11. 勇者の復讐
私は素晴らしい思いつきを得た。深き毛皮の友に倣い、私も毛皮を纏うことにしたのだ。他の誰かのものを奪ったのではない。どの毛皮も素晴らしく、それを剥ぐなど私には到底できないことだ。しかし、私は魔王だ。もっと良い方法がある。これまで人の子と分かり合うために良かろうと人の子に近しい姿をとってきただけのことで、別の姿に変わることなど造作もないことなのだ。
「友よ、今日の私の毛艶はどうだ? 上手に整えられているか?」
「あー? もう毎日毎日うるせえなあ! いい加減その恰好止めてくれよ。自分が二人いるみたいで落ち着かねえ。その上、そんなぼさぼさの毛で。俺が変な格好してるみたいで恥ずかしいじゃねえかよ」
「なんと。今朝は夜明け前から励んだのだがまだボサボサか……。毛づくろいとは難しいものだな」
背中のあたりなど、舌の先がつりそうになった。我が友のように完璧に身を整えられるようになるまでに、あとどれほどの修練が必要であろうか。
「おい、毛づくろいを上達させるんじゃなくて俺の真似を止めてくれよ」
む、また人の子がやってきているな。しばらく勝手にさせておこう。私は毛づくろいのやり直しで忙しい。
***
なんとか毛づくろいが終わった頃に、玉座の間に人の子がやてきた。恐る恐る踏み込んできたと思ったら、四、五人がそのまま棒立ちになった。
「おい、本当に誰もいないぞ」
「玉座にも……いない。おい、おい、おい! 嘘だろう? ああ、神様! 魔物が逃げ出した! 魔王が逃げた!」
人の子らは狂ったように叫び出した。いや、私はここにいるぞ。ここに。きちんと玉座にいるではないか。完璧に毛づくろいして、輝く滑らかな毛皮をして。
しかし、人の子はまるで私に注意を払わない。
「将軍にお知らせしろ!」
「馬鹿、待て。先に安全を確認してからだ。ほら、あの金ぴかの飾りなんかとっても危険そうだろ?」
「へへっ、本当だ。しっかり捕まえておかなきゃな」
彼らは玉座の間を這いずりまわり、彫刻や魔将の椅子の飾りを剥ぎ取って回った。審美眼のない奴らだ。この私と友の深い毛皮よりも美しいものなど無いと言うのに。硬いだけの竜の鱗など何が嬉しいのやら。
「まずい。そろそろ戻らねえと、疑われるぞ」
「急げ、急げ」
これまでに地上のどの国で王がいる玉座の間から堂々と盗みを働くという暴挙が許されたことがあっただろうか。
「おい」
友が声を潜めて私の脚をつついた。
「お前、やっぱりその恰好まずいんじゃねえのか? 完全に見落とされてんぞ」
「いや、しかし私はこの姿が気に入っているのだ」
「それ俺の真似だから。そんな告白されても気持ち悪いだけだからな。ブチの模様まで真似しやがって」
「お前が嫌だと言うから、左右反転しただろう?」
「それがまた鏡を見ているようで一層嫌なんだよ! ちょっと来いよ!」
ほう、並んで鏡に映ってみると深き毛皮の友が四匹になったようだな。これは良い。騙し絵のようだ。
「満足げに鼻をひくひくさせるな。気持ち悪がってくれよ」
「おい、ちょっと右手を挙げてくれ友よ。おお、四匹一斉に手を挙げたぞ。ははは」
「人の話聞いてんのかよ、魔王よう」
あまりにも楽しいのでしばらく鏡で遊んだところで気がつけば、人の子は玉座の間を去っていた。いかん。盗人を目の前で逃がしてしまった。もう城の外まで出てしまっただろうか。
追いかけねば。追いかけねばならないはずだが、ふと魔が差した。
このまま魔王はいなくなったことにしておけば、もう野蛮な勇者に襲われることも、不快な人間の策略に巻き込まれることもない。こうして我が友と楽しく暮らしていける。
それは非常に魅力的な考えだった。
私は人の子を追わなかった。すると彼らは魔王の城が無人になったと触れて回ったらしい。一月もせずに人の子が大挙して押し寄せてきた。先頭にはあの大陸人間社会連合軍の将軍マリウスがいる。無様に退却していったマリウスが先日の大敗の後に失脚していなかったのは驚きだ。人の子は随分と人材に苦労しているのだな。十大魔将の一人でも貸してやろうか。腹の中に封印していると、外に出せと煩いのだ。
「さすが、あのモルガンだな。今が攻め時などと話半分に聞いていたが、まさか本当に魔王が逃げ出していたとは」
マリウスはずかずかと玉座の間を進み、そして私の椅子に腰を下ろした。
「ははは! これでこの国は私のものだ。魔物の国をついに滅ぼした勇者として名を残すのは、このマリウスだ!」
ここまで何の働きをしたとも思えない芋虫の指の持ち主は高笑いしている。椅子に座れば王になれるほど魔王の座は簡単なものではないのだが、その辺を説明してやるとなると少々面倒なことになる。せっかく部屋の隅で姿を隠している意味がなくなってしまう。
「なあ、魔王。本当にいいのか? あいつらに何でもくれてやっちまって」
「本当に必要なものは何一つ与えていない。城くらい惜しくもなんともないぞ」
「そりゃあ、俺とお前ならどこだって生きていけるけどよう」
その通りだ。例えこの城の主が人の子になったところで二人なら城のどこかで暮らしていける。そして私達が健在である限り魔王も魔物の国も真の意味で滅ぶことは無い。
友は詰まらなそうに床を蹴っていたが、ふと何かに気づいたようでこっそりと玉座の近くへ近づいて行った。小さな鼠に注意を払う者はない。
と、私も友もそう思った。しかし、それは油断以外の何物でもなかった。
「見つけたぞ、魔王の使い魔め!」
玉座の間の中ほどにいた男が叫んだ。よく見れば裏切り者のカールハイツではないか。よくもまあぬけぬけと私の前に顔を出せたものだ。しかもやつれた傭兵のようななりまでして、私の目を誤魔化そうと思ったのか。そのくせ私が贈った魔剣を携えているのは嫌味か、あてつけか。サイクロプスどもに息の根を止めさせてやれば良かったか。
「使い魔だけどは肩すかしもいいところ。だがお前でもよい。巨人どもに踏み躙られた我が民の仇、一つでも取れるなら喜んで取らせてもらう!」
カールハイツは叫びながら魔剣を抜き、我が友に向かってきた。信じられん。あの愛らしい友を斬る気なのだ。私は必死に駆けた。小さな鼠の体では足りず、人型の大きな体に戻り友を懐に抱きしめた。
その途端、背中を断たれる感触があった。
「魔、魔王だ!」
「どこから現れたんだ?」
「でも、やったぞ! 亡国の王子カールハイツが魔王を討った! 仇を討ったぞ!」
ええい、煩い、煩い。人の子よ。ああ、眩暈がする。体中の力が抜けていくようだ。するり、するりと腹の中にあった力の塊が逃げていく。
「ふ、深き毛皮の友よ、無事か?」
「しっかりしろ、魔王! しっかり」
ああ、我が友は無事なのだな。良かった。本当に。私の慢心で我が友を危険に晒すなど二度としないと誓ったというのに。私は愚かだ。許してくれ、友よ。
***
煙のように突然現れた魔王は、黄金王国崩壊後に傭兵に身をやつしていた王子カールハイツの魔剣に倒れた。力を失った身体からは延々と黒い煙が流れ出し、とても生きているとは思われなかった。将軍マリウスは戦勝を宣言し、たった一人の犠牲も出さずに魔王を討ち滅ぼした大陸人間社会連合軍は大いに沸いた。その晩の祝宴は盛大なものとなった。




