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8. 勇者の虚言 (1)

 天候がすぐれない。このところ快晴続きで調子が悪い。

 店屋というものは店休日を持つことができるそうだが、なぜ王城には城休日という制度がないのであろうか。今日は誰にも会わずに水に浸かっていたい。青く晴れ渡った空を見ると喉が締め付けられるようだ。

 おお、あの馬の脚の蹴りあげる砂埃など! 悪夢としか思えん。恐ろしいことだ。雨乞いが得意な魔物は誰だったか。明日も晴れているようならいい加減に呼び出して雨を降らしてもらわねば身が持たん。


 人の子に似せた姿かたちをとっても、心が水を求めているのだ。そして心が病めば、体も病む。私がそれを学んだのは長い旅の途中で岩砂漠に差し掛かったときだった……。

 ああ、来客だ。頼むから良い知らせであってくれ。今の私は弱っているのだ。


 ***


「魔物の王よ、私は黄金王国の王子カールハイツ。本日は貴国と我が国の国交について議論しに参った」

 玉座の肘掛けの上で深き毛皮の友が飛び上がり、ひげを震わせて来客を観察し始めた。ああ、私も驚いた。勇者ではない人間の客を迎えるのは勇者を辞めたヴァルキリウス以来初めてだ。しかも国交について議論したいなど。

「聞いたか、我が友よ。これまでの私の努力がようやく報いられる日が来たのかもしれないぞ」

「ああ、でも油断すんなよ。人間ってのは欲が深くて意地が悪い」

 さすが深き毛皮の友。浮かれそうになる私の心を見通して冷静になれる言葉をかけてくれる。そうだ。話し合える相手がいかに嬉しいと言っても早合点はいけない。

「黄金王国の王子カールハイツ。よく参った。歓迎しよう。しかして、国交についての議論とは具体的に何の話であろうか。私の記憶によれば黄金王国は建国三十年の若い国。国土も大陸の端で我が国とは離れている。これまでに国交らしい国交は無かったという理解だが?」

 美しい金髪を束ね上げた若い王子は嫣然と微笑んだ。

「その通りです、魔物の王。我々の間には人も物も金も何も行き来していません。私がお話したいのは、その状況を変えたいということなのです」

「では、交流を持ちたいと言うのだな?」

「その通りです」

 私は思わず我が友の手を握りしめようとして爪を立てて抵抗された。すまぬ、我が友。今の私がお前の手を握れば、お前の指などすぐに壊れてしまうのだったな。ああ、しかしこの喜びを他にどう分かち合おう。魔王就任から五十年。ついに我らと交流を持とうと志す人の子の国が現れたのだ。

「一体どのような交流を望むのだ」

 王子カールハイツは再び微笑んだ。喋るたびに笑顔を浮かべるのは彼の癖なのかもしれない。

「まずは人材です。我が国は小さく若い。これから国を大きく強くしていかなければなりません。しかし、我々を取り囲む国々の中には、それを望まぬ者もあります。隣人が育つにつれて、次に自国が飲み込まれるのではないかと恐れているのです」

 私は千年王国のカーランデルを思い出した。隣の国から攻め込まれる恐怖が自国を乱す。きっと黄金王国の近隣の国も同じように考えているのだろう。誰も攻めるとは言っていないし、実際だって攻めないにも関わらず警戒されるのは不愉快なものだ。王子の気持ちはよく分かる。

「そうした国々はあの手、この手で我々の成長を妨害します。表では後進を指導する良い隣人のような顔をして、実は必要な技術の譲渡を渋り、人の交流を制限しているのです」

 カールハイツは憂いを帯びた瞳で私を見上げた。

「我が国は小さい。資源を輸出する国になることはこれから先もないでしょう。そこで国を育てていくには技術を磨いていくしかありません。しかし隣国は協力的ではない。我々は地理的な隣国に頼ることを諦めました。どうせ技術を学ぶなら大陸中で最も高い技術を持っている国に助力を乞うのが一番です。この大陸でもっとも長い歴史を持つ魔物の国、あるいは千年王国にお願いをしようと考えておりました。しかし、ご存じのとおり千年王国はここ数年王位争いが続き、とても話ができる状態ではありません。そこで魔物の王にお願いに上がったのです」

 王子カールハイツの説明は実に明快である。独善、短慮、偏見、妄執、盲信。そういった悪徳は勇者という職業特有のものらしい。

「では、お前は我らから職人を派遣してほしいというのだな?」

 カールハイツはまた微笑んだ。

「ええ、そうです。聡明なる魔物の王。一つ目の巨人サイクロプスは鍛冶の神の弟子であったとか。この城の見事の細工もサイクロプスの手によるのでしょう? 実に素晴らしい。我々はこの優れた技術を我が国の職人にも学ばせたいのです。」

 カールハイツはよく勉強しているようだ。サイクロプスといえば人の子はその巨体を見て粗暴なものだと恐れてしまうが、実はその膂力を生かして鉄を運び、鍛える優れた鍛冶師集団であるのだ。大柄な魔物達がそれぞれの体にあった武具を備えているのはサイクロプスのおかげなのである。

「なるほど。確かに我が国の鍛冶師たちは非常に優秀だ」

 私は軽く腕を振った。手の中に細身の刀身が美しい剣が現れる。

「魔物の王よ、それは?」

「これはかつてうら若き乙女ばかりを持ち手に選び、若い娘を戦場に駆り立てた忌まわしい剣だ。それを我が鍛冶師が鍛え直し、魂を込め直して、呪いを解いた」

 剣を大きく振るうと、白い炎の代わりに紫色の炎が燃え上がった。聖剣の青い炎を参考に改良を重ねたのだ。飛び道具ではないが命ではなく魔力だけを奪う武器に変わった。

「ほう、これは麗しい」

 カールハイツは目をきらめかせた。

「手に取って見ても?」

「無論」

 骸骨の戦士を一人呼び出して打ち直した魔剣を運ばせる。カールハイツは恐る恐るそれを手に取ると高く掲げて感嘆の声を上げた。

「これは、素晴らしい」

 ああ、そうであろうとも。

「王子カールハイツ。こちらがサイクロプスどもをお前の国に貸し出すとして、その見返りは何が得られると考えれば良いのだろうな」

「私達が持つものであれば、何でもお望みのものを」

 ふむ。

「では、黄金王国の王子カールハイツよ。私は貴国から我が国への信頼と友好を求めよう」

 金髪の王子は驚いたように顔を上げた。

「しかし、魔物の王よ。それではあまりに。少ないながらも金子や、あるいは若者や踊り子も用意できます。小さいとはいえ黄金王国は一個の国。施しを受けるだけの存在ではありません」

「それは分かっている。私は山のような金子より、百人の頑丈な若者より、真珠のごとく美しい踊り子より、貴重なものを求めたつもりだ。信頼と友好は国が育つうえで欠かせない、しかしどこからも買い取ることはできないものだ。もしもお前が信頼の価値を理解しないのなら、この交渉は意味のないものになるだろう」

 王子カールハイツは膝を折り、深く頭を垂れた。分かってくれただろうか。我らは金も命もいらぬ。友好をこそ求めているのだ。

「失礼を申し上げました。寛大なる魔物の王。王子カールハイツの名におきまして黄金王国から貴国への途絶えることのない信頼と友好を約束いたしましょう。それから我が国の職人がサイクロプスの指導を受けて作った最初の作品を進呈いたしましょう」

「ああ、それが良い」

 そこから少々込み入った話になった。何人のサイクロプスをいつまで、どこに送るかということだ。

「まずは五十人」

 随分多くを一度に必要とするものだな。しかし、五十人くらいどうということはない。私はそれを承諾した。そしてカールハイツはその日のうちに五十人のサイクロプスと友好の印の魔剣を携えて城を後にすることになった。


 また宴を開かねばならないかもしれぬ。ようやく国交というものが動き出した。理性的な会話によって。サイクロプスに宴の支度を頼もう。国一つ分のサイクロプスから五十人が減っても、まだまだ人手は有り余っている。

「深き毛皮の友よ。気長に語り掛け続けたことがついに報われる日が来たのだな」

「あー、まあまだ油断できねえけどな。あいつらが信頼と友好を届けにくるまで気を抜くなよ?」

「友よ。信頼を得るために必要な投資が何か知っているか?」

「あん? 金じゃ手に入らねえんだろう?」

「そうとも。信頼を得るためにはまず自らの信頼を捧げねばならないのだ。だから私は護衛もつけずにサイクロプスをかの国に遣わした」

 友よ、その不満げな表情はどういうことだ。私は間違っているだろうか。

「サイクロプスを守る護衛なんて、もうドラゴンくらいしかいねえじゃねえか……」


 ふむ、そう言われてみればあやつらは怪力無双であった。



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