幽玄の君
●弐章 高専健児たる者かくあるべし───彼方の場合
皇紀弐千六百八拾年 拾月 拾九日 月曜日
土岐邸
今日も今日で我が家は騒々しい。
「お兄ちゃん、大変よ! どうしてこんな時間なわけ!? どうして起してくれないのよ!? 私もごはん食べたい! おなかと背中がくっついちゃう! 朝ごはん抜きで学校に行けって言うの!? もう、信じられない! 学校から帰ったらきっと酷い目あわせるんだから!」
妹の沙織がオレに酷い言葉を浴びせてきた。
セーラー服姿の沙織が、肩で切りそろえた髪をなびかせながら玄関に走り去る。
「オレは起した。何度も起したよ。恨むならもっと早く寝るんだな」
「なによそれ! もう、酷いんだから! 琉璃夏姉に有る事無い事言いつけてやる! あとで後悔しても知らないんだからね!? きっと学校でパンツまで降ろされちゃうような目にあうに決まってるんだから!」
なんだそれ。
そしてどうしてオレを毎日脅迫するんだよ、お前は。
◇ ◇ ◇
皇紀弐千六百八拾年 拾月 拾九日 月曜日
お台場 船の科学館
二人並んで歩く歩道。空はどこまでも晴れていて、風もとても心地よい。
「ねぇ、琉璃夏、昨日の『プロジェクト・プロミネンス』見た? アレってロボットアニメじゃなくてドタバタラブコメディなのかな? 昨日もロボットなんてほんの空気みたいな扱いだったよね。それにしてはあの作品のロボットのシーン、無茶苦茶かっこよくない?」
オレは昨日のテレビを思い返して思う。
「ああ。あれはロボットやメカ、そして戦闘シーンは全部最新のコンピューター・グラフィックスらしい。人物のシーンはセルを使っているから、両者の合成作品だな」
「そうなんだ。全然気づかなかったよ」
「あの作品はメカにも人物にも、どちらも気合が入っているからな。これが片手落ちだと目も当てられん」
「で、琉璃夏はキャラとロボ、どっちが目当てで視てるの?」
「私はヒロインが可愛いから見ているな。あの任務に一途で、ひたむきな姿がたまらん」
「そうなんだ、琉璃夏は人が一所懸命に物事をこなす姿を見るのが好きなんだね」
「ああ。さらにその人物が見目麗しい存在だと言うのであれば言う事はない」
なんだが、琉璃夏が熱く語り出しそうな───嫌な予感がした。
「麗しい美少女が世界の命運を背負って人知れず危機に立ち向かう、ひたむきな姿! くぅ、しびれるシチュエーションだとは思わないか? カナタ。彼女の武器はなんだって良いんだ。今作品ではそれがたまたまロボットだというだけ───本質は変わらない。ああ、憧れる───」
へ? 憧れる!?
「私もそんな世界に生きてみたい! そうとも! そのためには私はこの世界でもっともっと名を売って、だれかの目に留まり、将軍親衛隊の映像広報部門に入りたい! 今回の『コイハル』の一件、またとないチャンスだ! ああ、二十五歳までにはあの制服に袖を通したい───」
「普通に軍学校受けたらよかったじゃないか」
「……嫌だ」
「へ? 琉璃夏?」
「……嫌だ。───と、───じ学校に通いたいんだ」
聞こえない。急に静かになって、どうしちゃったんだろう?
「どうしたの?」
「別になんでもない!!」
変なの。
急に怒り出すのだもの。
◇ ◇ ◇
皇紀弐千六百八拾年 拾月 拾九日 月曜日
国立大江戸特別芸能高等専門学校 創作文芸科 第参学年教室
今は担任の弥生先生の講義の真っ最中だ。科目は日本史。
うららかな午後の柔らかい日差しを浴びてか、はたまた弥生先生の放つアルファー波という電波兵器の戦禍を被ってなのか。
───大多数の級友達が己の席に沈没していた。
「───このように、私たちの日本帝国はただ一度の対外戦争も経ることなく、世界に冠たる列強の一員となったの。日本帝国がの諸外国からどう評価されているか答えることができる人はいるかしら。───そうね、土岐君、どう?」
うわ、やべ!
ボク───いや、オレだよ。
オレは急いで立ち上がると、頭に浮かんだことを口にした。
「極めて高潔な国、偉大なる世界の調停者、太陽の昇る東の帝国として全世界の人にその名を知られ、尊敬と羨望の眼差しを受けています」
「そうね。───でもそれは、控えめといえるくらいの評価ね」
「私たちの国、日本帝国は江戸に幕府を開いた神君家康公の御世からずっと、ここ四百年間の長きに渡って対外戦争を経験していないわ。これは世界の歴史から見て、驚嘆すべき奇跡に等しいことなのよ。わかる!? 今の平和は、この日本帝国を支えた先人たちがあるからこそ約束されているのであって、それは君たちがこれから支えていかなければならないことでもあるわ。
───恒久平和の実現。世界人類の悲願。そう、世界人類にとって日本帝国の歴史はその答えと成りうるのよ。君たちは誇りある、この日本帝国に生れ落ちたことを真に感謝し、その意味を学び、各々が平和の意味について考えねばならないわ。───だから君たち! 寝てないで話を聞きなさい!!」
弥生先生は自分の台詞に自分で感極まって、目尻に涙すら浮かべていた。
「で、土岐君」
え? またオレ!?
───そんなにオレって当てやすいの!?
「は、はい!」
「───日本が経験した最後の大規模戦闘は何か答えてくれる?」
「はい、桜塚先生! ───大阪夏の陣です!」
───よかった。このくらいなら楽勝だ。
「正解。では土岐君の後ろの君!」
「はい!」
「───鎖国政策を取りやめ、国を開いて中央集権体制を強化すると共に富国強兵政策を押し進めた将軍はだれだったかしら?」
「中興の祖である八代様、徳川吉宗公です!」
「正解。では、さらに後ろの君!」
「はい」
「───我が国が結んだ近代条約のうち、初めて友好通商条約を結んだ国の名前は?」
「はい先生! ロシア帝国です!」
「正解。では、その後ろの君」
「はい!」
「───日本帝国憲法を公布し、帝国議会を開いた当時の政治総裁職は誰だったかしら?」
「時の老中、松平定信公です」
「正解、では、その後ろの……」
「はい」
「───日本における産業革命とも言える大改革を実施したのは誰だったかしら?」
「政治総裁職、水野忠邦公・・・・・・?」
「正解、じゃあ、土岐君に戻って───」
───!?
「ええー!?」
オレは抗議の声を上げた。
「嘘よ、土岐君。───じゃあ土岐君の隣、徳田さん」
「は!」
八千代が、武人の如き裂帛の気合と共に立ち上がる。
「───軍備の近代化と軍政の大改革を行い、士農工商の身分制度を解消し四民平等を打ち立てた偉大なる将軍は誰だったかしら?」
「明治の大将軍であり、自分の理想たる十五代様、徳川慶喜公です!」
───気のせいか、弥生先生の問いに胸を張って答える八千代は堂々としていて、どこか誇らしげに見えた。