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9. 勇者の虚飾

 もう来客には何も期待してはいけない。いや、希望を捨ててはいけない。いや、期待しない、する、しない。

 私は赤い花の花弁を引きちぎりながら次の来客に向ける態度を決めかねていた。

「魔王よう。しっかりしろよ。そんなしけたツラしてたら付け込まれるぞ」

 深き毛皮の友の小さな足がてしてしと私の手の甲を蹴る。小さな爪がチクチク皮膚をひっかく。

「ありがとう、友よ。そうだな。しっかりせねばな」

 手の中の花を炎で燃やした。残りの花弁を全部ちぎったところで、どちらの答えが出るのかはもう分かっている。期待はしない。私は冷徹な王にならねばならない。魔物達が苦しめられるような間違いを二度も犯すわけにはいかない。

 心を鎮めてから顔を上げて気が付いた。

 客が来ている。


 ***


「魔王よ、お前は完全に包囲されている。大人しく投降せよ」

 やってきたのは随分と大勢の人の子だった。彼らは城門の前に立ち止まり、大きな声で叫んでいる。私だからこそ、その声を聞くこともできるが普通の魔物や人の子は城の外の声など聞きとるどころか、気づくこともできないのではないだろうか。これでは私がどのような返事をしても、彼らの耳には届くまい。

 仕方がないので、私は城門まで出向くことにした。玉座の間に招き入れるには相手の数が多すぎる。

「いかなる用件であろうか」

 私に呼びかけていた割に、姿を見せると人の子達は大いに慄き、騒めいた。

 しばしの混乱の後で前に出てきた人の子はこれまでの勇者達とは少々様子が違う。腹の周りにたっぷりと肉がのっており、とても軽快に動き回れるようには見えない。むっちりとした指は甲虫の幼虫のようだ。あれは剣を握る手でもなければ、何か労働をする手ではない。

「人の子よ。さあ、分かるように説明してくれ。お前は誰だ? 私を包囲している理由は何だ?」

「私は大陸人間社会連合軍の将軍マリウスだ。危険な魔物が暴れ出す前の予防的措置としてお前達を包囲した」

「む? 大陸人間社会連合軍というのは初耳だな」

 将軍らしからぬ外見の将軍マリウスはたっぷりと肉の垂れた顎を振って頷いた。

「大陸における人間社会の危機において、我々は結束したのだ」

「念のために聞いておこう。人間社会の危機というのは何のことだ?」

 マリウスは傲岸そうに顎を逸らして答えた。声は僅かに震えている。

「千年王国の内乱、自由貿易連盟の分裂、海の連邦公国の崩壊、白き湖の国の瓦解、さらには黄金王国を中心とする西部地域一帯の消滅。これが危機でなくてなんだというのだ」

「私に言わせるならば、それは全て彼らの自業自得だ」

「聞く耳持たん」

 マリウスはさっさと後ろに下がり、代わりにずらりと騎士が並んだ。本当に話すつもりがないらしい。酷い話だ。

 さて、どうしたものか。これだけの人数になると追い払うにも少々手間がかかる。まごついている間にうっかり城壁や城門を壊されるのも面倒だ。サイクロプスたちは先だっての黄金王国の悪行以来ひどく気が立っている。うっかり城壁の修理などに遣わせたら、仕事を放りだして人の子の国に復讐に行ってしまうかもしれない。

 ここは自発的に帰ってもらおう。


「将軍マリウス。聞かせてほしい。お前達人の子は団結して私を討ち、そして他の魔物達も討つつもりのようだが、この戦いが終わった後はどうなるのだ? 魔物を悉くうち滅ぼし、お前達の望む平和が訪れた後。大陸は、そして大陸人間社会連合軍は何をするつもりだ?」

 マリウスは唇を捩るような笑みを浮かべて答えた。

「お前などに案じられなくとも大陸は平和になる。そして連合軍はこれからも協力して大陸の平和を守っていくだろう」

「誰から?」

「は?」

 マリウスはその顔にぴったりの間の抜けた声をあげた。

「誰の手から大陸の平和を守るのだ? 我々はもういないという前提だぞ? 大陸に残っているのは人の子だけだ。そのうちの誰から、誰を守るのだ? この大陸人間社会連合軍に参加していない人の子の国か? それとも、お前に逆らう者すべてか?」

 マリウスは首筋から頭の先まで赤くして震えた。人の子同士であっても国と国とが手を取り合うのは実に難しいことだ。それをこのような短時間で成し遂げたということは、かなりの無理をしたはず。同盟国の間にも不信が燻っているであろう。

「そうではない! 私達は平和を守るために手を取り合うのだ! 将軍の地位を悪用などせぬわ!」

 マリウスは声を詰まらせて言い返した。

「しかし、何が平和の敵であるか決めるのはお前だろう? 結局、お前達に逆らう者は平和を乱すと見なされてこの連合軍から攻められるのではないか? 今、我が城が突然に大軍でもって包囲されているかのように。大陸人間社会連合軍の第二の標的はどの国の、どの城になるのであろうな?」

 ぐるりと見回せば人の子達の間に不信や不安の表情が広がっていく。急場凌ぎの同盟など脆いものだ。手を取り合うには徹底した議論と信頼が不可欠だということを知らぬ人の子に真の同盟など結べるはずがないのだ。信頼によって結ばれていない大軍など、烏合の衆も同じこと。

 私はもう少し人の子らの背中を押してやることにした。

「そうそう。私は少しばかり目の良い仲間を持っている。そいつが言うには東の方で大きな火の手が上がっているそうだ。急ぎ国元へ戻った方が良い者もいるのではないかな? 兵士たちが燃えるか分からぬ火種に気をとられている間に、帰る家が燃え尽きていては笑い話にもなるまい」

 話は終わった。

 私は玉座の間へ戻った。仲間の目を借りて様子をうかがえば、城門前では目を覆うような醜態が繰り広げられた。


「あーあ、見事な仲間割れだな。自分が仮想敵国の城の前にいるってこと忘れてんじゃねえの?」

 深き毛皮の友はまた玉座の装飾に爪を立てている。お気に入りの暇つぶしになったようだ。サイクロプスが泣くかもしれないな。

「急ごしらえの同盟であったのだろう。幾つもの大国や新興国が相次いで潰れたからな」

「そんなもんで魔王を倒そうなんて、お前も甘く見られたもんだな」

 全くだ、友よ。耳が痛い。誇り高き魔物の仲間たちに申し訳がない。私は人の子を闇雲に排除する気はない。しかし、軽んじられて、それに甘んじるつもりもない。私は一国の王で、私が軽んじられるということは、我が国が、そして民が軽んじられる事態に相違ないのだからな。


「いでよ、キマイラ」

 獅子の頭に山羊の体、竜の尾を持った魔物、キマイラもまた十大魔将の一角。最近、他の魔将どもが自由に出歩いていることに不満を言っていた奴だ。

「キマイラ。お前には特別に良い出番をやろう。城を取り囲む人の子のすべて国境の向こう側まで追い払え。休む間もなく走らせろ」

 彼は窓から外を眺めて押し寄せている人の子の兵士を見下ろすと、満足げに喉を鳴らした。

「ああ、久しぶりに一暴れできそうだ」

「ただし、無益に殺すなよ」

 念を押すと、獅子が笑った。

「その言葉はもう飽きるほど聞いた」

 そのままキマイラは窓を飛び出し、人の子の只中に飛び込んだ。仲違いに夢中だった者どもは慌てふためき、なすすべもなく蹴散らされた。いかに大軍であろうと、指揮官が使い物にならないのなら木偶と同じである。


 ***


 たった一年ほどの間に広さで言えば大陸の五分の一、国力で言えば三分の一ほどの国が内乱に陥り、あるいは消滅した。そして大陸に暮らす人間は災禍の時代がやってきたと知った。残った国は魔王に滅ぼされては敵わないと知恵を巡らし、そして大陸人間社会連合軍が成立したのである。大陸史において、過去最大の人間の同盟であった。これが可能となったのは魔王という大きな敵に対抗するという一点に於いて利害の一致を見たためである。

 裏返してみれば、それ以外は全く協調性のない集団であった。特に中核をなした大国の間の主導権争いは熾烈を極めた。そしてその隙をまんまと突かれて、まともに剣を交える間もないままに魔王の城から潰走するという醜態をさらす羽目になったのである。

 従軍した兵士の口からその様が広がるにつれ、人々の心は支配者たちから離れていった。そのようにして人間の国家の威信は夕日のごとくまっすぐに沈んでいったのである。

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