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アサガオの咲いた日  作者: 玲瓏
一輪目
3/73

たった一つの手掛かり

「で、要件は?」

「今書いてますから、そう急がさせないでくださいマコト」

 紺色のソファーに深く腰を預けて、ガラス机の上にある紙にペンを走らせている彼女に向かって声をかける。反対側のソファーに座っている俺の目線は彼女の用意していた小さな手提げ袋に向けられていた。

 彼女、ローランスは今契約書を書いている最中だ。本当なら遅れた分の謝罪を込めて、西洋人である彼女には不慣れであろう日本語を代わりに俺が話を聞きながら書こうと思っていたのだが、彼女は不満足そうな顔をしてペンと紙を奪いとったのである。

 どうやら気の強い女性らしく、自分が日本語に不慣れであるという理解を持たれていることに我慢ができなかったようだ。

「書けました……」

 やや緊張気味に契約書を渡してきた。一番興味深い概要の中身に目を走らせたが、驚嘆の顔で彼女を見返す結果となった。

「へぇ、森の深くにある館で起きた一週間のうちの連続殺人か。ロマンチックな事件だな。で、場所はー……ほう、ドイツか! 日本からドイツまで出張探偵ときたもんだこりゃ参ったよ」

 最初は緊張していたが、あまりにも非現実的な事件概要の内容に不意を突かれ、バカバカしい気持ちが思考を支配した。 

 事件について詳しくは彼女に問い詰めていくつもりだったが、そんな気持ちも失せてしまう。

 一週間のうちに十人が全員死亡? 更に月日の経った今でも未解決だって?

「わたくし、この事件を解決して欲しいのです。詳しいことを話します、質問ならどんな些細なことでも受け付けますから、ですからぜひ、解決を希望したいのです」

「じゃあまず質問からだ。なぜドイツにいる探偵じゃなく、日本にいる俺に希望した? 日本からドイツまでは飛行機を利用して十二時間かかる。ローランス、あなたの年齢からいくとそれだけでも大きな負担になるだろう」

 一番引っかかったのはその点だった。日本にこだわっているのか、それとも彼女なりの事情があるのだろうか。

 彼女は答えなかった。顔を俯かせだんまりとしてしまったのだ。

「何か言えない事情でもあるのか」

「いえ、わたくし、言えます。言えますが、今ここでお話をしてしまいますと、混乱してしまいます」

 言えないというよりも、言いたくないように見える。このまま問い詰めて不機嫌になられても後が怖い。八条さんに知られたらこっぴどく色々と説教を受けることになるだろう。それに、確かに思考が先走ったのは事実だ。事件とは関係がないのかもしれない。

 とりあえず今は彼女の賢明な判断を評価して話を進めることにする。

「じゃあまず、この事件について知っている限り話してくれ。概要だけ見ても何も知らない俺には、何も見えてこない」

 彼女は息を整え、真っ直ぐと顔を見つめてきた。言葉を選んでいるのだろう。沈黙は、彼女が十回息を吸い、吐くまで続いた。

「先ほども言いましたが、この未解決事件は七年前、ドイツの鬱蒼とした森奥にある館で起きました。その館では当週、クイズ大会が行なわれていました」

「クイズ大会? ……それはどういう催しだ」

「今から説明します。クイズ大会とは、ただ参加者のわたくし達がそう呼んでいただけで、正式名称が決まっていた訳ではありません。それで、クイズ大会というのが……その、魔女に対しての挑戦、みたいなもの……です」

 また信じられないような言葉を出してくる。魔女への挑戦ときた。彼女はファンタジーの世界から来た人物なのだろうか。

「頭を整理させながらお聞きください。まず、その森の伝説となっている森の魔女オースティンが生前に書き残した碑文。その碑文は実は、理想泉への入口となる、鍵のような役割を示していたのです!」

 高揚した様子で彼女の口から言葉が紡がれる。幻想世界の言葉を前にしてしまっては呆気にとられることしかできない。

「そのリソウセンとは……一体なんのことだ?」

 すると、彼女は興奮した顔を落ち着かせ、冷静に戻って説明してくれた。

「理想泉とは、即ちオアシスです。オースティンが住んでいると伝説がある森の、どこかに眠っている魔女たちのオアシス。魔女は人に見られることを嫌います。いえ、見られたら死ぬと思い込んでいます。その魔女達が安心して暮らせる場所、それが理想泉。目を曇らせた人間は決して入って来れないと言われている場所なので、魔女達は安心しているのです。その理想泉にはまだ人間が見つけていない財宝がいくつも隠されている、という伝承もあります」

「それで、その理想泉の場所を記したと思われるのが例の碑文って訳か」

 なるほど、解釈を変えれば見えてくる。彼女の話を聞いているとファンタジーの世界に引きずりこまれそうだ。

 つまりは、そのクイズ大会の主催者が考えた碑文を参加者に解かせ、見事解いたらどこかに隠された財宝への部屋へと案内する。その部屋の名前こそが理想泉といったところだろう。この大会は暇を持て余した主催者の暇つぶしということだ。

 もしくは、オースティンという人物が実際に存在しその人物が碑文を書き残した。だが、誰にも解かれることなく散っていったのを主催者は哀れに思い、こういう形式として残しているのだろうか。

「それで、その碑文を解くために参加者は毎年一回、集まっていました。わたくしは五年目くらいから参加させてもらっていたのですが確かに碑文は難解で、解けません。これでもわたくしはミステリ小説をよく読んでいるのですが、お手上げでした……」

「概要を見る限りでは、その館に一週間寝泊りさせてもらって、その間に答えを出すといったものだな」

「はい……。事件が起きたのは十二年目でした、その頃ちょうどわたくしは病にかかっておりまして病院のベッドの上でした」

すると、彼女は突然悲しみに顔を曇らせ、震えた声で語り始める。

「わたくし、とても辛いのです。わたくしは姉がいました。姉も、このクイズ大会に参加しておりました。そして十二年目、この悲劇の年、姉は不幸にも巻き込まれてしまいました……。こんな、こんな想いをするなら、わたくしが死んだ方がマシでした」

 彼女は顔を両手で覆い、首を横に大きく振った。きっと姉の面影を思い出し悲しくなってしまったのだろう。一人っ子の俺にとって、姉や兄、妹や弟といった存在の価値はわかることはできない。しかし彼女にとって姉は、失って長い月日がたったとしても涙が落ちる程かけがえのない存在だったのだろう。

 少しの間そんな様子を続けていたので、優しい言葉を耳に入れてやりながら落ち着くのを待った。

「すみません、すみません。わたくし、もう大丈夫です。あの事件からもう七年、わたくしはそろそろ成長しなくてはなりません」

「……あなたがどうしても事件を解きたい動機は充分に理解できた。姉への弔いか」

「犯人への仕返し……です。姉を、ひどい目に合わせた奴は、今も、今ものうのうと生きているのかもしれない!」

 ……六年前の事件が脳裏に蘇る。大切な人を失った気持ちは俺も経験していた。

「あなたの気持ち、そして心はよく伝わった。だが、俺はどうすりゃいい。何か証拠でもあるのならいいんだが、もう調べ尽くされたのだとしたらほとんどが警察の方に保管されてるだろう。手も足もでない」

「はい、……証拠品と言えるものは全て、調べ尽くされてしまいもうほとんど残っていない……と思われます。今ドイツに残っているのがあるとすれば、あの日から止まった時の中に閉じ込められた、お屋敷だけでしょう」

 俺が快挙を成し遂げた最初の事件は、手がかりが全て残されていたからこそ解くことのできる真実だった。事実も、何もない暗闇の中で見つける真実は全て虚構に過ぎない。彼女もそれは知っているはずだ。慰められにわざわざ日本まで来たのだろうか。

 返答の言葉に迷っていたところ、彼女は察したのか自信のこもった声で口を開く。

「大丈夫です、マコト。どんな事実にも勝る、たった一つの手掛かりを今日は持ってきました」

 彼女は自分のバッグの中に手を入れて、手掛かりを机に置いた。

「本……? これは、小説?」

 彼女が机の上に置いたのは、一冊の本だった。タイトルはドイツ語で書かれてあって読めない。ということは、内容もドイツ語なのだろう。

 小説だと言ったのはこの本の著者を見れば分かる。"ガンダレッド=メニア"――本にはそうローマ字で書かれている。

 ガンダレッドという人物は小説家だった。しかし、日本でも海外でもあまり有名になってはいない。それは多分、特徴性が過ぎたことが原因だろう。彼が用意する物語のオチはかなり後味が悪い。万人受けしない内容だが、数少ないファンを裏切らないように自分の作風を一貫させ決して読者を裏切らない所は小説家の檻と言っても過言ではないはずだ。

「色々と尋ねたいことがあるが……まず一つ目。この本がなぜ手掛かりと言える?」

「マコトはご存知ないようです……。彼は、殺された九人の中の一人なのです」

「なんだって?」

 ガンダレッドという小説家がいなくなろうと俺に関係のあることではない。疑問に思ったのは死者となった人間が書いた小説を持ってきて、これが手掛かりだと言い切る彼女の自信だ。

「この小説は、彼がお屋敷で執筆したストーリーです。一人称で全て記されています」

「……なるほど理解した。事実が文字としてここに残っている訳だ。確かに証拠と言っても不十分ではないだろう。だが小説だ。手記とは違い、これは物語として書かれるものだからな。事実とは多少違ったことも書かれているだろう」

 彼女は戸惑いの顔を見せた。

「……これだけじゃ不十分だ、不確定要素が多すぎる。……それに、状況証拠しか生み出せない。残念だが、この事件は」

 そこまで言って、珍しく彼女が言葉を遮り最後まで言うことが叶わなかった。

「解決できます。この本さえあれば、全てが分かります」

「その自信はどこから来ている。ガンダレッドという作家をそこまで信じられる根拠はあるのか?」

「はい、私は彼を信じているからこそ、今ここにいるのです」

「理由を説明してくれ、この本が手掛かりになるという理由を」

 彼女は頬を紅く照らし口を開けるが、言葉は出てこなかった。何かに躊躇しているように見える。なぜ戸惑っているのか頭を働かせていると、彼女は真っ直ぐな目をこちらに向けて告白した。

「ガンダレッドは……その、私の恋人だからです」

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