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出会い(石川ゆかり)

 それから何日かして加害者の営業マンの男性が会社の上司の人と一緒に見舞に来た。


 お母さんは、あまりいい顔をしていなかったけど、深く頭を垂れて謝るお兄さんに僕は怒りを感じることはなかった。お兄さんの頭の上にあるロウソクの炎が、気分を象徴するかのように青く沈んでいて、お兄さんが自分の過ちを心から悔やんでいる様子が感じられたからだ。


 それよりも、お兄さんが『お詫びに』といってポータブル・ゲーム機とソフトをたくさんプレゼントしてくれて(腕の折れた人へポータブル・ゲームはないと思うけど)、僕はすぐにお兄さんのことを許していた。というより、好きになったぐらいだ。我ながら現金な奴だと自分でも思った。


 小児病室に移ってからのいいことの2つ目は、同じ病室に入院していた僕と同じ歳の石川ゆかりちゃんと出会ったことだ。


 彼女に初めて出会ったのは小児病室に移された当日で、意識がはっきりしだした僕に安心したお母さんが、改めて僕の身の回りのものを取りにいったん家に帰った時だった。


 集中治療室から小児病室に移されて環境が変わったせいで、僕は緊張して喉がカラカラに乾いていた。


 いつもなら付きっきりのお母さんに頼んで水を飲ませてもらっていたけど、今は誰もいない。まだ看護士をナースコールで呼ぶことを知らなかった僕は、仕方なくベッド横に据えつけられている机の上の水差しを取ろうと、骨折していない右腕を伸ばした。


 伸ばした右腕がプルプルと振るえる。右腕が鉛でできているかのように重く、自由に動かせない。数日間の寝たきり状態で体力が落ち込み、寝ながら腕を支える筋力がなくなっていたせいだ。


 僕の人差し指は、小さいジョーロみたいな水差しの取っ手に触れたが、手に取ることができない。


「う、う……もう少しなのに……」


 指先で引き寄せようとしても水差しは取れず、ただ細った腕が攣っただけだった。


「どうしたの? お水が飲みたいの?」


 僕が水差しを取ろうと悪戦苦闘していると、仕切られたカーテンの隙間から少女が顔を覗かせて聞いてきた。


 くりっとした大きな目が印象的な少女で、ピンクのチェック柄のパジャマを着て、頭にはひまわり柄の黄色いバンダナを巻いていた。


「わたしが飲ませてあげる」


 少女は水を飲もうともがく僕を見兼ねて、代わりに水差しを取って優しく僕の口に水を注いでくれた。


 僕は、その普通の水が今まで生きてきて一番美味しく感じた。多分これからも、この時の水が一番美味しいだろう。


「ありがとう……」


 僕がはにかんでお礼を言うと、少女が人懐っこい笑みを見せた。


「わたしは石川ゆかり、よろしくね。あなたの名前は?」


「山崎晶だよ」


 擦れた声で名前を教えながら、彼女の頭の上を見た。ちょっと細身で透き通るような白いロウソクが立っていた。ロウソクの黄緑色の炎が大きくなったり小さくなったりしていることに、ゆかりちゃん自身と同様、僕は興味を引かれてずっと見つめていたのを覚えている。


 この一件以来、僕はゆかりちゃんと仲良くなった。親しくなってよく話すようになると、ゆかりちゃんのことが少しずつわかってきた。


 ゆかりちゃんは、白血病という重い病にかかっていて、すでに2ヶ月以上も前から入院していた。最初の1ヶ月は、病院の無菌室というところで隔離されて治療を受けていたそうだ。その時の投薬療法が原因で、髪の毛がすべて抜け落ちてしまったので、それを隠すためにバンダナを巻いていることも知った。


 そんな重病人のゆかりちゃんだけど、いつも明るく愛嬌を振り撒く彼女は、小児病棟ではアイドル的存在だった。みんなから愛され慕われているゆかりちゃんは、笑顔を絶やさない明るい子だけど、本当は寂しがり屋だということを僕は知っている。


 ゆかりちゃんの両親は、いつも夜の面会時間ギリギリに見舞にやってくる。だから、ゆかりちゃんは独りでいることが多い。なるべくゆかりちゃんと過ごそうとするけど、僕にも見舞に来る友達や親類がいるから、いつも一緒にいられるわけじゃない。僕が友達と楽しくやっている時にゆかりちゃんを見ると、本を楽しそうに読んでいるように見えても、頭の上のロウソクの炎は青く深い海の色をしていた。


 ゆかりちゃんのお父さんとお母さんがもっと早く会いに来てあげればいいのにと思ったけど、看護士のお姉さんから聞いた話しによると、ゆかりちゃんがかかっている白血病という病気の治療にはたくさんのお金が必要で、その治療費を支払うためにゆかりちゃんの両親は必死になって働いているとのことだった。


 ゆかりちゃんのお母さんは、朝に新聞配達をして、昼間はお弁当屋でお惣菜作りのパートをしているので、どうしても面会が終了時間ギリギリになってしまう。ゆかりちゃんのお父さんも朝早くから深夜まで働いているせいで、時々しかゆかりちゃんのお見舞に来れない。


 事情をよく理解しているゆかりちゃんは、寂しさを口に出すことなく、お父さんとお母さんがお見舞に来るのを健気に待っている。


 その代わり、日曜日にゆかりちゃんのお父さんとお母さんが揃ってお見舞に来ると、ゆかりちゃんの顔には、こぼれんばかりの笑みが生まれる。それと同時に頭の上にあるロウソクの炎が、深い青色から黄みがかったオレンジ色へと一気に燃え上がる。本当に嬉しいんだなってつくづく思った。


 僕は両親に甘えるゆかりちゃんを見て、人の温もりみたいなオレンジ色と興奮した時に見せる黄色が、人の嬉しい時に見せる色なのを知った。


 ゆかりちゃんが嬉しくしていると、なぜか僕も嬉しい気持になっていた。幸せっていうのは、好きな人の笑顔を見ることだっていうことを知らなかった僕は、これが初恋だということにも気づかなかった。

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