カダスを覗いた君
皇紀弐千六百八拾年 拾月 参拾日 金曜日
国立大江戸特別芸能高等専門学校 文芸部部室
───α版、完成。とりあえず動くようにはなった。だがコレは、序曲に過ぎない。
◇ ◇ ◇
皇紀弐千六百八拾年 拾壱月 壱日 日曜日
国立大江戸特別芸能高等専門学校 文芸部部室
「ぽちっとな」
おかしい。起動しない。
「始まらないぞ?」
オレと琉璃夏はお互い顔を見合わせた。
「バグなんだな? また、バグなんだな?」
オレは確認する。
「他になにが考えられる。何度も言わせるな」
「そうだよな───」
次の瞬間、琉璃夏が頭を掻き毟って暴れ出す。両の拳を机に力の限り叩き付けて叫ぶ女がいる。
「うがーーーー! 何故だ、何故なのだ!!」
「琉璃夏落ち着け、落ち着いてってば!」
なんとか取り押さえて椅子に座らせては見たものの、荒い息を繰り返す琉璃夏だった。
「琉璃夏、間に合うよな? 高専祭は明日から、本番は二日目の明後日、そして明日はクラスの応援に行かなきゃで、作業なんてこれっぽっちも出来ないんだぞ───!?」
「大丈夫……なのか? 本当に大丈夫なのだな? 琉璃夏───」
八千代が今にも泣き出しそうだ。沈黙が支配するこの空間───。やがて響くのはこんな奇声だった。
「あはは、あはははは! おのれ愚民ども、何も生み出さない無産主義の豚どもめ。いつかこの手で必ず全てを焼き払ってくれよう!!」
大丈夫か? 琉璃夏の奴。
八千代はただただ心配そうにオレの顔を見続けるのだった。
◇ ◇ ◇
最近、オレもこのラーメンを炊く腕がかなり上手になってきたような気がする。今日は家から持って来ていた味付き卵とほうれん草を添えてみた。二人にはおおむね好評のようで満足かな。
「ああ、今日もラーメンが美味い。やはりこの味。棒ラーメンは最高だ」
「琉璃夏、本気で言ってる?」
「自分はこれ、好きだぞ? 今まで食べたこともない品物だからな」
八千代、君の意見は参考にならないから。
「本当の事を言ってほしいのか? カナタは」
琉璃夏の黒い隈を宿した目が細まりオレを射る。そして聞くに堪えない言葉が投げつけられた。
「毎日毎日一日一食も二食もクソ不味くて食っていられるか! たまには別のもの食わせろボケ! こんな○○ラーメン人間様の食い物じゃねぇ!!」
八千代が暴言を吐く琉璃花を呆然と見る。
「琉璃夏、どうしたのだ。そんなに興奮して」
「いや、健康で文化的な生活を送りたいと思っただけだ。気にしないでくれ」
「そうか。正直驚いたが、そなたが言うのであればそうなのであろうな」
「当然だ。私は正常だ」
どこが正常なんだ、琉璃夏よ。早急に何か手を打つか、急いで作品を完成させないと危険だ。絶対にまずいだろ。
◇ ◇ ◇
夕食後、三度作業に入った琉璃夏だったのだけど───。
「あは、あはははは。バグの場所がわからない、わからないの……ねえ、カナタ。私、がんばったよね。もう、ゴールしても良いよね……? お願い。もう、私……ああ、最期にあなたに逢いたかった。息が詰まるほど強く抱き締めて名前を呼んで欲しかっ……」
ガタン! 琉璃夏が椅子を蹴倒して突然立ち上がった。そしてその血走った目で窓を見据えて───。
「ああ、あれは何だ! ま、窓に! 窓に!」
「大丈夫か? どうしたんだよ琉璃夏」
「落ち着くがよいぞ。こういうときこそ心を平静にだな、おい、琉璃夏!?」
「私は正常だ! 何の問題もない!」
琉璃夏が大声で叫んだ。目の下にはくっきりと黒い隈があり、髪も振り乱れ、目が血走って───。明らかに普通じゃないぞ!
「大丈夫だ、私は、私は正常だ。ああ、大丈夫───!? あ、ああ、窓! 今度こそ窓に! あああ!」
足でももつれたのか、視線を窓に釘付けにしたままその場にへたり込んでしまった。オレも八千代も窓を見てみるものの、何もおかしなものは見えない。
琉璃夏は口をパクパクさせて何事か呟いている。
「”いる”、何か”いる”……」
「しっかりしろよ、琉璃夏! もうちょっとで完成なんだろ!?」
オレは琉璃夏を抱き起こす。って、───え? 琉璃夏がオレにしがみ付いて離れない。オレは邪悪な気配を感じた。見れば、───八千代の物言わぬ視線がオレに突き刺さっているではないか! ああ、八千代の視線が冷たい。
「カナタァ!」
「うぉわ!」
オレは急に暴れだした琉璃夏に逆に押し倒される。ツインテールな琉璃夏の目が怪しい。ますますもって普通じゃない! と、いうか琉璃夏、このオレの胸に座るマウントポジション、色々とヤバイだろ! !? ひっ……お、おい───今、瑠璃夏の舌なめずりを聞いたような気がする。
「ククク。カナタ、今宵こそは覚悟しろ───」
いま、何かとても邪悪な琉璃夏の台詞を聞いたような!? 琉璃夏の魔手がオレの首に伸びる! や、止めろ! ───そのときだった。
「この───ウツケ者!」
八千代が琉璃夏の脳天に鉄拳制裁を下す。八千代にしては珍しい。実力行使だと? 人類には聞き分けることが困難な陥没音が夜の部室に響いた。琉璃夏はそれを痛がる様子を見せる代わりに、その瞳に色を取り戻しつつフラフラと立ち上がる。
「あれ? カナタ、貴様は私にそうまでして踏まれたかったのか?」
確かにいま、琉璃夏の右足はオレの胸を見事に踏んでいる。だけど、今はそれを指摘する場面じゃないだろ?
「あ、あはは。今、何時だ?」
時間を聞くなり琉璃夏がまた本気モードに入ったのは言うまでもない。




