ガンダレッドの小説6 二月二十三 昼
オフィーリアが気を利かして淹れてくれた紅茶は、なんの後味も残さずに喉を流れていった。だが、笑顔で美味しかったと言う余裕はまだあった。
今ここにいる全員は、みんな怖いのだ。それは僕も例外ではない。
「本当にオースティンの仕業だったとすれば、どこにいても変わんねえな」
時間が経つにつれ、誰もが最悪の展開を頭に思い浮かべている。
「そんなことはないさ。ここで身を守っていれば、絶対安心だ」
ラドンさんはそう言っている。僕は彼の逞しさに尊敬の意を送った。今一番辛いのはきっとノーラさんであるが、今一番大変なのはラドンさんであるだろうからだ。
命を託されている者の責任というのは大きい。それは小説家である僕の身にも同じことが言えた。
「そんなに怖がることないじゃない」
モーニンガードが一番不思議そうにしている。その顔からは、今の発言が怯えるみんなを励まそうだとか自分自身の言い聞かせ、といった感じは全くしない。純粋な気持ちでそう聞いているのである。
「モーニン。お前は幼いから知らないだろうが、死って結構こええぜ……」
ドルフは落ち着きがない様子で、客間の隅から隅までを言ったり来たりしながら何かを考えていた。
「なんで僕らが死ななくちゃいけないのさ」
最初の頃は顔を見せることさえ躊躇していたくせして、モーニンガードはもう馴れ馴れしい態度を持っていた。その態度には僕自身納得のいかない所はあるが言っていることは確からしい事であった。
「そうだとも! 彼は素晴らしい事を言うね。私達が殺されてしまう理由なんて、どこにもありはしないのさ!」
突然、ノーラさんが顔をあげて僕らのことを睨んだ。
「それじゃあ何よ、つまりあの人は殺される理由があったというの!」と、涙声で訴えかけてきた。
「違いますぜノーラさん。ここにいる誰もは、そんな大層なことは思ってません」
自分で言ってなんだが、僕の脳は、口から出す言葉とは違う考えをしていた。ジャックさんには、間違いなく殺される理由があったのだ……。これは事故死じゃなく、殺人なのだから。
それが、魔女オースティンによる殺人となる。ラドンさんの、あの書斎部屋の時の沈黙は一体なんだったのであろうか。きっとジャックさんの殺害の動機を知れば
分かるのではないだろうか。
だとすれば、オースティンについて深く知らなくてはならない。
よくよく考えてみれば、この大会に何年か参加しているが、何一つオースティンについて知っていることはない。ただこの森の伝説の魔女というだけで、特別深く考えたことはないし、知ろうと思いもしなかった。僕が興味を寄せているのは、この大会にある問題の答えだけだった。そのため、深くオースティンについて知ろうと考えたのは、これが始めてだ。何より、伝説に生きる者なのだから、調べたところでこの問題に繋がることはないと勝手に思っていた。
オースティンのことを深く調べるに値した人物は、ラドンさん以外にはいない。
「ラドンさん。オースティンについて知っている限りでいいので話してください」
落ち着いたノーラさんは、今はソファの上に横になっていた。その宥め役であったラドンさんの元に僕はいくと、ゆっくりと話しかけた。
「知ってガンダレッド君はどうするんだい。まさか、ジャックさんを殺された復讐をしようって言うんじゃないだろうね」
野次馬のようにミアンナはこちらに寄ってきた。彼女を守ってやると言ったのは僕なのだから、いついかなるときでも離れてはいけない。そのことを忘れかけていたことに、心の中で彼女に謝った。
「復讐なんてしません。ただ、オースティンについて知れれば、少しは対策はできるんじゃないかと思って」
「ガンダレッド君、私は言っただろう。出された問題だけについて考えていればいいって」
「そんなことを言ってる場合じゃなくなってきたって思いますよ俺は、ラドンさん!」
声を上げてしまった。ラドンさんは納得したのか諦めたのか、はたまた別の、僕の予想できない心の動きなのか、そこにあった椅子に座り、穏やかさを失わない表情で口を開き始めた。
「……実際に、オースティンという人物は存在したのだよ。有名な貴族。君たちはベルネット家というのを知っているかな」
ベルネット家は、小説を書く上で、貴族についてを調べる時に知った程度の知識しかない。ミアンナはどうやら知らないらしく、話しを聞きつけてこちらに寄ってきたドルフやアンも知らないらしい。
ダンとモーニンガードはこのベルネット家について知っているようで、真摯に話を聞く体制になっていた。
「オースティンは、ベルネット家の一族として生まれたのだよ。私も、深くはその一族については知らないのだがね、その家は相当手厳しい躾をしているところだったらしい」
どこか懐かしむような口調で、ラドンさんは一言一言を丁寧に話していった。
「そんな家に愛想を尽きたのかしらんが、ある日とんでもない事件が起きたんだ。それはね、オースティンの家出さ。いくつもの街を巻き込む重大な事件として世間に知らされてね、当時は大騒ぎだったんだ」
誰ひとり口を挟まず、その話しに聞き入っていた。
「もちろん、彼は見つかったさ。どこか遠くの街で、親友と二人で暮らしていたらしい。二人で歩いているところを目撃されたオースティンは、その場で貴族が使役している警備員に抑えられたんだ」
ここで、初めて僕が驚いた。いや、僕以外の人間も同じように驚いたに違いないが、あまりにも大胆に僕の考えを砕いてくれたため、自分しか見えなかったのだ。
「オースティンって、男なんですか?」
ラドンさんはさっきの言葉の中で、オースティンのことを彼と言った。もしオースティンが女性なら、彼とは言うまい。
「そういえば、これは誰にも教えてなかったね」
ラドンさんは、驚いている僕に微笑みかける。
「オースティンは男性なのだよ。魔女オースティンと呼ばれているが、オースティンは男だ」
「だったらなぜ魔女って呼ばれてるんですか。最近は、男でも魔女と呼ばれる時代にでもなったんですか。いやもしくは魔女じゃなく、魔男とかですかね」
「彼は男性だ。しかし、その姿は女性の目から見ても美しいと呼ばれる程であった。言葉にするには惜しい程の美しさであったらしい」
なぜそのオースティンが魔女と呼ばれるようになったのかは、これからの話を聞けばわかるのだろうか。とりあえずはラドンさんの話の続きを促して、好奇心の隙間を、その話を聞いて埋めようとした。
「警備員に抑えられたオースティンは、抵抗はせずに大人しく捕まったそうだ。そして、彼がその街に背中を向けたその瞬間に起こった悲劇なのさ。見張りに隙ができたその時、無名の男がオースティンに向かって突っ走っていったんだ。男の手にはナイフが握られていた。そして、次の時には男の手はオースティンの腹を捉えていた」
「それじゃあ、オースティンは……」
「オースティンは、この森で死体となって発見されたよ。腹を刺されて、死に物狂いでこの森までやってきたんだろうね。そして、それ以来この森では不可思議な事件が相次いだんだ。きっかけはそんなことで、噂は広まって、この森で死んだ
オースティンは、きっと魔女となって蘇ったのだと伝えられるようになった」
「男はどうなったんですか」
「逮捕されて、殺人未遂で処刑されたよ。貴族の、それも未来ある青年を殺人未遂しよう等というのだから」
オースティンが実際にいたということに驚かされた。次に、そのオースティンの生涯の一片を聞いて、更に衝撃を受けた。
そして、ふとあることを思いついた。この屋敷についてのことなのだが。
「この屋敷は、本当にラドンさんの物なのですか」
「……」
ラドンさんの沈黙は、その考えの正当性を露わにしていた。
「もしかして、と思ったんですけど。この屋敷、魔女オースティンの住んでいた場所じゃないでしょうね」
「誰かが碑文を解いた後に、余興としておくために隠しておいた事だった」
「じゃ、じゃあラドンさんよ! この屋敷がオースティンのだっていうんならやっぱり……どこにも逃げようがない!」
この事実は、一層ドルフの不安を煽る結果となってしまった。実に、とんでもない失敗をしたと自分で後悔した。アンは、怯えながらもそんな兄をなんとか落ち着かせようと努力しているみたいだ。
「オースティンは、私が殺すわ」
ソファに伏せたまま、抑揚がどこにもない低い声でノーラさんが言葉を言った。
「仇討ちよ。復讐よ。オースティンは私が、絶対この手で息を止める。あの人にやったように、切り裂いて切り裂いて」
「落ち着いてノーラさん。私はやめたほうがいいと思うのです」
ミアンナがノーラをみて、どうにか鎮めようと優しい声をかけた。
「黙りなさい。これはね、私の決意なの。誰にも邪魔されたくないわ。もし私の邪魔をしようというんだったら、慈悲なんかかけてあげない」
ノーラさんは顔をソファに向けて俯かせているため、どんな様子をしているのかは分からない。ただ、操られた人形の糸が切れているように、決して動かずに言っているその姿は、殺気立ったオーラを感じさせた。モーニンガードもそれは感じたらしく、ノーラさんから遠ざかっている。
そして話す事がなくなると、また全員は散らばった。
僕は小声で、ミアンナに昨夜の出来事を全員に伝えなくていいのかを聞く。
「いいのよ。きっとみんなを混乱させちゃうだけだと思うし、二人だけの秘密にしましょ」
彼女は冗談を言っているのかと思ったが、今ここで冗談を言うにしては不謹慎が過ぎる。それに、混乱させてしまうのは確かだ。彼女の判断は正しい。
お腹の音が鳴り始めたのはちょうどこの頃だった。時計を見てみると、朝の10時20分を過ぎている。
朝から何も食べていないため、腹が減るのは仕方のないことだろうと思って、聞こえたであろう全員の顔を見る。
「そうですよ、ごはんを食べましょう。そうすればきっと、その美味しさで緊張も和らぎます」
今はオフィーリアにとても感謝した。ニコニコと笑顔で僕を見返してきて、更に、その場の暗い雰囲気を透き通った明るい声で照らしてくれたからだ。
全員お腹が空いていたようなのか、全員が賛成してくれた。しかし、ノーラさんはまだ無言でソファにうつ伏せになっている。
「ノーラ。お腹が空いていて、どうやってオースティンに勝つつもりだい」
ラドンさんがそうやって声をかけると、やっと顔を上げて立った。その目は今だに赤い。しかもその赤みは、悲しみよりも憎しみが強い、悪魔を彷彿するような赤さであった。
……ミドルラード夫妻は、なぜ悲劇を味合わなければいけなかったのか。
「私がジャックさんのご遺体を片付けてこよう。君たちは用意ができるまでここにいるんだ。いいね」
「ラドンさん、危険すぎじゃないですか。この状況でひとりになるのは、それは自殺行為とさえ呼べますよ」
「ふむ……。それじゃあこうしよう。私がご遺体を無礼のない場所に預けておくまで、君たちは屋敷の玄関の扉前にいてくれ。大丈夫、何かあったら大声で叫ぶし、何より私は何十年とここにいるんだ。心配には及ばんよ」
ラドンさんは僕の頭を撫でた。あまりの突然さにたじろくが、暖かい手はやはり父親を連想させた。そのおかげで、ラドンさんならひとりでも大丈夫だろうと安心できるようになっていったのだった。
「それじゃあいきましょう」
オフィーリアの一声で、全員は一斉に移動することになった。