうと慌てて身を乗り出した。

その肩に、館長が手を掛けて引き戻す。

次の瞬間には、雨霰とばかりに弾丸が飛んで来た。

これで形勢は逆転した。

バリケードが燃えはじめているが、消火するためにバリケードから出ればたちまち蜂の巣である。


サリバンの許には矢継ぎ早に事態の展開を伝えるメモが届けられ、その内容は都度閣議で報告された。

今や禁書館周辺が大規模な戦場となっている事は明らかであり、ここに至っては、さすがにグロムイコもしらを切り通す事はできなかった。

「グロムイコ君、君自信が行って、事態を収拾せよ!そして、ケルブ師を直ぐに出頭させるのだ!」

グロムイコは不承不承立ち上がった。


元々、大急ぎで築いたバリケードに少人数の防衛班を置いているだけなのだから、ここで撃退できるとは全く期待していない。

単に時間を稼ぐ事だけが目的であった。

今やバリケード自体が燃え上がる炎の壁と化しており、攻撃側はこれを片付けなければ前進できないだろう。

ケイはそろそろ潮時だと判断して、退避の余裕がある内に撤収させるためトランシーバーで呼び掛けた。

「ブリッジゲートを放棄しろ。門内に戻って閂をかけるんだ。 」

館長は撤退を命じた。

「よし、全員城門に向かって走れ。」

ところが全員が城門に向かって走りだした時、 炎を上げているバリケードがメリメリと音を立ててこちらに倒れはじめた。

その音を聞いた館長は、立ち止まりバリケードを振り返る。

驚いた事に攻撃軍は荷車を推し立てて、降りかかる火の粉をものともせずに燃えるバリケードに突進してきていた。

館長は崩れつつあるバリケードに向き直った。

ケイは慌ててトランシーバーに向かって叫ぶ。

「何をやってる。速く帰って来い!」

トランシーバーから緊迫した声が返ってきた。

「このまま全員が逃げたら、閂をかけるのが間に合わない!」

バリケードが倒れ、煙の中から荷車とそれに続く男たちが現れた。

館長は先頭の男に狙いを定め、拳銃を撃つ。

男が仰向けに倒れると、その後ろから次の男が荷車を乗り越えようとした。

館長が狙いを付けようとした時、左からもう一発銃声が響きその男も倒れた。

先頭の二人が続けて倒れたため、暴徒の勢いが止まる。

「マイク、こんな所で何をしている!早く行け!!」

「父さん一人で止められるもんか!」

一瞬の間があって、館長は短く答えた。

「判った。」

そして右手に銃を構えたまま、左手に持ったトランシーバーに向かって叫んだ。

「早く閂をかけろ!」

「館長、マイク!早く戻るんだ!」

ケイがトランシーバーで再び呼び掛けると、意外なくらい平静な返事が帰って来た。

「もう間に合わんよ、こっちの弾が無くなる前に閂をかけるんだ。」

ケイは一瞬躊躇ったが、ゲート班の残りが全て逃げ込んだのを確認して命令した。

「判った、閂をかけろ!」

館長は横目で呼び掛ける。

「マイク、そっちの弾は?」

「今終わった」

その返事を聞くと、トランシーバーに呼び掛けた。

「そうか、じゃあこれが最後の通信だ。ケイ、サーリム、マギーをよろしく頼む。」

そう言ってトランシーバーを河に投げ込むと、二人は並んで剣を抜いた。

二人が、殺到する攻撃軍の波にそのまま飲み込まれて消えるのを、ケイは唇を噛んで見ているしかなかった。

門の中では、ジョーンズが門を封鎖する指示を出していた。

巨大な閂を4人掛かりで持ち上げ、大わらわで門に掛ける。

かけ終わるのと攻撃側の先頭集団が門に体当たりしてくるのが、ほぼ同時だった。

辛うじて閉鎖に成功した事で、前庭班は安堵した。

その混乱の中で、メンバーの一人が消えた事には、誰も気付かなかった。

それにしても、本格的な防衛戦を前にしてこの損失は非常に痛かった。

撤退時期の読み違えは、明らかにケイのミスであった。

まさか、燃え上がる壁に向かって突っ込むほどの無謀な行動に出るとは、想像もしていなかった。

狂信の恐ろしさを、過小評価していたのだ。

ケイは、頭を激しく振って沸き上がる自責の念を振り払うと、次々と暴徒達が走り抜けて行くブリッジゲートを睨み付けた。


メモによる報告では事態の展開の早さにはとても追い付けなくなり、保安局の副局長からの伝令が直に報告するようになった。

伝令は、入れ替わり立ち代わり報告しては出て行く。

スペンサー以下閣僚達は、焦燥しながら事態の推移を見守るしか無かった。


セジウィックは、バリケード突破の報告に満足していた。

榴弾砲を撃ってくるとしたらこの瞬間しかないと思っていたが、鐘楼は沈黙している。

これで、弾切れはほぼ確実になったと判断した。

「よし、梯子を出せ。」


エピメター率いる『重力の使命』信徒一行を載せた列車は、ケンジントン中央駅に滑り込んだ。

ケンジントン駐在の世話係は、指示通り3台の荷車を用意して待っていた。

信徒達は、エピメターの指示で手際よく荷物を積み換えた。

1台目と2台目には旅支度の荷物を山の様に積み上げて、ロープを掛けて押さえつける。

3台目には、儀式用の調度を納めるための麗々しい紋章入りの聖具箱を、4箱並べて厳重に網を掛けた。

一行は、荷車を引いてケンジントン北ゲートに到着した。

エピメターは、北ゲートのカウンターに就いているガーディアンに愛想良く声を掛ける。

「『重力の使命』の巡礼団が参りました。」


閣議室のドアが開き閣僚達は一斉に視線を向けたが、直ぐに失望のため息が漏れた。

入ってきたのは、白々しい愛想笑いを浮かべたグロムイコ一人だけであった。

「何故ケルブ師が来ぬ!一体何をやっておるのか!」

スペンサーの激しい叱責を意にも介さず、グロムイコは再び着席した。

「尊師は、只今事態を収拾するために、懸命に努力なさっておられます。従って広場から離れる事が出来かねますので、再度私に代理で出席するようお命じになりました。」

嘘は吐いていないぞ、尊師は現在禁書館攻略のために叱咤激励中だが、禁書館が落城すれば間違いなく事態は『収拾』されるからな、と腹の底で呟く。

「今回の件は、尊師の素晴らしいご説教に感銘を受けた純粋な信徒達に対して、禁書館側が挑発行為を行ったために起こった不測の事態でございます。その責めは全て、禁書館側の傲慢な姿勢に帰せられるべきでしょう。」

よくもぬけぬけと申した物よと、スペンサーは怒りを圧し殺して言った。

「ほう。我々が聞いておる保安局の報告では、大分話が違うようだがのう。」

「それでは、我等炎の剣に対して邪な感情を懐く者が、事実を捻じ曲げてお伝えしておるのでございましょう。どこにでも姦侫な者は居りますからな。」

サリバンは、このあからさまな侮辱にじっと耐えて感情を露さなかった。


北ゲート班のガーディアンの班長は、朝からずっと入場希望者を追い返していた。

今の状況で中央地区内に人間が増えるのは、保安局としては迷惑千万であるし、そもそも入場者自身の安全が保証できない。

彼は、何故保安局がゲートを封鎖しないのかと、上層部の意思を計りかねていた。

エピメターの呼び掛けを聞いて、手元の来訪予定リストに目を走らせ、一行が53人とあるのを確めた。

来訪自体は手続きに従って申請済であるから、無下に追い返すわけにはいかないが、このタイミングで50人からの大人数がやって来るのは、保安局にとっては迷惑以外の何物でも無い。

「そちらは今着いたばかりだから解らないでしょうが、ここは色々と物騒な状況でしてね。しばらく中央地区に入るのは止めた方が良いと思いますが?」

エピメターは、あくまでも愛想の良い表情を保ったまま、応える。

「なにやら、お取り込み中のご様子は御察し致しますが、3日も掛けてやって来ておりまして、今更帰るわけにも参りませんし、何より我が教主プロメター師が中でお待ちです。どうかお通し願えませんか?」

丁寧な言い方をしてはいるが、全く引く気はなさそうだと感じた。

仕方なく班長は、壁の電話機を取り上げると保安局本部に連絡する事にした。

この古ぼけた電話機は、大いなる再構築以前に設置された設備で、当然まともに保守もできなくなっており、しばしば不具合を起こす代物なので、不通であればそれを口実に断ろうと思ったが、こんな時に限ってワンコールで繋がった。


保安局本部では、副局長がサリバンの事前指示に従って指揮を取っていた。

とはいえ、現状では広場に出した偵察部隊から上がってくる報告を伝令に託して閣議室に送る以外には、何もできなかった。

その時、壁の電話が鳴った。

ゲート課長が電話を取り、少し話してから送話口を手で押さえて言った。

「一行が到着しました。」

副局長は漸くやる事ができたので、少し気が楽になって短く応えた。

「では、指示通りに。」

課長が電話に返事をしてから切ったのを見て、課長に指示を出した。

「何か間違いがあってはいけないので、ゲートに行って下さい。」

「了解しました。」

そう言って課長が出ていった。


もしかしたら、本部が追い返す様に指示してくるかも知れないという一縷の望みも消えた。

帰って来た返事は「中へ入れろ」であった。

班長は渋々立ち上がると、エピメターに言った。

「それでは、規則により持ち物の確認をさせて貰います。」

班長は、ゲートの両脇に立っていたガーディアン達を呼んで、三人で次々と身体検査を行った。

エピメター以下全員が大人しく両手を広げて、されるがままになっていた。

「次は、荷物を検めさせて貰います。」

「どうぞ。」

エピメターはにこやかに微笑んで、1台目と2台目の荷車に積み上げられた雑多な荷物の山を拡げるように、信徒達に指示した。

三人は、手際良く荷物の山をひっくり返して行く。

一通り確認し終わった班長は、3台目の荷車に目を向けた。

通例では、暗黙の了解として儀式用の調度には手を触れない事になっている。

大抵の物は聖別されており、一旦開けると再度聖別の儀式が必要になる事が多いからだ。

班長は、まだ一行を追い返す事を諦めていなかった。

「規則ですので、こちらも検めさせて頂きます。」

敢えて、規則を盾に取って受け入れ難い要求をぶつけ、入場を断念させようと考えたのだ。

その言葉に、一瞬エピメターの頬が引き攣った。

班長はエピメターの表情の変化を効果の現れと見て、もう一押しで追い返せそうだと判断した。

「荷物を下ろして、拡げていただけますか?」

エピメターは必死に穏やかな表情を保とうとしていたが、内心の動揺は隠せなかった。

武器は全て聖具箱に隠してある上に、絶対に見せる事が出来ない物が入っている。

暗黙の了解でしかない以上、中を確認したいと言われれば拒む事は出来ない。

後々を考えれば保安局と事を構えたくはなかったが、どう見ても誤魔化せる状況ではない。

「えー、その、少々お待ちください。」

そう言って、エピメターはゆっくりと網を固定する厳重な結び目を解き始めた。

時間がかかるところを見せれば気が変わるかも知れないと期待したのだが、不承不承な態度を見せた事は逆効果となった。

班長は、中を見せたくない(聖具箱の性質を考えれば、当然の事だ)なら、中を確認する事を強硬に要求すれば入場を断念する可能性が高いと判断したのだ。

ようやく網を剥がして聖具箱があらわになると、班長は錠がかかっている事を確認して、振り返った。

「鍵をお貸し願えませんか?」

エピメターは、平静を装って右手でポケットの中の鍵を探る振りをしながら、さりげなく左手を背中に回して、ベルトの裏の隠しポケットのスローイングナイフを抜いた。

ナイフを持った左手で、左右の信徒達にガーディアンの助手達を一気に制圧できる位置へ移動するように指示する。

「どうしました?鍵を貸して頂けませんか?」

軽い苛立ちを含んだ声で促された。

エピメターはこめかみに緊張の汗を浮かべながら、それでも愛想の良さは崩す事無く応えた。

「少々お待ちを。中で引っかかって出てこないんですよ。」

ナイフの刃を挟んだ指は、力が入り過ぎて真っ白になっている。

このままナイフを投げれば確実に班長の喉に突き立てられるが、次の瞬間には助手達が銃を抜くだろう。

そうなれば、隠しナイフ以上の獲物を持っていない信徒達から死者が出る事は避けられない。

何とか殺さずに制圧するタイミングを計っていた。

視野の隅で信徒達が配置に就いた事を確認すると、素早く間合いを詰めようとした。

その瞬間に、後ろから強い叱責の声が響いた。

「おい、何をしている!」


スミスは、予定通り本格的な戦闘が始まる前に戦線を離れられた事でひとまず安堵していた。

ここまでなるべく目立たない様に振る舞って来たので、恐らくまだ離脱自体が気付かれていないだろう。

そのために彼は、常に最大多数派の中に身を置くように心掛けて来た。

前庭班を志願したのもそこが戦闘の要所だからではなく、志願者が集中すると見込んだからだし、それも最初の志願者にも最後の志願者にもならない様にタイミングを計って手を挙げた。

訓練の際にも、際立った戦闘スキルを認められない様に、控え目な成績に収めて先頭に立つ即応班ではなく後方の遊撃班に紛れ込む様に振る舞ったのだ。

後は、ケイに近づくチャンスを窺うだけだ。


エピメターは、驚愕のあまり心臓が口から飛び出しそうになって硬直し、それから恐る恐る振り向いた。

そこにはいつの間にか、保安局の制服の男が立っていた。

袖口の線の本数の多さを見ると、かなりの上級職員だろう。

「こんな所で、油を売っている場合じゃないぞ。緊急配備だ!この方達をお通ししたらゲートを封鎖して、さっさと担当部署に移動しろ!」

男は、エピメターの肩越しに高圧的に決め付けた。

「いや、しかし・・・」

班長は職務の執行に執着を見せる。

ゲート課長は拳を振り上げて叱咤した。

「しかしもかかしもあるか!緊急事態だと言うのが分からんのか!早くしろ!」

その剣幕に本当に飛び上がったガーディアン達は、大急ぎでゲートを開いた。

エピメターは胸を撫で下ろすとゲートに向かおうとして、左手にナイフを持ったままである事に気づき背筋に寒気が走った。

ガーディアン達がこっちを見ていない事を確かめて、ナイフをそっともとの場所にしまった。

ガーディアン達は、全員が入った事を確認すると大慌てでゲートに錠を掛け、課長に敬礼するとそのまま駆け出していった。

それを満足そうに見送った課長は自分も戻りかけたが、ふと立ち止まり、振り向いた。

「さあ、あなた方もお行きなさい。急ぐんでしょう?」

緊張が解けたばかりのエピメターは、その声の微妙なニュアンスに気付かなかった。


課長が立ち去ると、エピメターは周りにガーディアンがいない事を確かめて、聖具箱を次々と開けていった。

3つの箱は、拳銃やその他の武器と火薬・弾丸でぎっしりと詰まっていた。

「さあ、全員武器を取れ。」

信徒達がめいめいに武器を手にするのを横目に、エピメターが4つ目の箱を開くとその中は緩衝材で埋まっていた。

何重もの緩衝材を取り除くと、その中には巨大なバックパックが入っていた。

バックパックを開けると、中は更に緩衝材で埋まっている。

中身に異常がない事を確かめてバックパックを丁寧に閉じると、重そうに持ち上げてしっかりと背負った。

「全員準備できたか?」

信徒達を見回して全員が頷くのを確認すると、自分も拳銃を握り宣言した。

「よし、覚悟を決めろ。行くぞ!」


攻撃軍は、橋を通って島に雪崩れ込んで来た。

ブリッジ側の防壁は立錐の余地も無いほどの人数で包囲されている。

皮肉な事に、こけ脅しのために必要以上に堅固に築かれた防壁が、今や頼もしい守りとなっていた。

攻撃軍は懸命に防壁に取り付くが、4メートル近い防壁にはよじ登るための手掛かりは無く、中を伺う方法が無い。

勿論内側もその点では同じだが、中心に建つ禁書館には鐘楼が聳え建っている。

鐘楼自体は、元の博物館を建てる際にデザイン上のアクセント兼展望台として造られた物に過ぎないが、今やケイ達が陣取る事で格好の偵察拠点かつ司令塔として機能していた。

攻撃軍が梯子を持ち出して、門を挟んで2箇所に立て掛けるのが見えた。

「前庭班、3番、7番に梯子!」

ケイが、あらかじめ決めておいた番号でトランシーバーに指示を出す。

「了解。3番と7番だ、急げ!」

ジョーンズが指示すると、指差された二組が素早く持ち場へ走った。

指示された配置に付いた二人づつの組は、それぞれ防壁の上に向けて銃を構える。

梯子をよじ登って来た男たちが防壁から顔を出すのに合わせて、顔面に弾丸を撃ち込んだ。

二人は後頭部から脳漿を撒き散らしつつ、声も出さずに仰け反って落ちていった。

「よし、良いぞ。」

ジョーンズが快哉を上げる。

勢いに乗って次の男が顔を出すが、同じ運命を辿った。

しかし、3番の梯子には梯子が大きくしなる程の人数が殺到していた。

男達は、倒れかかってくる死体を下から支えて、楯にしながら城壁を乗り越えて来たのだ。

登り切った男達は、地面まで4メートルの高さが有ることに気づき、飛び降りる事を断念して、そのまま壁の上端にしがみついて拳銃を抜いた。

城壁の上と前庭との間で、二対三の銃撃戦が始まった。

ジョーンズは、急いで更に二人を3番の援護に向かわせたが、遅かった。

足場の悪い攻撃側の弾は狙いが定まらないため、二対三の数的不利にも関わらず善戦していたが、幸運はいつまでも続くものではなかった。

なんとか一人は倒したが、二人目を撃った時、こちらの一人も胸を撃ち抜かれて倒れた。

援護の二人は応援に着くと、三人がかりで壁上の残る一人に銃撃を集中的に浴びせた。

蜂の巣となった男は、大きくのけぞるとそのまま落下した。

梯子が大人数を載せて大きくしなっていたところへ、勢い良く死体が落下してきたので、堪えられなくなった梯子が折れた。

それを見て7番の梯子側も登るのを止めたので、ケイはトランシーバーに指示を出した。

「良くやった。3番は取り合えず心配無い。7番は引き続き警戒しろ。」

先ずは最初の直接攻撃をしのいだ。

とは言え、まだ先の見えないこの段階で既に3人もの犠牲を出し、しかもその内二人がリーダー格の人間であったというダメージはもう取り戻せないが、とケイは苦い思いを噛みしめた。


今は終わった事を悔やんでいる暇はないと思い直して顔を上げた時、誰かが階段を登ってくるのに気づいた。

前庭班にいるはずのスミスであった。

「何をしている、持ち場を離れるな!」

叱責を無視して、スミスは鐘楼に上がろうとする。

「アマギさん、大変です!」

「どうした?」

サーリムが駆け上がって来たスミスを見たとき、スミスは懐から何かを取り出そうとしていた。

ちらりと見えた物は、見覚えのある奇妙な形のナイフだった。

サーリムが咄嗟にスミスに向かって突進したが、間に合わなかった。

くぐもった破裂音が響いた。

サーリムの全力の体当たりを喰らったスミスは、大きく仰け反りながら快哉の声を上げた。

「やりましたぞ!猊下!」

スミスはバランスを崩して無意識に右足を引き、踏みとどまろうとしたがそこには床がなかった。

満面に喜びの笑みを湛えたまま、スローモーションのように仰向けに倒れ込み、そのまま階段を落下して行った。

驚愕の表情でケイが自分の腹部に目をやると、そこには護教剣が突き立っていた。

シャツにみるみる深紅の染みが広がって行く。

スミスはあり得ないような姿勢で、階段でバウンドを繰返しながら落下して行く。

踊り場に叩き付けられたスミスは、そのまま動かなくなった。

その首は、奇妙な方向に捻れていた。


サーリムは、崩れ落ちるケイに駆け寄る。

「ケイ、大丈夫?」

自分でも声が震えているのが判る。

「サーリム、落ち着け。」

表情を歪めながら、かすれ声で続ける。

「いいか。出来るだけ平静な声でプロメターを呼べ。俺がほんのちょっとした用事で呼んでいる、 と言うんだ。」

サーリムは頷いて深呼吸をすると、必死に平静を装いトランシーバーに呼び掛けた。

「プロメターさん。ちょっと今ケイが手が離せないので、こっちに来て欲しいって言ってます。」

「判りました、今行きます。」

ごく短い返事が聞こえた。


プロメターは、突然の呼び出しで、緊急事態が発生したと判断した。

副官として手元に置いていた信徒を呼び、わざと周りに聞こえる様に大声でおどけた口調で言った。

「やれやれ、この忙しいのに司令官殿のお召しだそうだ。ちょっとご機嫌伺いに行ってくるから、暫くここを頼むよ。」

そう言い置いて禁書館に向かってわざとゆっくり歩いて行ったが、裏口のドアをくぐると、階段に向かって駆け出した。


サーリムは泣きじゃくりながら、ケイに呼び掛けていた。

「ケイ、大丈夫?直ぐに手当てをしないと。」

そう言ってケイの脇腹に刺さった護教剣を抜こうとした手を、ケイは弱々しく払った。

「今抜けば出血が止められなくなって、死期が早まるだけだ。ともかく落ち着け。俺はただ自分の過去に追い付かれただけだ。監査官の最期なんてこんな物さ。」

声はますますかすれているが、無理に笑顔を作ってそう言った後、声の調子をあらためて言った。

「それよりな、サーリム良く聞け。この後はお前が指揮を取るんだ。」

その言葉にサーリムは驚愕した。

「体制を組み直している余裕はない。今ここで指揮を取れるのはお前しかいない。」

「そ、そんな事が・・・」

「いいか。出来るかどうかを考えている場合じゃない。やるんだ!」

ケイはかすれ声で、それでもきっぱりと言った。


プロメターは階段を駆け上がり鐘楼に顔を出した時、サーリムが泣いているのに気づいた。

おもむろに、歩調を落としていかにも気楽そうな様子を装って声を掛ける。

「下に何だかえらい物が落ちていたが、どうしたんだ?」

その声に応えて、ケイは脇腹に刺さった護教剣を指差して弱々しい声で言った。

「こういうことだ。スミスは黄金の羊の護教戦士だった。油断してたらこのザマだ。」

プロメターは負傷を確認する。

「ここからはサーリムが指揮を執る。」

そう告げられたプロメターは、特に驚く事もなく言った。

「わかった。サーリム君、ケイは私が下に連れて行って手当てするから、今から君は二つの事だけを考えなさい。」

「2つ?」

プロメターはわざと気楽そうな表情を浮かべ、人差し指を立てて言った。

「そう。一つ目は、まともな指揮になっていなくてもいいから、とにかく元気な声でみんなを励ましつづける事。敵に動きがあったら、撃て!でも行け!でも何でもいいから、素早く指示を出しなさい。指揮官に求められる第一の資質は、素早い決断が出来るかどうかです。たまたまその決断が正しければ、勿論それに越した事はありませんが。どうです?出来ますね。」

サーリムは、その冗談めかした軽い口調で少し気が楽になった。

「はい、やってみます。」

少年がやや落ち着きを取戻したのを確認して、表情を引き締めると人差し指に加えて中指も立てた。

「そして2つ目です。」

一旦言葉を切ると、サーリムの目を正面から見据えてから続けた。

「ケルブ師が出てくるのを見落とさず、出てきたら即座にそのライフルで狙撃しなさい。」

その言葉に、サーリムは息が詰まりそうになった。

「そんな、崇高賢者を撃つなんて・・・ 」

そう言いながら後退りかける少年の両肩に手を載せて、穏やかな声で説いた。

「もしそれが出来ないとしたら、我々は初めからここに立てこもるべきではなかったと言う事になります。」

サーリムが助けを求める様に振り向くと、ケイは黙って頷いた。

「既に何人もの犠牲が出ています。その犠牲が無駄になるかどうかは、君の行動で決まるんです。」

プロメターの言葉に、少年は意を決して頷いた。

「判りました。」

「今言った2点以外の事は、一切気にする必要はありません。それからもう少しでウチの連中がやって来ますから、そうなれば私がまた上がって来ます。後少しの辛抱です。辛いだろうけれど頑張りましょう。」

例えどれ程の雄弁を持って励ましても、少年の肩にのし掛かる重圧をはね除けてやる事は出来ない。

だから、直近の手助けの予定(そう都合良く救援がやって来るという保証はどこにもない)を確定的に語って見せる事で、彼がこれから耐えなければならない孤独が無限に続くわけではないと思わせる様に誘導したのだ。

プロメターは、ケイの背中に手を回してクロスボウ装填用のベルトを外すとサーリムに渡したが、二人ともベルトの状態を確認する余裕は無かった。


プロメターは服に血の汚れが着くのを気にも留めず、抱き抱えるようにケイに肩を貸してゆっくりと階段を降りて行った。

ようやく階段を降りきったところで、右に曲がる。

ケイは呻き声を漏らして言った。

「どこに行くんだ。救護班のいる大会議室は反対側だぞ。」

プロメターは立ち止まった。

「その前に、二人だけで話がしたい。」

プロメターの真剣な声に、ケイは苦しそうに答えた。

「もうあまり持ちそうにない。手短に頼むぜ。」


サーリムは、ベルトを締めると深呼吸した。

かつて、自分を広い世界に送り出した老マリクの言葉が、不意に蘇って来た。

(そなたらは、長い旅路の果てに、世界を救う事になろう。)

確かにこの5年間は、長い旅路だった。

そして、とうとう旅の終わりに到達しようとしていると感じた。

これが運命なら受け入れるしかない、そう覚悟を決めると不思議に落ち着いた気分になった。

老マリクの予言によれば、その後には別離が訪れる事になっていたが、その事は思い浮かびもしなかった。


その後も前庭では散発的に梯子による攻撃が続き、都度指示に従って撃退したが、有利な立場とはいえ攻撃が繰返されると出血も避けられなかった。

いつのまにか前庭班では、戦闘可能な要員が当初の半分を割ってしまっている。

ジョーンズは持久戦では弱気になる事が最も危険だと知っているので、先の事はすべて鐘楼に任せて何も考えず、目の前の問題に専念した。

いつの間にか指示を出す声がケイからサーリムに代わっている事に気付いたが、その理由は敢えて考えない事にした。


ケルブは、戦局が思うように進展しない事に苛立っていた。

元々物事が思い通りにならない事に慣れていないのだ。

「何をぐずぐずしておる!さっさと片を付けぬか!」

セジウィックとしては、特に遅滞が起こっているとは思っていなかった。

早期決戦を求めて投入した舟艇部隊が撃退されてしまった時点で、後は時間を掛けて落とすしかないと判断したのだ。

攻城戦とはそういうものだ。

とはいえ、この短気なスポンサーにはその説明は通りそうもない。

叱責に思わず肩をすくめて、おずおずと答えた。

「しかし、あの城壁が思いの外固うございまして・・・」

思った通り、ケルブはその言い訳を最後まで聞かずに、命令した。

「それなら、あれを投入せよ。」

何を言う、あれを使うなと言ったのは自分じゃないか、と心中で呟きながら、一応は止めてみる。

「しかし、あれを出しますと、後々の・・・」

「構わぬ!釈明なぞ、後でいくらでもこじつけられる。」

よし!これで言質は取った。

セイジウィックは、まだ榴弾砲らしき物が気にならないでも無かったが、ここまでに撃つチャンスは幾らでもあったはずなのに、全く撃って来なかった事から、撃てない事はほぼ確実と踏んだ。

セジウィックは傍らのウェイギャンに、現場で指揮を取るように命じた。

本格的な攻城兵器を投入するとなると、素人隊長では心許ないと感じたのだ。

ニューメインの一件で懲りていたのである。


エピメター達は、暴徒に紛れて禁書館に少しずつ近づいていた。

ようやく橋の中央部ブリッジゲートの直前まで前進したが、橋の上は暴徒で一杯になっており、かき分けて進むのは難しそうだ。

第一、正門前まで暴徒が溢れている状態では、たとえ正門にたどり着く事ができても、扉を開けさせるわけにはいかない。

この位置から暴徒を攻撃する事も考えたが、遮蔽物のない場所で撃ち合いになれば、比較にならない程の多勢に無勢であるから、全滅する事は確実だし、それでは増援の得られなくなった禁書館も落城は免れない。

各個撃破だけは回避して、禁書館に合流する事を最優先にしなくてはならない。

どうしたものかと思案していたら、突然橋の向こう側の暴徒達が退がり始め、それに引っ張られる様にブリッジゲートから正門までの支橋の暴徒も後退した。

見る間にブリッジゲートから向こうの橋と正門までががら空きになった。

エピメターは、何が起こるのかを測りかねて事態の推移を見守っていた。

その時、広場の奥の方から不気味な歓声が上がった。


サーリムは正門前の敵が潮の退くように退がるのを見て安堵し、そのままへたり込みそうになった。

その時、信じられない様な物が出て来た。

広場の向こう側から、大きな荷車に先を尖らせた巨大な丸太を固定した代物が引き出されて来たのだ。

破城槌である。

丸太の太さは1メートル近く、それに大人の指ほどの太さの鎹をびっしりと打ち込んで荷車に固定し、その上から拳程の太さのロープでぐるぐる巻きにして補強してある。

とても、即席で作られた物だとは思われない。

正門を突き破るために、予め用意してあったのだ。

暴徒達の歓声の中を障害物を排除しながら、破城槌がブリッジゲートに接近してくる。

慌ててトランシーバーで呼び掛けた。

「正門に丸太が突っ込んで来る!扉を押さえて!」


指令を受けたジョーンズは、身近の四人に扉を押さえる様に命じた。


サーリムは、ケイがやっていた様にクロスボウを縦に持ち代え、弦をベルトのフックに掛けて、勢い良く鐙を踏み込んだ。

大慌てで発射したテルミット弾は、破城槌の上を飛び越えてその後方に落ちた。


期待に目を輝かせて破城槌の後に従っていた暴徒達の中に、オレンジ色の炎が落下した。

派手な悲鳴が上がり、燃え上がった数人の男達はそのまま地面を転げ回った。

ウェイギャンは、慌てて周りの兵士達に消火を命じた。

暴徒達は、急いで上着を脱いで燃える男達に叩き付ける。

ようやく火が消えるとウェイギャンは、動かなくなった数人を後方へ運んで手当するように指示した。

この騒ぎで破城槌は一旦停止した。

こんな武器まで持っていたのかとウェイギャンは、予想外の攻撃に破城槌を引っ込める事も考えた。

しかし、既に出してしまっている以上大賢人会議に対する誤魔化しは効かない(まあ、そこはケルブが何とかするだろう)し、前進しても後退しても続く攻撃を受ける事は避けられないと判断したので、このまま前進する事に決めた。

何よりも、破城鎚の登場で士気が今までになく高まっている状況であるから、ここで何もせずに引っ込めばその反動で士気が崩壊しかねないのだ。

最早突っ込む他に選択肢はない。

あの炎が命中するのと城門を突破するのと、どちらが早いかの勝負だ。

無用な巻き添えを避けるために、破城槌部隊以外の兵士は下がる様に命じて前進を再開した。

破城鎚部隊以外の兵士達は、巻き添えを恐れて距離を取り遠巻きに破城槌を見つめていたが、その視線に込められた期待は些かも減じていない。


サーリムは即座に再装填して、今度は手前に狙いを付け二発目を発射した。

炎は不気味な響きを立てて進む破城槌の直前に落下した。


破城槌の先頭を押して橋の直前まで到達していた男達は、飛び散った炎の飛沫を浴びながらも、慌ててブレーキを掛けて、停止させた。

燃え上がるオレンジ色の炎を迂回して、破城槌は再びブリッジゲートに向かって前進を始めた。

炎を浴びて火傷を負った者も自身の負傷に全く気付かずに平然と押し続けるほど、士気が高揚している。

「なあ、これで決着を付けるぜ!」

「そうさ。これで終わりだ!」

口々にそう言い合って互いの士気を高めている男達を見ながら、ウェイギャンは自分の判断が間違っていなかった事を確信した。

彼等の手で破城槌は橋に入った。

車輪の音が鉄骨で反響し、ごろごろと不気味な地響きを立てて、破城槌は進んで行く。


いいぞ、さっきより的に近づいている、そう思いながらエピメターは固唾を飲んで見守っていた。

三発目はきれいな放物線を描いて、破城槌に向かって飛んで行った。

思わず、敵の真っ只中にいる事も忘れて快哉を上げそうになった。

しかし、期待を込めたオレンジ色の炎は、手前のゲートのコンクリート製アーチの尖端に引っ掛かって飛散してしまった。

よし次こそはいける、と期待を込めて待っていたが、その四発目の弾丸が姿を現さない。

何をしているんだ、と目の前で着実に前進する破城槌を見ながら、エピメターは灼けつくような焦燥感に耐えていた。

攻撃軍は苦労しながら狭い橋の中央部で方向転換し、ブリッジゲートをくぐると破城槌を正門に正対させる。

その間に、破城槌を前方から曳いていた内の数人が飛び出し、ブリッジ上の障害物を手当たり次第に川へ放り込んでいった。

みるみる内に、破城槌の進路が開かれた。

大勢の男たちが丸太に取りすがり、勢い良く押し始めた。


サーリムは、次こそ行けそうだという手応えを感じて、次弾を装填すべく弦をフックに掛けて鐙を勢い良く踏み込んだ。

その脚は、殆ど踏み込んだ勢いのままに床にクロスボウを叩き付け、勢い余ってその場でたたらを踏んだ。

一瞬、サーリムは何が起こったのか理解出来なかった。

呆然として足許に目をやると、ちぎれたベルトが落ちている。

無意識の内に拾い上げたベルトを、まじまじと眺める。

ベルトのちぎれ目の端は、ナイフで切ったような綺麗な切り口になっていた。

護教剣の刃が掠めた時に切れ目が入って弱っていた箇所が、遂に限界に達したのだ。

サーリムは、愕然として立ち尽くした。

その時、速度が乗った丸太が正門の分厚い扉に衝突し、門自体が大きく揺れて閂がしなった。

攻撃軍から大きな歓声が挙がる。

その声で我に帰ったサーリムは、意を決してクロスボウの鐙を踏んだまま、両手を弦に掛けた。

両腕の力を込めて弦を引くと、針金の様に硬い弦が10本の指に食い込む。

鋼の弓は、少し引き延ばしただけで動かなくなった。


ジョーンズは、衝撃と共に閂がしなるのを見た。

たった一撃で、既に閂に裂目が生じている。

四人ではとても持つまい。

「全員、扉を押さえろ!」

そう叫ぶと、自ら飛び出して扉の合わせ目に肩を押し当てた。


破城槌は再び助走を付けるために退がり始めたが、エピメターは焦燥に焼かれながらも、なす術もなく見ているしか無かった。


サーリムは一旦力を抜き体勢を整えてから、全身の力を込めて勢い良く弦を引き上げた。

弦が食い込んで指がちぎれそうな痛みが走り、思わず呻き声を漏らす。

弓が軋みながら大きくしなって、弦が引き上げられた。

もう少し、あとちょっとで掛かる!と更に力が入る。


破城槌が再び突進する。

衝撃と共に、直撃を受けた扉の合わせ目付近がひび割れて欠片が飛び散ると同時に、さらに閂を大きくしならせて後退し中央に隙間が生じた。

内側では、閂の裂目が一気に太さの半分近くまでひろがりながら激しく曲がり、扉を支えようとしていたジョーンズ達は後ろに弾き飛ばされた。

ジョーンズは慌てて立ち上がると、無我夢中で再び扉に取り付いた。

もう一度喰らったら、扉は持たないだろう。


エピメターは、正門の扉に破れ目が生じるのを見た。

もう、一刻の猶予もない。

ブリッジの半ばまで退がった破城槌が再び動き始めた時、こっちであれを何とかするしかない、と決意した。

ここで破城槌に襲い掛かれば全員蜂の巣にされるだろうが、それでも扉が破られれば禁書館は終わりである。

第一あの中にはプロメターが居るのだ。

ここで手持ちの兵力全てを磨り潰してでも、止めなければならない。

みんな天国に着いたら土下座して謝るから勘弁してくれ、もっとも私は地獄行きかも知れんが、と心の中で信徒達に謝りながら、叫んだ。

「重力天使のご加護を信じて、ついて来い!」

そして、エピメターは全力疾走した。

重力の使命の信徒達は弾かれる様に一塊になって、暴徒の群れから飛び出した。


サーリムの食い縛った歯の間から、大きな唸り声が漏れた。

指の皮膚が裂けるのにも気付かず更に力を加えると、弦がもう一段引き上げられた。

不意に、弦がセットされる頼もしい手応えがあった。

安心した途端、クロスボウを取り落とした。

気付かぬ内に指が血塗れになって、ぬるぬるになっていたために滑ったのだ。

不思議と、痛みは感じなかった。

直ぐにクロスボウを拾い上げると、テルミット弾をセットした。

震える手で、導火線に点火して構える。

破城槌が、走り始める。

カン!と高い弦鳴りが響いて、テルミット弾が飛んだ。


エピメター達が破城槌に迫ろうとした時、目の前でオレンジ色の炎が爆発した。

みるみる炎が広がり、破城槌を押していた男達を包み込む。

壮絶な悲鳴が上がり、破城槌に取り縋っていた男達はまともに炎を浴びて、燃えながら川に飛び込んでいった。

放り出された破城槌は、橋の中央で立往生したまま盛大に燃え上がっている。

合流のチャンスは、今しかない。

飛び出した勢いを保ったまま、全速で燃え上がる荷車の脇をすり抜ける。

エピメターはチリチリと眉が焦げるのを感じたが、不思議と熱さは感じなかった。

一行は一列のまま正門にたどり着き、先頭のプロメターが正門に体当りしたことで、ようやく止まった。

暴徒達は事態が把握できず、呆然と見守っている。

エピメターは扉の破れ目から中を覗きこみつつ、拳を振り上げ正門を叩きながら叫んだ。

「重力の使命です、開けて下さい!」

その声で我に返った最前列の暴徒達が後を追おうと飛び出したが、その時別の暴徒達が、正門前のエピメター一行に向けて射撃を始めた。

身を隠す物のないエピメター達は、背後からの射撃で大きなダメージを受ける事にはなったが、結果的にはこれが幸いした。

一行に追い縋ろうとしていた暴徒達の先頭が味方の弾丸で倒れ、皮肉な事に味方の張った弾幕に怯んで動けなくなったのだ。

エピメターの呼び掛けに気づいたジョーンズらは、大急ぎで閂を外そうとした。

しかし衝撃でくの字型に折れ曲がっている閂は、支え金具に食い込んでびくともしない。

「みんな、閂を外せ!扉をあけるぞ。」

ジョーンズの声に、前庭班全員が閂に飛び付いた。

ジョーンズ達は閂の下から肩を当てて、有らん限りの力で押し上げる。

そして全員で揺すると、閂が僅かに上にずれた。

エピメターは扉の破れ目からその様子を見ていたが、背後からの銃撃は益々激しくなってくる。

もう、待っている余裕は無い。

足下に落ちていたライフルを拾うと、破れかぶれで扉の破れ目に差し込んで見た。

幸運にもその銃身が閂の真下に突き出た。

エピメターは全体重を掛けて、銃床を押し下げる。

梃子にして閂を持ち上げようと思ったのだ。

その時、背中で呻き声が聞こえた。

振り向くと、信徒達が仁王立ちになってエピメターを庇いながら応戦している。

一人が撃たれて踞ると、直ぐに別の信徒が庇うように入れ替わる。

済まない、本当に済まない、とエピメターは、心の中で手を合わせながら、銃身を勢い良く蹴り下ろした。

銃が折れるのと同時に、閂がはね上がって外れた。

ジョーンズが正門を開くと、動ける信徒達はそれぞれ手近の負傷者を抱え上げるようにして、そのままなだれ込んだ。

それを見た攻撃軍は、銃撃を止めて突進して来た。

直ぐに扉を閉めて再び閂を掛けようとするが、くの字に変型した閂は支え金具に収まらない。

慌てて三人が閂に飛び乗って、激しく踏み付けて無理矢理押し込んだ。

その時、血走った目が破れ目から覗き込むのを見て、ジョーンズは拳銃を放った。

目を撃ち抜かれた男は、そのまま仰向けに倒れた。


エピメターが点呼をとると、奇跡的に全員が揃っていた。

軽傷者が14人、自力では動けない重傷者が7人、6割が無傷の上にさしあたり命の危険も無さそうとあって、エピメターは重力天使の加護を本気で信じても良い気になった。


攻撃軍は、奥の手の投入でなまじ士気が高まっただけに、その攻勢が頓挫した事による落胆は大きかった。

再び正門前は攻撃軍で埋まったが、積極的な行動を取るものは居らず、互いに顔を見合わせながら、誰かの指示を待っていた。


エピメターは状況を確認すると、信徒達に一先ずジョーンズの指揮下に入る様に言い置いて、プロメターを探しに出かけた。

重力の使命のメンバーが加わった事で、前庭班は一気に士気が回復した。


エピメターは館内のあちこちを回った末に、小会議室にたどり着いた。

扉を開けるとテーブルの上にケイが横たわっており、その横でプロメターが見守っていた。

「来ましたよ、ネッド。残念な事に重傷者が7人出ましたが、命に別状はありません。」

「ご苦労様、こちらは見たとおりだ。あれは、持ってきてくれたか?」

エピメターは、横たわっているケイがこちらを見ているのに気付いて、返事を躇った。

「大丈夫だ。ケイには説明してある。」

その言葉に頷いたエピメターは、背中のバックパックを下ろした。

プロメターは後の手筈を説明すると、そのまま部屋を出た。


プロメターは鐘楼に上がると、サーリムの手が血塗れになっている事に気付いた。

「手を見せて。」

そう言いながら、ポケットから包帯と消毒用のアルコール瓶を取りだす。

「君の活躍はウチの奴らに聞きました。大手柄でしたね。」

優しく励ましながら、手際よく手当をする。

サーリムは緊張が解けるとともに、指が灼けるように痛み始めた。


ケルブの苛立ちは、頂点に達していた。

そもそも、圧倒的な人数で包囲して脅しをかければ、たちまち門を開き降伏するだろう、と楽観していた。

跪いて無様に命乞いをするなら、アマギ以外は命だけは助けてやっても良いとまで考えていたのだ、勿論禁書館が灰塵に帰した後での事だが。

それでも念のためにと、舟や破城槌の用意までして万全を期していたはずだったのに、それらを全て投入してもまだあの忌々しい禁書館は降伏する気配もない。

「貴様ら、二千人も揃えておいて、一体何をやっておるのか!」

セジウィック以下隊長クラスの信徒達を前に、一喝した。

全員弁解もできず、ひたすら下を向いていた。

「胸を叩いて、お任せ下さい、なんぞと安請け合いをしたのは、何処の何奴だ!言って見ろ!」

興奮に任せて、肩で息をしながら更に怒鳴る。

「貴様らの様な無能者は見たことが無いわ!これだけの軍勢を預ければ、女子供でももっとましな闘いをして見せるぞ!」

いつもの大人物風のゆったりとした態度をかなぐり捨てて、ひたすら罵倒が続く。

セジウィック達は俯いたまま、罵声が響く度にびくりと肩を震わせる。

ひとしきり罵倒を続けた後、ケルブはきっぱりと宣言した。

「こうなれば力攻めじゃ!儂自らが戦場に出て指揮を行う。」

その言葉にセジウィックは驚愕して、思いとどまらせようとした。

「尊師の御身を危険に曝すわけには・・・」

ケルブは、苛立たしげに手を振って黙らせると

「もう貴様らに任せてはおけぬ!恥を知っておるなら、自ら先頭に立って突進せよ!」

そう一喝して、一方的に話を打ち切った。


攻撃軍は正門前まで切れ目なく埋め尽くしたまま、禁書館に対する心理的圧力は些かも減じていなかったが、その全体を被う失望感は隠せなかった。

数ヶ所に掛けられたままの梯子には誰も登ろうとせず、互いに目を見合せるばかりであった。

突然、スピーカーから大音声が響き渡る。

「神々の忠実なる僕達よ、今こそ、正義を行う時である!ここで命を捨てた者には、天国で永遠の光輝に満ちた座が与えられようぞ!」

全員が、電撃に撃たれたかの様に、一斉に振り向くと、広場の壇上には、ケルブが再び姿を現していた。

その声に応える様に、新しい梯子が次々と運ばれて来た。

たちまち、10本もの梯子が城壁に掛けられる。


ケルブの咆哮を聞いたプロメターは、咄嗟にサーリムを見る。

サーリムは足許のライフルを取り上げ、彼方のケルブを凝視した。

プロメターには背中を向けているので表情は見えないが、少年の両肩が微かに震えている。

プロメター自身は元々自分一人でも参戦するつもりだったのだから、ケイと一蓮托生の覚悟は出来ている。

できればケルブに直接手出ししたくなかったのだが、この少年にこれ以上の重荷を負わせるわけにもいかないと思った。

サーリムの肩に手をかけて、穏やかに言った。

「銃を貸しなさい。私がやりましょう。」

サーリムは振り返ると、きっぱりと拒絶した。

「これは、僕の仕事です。」

「君はもう充分に頑張った。後は任せなさい。」

プロメターは、そう言ってライフルに手を伸ばしたが、サーリムはライフルを離さなかった。

「ここにケイがいたら、これは僕達の仕事だと言うでしょう。僕達がみんなを説得して立て籠った以上、この重大な責務を他の人に肩代わりしてもらう事は許されません。ケイが居ないのだからこれは代理である僕の仕事です。」

少年の目をじっと見つめていたが、決意の堅さを確めると言った。

「分かりました。それでは、私はお手伝いをしましょう。」


攻撃側の軍勢は、次々と梯子を登って来る。

城壁を乗り越えた男達は、今までの様に壁の上に掴まろうとしたが、後から登って来る者に圧されて、地面に向かって飛び降りざるを得なかった。

4メートル近い高さを落下するので、動けなくなる者が続出したが、その上から構う事なく次々と後続が飛び降りて来る。

今や城壁全体を乗り越えて、津波を思わせる勢いで暴徒達がなだれ込んでくる。

前庭班は必死に応戦するが、前庭の敵は着実に増加しており、遮蔽物の無いまま至近距離で撃ち合いを強いられ次々と倒れて行く。

城壁を越えて響き渡るケルブ師の叱咤激励の声が、ジョーンズの耳には禁書館の弔鐘の様に思えた。


サーリムは、ライフルを構えた。

少年の肩に手をかけて、プロメターは穏やかな声で言う。

「良く狙って、ゆっくりと引き金を引きなさい。」

サーリムは微かに頷くと、人差し指に力を込めた。


セジウィックは、ケルブを危険に曝し続ける事を危惧して宥めようとした。

「尊師、もうよろしいでしょう。鐘楼から狙われるやも知れませぬから、お退がり下さい。」

「ここな臆病者が何を言うか。儂は退がらぬぞ!」

そう宣言してから、ケルブは歯を剥き出してせせら笑う様に続けた。

「第一、こちらからあれだけ鐘楼を狙ってライフルを撃って、全く当たらなかったではないか。この距離でいくら狙っても当たりはせぬわ。」

ケルブは、自分達の持ついわゆる『ライフル』とは違う本物のライフルが鐘楼に有る事を知らなかったし、仮に知っていたとしても、技術に詳しくない彼にはその違いは理解できなかった。


サーリムは、興奮も顕に拳を振り上げて督戦するケルブの顔をスコープに捉えた。

十字型の照準を慎重に合わせ、引き金を絞った。

弾は上に逸れ、演壇の向こうの地面に小さな土煙を立てただけだった。

「頭を狙った場合には目標が小さいから外れ易いし、外れ弾が有効になるのは下に逸れた時だけです。そして銃という物は、どうしても反動で弾が上に逸れる傾向があります。だから遠距離で狙撃するときは、頭ではなく体の中心を狙うのが基本です。そうすれば、多少逸れても何処かに当たる確率が上がります。」

プロメターが穏やかに説明する。

「でも、それじゃ致命傷にならないんじゃ・・」

「大丈夫、何処かに当たりさえすれば、それなりのダメージを与えられます。それに、例え小指の先が吹き飛んだだけでも、冷静でいられる人間は滅多に居ません。」

ケルブの狙撃に関して、正直なところケイとプロメターには確実な見通しがあるわけではなく、大きな賭けだと考えていた。

この場でケルブが死んだ場合に、信徒達が落胆して戦意を喪失するか憤激して弔い合戦を叫ぶかは、五分五分と踏んでいた。

また負傷で終わった場合でも、もしケルブが自らの足で立ち上がり、拳を振り上げて徹底抗戦を叫べば逆効果となりかねなかった。

但し後者に関してはケイは、ケルブの虚勢を張りたがる性格から、普段口にする我が身を顧みずに理想に向けて邁進する姿勢は上辺だけのポーズであり、実際に自分の身に危険が生じてもそれを厭わず、信念に殉ずる姿勢を取り続けられる確率は低いだろうと踏んでいたし、プロメター自身も別の理由から同感であった。

サーリムは、銃のボルトを引いて次弾を装填し、改めて狙いをつけると再び引き金を絞った。


セジウィックは根負けして、ケルブの説得を諦めた。

それに、ケルブの言う通りとても当たる筈がないという気がしてきたので、臆病者と嘲りを受けるよりは虚勢を張った方が後々の受けも良さそうだと判断した。

ケルブの旁らに立ち、周りの隊長達に向かって胸を張って言った。

「もう良かろう。尊師もああ仰っている。大体この距離では例え我々が象ほどの大きさがあっても、当たり・・・」

その時、セジウィックは後頭部から脳漿と血の混じったピンクの飛沫を吹き出して、そのままゆっくりと仰向けに倒れていった。

その場の全員が、一瞬何が起こったかが理解できず、硬直した。

やがて、今見た光景の意味を理解したケルブは、言葉にならない声を上げて腰を抜かし、その場にへたりこんだ。

ややあって、本当の目標が自分であろう事を認識すると、四つん這いのまま向きを変え逃げ出し始めた。


サーリムは、自分でも信じられない程に頭脳が冷えて冴え渡っている事を認識した。

その中で、肩に当てられたプロメターの手の温かさが心強かった。

再びボルトを引くと、何も言わず最後の一発を放った。


ケルブは腰が抜けたまま、這いつくばって必死に逃げようとしていた。

回りにいたはずの隊長達は既に一目散に逃げ出しており、身を挺して守ろうとする者は誰も居ない。

無様に這いずるケルブの左肩に、大きな衝撃が走った。

彼はそのまま前のめりに転がると、肩を押さえて獣の様な叫びを上げて転げまわる。

その間、誰もマイクを切る事を思い付かなかった。

ケルブが幼児の様に助けを求め泣き叫ぶ声が、広場全体に響き渡った。


城壁の外にいた暴徒達は一斉に振り向き、日頃畏敬している指導者の醜態を目の当たりにした。

梯子に登っていた男達は、そのまま凍り付いた様に固まっていたが、やがて我に返ると無言で梯子を降りて行った。


ジョーンズは、何が起こっているのか全く理解できなかった。

ただ判っている事は、城壁を乗り越えて来る敵の増援が無くなった、という事であった。

既に前庭に飛び降りている暴徒達は、突然増援が続かなくなった事で、自分達だけで前庭班と戦う羽目になった事に気付いた。

今さら退却する事も出来ず、銃を構えて睨み合うしかなかった。

ジョーンズは、このチャンスを逃してはいけないと咄嗟に判断して、すかさず投降を呼び掛けた。

「もう応援は来ないぞ!諦めて銃を捨てろ!」

暴徒達は無言のまま困惑の表情で顔を見合せていたが、やがて一人が銃を捨てて両手を上げると、次々とそれに倣った。

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