ゾンビー・ロンリー・グローリー
どうやら、私はゾンビになってしまったらしい。
私は風邪を一度も引いたことのないような至って健康な人間であるから、ゾンビに一度や二度噛まれた程度では感染はするまい、と高を括っていたのだ。
しかし、うっかり油断して街行くゾンビの一人に肩を噛まれてからは酷い有様である。
帰宅してから、玄関の直ぐ正面にある鏡に写った自分の姿を見た時は心底驚いたものだ。皮膚組織は丸ごと筋肉から剥離し、身体中が体液でどろどろである。私の顔面はというと、活発な火山活動が繰り広げられたかのような惨状を呈していた。
滑稽なことだが、自らの容姿に恐怖を覚え、私はもんどり打って家の外へ飛び出した。私のように陽気に外出するような阿呆は居らず、彷徨い歩くゾンビ達は私に目もくれること無かった。彼らの顔もまた、私と同じ様相である。
その時気が付いたのだが、私以外のゾンビには自我というものが全く無いらしい。陽気にゾンビの一人を捕まえて「ヤ〝ア〝!」と腐った声帯から濁った声を発しても、無視された時の私の気持ちを考えて頂きたい。そこにあるのはゾンビの呻き声と、底抜けの孤独感のみである。
孤独感に心を苛まれない為に、今の今まで私はゾンビ達に混じってただアーアーと呻き声を上げていたのである。
こうして、日々唸るような声を出しながら街じゅうをのんびり歩いていると、ようやく私もゾンビらしくなってきたと思うものだ。まあ、元から容姿はゾンビなのだが。
その時、女性の悲鳴であろうものを私の爛れ落ちた鼓膜は聞き付けた。それに続いて、虫が這うような音が悲鳴の方向に聞こえる。そう距離は遠くない。おそらく、生存者がゾンビに追われているのだ。音に反応して、周りのゾンビ達もぞろぞろと歩いていく。
私はどうすればよいだろうか。そう迷っているうちに、ふと、白骨化した頭蓋の中に天啓が舞い込んできた。彼女を助けようという考えだ。
しかし、私は思い留まった。私はゾンビなのだ。ゾンビの分際で人間を助けようだなんて烏滸がましいとは思わないのか、と自問自答を繰り返した。ゾンビになってしまったのなら、ゾンビらしく人間を周囲のゾンビ達と共に追い詰めた方が筋が通っているのではないか。
そうは言っても、人間の心だけが持つ善意がだんだんと燻ってきた。私は瞼を閉じようとして瞼がないことに気づき、仕方がないので壁にへばりついて視界をシャットダウンしてから自分がゾンビになるまでの人生を回顧してみた。
周りに合わせて平均点を取れる程度には勉強し、偏差値五十の大学に入学し、平凡な企業に入社した。思い返せば、如何にも日本人の平均を行く人生だった。
ゾンビが出現してからは、そんな平凡な企業から自宅待機を命ぜられ、今度は自分がゾンビになっている。それも私が知っている人間の半分ほどがゾンビ化してからだった。
私は一度死んだのだ。ゾンビになってまで普通であって良いのだろうか。そもそも自分が意思を持つゾンビであることが異常なのだ。
二度目の人生、もといゾンビ生。異常に生きて何が悪い。私の心は得体の知れない高揚感に包まれていった。
そうだ、まずは記念すべき異常なゾンビ生の始まりに、人間を窮地から救ってみよう。私はゾンビ達の歩む方向へと駆け出した。
ゾンビ映画で、走るゾンビというものが存在する。腐った身体で走って大丈夫なのか、崩れ落ちないのか。走るゾンビが出てくる映画は大体その事が気になって上手く感情移入が出来なかったものだ。
まさか、走るゾンビ側に自分がなろうとは誰が思っただろうか? 結果からして言えば、身体は崩れるどころか痛むこともなく、生前を超えるスピードで体を前へ前へと押し進め続けた。
再び悲鳴、女性との距離は少し前までとは比べものにならない程近くなっている。
数が増えてきたゾンビ達を殴り倒し、蹴飛ばした。思考能力が失われているとはいえ、ゾンビ達もまさか同胞に襲われるとは思わなかっただろう。
しかし彼らは反撃してくることもなく、地面に倒れ伏してじたばたと四肢を宙に泳がせるばかりであった。
暫く走り続けると、私の剥き出しの眼球は遂にゾンビから逃げ惑う少女の姿を捉えた。
私は彼女の周囲のゾンビ達を根こそぎ吹っ飛ばした。
「助けに来たぞ!」
私はそう言ったつもりであったのだが、吠えたような声しか出なかった。
彼女には他のゾンビと私の見分けがつかなかったらしい。一頻り叫んだ後、何故か手に固く握られているスコップで私の首をぼんと撥ねた。
痛覚も無いまま、私の頭は虚空を飛ぶ。ゾンビでも、頭を飛ばされると死ぬのだ。
こうして私は二度も死ぬ羽目となった。異常目指して突き進んだ私の短いゾンビ生は、最もゾンビらしい形で終わりを迎えたのだ。