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アサガオの咲いた日  作者: 玲瓏
四輪目
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不安と希望の境目

 水染君の親はハンカチで目元を押さえながら事務所から居なくなった。

亜紀ちゃんと私とでドアまで扉まで見送り、後味の悪い心地を残して帰っていった。

 彼女は何も知らなかったのだ。自分の息子がなぜ自殺したのかを。

 自殺したことすら知らなかった事を嘆いていたが、私には励ましの言葉を見つけられなかった。息子が死んだのだ。

 立派なのは、取り乱すことは決してなかったことだ。綺麗に畳まれた薄緑色のハンカチで涙を拭うだけで、ヒステリーを起こすこともなければ、怒鳴ることもなかった。私は、不謹慎ながらも安堵した。

 だが、私が自殺の原因を調査すると提案すると、それは断られた。何度か説得を試みたのだが、かえってそれは逆効果となりますます調査に乗りづらくなってしまった。

 こうなってしまえば打つ手はない。おとなしく引っ込んで、水染君の葬式に参加して、謎を謎として残すしかない。

 謎を暴くのが探偵だが、謎は勝手に暴いてはならない。

 シェフが勝手に料理を作らないのと同じだ。

「偉いよね、水染君のお母さん。死を受け入れて、自分の感情を制御してる」

「冷静ですよね。私なんて慌てちゃってもうだめでした。今でもまだまだ、覚めてないんですけれど」

「まだ亜紀ちゃんは若いからね、いいよそういうの。たくさんの喜怒哀楽を経験しないと立派な大人にはなれない。感情って人を成長させるいい材料なんだよ」

「水染君は、たくさん経験できなかった」

 亜紀ちゃんは相当きているのだ。

「なんか今の亜紀ちゃん、彼氏が死んじゃったかのように落ち込んでるね。別に付き合ってた訳じゃないんでしょ?」

「違いますよっ。ただ、二人を仲直りさせたいなーって思ってて、その方法を考えてる最中だったから……はい」

 小原君のことだろう。

 そういえば、小原君は水染君の死について知っているのだろうか。

 いや、知っていたとすれば第一に事務所に電話をよこすだろう。小原君は水染君と喧嘩をしていても、気になっている様子だった。無視や無縁になるということはなく、まだまだ友情がもどる切っ掛けはいくつでもあっただろう。

 それが亜紀ちゃんも分かっていたからこその、この落ち込み具合だろう。

「優しいね、亜紀ちゃんは。私、そういう子好きだよ」

 母親が子供にそうするように、私は亜紀ちゃんを抱きしめてあげた。辛い時や悲しい時、誰かに包まれていると、それは気分の良いものであった。

 亜紀ちゃんも例外ではないだろう。

「ちょ、ちょっとオーナー!」

「何、どうしたの? 私のハグは受け付けられない?」

「そうじゃないんですけど恥ずかしいです!」

 亜紀ちゃんが突然焦ったもので、私も咄嗟に両手を体から離してしまった。

 あくまでも私は他人、か。確かに、親にされれば嬉しいものの、他人にされたら恥ずかしいか。

 私の悪戯心が燃えた。

「ふっふっふ、それは苛め甲斐がありそうじゃない」

 私は亜紀ちゃんを見つめながら、両手を横に開いてゆっくりと近づく。

「目、目が怖いですオーナー。イジメってなんですかイジメって。ね、ねーオーナー? 聞こえてます……?」

「うんうん、ちゃんと聞こえてるよ」

 私が近づく度に亜紀ちゃんは一歩後退る。野生動物を狩る肉食動物という表現が、今の私には最適だろうか。そして、このまま奥へ詰めていけば、そこは壁だ。

 事務所の玄関の廊下が短いことを嘆く暇さえ与えず飛びつくつもりだ。

「あのその、その手なんですか? なんかその、今のオーナーちょっと怖いですよ。あ、そうだお茶持ってきましょうか! それともコーヒーがいいですか?」

「へえー、そんなにいじめて欲しいの?」

「誰も言ってないです!」

 亜紀ちゃんが壁につくまでもう後少し、そうすればもう逃げられることなく仕留められる。

 逃げる準備をしているようだがもう遅い。私は止まらないよ、亜紀ちゃん。

 そして次の一歩で亜紀ちゃんは背中が壁だと気づく。

「いやその私これからお仕事があるってことを思い出し――」

 今だ!

 私が亜紀ちゃんに飛びかかろうとした瞬間、亜紀ちゃんから携帯の通知音が聞こえてきた。電話だ。

 私は焦燥に駆られた。もしこの電話が小原君だとしたら、きっと水染君が死んでしまったことに気づいているのだろう。

 亜紀ちゃんは最初驚いたようだったが、すぐに電話に出た。

「はいもしもし。あ、真ちゃん? どうしたのー?」

 浅葱君からのようだ。小原君ではなかった。

「うん、わかった。それじゃあ伝えとくね! あ、お土産楽しみにしてるからねー! 早く帰ってくるんだよー! オーナーも心配してるんだから!」

 少しの問答の後、亜紀ちゃんはそういって電話を締めくくった。浅葱君が一方的に喋っていたらしい。亜紀ちゃんはあまり喋らずに、相槌を打っていただけだった。

「どうしたって?」

「謎が解けたって言ってましたよ。ついに、あの謎に包まれた魔女の事件、解決ですね!」

「そう。浅葱君、ちゃんと解いたんだね。よかった」

 送り出した日、私は多少不安を連ねていたのだ。このまま謎が解けずに戻ってきたら自信喪失に繋がり、探偵としての席を立ってしまうのではないかと。

 もしくは、犯人に殺されてしまうのではないかと。

 博打といっても、間違いではない。私は浅葱君が担当するにふさわしい事件であるかどうかを見極める仕事はきちんとした。しかし、実際は葛藤していたのだ。

 だからこそ、あの本を貸し、ガンダレッドについての知識を深める等の予習が必要だった。

 心配無用。その結果に終わったことが何よりも私を安心させる。

 水染君の死と、浅葱君のドイツ旅行。そのどちらもが私に重責となってのしかかっていたが、緩和する。

「それじゃあ浅葱君が帰ってきたらお祝いとしてどこかに食べにいこうか。和食の定食屋がいいかな、きっと浅葱君は日本の味が恋しいって今頃思ってるよ」

「やったあ! そうしましょう!」

 私はもうひとりの、探偵としての八条ではなく、個人としての八条としても浅葱君の帰りを喜んでいた。亜紀ちゃんや、他の子はそのことには絶対に気づかないだろう。浅葱君もだ。

 ……いつか、本人に明かさないといけない日がくるのだろうか。その時、許してもらえるのだろうか。

 私は祝福の心の片隅に潜む影が自分自身を辛くしているのだと知りつつも、一時も忘れる訳にはいかないと自分に言い聞かせていた。

 だから私は甘いのだ。

「まあでも、今考えても仕方ないことだよね」

「え、何がですか?」

 私は先ほどとは違った微笑を浮かべて亜紀ちゃんを見つめた。今度は安心させるように、優しく。

「独り言。そうそう、これからお仕事をしてくれるんだったっけ? さっきそう言ってたよね」

 安心させて、落とす。

「え、え? 私そんなこと言い……ましたね。ええと、その~お仕事とは言いましたけれど、ええっと、ちがうんですよ?」

 亜紀ちゃんもすっかり通常運転だ。水染君の死はきっと頭から消えていないだろうが、それでも彼女から平常を取り戻すことができた。

 浅葱君が帰ってくるのに落ち込んでいてはならない。

 何もなく、そして平和な事務所に帰ってこなくてはいけないのだ。浅葱君は日常が好きなのだから。

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