ガンダレッドの小説7 二月二十三 昼
朝食をとっている最中、誰一人として口を開く物はいなかった。これは決して、食事中話すのがマナー違反だからといって全員が良い子をしていた訳ではない。僕含め、その場にいる全員が話す話題を見失っていたのだ。
「一流のシェフがつくる肉料理はどれも美味しいものばかりだね」
しんみりとした冬のような薄ら寒い空気は、陽の光を灯すラドンさんには似合わないであろう。冷えた僕らを見たラドンさんは、必死に陽を僕らに当ててくるようだ。だが、まだ未熟な僕らにとってその光は眩しかったようで、誰も受けようと思う者はいなかった。
「あっはは、美味しいですね、本当に」
僕はかろうじてそう返事をできたが、言葉とは裏腹に毎年楽しみにしていたビーフハンバーグは、ナイフを入れることすらできていなかった。端にぽつんと佇んでいるポテトフライにしか味わっていない。
周りを見てみても、誰もがそうであった。誰もが熱心なイスラム教徒のように、肉料理を口に運ぶことはしなかった。
静かな朝食を終えると、再び全員で別館の客間に戻ることになったので、もう冷め切った哀れな肉料理に別れを告げ、食堂から出た。
ふと、碑文が大きく掲げられた壁の前で立ちすくんでみる。
「どうしたんだよ、ガンダレッド」
いつもの大理石頭という呼び方を捨てたドルフは、一体どういう心境だったのであろう。
「碑文の推理、そろそろみんなに教えなくちゃいけないと思いましてね」
ミアンナ除く、その他の全員が僕の方に注目した。ノーラさんに至っては、まるで僕を急かすかのように息を荒げながらこちらを見つめてくる。
「ガンダレッド君、今はそんなことをしている場合ではないのでは――」
「この碑文を解くことによって、もしかしたらなにかが分かるかもしれないじゃないですか。そもそもこの大会は、この碑文を解くことが目的なのでしょう。なにかがまた起こるまで、無能な探偵を気取ってパイプでも蒸しながら椅子に座ってろと
言うのですか」
「そうじゃない、そうじゃないんだ。これは、クイズ大会なのだよ。遊びなのだよ。人が殺されて、遊んでいる暇があるのかと私は思っただけに過ぎないんだ」
「犯人はオースティンなのでしょう? オースティンが殺す動機といえばひとつだけ推測できそうなものがありますよ。長くに渡って人が集まるも誰一人としてこの謎を解く者がでないばかりか、毎年毎年集まってはお茶会ばかりして、ついにしびれを切らして人を殺し始めたんですよ」
「それじゃあ、ここにいる全員が殺害対象ということになるってことかよ……」
「……だからそうなる前に解いてやりゃ、オースティンの気も済むと思ったんだよ。ラドンさん、俺は間違ってることを言ってるつもりは、さらさらないですよ」
自信に満ちた顔をラドンさんに向けた。
「やめたまえ、ガンダレッド君。これ以上雰囲気を悪くしてどうするんだ」
返答に困って、ラドンさんの顔を見つめたまま一言も口が聞けなくなってしまった。その瞬間を、周りはどんな風に見ていたのか、それは分からない。だが、僕は突拍子もない助けがきたことには、驚きを隠せずにいた。
「ガンダレッド君。話して。この碑文の謎、解きましょう」
ノーラさんが落ち着いたようにして僕に言った。ラドンさんもその言葉に、呆れたような顔を浮かべている。
「だがね、ノーラ、この謎を解いたところで、それがすなわち復讐に繋がるとは言えん。それに、復讐だなんて、そんなことをしたところで……」
ラドンさんの声は、一言一言述べると同時に次第に衰えていった。
「いや、私が何を言ったところで、君たちの謎に対する情熱は変わらないだろう。あまりオススメはできないが、好きにするといい。
だが私は、その話に参加する気にはなれない」
初めて不機嫌な様子でそう言いつけてきたので、疑問を感じずにはいられなかったが、この時、ノーラさんの僕に向けての視線は、ラドンさんを問い詰める隙を与えないほど、念がこもっていた。
「ガンダレッド君、あなたの推理を教えて」と、ノーラさんが低い声で言ってくるのも、心構えができていた。
ラドンさんが僕らから遠ざかるのを確認する。
「まず、俺はこの碑文にある白と黒っていうのをトランプとして見たんだ」
「トランプ、ですか」
「ああ。クローバーとスペードの色は黒だろ、赤は……まあそれは置いておくとして――」
自慢げに僕の推理を述べていたその時「うわっ」という、ラドンさんの短い悲鳴が聞こえた。驚いて彼の名前を呼ぶと大慌てでこちらに駆けてきた。
「大変だ、君たち。ああ、なんてことだ……。一刻も早くここから出た方がいい」
膝をつきながら、一人一人と目線を合わせつつ、丁寧に一言を述べてラドンさんは説明した。
「ジャックさんのご遺体が、どこか別の場所に隠されてしまったんだ」
その言葉の奥底の意味を理解するのには、そう時間はかからなかった。すなわち、全員がラドンさんの言葉の意味を理解し、玄関まで大急ぎで走ったのだ。
だが、ふと振り返ってみると、ノーラさんが碑文の前で立ちすくんでいる姿が見える。走ろうともせず、ずっとそこに居た。
「ノーラさん、何やってるんです。今この屋敷にはオースティンがいる、一人になっちゃいけないですよ!」
「放っておいてよ。あなたに今の私の心境なんかわかる訳ないと思うけれどね、いいのよ、オースティンが向こうから来てくれた方が好都合なの。色々と手間が省けるじゃない」
「あなたはオースティンを舐めているに違いない。一人で勝てる相手だと勘違いしてはいけません」
ダンはいつにもなく真面目で、荘厳とも言える口調でノーラさんにそういった。彼が強気で言うのは珍しくノーラさんも幾分か堪えたようであったが、ノーラさんの怒りとダンの慈悲を天秤にかけるまでもないようで大きく彼女は首を振った。
「いい? これから私はオースティンを逃がさないように、この屋敷中の窓という窓全てを内側から閉めるわ。そしてそのホールの扉もね。鍵はあなた方が預かっていていいわ」
誇らしげにノーラさんはそういった。その目線は僕らを見ているようであったが、どちらかというと僕らの背後にある何かを感じ取ろうとしているようにも見えた。
「馬鹿げているよ、ノーラ。そんなことをして一体何を得られると言うんだね! いいからこっちにきなさい」
「私には武器があるわ」
ノーラさんは次の瞬間、拳銃を手にしていた。そしてその銃口を、なんの意味があるのか僕らに向けた。
「早くここから出て行って。私をどうか止めないで! 撃つわよ。私の指が、私に懐いたトリガーを引く前に姿を消すのが今は一番いい判断だと思うわ」
「君は今オースティンに操られているんだ。憎きオースティンに操られている、銃を置いて、今すぐこっちに来なさいノーラ」
ラドンさんも、彼女を説得するために負けじと声を張る。
「あんたら全員、まとめて私に撃たれたいっての!?」
突然、ノーラさんが人が変わったようにその拳銃をこちらに向けながら怒声を放つ。
「操られているのはあんたらの方よ。ねえオースティン聞こえているんでしょう!私と戦うのがこわいから、こうやって人を利用して逃げているんでしょう!」
空に向かって、一発弾丸を撃つ。そして、今度はその銃口を再びこちらに向けて、信じられないことがおきた。
「まずい、危ない!」
三度もなる銃声。ノーラさんは、本当にこっちに向かって銃声を放ったのだ。狂った憎しみを浮かべた表情をしながら。
咄嗟の判断で、ラドンさんが全員を後ろに引き下がらせ急いで扉をしめた。ノーラさんがわざと外したのか否か誰も怪我人はいなかったが、もう一度扉を開けようと取っ手を掴んだ時、鍵が施錠される音が聞こえた。
「これでもうオースティンは逃げられないわ」
扉の奥から、ノーラさんの勝ち誇ったような声が聞こえる。
「ね、ねえ、行こうよ。ノーラおばさんはオースティンを挑発しすぎた。こんなところにいちゃ、僕たちも大変だ」
モーニンガードが慌てふためいた様子で僕らに訴えかけてきた。オフィーリアは中に入るための鍵を握り締めラドンさんを見るが、二人は互いに諦めたように肩を落とすと、その鍵はオフィーリアの胸ポケットの中にしまわれた。
「今の彼女は何をいっても聞かない。錯乱しているんだ。今は彼女の無事を祈るしかない」
「一旦、客間に戻りましょう。それから、どうするかについて話し合いましょう。とりあえず、クールダウンした方が皆様にとって一番よいかと……」
「なるほど、彼女を使用人に選んだラドンさんの才能は今になってようやく開花されたようですね。一旦、客間に戻りましょう」
僕のその一声によって、一行は一旦客間に戻ることになった。その最中、背後から再び銃声が聞こえた。同時にノーラさんの怒鳴りつけたような声も聞こえる。
一体、ノーラさんはどうしてしまったんだよ……。僕のその声は、ついに喉を超えることはなく飲み込まれてしまった。