ガンダレッドの小説十一 二月二十四 夜
夜食を食べる頃には、僕の頭は最高に回復していた。どうもドルフと議論で頭を回していたせいで、かえってよくなってしまったそうなのだ。人体の不思議の一つである。
ちなみに、夜食は今度こそ本館の方でとることはなかった。全員が納得して別館でとることになったのだ。ノーラさんも今は僕らの輪の中に入っている。しかし、銃を肌身離さず抱えており、一人一人を見る目が鋭かった。彼女の目を見ない物は、彼女から注がれる視線に突き刺され、恐怖を感じることになっただろう。
「お飲み物をお持ちしますね」
そう言ってオフィーリアが席を立った。礼儀をわきまえており、非の打ち所を与えない作法である。
「いらないわ」
低い声でオフィーリアの顔を曇らせたのは、ノーラさんであった。顔は、先ほどから手をつけていない香ばしい香りのするアイスバインを見つめていた。
「えっと……」
「いいんだ、オフィーリア。私たちの分だけで結構だとも」
ラドンさんが慰めるように助け舟を出す。するとオフィーリアはそそくさと客間の中にあるキッチンへと入っていった。
「ノーラ、ご飯は食べないのかい」
「私の器だけ、毒が入っているに違いないわ」
彼女の言葉に、だれもの手が止まる。
「何をバカなことを言っているんだい。誰がノーラの器に毒を入れるっていうのかね?」
ラドンさんが優しく語りかけ、それが言い終わったと同時に机に両手が打ち付けられた。ノーラさんが音を立てて、机を叩いたのだ。
「誰かなんて知らない! でも、あんたたちの中で私を陥れようとした奴は絶対にいるわ! 確実にね!」
血相を変えて全員を一瞥する。やはり、彼女は僕らを見ていないのだと確信する。彼女の見ているものは恐怖そのものなのだ。暗闇の中に化物の影を見つけ、その影を見つめているのだ。
「ノーラさん、落ち着いてください。僕達の中に、こんな、こんな悪魔のようなことをする人間がいるとは思いません。いえ、思いたくありません。ですからどうか……」
ダンの言葉は、香ってくる紅茶の香りと同じくらい、ノーラさんには意味を成していなかった。彼女の耳に、言葉は言葉として残らない。まるで、昼のドルフを見ているような気分である。
「今まで何年も仲良くしていたように見えて、影でこっそりと私たちを狙ってた奴がいる!」
ノーラさんの言う言葉は支離滅裂であった。彼女の発する言葉それぞれに悪意がこめられている。僕はもう、彼女を直視することができないでいた。
すると、無言でドルフが立ち上がりノーラさんに近づく。
反射的に、ノーラさんの持つ銃が、彼に向けられる。後ろ姿しか見えないため、今ドルフがどんな表情をしてノーラさんを見つめているのか、分からない。
「何よ、こっちに来ないで! それ以上こっちに近づいたら撃つわよ。本気よッ!」
ドルフは立ち止まった。ノーラさんは完全に体制を崩し、ドルフを見上げるように銃を構えている。張り詰めた空気の中、ドルフの後ろ姿はどこか勇ましいように思えた。何者にも怯えず、屈さず。ノーラさんの持つ銃に怯えることなく、ただノーラさんを見つめている。
「え……」
消え入るような声をあげたのはノーラさんであった。思わず息を飲んだ。
「ドルフ君……」
きっと今のドルフは、昼と同じようにして何も聞こえていないのだろう。それを全員は察し声をかけない。
ドルフの目から零れ落ちる涙を見て、どうやって声をかければいいのだろうか。誰も分からなかった。
「ノーラさん、俺、もうノーラさんのおっかない顔みんの、嫌だぜ。ノーラさんはほら、もっとさ、明るかったじゃんか。銃じゃなくて、いつもアンを抱えてたよな。隣には、ね、ジャックさんもいてさ」
ノーラさんは、口を半開きにしたまま顔を上げている。
「だから、やめようぜ。そうやって疑って、最終的にノーラさんが一番辛そうに見えるんだ、俺。昼は躍起になってノーラさんにひどい目合わしちゃったけどさ、本当に、ごめんな」
「ドルフ君……」
ノーラさんはドルフの名を、何も装飾をつけずに二度呼んだ。そして銃を手放すと、彼女の目からもまた、涙が溢れた。
「ごめんね」
ノーラさんはそういうと、ドルフを手招きした。自分の膝に乗るように。ノーラさんが見せた突然の優しさに、ドルフは不意を打たれた様子だった。まだまだドルフも子供だと理解させられたのは、次の瞬間に、ノーラさんの腕の中に飛び込んだからである。今の今になって、涙を溢れさせながら。
「あなたほど、アンちゃんと深い絆で結ばれている人はいないわ。あなたほど、アンちゃんを大切に守り抜いてきた人はいないわ」
ノーラさんはドルフの頭を優しく撫でている。ノーラさんはただ、優しく撫でている。一緒に泣きはせず、まるで母親のように。
「今は思う存分泣いて。それは、あなただけの特権よ」
そういうノーラさんの声も震えているじゃないか。僕は心の中で言うだけに止めておいた。
オフィーリアの淹れてくれたアップルティーは、体の中に溜まった疲れの毒素を全て吐き出してくれるような甘さに染まっていた。その甘さは、この部屋にいる者全員からマイナスのオーラを掃いた。
「ね、ガンダレッド。ちょっとあとで話があるから、また部屋にお邪魔していい?」
さっきまでの緊張が解け、部屋にいる者はそれぞれリラックスしていた。その中でミアンナが何かしら深みのある言葉を言ってきたせいで、特に好奇心盛り盛りな年頃であろうモーニンガードが反応しない訳がなかった。
「どんな話?」
さっきまでは黙って(一回ドルフが泣いた時は手を止めていたが)食事を食べていたというのに、味わい終えると同時に、にやついた顔でこちらを見つめる。
「えっと……」
困ったようにミアンナが苦笑を向けた。
「モーニンガード、あまり人を困らせてはいけない。ご飯を食べ終わったなら大人しく僕のところにおいで」
ダンが困った弟を注意する。柔らかい口調であったが、モーニンガードはすぐに引き下がった。きっとダンが見せつけている余り物のデザートに惹かれたのだろう。
ラドンさんが「ダン君も食べればいいのに」と促しているが、ダンは遠慮がちに手を振って断っていた。
「それで、何のようだい? ミアンナ。それくらいなら言えるだろ」
嫌だと、あからさまにミアンナは首を横に振った。
「いや」
ダンが全員に聞こえる声でそういった。モーニンガードはその傍らで、夢中になってデザートを頬張っている。
「全員でこの客間で一晩を過ごすのです。わざわざ自分の部屋に戻る必要が見つかりません」
ダンの意見は最もであるらしい。周りを見渡しても、露骨に嫌がる人物はいない。
「オースティンの前に鍵なんか無用……ということだね」
そのことは、アンとジャックさんが証明してくれた。鍵がしまっている屋敷の中にオースティンはすんなりと入ってしまったのだ。屋敷付近で、解錠せずとも中に入れるような仕掛け等は探してみたが、どこにも見つからなかった。窓が内側から施錠されていたことは外側からでも確認できたし、到底入口以外から中に人物が入ることは不可能に近かった。
つまり、オースティンが魔法で入ったとしか言い様がなかったのだ。
「そうです。一人で閉じこもっているよりは、全員で一緒になって夜を迎えた方が安全に決まっています」
「私もダンの意見に賛成よ」
ミアンナが同意した。
「誰か一人が夜起きてて、交代交代でこの部屋を見張っているの。オースティンは見られることを嫌うわ。
だからこの部屋には入ってこれない」
ミアンナがそう言ったところで、僕の中には一つの疑問が思い浮かんだ。新しいパズルのピースを見つけたと言えよう。それは、オースティン犯人説を否定するには最も適した疑問であった。
なぜオースティンは一斉に僕らを殺さないのか?
全員が無防備な中、炎でこの別館を包めばいい。もしくは、隕石を落として一気に僕らを殺してしまえばいい。そうすれば遥かに簡単である。
しかし、しない。そんな愉快なことをする力がない、と反論することもできる。
そもそも、どうして僕らを狙っているのか? 僕が理解することのできない部分の頂点の位置にある
疑問が、この動機の部分である。オースティンが僕らを殺す動機……。
そういえば、ドルフはこういっていた。自分の父母がオースティンを殺した、と。復讐のためにアンを殺したと考えられなくもない。じゃあ、なぜジャックさんは殺されてしまったのか。
ラドンさんの沈黙……。ミドルラード夫妻に何かしらの過去があったことは事実に違いない。だが、それが果たしてオースティンの動機に結びつくのかは不明瞭である。
つまるところ、僕は疑問だけを並べるだけ並んでおいて、解決にいたる材料は一切ないのだ。
「ガンダレッド君はどうだい?」
ラドンさんが話を振ってきた。この部屋で寝ることに賛成か、ということであろう。
「みんなで仲良く寝るのも悪くないですね」
「決まりね。私の銃は……。万が一のために、この部屋に置いておきましょうか?」
「それがいいだろうね。銃は持つだけで、立派な脅威になるだろう」
ノーラさんは銃を、全員が囲い込んでいる机の上に置いた。
「そんじゃミアンナ、どうせ一緒にここで寝るんだし、気になるからさっきの用件を伝えてくれよ」
ミアンナは迷うことなく返事をして、僕の腕をしっかりと握り締めながら扉を出た。出るとき、特に痛々しい目線はなかったので助かった。
「それで、用ってなんなんだ?」
扉の前では心配だったのか、二階への階段の前まできて口を開き始めた。きっとここからならば客間の部屋には聞こえないであろう。
「昨日の夜、私ね、アンちゃんに起こされたの」
脳に、記憶の閃光が輝いた。そういえば、アンが殺されたときから今の今まで、はっきりとしない薄黒い記憶が脳内にあったのだが、今のミアンナの言葉でそれがはっきりとした。
「そうなのか。それで、それがどうかしたのか?」
興奮を隠し、あえて知らないフリをしてミアンナに質問をした。
「アンちゃんがトイレにいきたいらしかったんだけれど、怖くていけないらしいの。アンちゃんが自分の体をもじもじと動かしていたから、私は起きちゃって。どうしたのって聞いたの」
なるほど……。ミアンナの今の説明で、昨夜なぜ二人が扉の外に出たのかの説明がつく。
「ふむ、それで、どうかしたのか? まさか、そのままアンが屋敷探検にいきたいとか言い出したんじゃないだろうね」
「探検、とは言ってなかったわ」
「えっと、それはつまり?」
「ノーラさんの様子が気になるって言っていたの。だから……」
ミアンナとアンは済ませた後、どうやらアンが、ノーラさんが不安で、つい屋敷に様子を見に行きたいと言ったらしい。二人だと安心だ、とミアンナは思い、アンを連れて屋敷に様子を見に行く。そこで、ノックをしてみたという。返事が返ってこないため悪い予感が二人を襲い、ミアンナが別館に戻り鍵を取りにいくことにしたらしい。アンは動かないで、屋敷の前で待っていたという。鍵はオフィーリアがきちんと管理していたため場所が分からず、結局ミアンナはなんの獲得も得ずして屋敷まで戻ってくると、アンが消失していた。部屋にも戻っておらず、どこを探してもアンはいなかった。
これが、昨夜ミアンナが見た全てだという。
「アンが見つからなくて、お前はその後どうしたんだ」
「オフィーリアを起こして、鍵をもらうことにしたの。朝五時頃だったわ。それで、オフィーリアがついてくることになって、悲鳴をあげて」
ミアンナは責任を感じているようだった。確かにこの事実をあの場で言えば、確実にミアンナが非難を浴びていたことであろう。
ミアンナは事実、アンを危険な所に、悪く言えば放置した。だが、真に悪いのは犯人である。
「話っていうのはそれだけかな。ダンが昼間訪ねてきたことに関しては、何もナシ?」
ミアンナはまた、悩むことなく首を縦に振った。
「ごめんねガンダレッド。あまり言えたことじゃないの」
「ふうん。ならいいけど、そんな一人で抱え込むこともないぜ。俺でよければ、何かと役に立ってやらなくもないしな」
この言葉で安心した様子で、ミアンナはため息を漏らした。
「それじゃあ、そろそろ戻りましょうか」
ミアンナが先に立ち、客間に戻ることとなった。その時に、何の気なしに彼女の後ろ姿を見てみた。彼女は重荷を背負っているのだろうか。背負っているとするならば、どんな重い物を背負っているのだろうか。僕はそれを軽くしてやることはできないのだろうか。僕は遠い遠い、ベッドの上で苦しんでいる彼女を思い出しながら、その後ろ姿を見つめた。見ているうちに、ミアンナもまた遠くの方へ旅立ってしまうのではないかと不安になった。
ほんのり静かな廊下に吹き抜ける二月の風に誘われるようにして、僕らは客間へと戻った。




