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アサガオの咲いた日  作者: 玲瓏
一輪目
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解決の第一歩

 彼女の答えは的を得ていた。質問の解答としてパーフェクトであろう彼女の言葉を讃賞してやりたいが、それは心の中だけに留めておいた。

「あなたとガンダレッド氏は恋人同士だったのか」

「はい……確かに、そうです」

 照れ隠しのため俯いていると思った彼女の目から、また数滴の涙が頬を伝った。

「あなたにとってこの事件は、残酷だ。一週間のうちに大切な存在を一瞬にして二つも失っている」

「……はい」

 この探偵事務所に来て教えられたことは、如何用にして真実を暴くかだった。目の前で深く傷を負っている人物を慰める術は誰からも教えられていない。

「酷なことを言うようだが、あなたはここに励まされに来た訳じゃないはずだ。そう何度も泣かれては困ってしまう」

「はい、わたくし、わかっております……。もう、大丈夫です。ありがとう」

 彼女はハンカチで目元を拭う。その時、突然雨が降り出した。

「空も泣いておりますね」

「面白い喩えだな。きっとあなたの代わりにお天道様が流してくださってるのだろう」

 彼女の上手いジョークは場の空気を弛緩させた。まるで本物の日本人と話しているような、そんな錯覚を頭が感じる。

「雨は様々な物を洗い流してくださいます。わたくし、感謝しなくてはなりません」

 強く窓を叩く雨の音を聞き、彼女の顔は次第に微笑みを取り戻してきた。まだこの小説についての質問はあるため、また暗い雰囲気に戻ることは避けたい。話を元に戻した。

「それじゃあ話を続ける。ガンダレッド氏はあなたの恋人だったということだが……それを証明する者は?」

 今この場で言う台詞にしては申し訳ないと思うが、探偵の役目を授かった以上仕方のないことだ。

 しかし彼女はこんな無礼な言葉にも特に顔を歪めず、今までと同じように応対してくれた。

「えっと、わたくしが通っていた病院のお医者様ならご存知かと……」

「あなたのご友人などは?」

「隠していたこと、ですので誰にも……」

 なるほど、と頷く。次の言葉に頭を巡らせ口を開きかけた時、彼女が前触れもなく話し始めた。

「わたくし、ガンダレッドに約束されたのです。わたくしが病床で横になっている時、……この悲劇の年。ガンダレッドは訪ねてきました。何か、碑文の答えになるような決定的手掛かりを見つけたと、そうおっしゃいました。しかし、わたくしは病の身、その年にお屋敷に行くことは無理でした。ガンダレッドはそんな私を哀れに思ったのか一つの提案をしたのです」

 彼女は涙を堪えて、はきはきとした口調で述べた。

「わたくしのためだけに、小説をお書きになってくださると。あの碑文を解いて、何が起こったのか。その場の和やかな雰囲気等を小説にして残してくださると約束してくださいました。もちろん、なんのオチもありませんから、市販はできません。この世界でたった一つの、わたくしのためだけに執筆してくださった本が、こちらなのです」

 彼女の言葉は、黒い霧のようにモヤモヤした頭の中にある疑問を、全て風で追い払ってくれた。

 この本は市販ではない。そして、この本に書かれていることはほとんどが事実である。多少の嘘が混ざってもおかしくはないがそれでも、この本が手掛かりになるということに間違いはないだろう。しかし、ここまで聞いても尚、気になる点が一つだけある。

「だったらこれを警察に届けるといい。そういう手段もあったと俺は思うがね」

「日本の警察はお忙しい。このような本を届けたところでまともに読んでくださるかどうか。……それにわたくし、警察が怖いのです」

「警察が怖い? 過去にトラウマでもあるのか」

「いえ、違います。今、その点については議論しても仕方のないことなのです。誰に頼んだところで、全て結果は同じですから」

 まるでこの話題について触れたくない、そのような様子が汲み取れる。やはり考えていても仕方のないことなのだろう。この件については運命だったと思って諦める、そう思うことで納得するしかない。

「大体あなたの話は掴めてきた。まとめると、七年前にドイツの森奥にある館で起きた連続殺人事件を、この小説を読んで暴いて欲しい。こういうことだろう。なるほど、安楽椅子探偵を気取れる訳だな」

 幾分かウキウキとした調子でそう言った。実は外に出歩くのはあまり好きではない。インドア派としては、こうして小説を読んで事件解決といきたいところであった。

「いえ、そういう訳には参りません。マコト、あなたも実際に館に来てください。わたくしが案内します」

「……だろうと思ったよ」

 半ば愚痴のように呟きながら席を立ち、用意するために棚へと向かう。

「あ、ですがまだ向かわなくて結構です。まずはその本をじっくりとお読みになってください」

「ドイツに向かうまでの飛行機の中で読める。飛行機のお金は俺が出すから、あなたも出かける支度をするといい」

「あの、マコト」

 鏡を見ていると不意に自分の名前が彼女の口から聞こえた。咄嗟に反応してしまう。

「なんだ。まだ何か?」

「わたくし、マコトのことを、名前で呼ばさせていただいております。マコトも私のことをローランスと呼んでください」

 今まで彼女のことを"あなた"と呼んでいたのは単純な理由だ。名前で人の事を呼ぶのに少し抵抗を感じていたからである。慣れ親しんだ八条さんなんかは、呼び捨てまではいかないものの名前を呼ぶことができる。実は最初にローランスと呼びかけたのも、相当勇気のいることだったことを告白しなくてはならない。

「わかった。これから共に行動するのだから、その賢い案を受理するよ。改めてよろしく、ローランス」

「よろしくお願いします、マコト」

 扉を開けて彼女が部屋を出ようとした瞬間、彼女が日本の文化をよく学んできたことに気づかされる。

「ドイツには人の部屋に入る時、靴を脱ぐ習慣でもあったのかな」

「はい、ドイツの人たちはみんな靴を脱ぐのですよ。それに、日本の常識でもありますから」

 

 旅の始まりに、俺は八条さんに挨拶を交わすことにした。当分会えないだろうからその程度の礼儀は必要だろう。

「おや、珍しいね浅葱君。綺麗な彼女とデートかな?」

 八条さんはロビーで茶を啜っていた。察しのいい彼女は外に出かける用の服を着ている探偵と客人を見て悪戯の笑みを浮かべながら言う。呑気な人だなあと、つくづく感じさせられた。

「だとすると、どれだけいいことでしょうね」

「あっははは、冗談だよ冗談。でもいいことじゃないか、普段浅葱君は表に出ないだろう? こういう経験もたまにはいい。お客様には感謝しなくちゃね」

 戸惑いの表情を浮かべたその客人を見て八条さんは頭を下げた。もう八条さんは事情を察しているのだろう。

「それじゃあ、解決したらすぐ帰ってきてよ。お土産、楽しみにしてるから!」

 呑気な人を傍目に表に出る。後ろを振り返ってみると、まだ手を振っている八条さんの姿が見えた。まるで親に見送りされている気分だ……と感じながら、そういえば外は大雨が降っていることを思い出す。

「ローランスは傘を持っていないだろう。八条さんに言って借りてくるから少し待っていてくれ」

「あ、いえ、あります。わたくし合羽がありますから、大丈夫です」

 そう言うと黄色い合羽がバッグの中から出てくる。彼女の事前準備には感心せざるをえない。

 彼女がその合羽を着る姿を見ていると、ヒヨコみたいな子供らしさがあり可愛らしい印象を抱く。

「それじゃあ、いこうかローランス」

「……はい」

 長い旅路を迎えることになりそうだ。好奇心と怠惰が混ざりあったような、おかしな気持ちを心に残しながらそうぼやき、事件解決の道の第一歩を踏み出した。


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