オレと君と
皇紀弐千六百八拾年 拾壱月 参日 火曜日
国立大江戸特別芸能高等専門学校 野外 特設シアター
『トバリ! ――来ちゃダメ!』
『ユリ、行くな!』
――ユリが泣いている。
――ユリの言葉。アレは、アレは決してユリの本心じゃない!!
『トバリ!!』
『アーッハッハッハッハ! どうしたクソ虫! 虫ケラの分際でなにが出来る。――立場をわきまえるのだな!?』
俺の目の前にそびえ立つ鋼鉄の巨人、帝国軍の試作人型汎用兵器『バスタードハタモト』の外部スピーカーから憎きあの男、恋敵たる光源氏の声が聞こえた。
――あいつ、いったいどこからこんなデカブツを!
『おっと、誰が動いて良いと言った!?』
ダダダダダダダ!
36mmチェーンガンの唸る音。
地面が砕け、弾け飛ぶ。
その瓦礫は容赦なく俺の全身を撃った。
『う、ッくぅ!』
痛い痛い、全身が痛む。もはや何処を打ちつけたのかもわからない。
『きゃぁあああああああああああ!! トバリ!! トバリーーーー!!?』
ユリの絶叫が響き渡る。
『んーーーー!? 死んだか!? ―もしかして、プチっと逝ってしまったかぁ!? アッーハハハハハハ!』
――俺は負けない、誰が光源氏なんかに、あんな外道にユリを!! 薄れ往く意識の中、俺は最後までユリの事を思い続けた。
『ほぅ? 以外だなクソ虫。――だが、もうこれで終わり――なんだと!?』
『トバリ!』
そのユリの声に急に体が軽くなった。俺の心に勇気が宿る!
俺は駆けた。そうとも、奴の懐に飛び込むんだ!
――俺は昨日の昼間に出合った老人の言葉を思い出していた。
『帝国軍人はどんな外道であっても民間人には手を出さぬ――』
光源氏を名乗る華族。やつもまた、帝国の軍人ならば――。そこまで腐ったやつでないことを信じるしかない。
『クソ虫!?貴様、一体なにを!?』
『トバリ!?』
俺はその鉄の巨人の足に取り付くと、表面装甲のそこかしこに散見されるボルトの頭に手をかけ足をかけ、よじ登り始める!
『ば、バカな、貴様正気か!?』
――なんとでも言え。こうなってしまっては、お前の武装は使えまい!? 事実、こうなってしまっては左腕に内蔵された36mmチェーンガンは、俺という異物の排除の役に立っていない。右腕はユリを捕らえているのだから、もとより使えないだろう。――よし、いける!
――日頃鍛えていたヒルクライムの腕を舐めるなよ!?
そして遂に俺は剥きだしのコクピットに辿りついた。この速さ、自分でも驚くほどだった。
光源氏――日本帝国陸軍の士官服を着た、二十歳くらいだと思われる優男が操縦席に座っていた。その端正な顔は醜く引き攣り何度も首を横に振っている。その姿はまるで、現実を直視することを否定しているようだった。
「お前が光源氏か? ――どうだ、クソ虫に見下ろされる気分は。ユリを返せ。大人しく渡してもらおうか」
「貴様がクソ虫――いや、土岐帷なのだな―-私から俺の愛して止まない幼馴染を奪う男、か」
「何?」
「いいだろう。興がさめた。――そして私も認めよう。土岐よ、貴様は誇っていい。この俺から俺が最も愛した宝を奪って行くのだから。いいか? 絶対にユリを離すなよ!? それだけはしてくれるな。後生だ」
◇ ◇ ◇
どちらも何も話さなかった。ユリの白いワンピースがその長い黒髪とともに風になびいている。俺はユリを連れて夜の海岸に来ていた。ユリを介抱した海岸――俺とユリが始めてお互いの存在を認めた場所――。綺羅星のごとく輝く星々の下、ユリと二人で波打ち際を歩いた。黒い海が、月の光に煌いている。そして、ユリと初めて出合ったあの日の場所に着いた時、俺は口を開いた
「俺、勘違いしていたよ。あいつ――光源氏は君の事を本当に好きだったんだね」
「そうだと思う」
「でも、ユリ――俺はあいつの何倍も君の事が好きだと言う自信がある」
「うん、トバリの言うこと、信じられる。――だって、軍の秘密兵器を前にして、一歩も引かなかった――」
「ユリ。アレは必死だったから――俺、きっとどうかしてたんだ」
「ううん。トバリは信じられる。信じるよ。だって、私を助けてくれたもの。――二度も!」
一際高いユリの声が響いた。
「!?」
「だから、だからね、トバリ。聞いてくれる?」
ユリの決意を秘めた声。
「……ああ」
ユリはとても大事なことを言うつもりだ。そして、深呼吸の後、言葉を続けた。
「好きです。ああ、あなたの事、この場所であなたが私を助けてくれたあの日から、ずっとずっと信じてた! あなたなら、なにがあっても、どんなに辛くても、負けないって! 私を助けてくれるって! 私、私ね、この島から連れ出してくれる人をずっとずっと待ってた!――この日が来るのを、本当に待ってたの! そして、それはトバリ。それはあなたなんだって。確信出来たの! だから――私、あなたを愛してる。愛してるわ。――私をあなたの傍に置いて欲しいの」
ユリが両手を広げた。
「ユリ。俺も君のことが好きだよ。愛してる。一目会ったその日から――だから、来てくれ。一緒に来てくれ。もう、君を放さない」
「トバリ――」
潮騒の音が重なり合う二人の言葉を掻き消した。
身を弄る夜風が二人を包む。
ある夏の日に出合った少年と少女。
彼らの紡いだ一夏限りのお伽話。
いつか忘れられてしまうかもしれない一夏の夢。
ただ、彼等を見下ろす星々だけは今日のこの日を刻み込むのだろう。
――きっと二人の門出を刻むのだ。
――美しく輝く自分たちを見て、二人が今日のこの日の誓いを思い出せるように。
そして、二人の行く先が綺羅星のごとく輝けるものであることを切に願って。
◇ ◇ ◇
主題歌とともに、スタッフロールが流れ出す。
「カナタ、自分達の名前が付いているぞ!」
八千代がスクリーンを指差して叫ぶ。
「当然じゃないか。オレたちが作ったんだから」
「ああ、それはそうなのだが――うう、カナタ、カナタ。ついに自分たちは成し遂げたのだな」
八千代がその目に涙を滲ませる。
「ああ。そうだ。でも、これは始まりの一歩だよ。オレたちはこの作品を足がかりにもっと上を目指すんだ。『コイハル』なんかより、もっともっと凄い作品を作るんだ。そして、いつの日かきっと父さんを見返して見せる。そして、オレたちの作品を父さんやユリのモデルになった人も見てもらいたい。そうだ、光源氏にもモデルはいるんだろ? その人にも見てもらって、凄い作品だと唸らせてやるんだ!」
オレは八千代に目を向ける。八千代は静かにオレの顔を見ていた。
「やっぱりだ。カナタ、そなたはカッコいい。そなたこそ真の男だ。さすが、自分が好きになった男だけのことはある!」
オレは顔が熱くなるのを感じた。それも急にだ。な、何を言い出す、八千代! 周りに沢山の人がいるのに!
「カナタ。自分をしっかり捕まえて置け。さもなくば、どこかに飛んで行ってしまうやもしれん――」
◇ ◇ ◇
主題歌が止み、クレジットが表示される。
終わった。終わったんだ――。オレはステージ脇に立つ琉璃夏を見る。琉璃夏もオレを見ていた。微笑みかけると、柔らかく微笑み返してくれた。
隣の八千代を見る――あれ? 八千代の姿が見えない。どこに行った? 今から皆に挨拶しないとダメなのに……。
スクリーンがタイトル表示に戻った。やがて聞こえてくるまばらな拍手。パチ、パチ、パチ。そう、それは合図のように。誰かが拍手を始めたそのときだった――。
――瞬間、大気を震わす爆音が辺りに轟き渡り、喧騒が辺りを埋め尽くす。




