過去に生きた死者からの手紙
ダランが持ってきた資料で、この事件は大きく展開を見せた。
屋敷内、綺麗に片付いた客間にて室内を暖炉の炎と光で明るく照らし、ダランから茶封筒を受け取った。
正確に言えばそれは資料ではなく、一通の手紙だ。ベルネット一家宛に、名前がラドンで手紙が届いていたのだ。
この手紙が届いたのは何十年か前で、ダランがまだ青年だった頃のようだ。
「俺がこれを読んでいる間、碑文の翻訳を任せていいか」
ダランは二つ返事で了承した。
ローランスも資料には目も触れず、その手紙に視線が向かっていた。
ダランが有能だと気づいたのは、この手紙が既に日本語になっていたことである。彼を捜査の仲間に加えられたのは、俺の中にある僥倖がその力を発揮したに違いない。
横書きで紡がれた文字を、俺は落ち着きを保ちつつ読んでいった。
『季語省略(やけに長いドイツ語の上にそう書いてある)。初めまして、私はラドン・フェリゴーネと申します。先日のオースティンの死をベルネット一家の皆様は深く悲しんでおられでしょうが、その悲しみは、私も同じであることを先に申し上げます。
今だからこそ打ち明けますが、私はオースティンの夫でありました。
道端で今にも倒れそうになっているところ、私は彼女を家に入れ、一目惚れをしてしまいました。
思えば、それが私の最大の罪でありました。
私は、愛しいオースティンを殺され、深い悲しみと同時に憎悪が生まれました。それは、オースティンを連れ去った私に対してあなた方がしているような憎悪と似ているかもしれません。
私は、ベルネット一家の皆さんに許しを請うためにこの手紙を執筆した訳ではありません。
この憎悪を終わらせるために、私は思い切ることにしました。』
手紙はここで終わっていた。
「本物の……ラドンさんの」
彼女の目は揺れていた。動揺しているのだ。
「魔女オースティンは作中では男だとラドンが語っていたはずだ。それが、この手紙の中では女性になっているな。ラドンが嘘をついたか、ガンダレッドが間違えたか、もしくはこの手紙の内容すら嘘のものか。……そもそも、ラドンとオースティンが同棲していたこと自体、驚くに値する」
手紙の審議はさておき、資料に目を配ることにした。
資料には、ダランに子孫が残せるような名誉がもうないようなことが家族間での問題となっている、とか、オースティンの家出の理由が両親との喧嘩であることが書かれていた。
特に目をつけたのは、オースティンが家族を作っていたことである。
子供がいるという点では、やはりオースティンが女であるということは間違いないだろう。
ではなぜ作中でオースティンは男などという奇妙な嘘を彼はついたのだろうか? その理由は分からないが、ラドンが嘘をついたという事実は無視できない。
そして、ラドンがオースティンと知り合いであることを黙っていたのもまた大きな問題ではないだろうか。
ラドンはなぜ、大会参加者に言わなかったのか。いや、言うことができなかった
のかもしれない。
「この最後の文。これは、つまり復讐を果たすと言ってるようなものなんじゃ
ないか。だとするならば、ラドンは結局果たせなかったということになるのか。目的を果たすその前に事件に巻き込まれた」
もしその目的が、今回の事件と繋がっているのだとしたら。
「まて、この事件がそもそもの目的だったのかもしれない。ラドンはオースティンの仇討ちに参加者を全員集め、順番に殺していった」
「いたってシンプルな答えですね、マコト。でも、ラドンさんは途中で死んでしまいました。その後のガンダレッドや、わたくしの姉を殺害することは無理だったでしょう」
「その時、本当にラドンは死亡していたのか? 生きているとするならば、容易く二人を殺害することができる」
「死んじゃっていたんです。警察とか、探偵のそれは共有された認識です」
ローランスは必死にラドンを弁護していた。
少しの間顔を見合わせていると、客間が開く音がしてダランが戻ってきた。
ひと仕事終えたような大人の顔をしている。手には小さなメモ用紙を持っていた。
「少し難しいドイツ語でね、確かにあれはローランスじゃ難しそうだ。僕も時間がかかっちゃったよ」
メモ用紙を受け取り、ローランスとの議論も忘れその内容に目が釘付けになった。
『名も無き黒と白の戦いよ
今こそ旅人に力を授け救済を与えよ
その理想泉を目指す者
魔除けの毒を越せば
二つの魂が閃きに導くであろう
理想泉の鍵がそこに眠る』
暗号ではなさそうだ。そのままの文の意味を受け取る訳にはいかないが、少なくとも文字を並べ替えて……等の面倒な作業はいらないように思える。
「この文章を解いてすぐ理想泉にいける訳でもないんだな」
「見たところそうらしいね。鍵が眠る、だから、その鍵を見つけてやっとといったところかな」
理想泉とはなんなのだろう。ラドンは理想泉をどういう概念で捉えていたのだろうか?
「ローランスはわかるかい?」
「その、はいわかりますけど……」
なぜかローランスは次に続く言葉を出し惜しみした。
「なら、碑文の謎を俺がわざわざ解くところから始めなくてもいいってことだ。助かる」
「その、なんか複雑です。一生懸命わたくし、考えたのに、何も考えてないマコトに突然答えを教えるのは」
彼女の告白に、俺とダランは同時に顔を見合わせて苦笑した。
「ローランス。お前はこの事件の犯人を俺に解かせたいのか、碑文を解かせたいのかはっきりしてくれ」
彼女を詰るように口調を強めた。ダランは黙って彼女を見守っている。
「すみません、わたくし、自分勝手でした。碑文の謎、教えます」
彼女はいじける様子もなく、ただそういった。ローランスの家族は、きちんと常識人としての責務を全うしていたという訳だ。
「そういえば、お前の家族は今何してるんだ」
不意な質問に、彼女は俺を見たまま固まった。
「あ、あのそれはどういう意味でしょう?」
「そのまんまの意味だ。お前にだって親がいるだろう」
言い終わってから、俺は過ちを犯したことに気づいた。
探偵が、依頼人のプライベートを聞く必要はない。あくまでも依頼をこなすだけであるべきだった。
彼女の寂寥を放つオーラは、感じのいいものではない。
「悪い、聞かなかったことにしてくれ。突然過ぎた」
日本人の株価を下げてしまったかな、と、俺はダランの顔を見上げるが、彼は人の良さそうな笑みを浮かべたままであった。
「それで、ローランス、どうなんだい? 家族は?」
更に追い打ちをかけてきた。
「います、いるんですけど、遠くにいます」
「どこだろう。その、遠くって。ドイツよりも遠い所?」
「ええっと、はい。昔に会わなくなったきりですので、どこにいたかは覚えてないんですけど」
彼女の答えは曖昧であった。
これ以上を聞くのは野暮だ。また唐突に話を変えることにした。
「あの、マコト」
と思ったのだが、ローランスが先手を打った。
「ガンダレッドの小説で、読んでない部分がありましたよね」
「確か、碑文を解読するまで読まない方がいいってローランスが
言っていた部分だったな」
「はい。そこ、もう読んでみてください。そうしてから答えを教えます」
ダランは少し困惑気味であったが、俺達が何も言わずとも合点がいったかのように清々しい面持ちを浮かべた。
「そうだな。なら、時間が欲しい。ダランはもう帰るのか?」
ダランは窓から外を見た。
もう既に太陽の面影は残っていない。あれだけ光輝いていた雪も、今は暗がりの中だ。それでも、その真っ白な光景は美しいものである。
「うん、帰るよ。あまり遅いと森から出られなくなるかもしれないし、家族に心配をかける。最悪、家族に知られるかもしれないからね、このこと」
「結局話してないのか。嘘はだめだって教える大人が、何をやってんだか」
「いやあ、君に言われると胸が痛むよ。それに、僕は嘘を全面的に否定する訳じゃないし、そもそもバレなければ嘘は嘘にならないのさ」
「平然と言ってのけたな」
しかし、彼の言葉はその通りなのだ。俺も八条さんにそう教わった。体感もしている。
「でも、マコト君。嘘っていうのは切り札みたいな物だよ。乱暴に使っちゃいけない」
「素直に生きてるつもりだ。嘘ついたら面倒なことになる」
俺の言葉を聞いたダランは、外套を羽織って客間を出た。
彼を屋敷の玄関まで見送ると、俺達は再び客間へと戻った。
「悪いな、さっきは突拍子もなく家族のことなんか聞いて」
「マコトが謝るなんて、またまたびっくりです」
彼女は手を口にあて大袈裟に驚く素振りを見せた。ここまで元気なら、これ以上宥める必要もないだろう。
「あ、そういえば」と、彼女が口を開いた。
「わたくし、確かに理想泉までの鍵には辿り着いたのですが、その先には辿り着くことができませんでした。ですから、全ての謎をといた訳ではありません。先に言っておきますね」
「そうなのか。分かった。俺はまだ読んでないページをこれから読み進めるが、その間お前はどうするんだ」
「暇になっちゃいますね。……では、最後の謎を考えます。久々ですので、新しい発見でもして、もしかしたら解いちゃうかもしれません」
頑張れよ、と期待せず彼女を応援し、俺は立ち上がった。
ガンダレッドの本は別館の自室においてあるため、そこまで取りに行かなければならないのだ。そのため、立ち上がる必要があった。
暖かい空間から外に出るのは素晴らしい程に嫌なものである。客間の扉に近づいて、何の気なしに俺はローランスに話しかけた。
「もしこの事件の犯人がわかったら、お前はどうするつもりだ。仇を討とうとも、もう死んでいる。ただ真実が分かるだけだ」
先ほどまで生意気な口をであった彼女は、今はぼうっと炎を見ていた。俺の言葉が聞こえていないはずはないが、もう一度口を開いた。
「お前はなぜ何年もこの謎にこだわっているんだ」
自分の声が、妙に大きいように聞こえた。暖炉の中で燃える炎の音には、絶対に勝っていた。その迫力も、威勢も。
彼女はすぐには答えようとしなかった。
また突拍子も過ぎない事を聞いてしまったから、彼女は拗ねてしまったのだろうか。
疲れているのかもしれない。
俺は彼女の返事を待たず、客間を出ようとドアノブに手をかざした。
「終わらせるんです」
彼女もまた、出し抜けであった。
俺は、その真意を考えた。彼女は、何を終わらせようとしているのか。
だが、答えに辿り着くよりも先に口が動いていた。
「何を」
「ガンダレッドの小説の物語を、です」
いつの間にか、彼女は真剣な眼差しを俺に向けていた。その目に宿るのは、
覚悟という文字だ。
ますます、彼女が分からなくなってきた。
「ガンダレッドは、どんな小説でも最後には謎を明かしました。それが彼のプライドだと、わたくし、聞きました。だから、終わらせるんです」
俺には続ける言葉が見当たらなかった。むしろ、続けてはならない気もした。
だから、たった一言だけ彼女に言ってやったのだ。
「頑張れよ」
彼女にとって、これはガンダレッドの代わりの言葉であったのかもしれない。




